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ごちうさにシャロは必要か?/ストーリーテリングとキャラクターシステム

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 ハリウッドの脚本家たちが発展させた「三幕構成」は、実用に耐えうるほぼ唯一の物語創作論だ。しかし、シド・フィールドの教科書を読了して最初に感じることは「So what?(だから何?)」だろう。三幕構成はエピソードやシーンの並べ方を決めるためのものであり、個々のシーンの作り方は教えてくれない。

 さらに問題は、観客にとってはシーンの配列よりも、個々のシーンのほうが重要だと言うことだ。たとえば「シータと2人きりで話がしたい」とパズーに懇願されたとき、ムスカは何と答えたか。ご存じのとおり、「3分間待ってやる」だ。あまりにも印象深いシーンだが、これが映画開始から何分後のエピソードか覚えている人は少ないだろう。ストップウォッチを握り締めながら映画を見るのは、一部の脚本術オタクだけだ。普通の消費者はシーンの順番など覚えていない。消費者の印象に残るのは個々のシーンそのものだ。

 1つひとつのシーンを上手く作れなければ、面白いストーリーは作れない。

 では、面白いシーンを作るにはどうすればいいだろう。ストーリーのテンポを崩さず、印象深いシーンを作るにはどうすればいいだろう。ここでは2つのノウハウをまとめたい。

 1つは「遅く入って早く出ろ」

 もう1つは「キャラクター・システム」だ。

 今回の記事は自分のための覚え書きだ。

 

 

 

■遅く入って早く出ろ!

 たとえば、大手芸能事務所を舞台にしたドラマのワンシーンを想像してみよう。

 主人公はアイドルのプロデューサーで、世話しているユニットの活動がようやく軌道に乗ってきたところだ。そんなある日、自分よりもはるかに目上の常務に呼び出される。プロデュース中のアイドルのうち2人を連れてこいと言うのだ。

 少し緊張しながら、ドアをノックする主人公。まず挨拶を交わし、天気の話をして、業界内のニュースやゴシップについて情報を交換し、ようやく本題に入る。

 アイドルの2人に向かって常務が言う。

「じつは君たちには、私のプロジェクトに参加してもらいたい。今のユニットでは君たちの本当の魅力を発揮できないはずだ」

 主人公たちは答える。

「どういうことですか!?」

「私たちが、常務のプロジェクトに参加…?」

 

      ◆ 

 

 以上のできごとをシーンに落とし込む場合、どこから書き始めればいいだろう?

 言わずもがな、「どういうことですか!?」からだ。

 そこに至るまでのドアをノックするシーンや主人公の緊張した顔を描写するシーンは省略してかまわない。むしろストーリーのテンポを悪くする可能性が高い。退屈だからだ。

 一連のできごとのなかで、消費者にいちばん強い印象を与えるのはどこかを考えて、そのできごとから書き始める。そして、印象付けることに成功したら、さっさとそのシーンを切り上げる。そうすることで、余計な部分を省いて、視聴者の興味を新しい情報に集中させられる。これが「遅く入って早く出ろ」だ[*1]

 

 

 上記の芸能事務所の例は、アニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』第20話の冒頭で実際に確認できる。これだけではない。アニメや映画に限らず、小説やマンガなど様々なコンテンツで「遅く入って早く出ろ」のテクニックが使われている。お手元のマンガをパラパラとめくってみて欲しい。

 退屈な部分をできるだけカットして、面白い部分だけ残せば、そのお話は自然と面白いお話になるはず──。そういう単純な発想に基づいたテクニックが「遅く入って早く出ろ」だ。

 アルフレッド・ヒッチコックに言わせれば、ドラマとは人生から退屈な部分をカットしたものだという[*2]

 だから、どんどんカットしよう。

 

 (※余談だが、ゲームのシナリオでは「遅く入って早く出ろ」は使用頻度が低いようだ。とくにテキストADVでは、映画ならカットされそうな退屈な部分まで書かれている場合がまま見られる。映画やアニメは作り手から消費者への一方通行のメディアなのに対して、ゲームは双方向のメディアだ。プレイヤーはお話を「鑑賞」するのではなく、クリックやボタン操作などでストーリーに積極的に関わっていく。この点は、映画脚本とゲームシナリオの違いの1つだろう。ゲームでは、カットすべきシーンをプレイヤーが選べる。)

 


■キャラクター・システム

 シーンとは、言い換えれば「ある出来事に対する登場人物たちの反応(※演技)を描写したもの」だ。

 川を流れてきた大きな桃に対して、おばあさんは「拾う」という反応を見せる。光っている竹に対して、おじいさんは「切ってみる」という反応を見せる。このような登場人物たちの「反応(※演技)」によって、物語は前に進んでいく。

 もちろん、ただ風景を映すだけとか、暗闇に音楽が流れているだけとか、そういう「世界観を膨らませるためのシーン」があることは認めよう。そういうシーンでは登場人物の反応は描写されない。が、お話も前に進まない。ストーリーテリングには登場人物の反応が必須だ。

 では、登場人物の反応にパターンはあるのだろうか。各シーンにおける役割分担を、定式化できるだろうか。

 メインキャラクターが2人の作品では、しばしば「ボケツッコミ」の役割分担が見られる。ある出来事に対して片方はボケという反応を見せ、もう片方がツッコミという反応を見せる。それに対して、さらにボケを重ねて──。これを繰り返しながらストーリーを前進させていく。

 同じような役割分担が、メインキャラクターの人数が違う作品にも存在する。主人公が3人、4人、そして5人と増えた場合でも、役割分担を定式化できる。登場人物を「役割」に注目してパターン化したものを、私はキャラクター・システムと呼んでいる。先述の「ボケとツッコミ」は、ごく基本的なキャラクターシステムだ。今回はこれに加えて、以下3つのキャラクターシステムを紹介したい。

・子父母型システム

・ダブルペアーズシステム

・五つ星システム

 以上3つ、順番に説明していこう。

 


▼子父母型システム

 それはアニメ『魔法騎士レイアース』を見ているときのことだった。私は放映当時にこの作品を見ておらず、いわば教養のためと思って最近ようやく視聴し始めた。自らの意志でストーリーを切り開いていく獅堂光、ツンデレ気味でツッコミ役の龍咲海、やわらかな物腰だが本質を見抜く鳳凰寺風。三人のキャラクターを見ながら、激しい既視感に襲われたのだ。

 これ、『ラブライブ』と一緒じゃないか?

 他のメンバーを牽引するという点で、高坂穂乃果と獅堂光の役割は同じだ。また、メンバーのツッコミ役になりがちで穂乃果の暴走を止めるという園田海未の役割は、龍咲海と重なっている。さらに、2人の衝突を緩和して物語を正しい方向へと軌道修正するという点で、南とこりと鳳凰寺風の役割はよく似ている。

 何か重要な発見をしたような感触があった。背筋がぞわっとなって、落ち着かない気持ちになった。私はあわてて一時停止ボタンを押すと、紙とペンを取り出して、キャラクターたちを表にまとめてみた。

 

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 そもそも『ラブライブ』の2年生組3人は、以前から『アイドルマスターシンデレラガールズ』のメインキャラ3人と共通点が多いと感じていた。明るく元気な本田未央、クールで落ち着いた渋谷凛、やわらかな雰囲気をまとった島村卯月。3人の性格は、どこかラブライブの3人と重なるものがある。同じアイドルもののアニメだから似てしまうのだろうと、あまり深く考えなかった。

 しかし、表に書き出してみて驚いた。

 彼女たちの役割分担は、他の多くの作品に当てはまったのだ。私はこれを「型」のキャラクター・システムと名づけた。メインキャラ3人の物語では、かなり高い頻度で子父母型システムが採用されている。20年以上前の作品である『レイアース』にも同じシステムが見られるのだから、ド定番のキャラクター配置と言っていいだろう。

 最近のアニメ作品から一例をあげれば、『それが声優!』の3人が当てはまる。

 行動的な性格で他のメンバーを牽引する萌咲いちごは、子型のキャラクターだと見なせる。主人公の一ノ瀬双葉がネガティブな思考になりがちなのは、自分の欲求よりも社会規範や常識を優先するからだ。彼女は父型のキャラクターだと言える。さらに、やわらかな性格で3人を1つにまとめる小花鈴は、間違いなく母型のキャラクターだ。

 興味深いことに、子父母型のキャラクターではイメージカラーも近くなる。

 たとえば子型のキャラクターは暖色系がイメージカラーだ。獅堂光は赤、高坂穂乃果本田未央はオレンジ、萌咲いちごの髪色はピンクだ。父型のキャラクターでは寒色系がイメージカラーになる。龍咲海、園田海未、渋谷凜は青、一ノ瀬双葉の髪色は薄紫だ。母型の場合、イメージカラーは緑だ。たしかに南ことりのライブでのサイリウムの色は白だが、衣装には必ず緑色があしらわれている。小花鈴の髪は薄いグリーンだ。唯一の例外は島村卯月で、母型のキャラクターであるにも関わらずピンクをイメージカラーとしている。

 このようにイメージカラーに共通点が生まれるのは、色彩心理学的な理由があるのかもしれない。私はあまり詳しくないのだが、赤には情熱や行動力などポジティブなイメージがあるという。他のメンバーを牽引して物語を打開する子型キャラクターにぴったりだ。また青は、知性や落ち着きのイメージがあるという。社会規範を重視する父型キャラクターに適しているだろう。さらに緑は、バランスと安らぎ、癒やしと成長のイメージを喚起するという。母型キャラクターの役割そのものだ。

 

 

 子父母型の役割分担があることは分かった。では、これをどのようにシーン作りに落とし込めばいいだろう。具体例をアニメ『ラブライブ』第1話から探してみよう。

 たとえば5分14秒あたりから始まるナレーションでは、典型的な子父母型の役割分担を垣間見られる。母校の廃校を知った3人それぞれの反応が現れている。

 まず穂乃果が「入学希望者が少ないから廃校になるなら、この学校の良いところをアピールして希望者を増やせばいい」と言う。自らの欲求に従って物語を前進させる子型キャラクターらしい発言だ。それに対して海未は、「この学校の良いところとはどこだ?」とツッコミを入れる。

「えっと…古いところ」

「他には?」

「伝統がある」

「それは同じことです!」

 以上のようなボケ・ツッコミを交わした後、最後にことりが「部活動ではいいところを見つけたよ」と現実的な答えを出して締めくくる。

 まず子が前に進みたいという意思表示をし、父が前に進めない理由を述べ、最後に母が前進するための打開策を提示する。これは子父母型システムの典型的な流れだ。この流れに乗せれば、1つのシーンを簡単に作り出せる。

 子父母型システムが広く用いられるのは、弁証法的なストーリーに転用しやすいからだろう。まずテーゼを示し、それにアンチテーゼをぶつけて、それらを止揚(アウフヘーベン)させてジンテーゼに至る。これがヘーゲル弁証法だ。映画やマンガ、小説のストーリーは、しばしば同じ流れをたどる。

 たとえば上述の例でいえば「学校の良いところを見つけたい」がテーゼ、それに対して「古い以外に良いところは見つからない」がアンチテーゼだ。穂乃果と海未の2人ではここから先に進めないが、ことりが関わることで止揚(アウフヘーベン)が起きる。「部活を探せばいいところが見つかる」というジンテーゼに至る。

 弁証法的なストーリーは、ワンシーンのみに見られるものではない。たとえばアニメ『暗殺教室』第13話は、1話丸々を使って弁証法の流れを踏襲していた。「プロとしてしか生徒に向き合えないのは教師失格か?」というテーゼに対して、「暴力的な父親のように生徒と接する教師」というアンチテーゼをぶつける。暴力教師を教え子が倒すことで止揚(アウフヘーベン)が起こり、「悩みながら生徒と接していいのだ」というジンテーゼに至る。(※詳細はアニメ本編を見て欲しい。dアニメストア等で配信中だ)

 

 キャラクターシステムの重要な点は、各キャラの役割と個性との関係は薄いということだ。これは私にとって重要な発見だった。

 創作技法を論じた文献では、しばしば登場人物の性格と行動が密接不可分のものとして語られる場合が多い。シド・フィールドの教科書でも、キャラクター設定の作り方にかなりのページが割かれている。キャラクターの人格や背景設定を煮詰めれば、おのずと行動も決まる。だからキャラの行動(=役割)と個性とは切り離しがたい──。

 ところがキャラクターシステムの発見は、その常識を覆した。

 たとえば高坂穂乃果には、強烈な天然ボケという個性がある。が、獅堂光や本田未央には天然ボケの要素は薄い。また萌咲いちごは自信家という個性があるが、他のキャラクターにはそれがない。彼女たちの個性はバラバラだ。にも関わらず、物語上の役割は同じなのだ。

 これは生ハムとザーサイに似ている。

 イタリアンにおける生ハムと中華料理のザーサイは、どちらも「前菜」という役割を担っている。が、その中身はまったく別だ。同様に、キャラクターシステムにおける役割が同じでも、その役割を演じるキャラクターが同じ個性を持つとは限らない。むしろ、まったく違う性格の人物にも同じ役割を演じさせることができる。ちょうど、数え切れないほどたくさんの役者たちがアントーニオとシャイロックという同じ役割を演じてきたように。ショーン・コネリーダニエル・クレイグは似ても似つかぬ別人だが、同じジェームズ・ボンドという役割を演じたように。

 登場人物の個性役割とは、切り離して考えることができる。もちろん、引っ込み思案でネガティブな人物に子型キャラクターを演じさせるのは難しいだろう。天然ボケでおっとりした人物には父型を演じさせにくい。しかし、ある役割をどんな人物に演じさせるかには、かなり大きな自由度があるらしい。この点は、どんなに強調しても足りないほど重要だ。後ほど詳しく述べる。

 


▼ダブルペアーズ・システム

 メインキャラクターが3人の作品では、子父母型システムが上手く機能することが分かった。では、もう1人増えて4人ならどうだろう。弁証法的なストーリーは3人いれば充分だ。追加した1人をあぶれさせることなく、4人をまんべんなく活躍させる役割分担はあるだろうか?

 ヒントになったのはとある科学の超電磁砲だった。超能力者が跋扈する学園都市を舞台に少女たちが活躍する物語だ。とある魔術の禁書目録のスピンオフとして始まったが、本編よりも超電磁砲のほうが好きだというファンを生み出すほどの人気作になった。

 アニメ版『超電磁砲』のメインキャラクターは4人。学園でも最高レベルの超能力を持つ御坂美琴。テレポート能力を持ち、都市の治安維持にあたる白井黒子。コンピューターの扱いに長けた初春飾利。そして無能力者の佐天涙子だ。注意深く見ると、彼女たちはただの4人組ではなく、「2人組×2」として描かれていることが分かる。

 

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 すでに書いたとおり、2人組はキャラクターシステムの基本形である「ボケとツッコミ」を作れる。それを2つ用意することで、4人全員にスポットライトを当てることができるのだろう。仲間はずれを出さないキャラクター配置だと言える。

 ダブルペアーズ・システムでは、個々のキャラクターというよりも、それぞれのペアに役割がある。対立ペアと融和ペアだ。

 たとえば御坂美琴はややボーイッシュな少女で性的志向はノーマルだ。一方、白井黒子は女性的な口調で喋る少女で、美琴に想いを寄せている。性格に相違点の多い2人だが、行動をともにすることが多く、頻繁に(黒子のボケに対する美琴のツッコミという形で)衝突している。彼女たちは対立ペアと呼びたい。いつもぶつかり合っている賑やかなペアだ。

 これは、いわゆる「バディもの」と呼ばれるジャンルの映画と同じだ。

 必ずしも共通点が多いとは言えない2人が出会い、ぶつかり合い、やがてお互いを理解し合うようになる。男同士の『48時間』、女同士の『テルマ&ルイーズ』、魚同士の『ファインディング・ニモ』等、このジャンルの作品は枚挙にいとまがない。脚本家ブレイク・スナイダーに言わせれば、すべての恋愛映画は「バディもの」の一種と見なせるという[*3]

 最近のアニメから例を出せば、『アイドルマスターシンデレラガールズ』第11話がバディものに該当する。アイドルユニット「アスタリスク」の2人は正反対の性格で、共通点なんて1つもなさそうに見える。けれど、同じ問題に一緒に取り組むうちに友情が芽生えて……というストーリーだった。

 

 閑話休題

 

 片方のペアがいつも衝突しているのなら、もう一方のペアは大人しいほうがいい。さもなくば、お話が騒がしくなりすぎて消費者を置いてきぼりにしてしまう。したがって、もう片方のペアにはあまり対立しない2人が選ばれる。むしろ、正面切って衝突できないことが2人の問題になっている場合が多い。

 たとえば初春飾利佐天涙子は同じ中学校に通う親友同士だ。ところが、佐天涙子は能力を持たないことを悩んでおり、友人や教師はもちろん、親友の初春にさえ相談できないでいる。思い詰めた末に、佐天はある大事件に巻き込まれてしまう──。これが『超電磁砲』の「幻想御手(レベルアッパー)」編のあらすじだ。悩み抜いた末に2人がお互いの胸中をぶつけ合うクライマックスは涙無しには見られない。

 一見すると性格に一致点が多く、簡単には衝突しない。初春飾利佐天涙子のような2人を「融和ペア」と呼びたい。

 

 ダブルペアーズ・システムは、私がアイディアを思いついてから日が浅く、まだ充分に研究できていない。2人組×2を使ってどのようにストーリーを組み立てていくかについてはここでは踏み込まず、同様のシステムを採用している作品の実例をあげるにとどめる。

 たとえば『未確認で進行形』は、アニメのオープニング映像を見るとメインキャラクター は少女3人であるかのような印象を受ける。しかし実際には、許嫁の三峰白夜が加わった4人だ。いつもぶつかり合っている紅緒と真白が対立ペア、一方で本音を打ち明けられない小紅と白夜が融和ペアだと見なせるだろう。

 また『ゆるゆり』はアニメ第3期からダブルペアーズ・システムの色合いが濃くなった。京子と結衣の2人は以前からペアとして描かれていたが、第3期ではあかりとちなつの2人もペアとして描かれる度合いが強くなった。あかり&ちなつは性格に一致点が多いとは言いがたい。が、これは相対的な問題だ。正反対の性格として描写される京子&結衣ペアに比べれば、あかり&ちなつペアは対立の度合いが低い。

 さらに『わかばガール』『Aチャンネル』等のメインキャラクター4人の作品でも同様の役割分担が行われていると推測するが、検証が充分ではないのでここでは示唆するにとどめる。

 

 

▼五つ星(ファイブスターズ)システム

 アニメ『ご注文はうさぎですか?』を初めて見たときの衝撃は忘れられない。消費者の嗜好を研究しつくしており、「おらおら!お前らこういうのが好きなんだろ?」という供給側の声が聞こえてくるようだった。こんなにあからさまに〝狙った〟作品では、さすがに消費者から拒絶されるのではないかと思ったが、蓋を開ければヒット。「定番」や「王道」の強さを証明することになった。

ごちうさ』のキャラクターシステムを、私は「五つ星(ファイブスターズ)システム」と呼んでいる。同じ美少女キャラクター5人がメインになる作品では、『きんいろモザイク』や『ハナヤマタ』が同様のシステムを採用している。男性が混ざるがアニメ版 『中二病でも恋がしたい』もこのシステムを取っていた。

 五つ星システムのキャラクターは、それぞれ5つの役割に振り分けられる。(1)牽引役(2)振り回され役(3)お姉さん役(4)ガチ百合役(5)トリックスターだ。

 

 まず牽引役は、行動的な性格でストーリーを引っ張っていく役割だ。ボケキャラになることが多く、また、一種のトラブルメーカーにもなりがちだ。『きんモザ』の大宮忍、『ごちうさ』のココア、『ハナヤマタ』のハナ、『中二病』の小鳥遊六花がそれぞれ牽引役に該当する。

 次に振り回され役は、牽引役と行動を共にする役だ。自らの意志よりも、牽引役の判断によって行動することが多い。牽引型へのツッコミ役になりがちで、また、物語の語り手を担う場合もある。『きんモザ』のアリス、『ごちうさ』のチノ、『ハナヤマタ』の関谷なる、『中二病』の富樫勇太が振り回され役だ。

 続いてお姉さん役は、常識や社会規範に従って行動する役割だ。牽引役と振り回され役の2人だけでは、ボケとツッコミがエスカレートした結果、ストーリーが現実離れしたものになってしまいがちだ。読者と同じ現実世界の視線を持ち込んで、ストーリーを地に足の着いたものにするのがお姉さん役だ。『きんモザ』の猪熊陽子、『ごちうさ』のリゼ、『ハナヤマタ』の常磐真智、『中二病』の丹生谷森夏がお姉さん役に当てはまる。身長・年齢が高めに描かれる場合が多い。

 そしてガチ百合役は、登場人物の誰かに強い憧れや思い入れを持つ役割だ。『きんモザ』の小路綾が典型で、お姉さん役の猪熊陽子に対して(ともすれば同性愛にも見えかねない)憧れを抱いている。同様のことが『ごちうさ』のシャロ、『中二病』の凸守早苗にも当てはまる。また、ガチ百合役が憧れる対象は必ずしもお姉さん役でなくてもいいらしい。『ハナヤマタ』の笹目ヤヤは、振り回され役の関谷なるに対して情愛をたぎらせている。

 最後にトリックスターは、独自の価値観に従って行動し、ストーリーを引っかき回す役割だ。マイペースな天才肌なキャラクターがこの役を演じる場合が多い。『きんモザ』のカレン、『ごちうさ』の千夜、『ハナヤマタ』の西御門多美、『中二病』では五月七日くみんが該当する。他のキャラクターとは違う価値観・行動規範を持ち込むことで、物語を方向転換させる役割だ。

 

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 五つ星システムは、さまざまな作品で見かけるキャラクター配置だ。メインキャラクターが5人の作品ではもちろん、メイン4人の作品でも五つ星システムのうち1人が欠けた形を取るケースがある。たとえば『のんのんびより』はお姉さん役の欠けた五つ星システムだと見なせるし、『ゆるゆり』はアニメ第1~2期ではトリックスター型キャラの欠けた五つ星システムという傾向が強かった。どうやら五つ星システムは、汎用性の高いキャラクターシステムのようだ。

 不思議なのは「ガチ百合役」の必要性だ。

 他の役割は、物語を前に進める上での必要性が分かる。たとえば牽引役と振り回され役は、キャラクターシステムの基本形である「ボケ・ツッコミ」を発展させたものだろう。

 また、お姉さん役には社会規範や常識をストーリーに持ち込み、消費者との距離を縮める機能がある。あるいは、子父母型システムにおける「父」の社会規範の要素と、「母」の精神年齢が高い(高そう)という要素を、それぞれ抽出して受け継いだものが五つ星システムにおけるお姉さん役だと考えることもできる。

 では、子父母型の「母」から年上っぽさを取り除いた残りの部分はどこにいったのか? 五つ星システムではトリックスター役がその役割を担っている。ものごとを違う角度から見て、物語を今までとは違う方向に導く。

 牽引役、振り回され役、お姉さん役、トリックスター役の4つの役割は、それぞれ作劇上の機能が分かりやすい。ストーリーを前進させるうえでの必要性が明白だ。

 ところが、である。

 ガチ百合役の特徴は「登場人物の誰かに強い思い入れを持つこと」だ。なんじゃそりゃ、って感じだ。こんな特徴を持つキャラクターがいなくても、ストーリーを前進させる上では問題なさそうだ。にもかかわらず、五つ星システムではほぼ必ずガチ百合役が登場する。5人のうち1人が欠ける場合でも、ガチ百合役が欠けるケースは珍しい。

 小路綾や笹目ヤヤのようなキャラクターは、なぜ必要なのだろう。どうして 一条蛍や吉川ちなつは、同性である越谷小鞠や船見結衣に憧れを抱かなければならないのだろう。こんなキャラがいなくてもストーリーを進められるのではないか? ごちうさのシャロは要らない子ではないのか?

 

 答えは意外なところで見つかった。

 1ヶ月無料という言葉に惹かれて、私はNetflixに加入した。なるほど、映画のラインナップはHuluに負けず劣らずだ。せっかくの機会だから、今まで見逃していた映画を見てやろう。そう思って、80年代の傑作『グーニーズ』を視聴したのだ。

グーニーズ』は、子供たちが屋根裏部屋で見つけた宝の地図をヒントに海賊の財宝を見つけるというストーリーだ。小学生の妄想をそのまま映像にしたような作品で、ジュブナイル映画としてはオールタイムベストに名前を連ねることも多い。

 主人公のマイキーは喘息の持病を持つ大人しい少年だが、いざという時の行動力は人一倍。屋根裏で地図を見つけて、宝探しに行こうと発案する。一方、友人のマウスは悪ぶった生意気な少年。口うるさくツッコミを入れるが、何だかんだマイキーと行動を共にする。さらに、ブランドはマイキーの兄で、弟想いの優しいハイティーン。メインキャラクターのなかでは「大人」な目線を持った人物だ。そして、チャンクは何をやっても失敗する憎めないデブ。感情にまかせて行動して悲惨な結果になることが多い。最後に、データは中華系の少年で、いじめっ子撃退のために様々な発明品を身につけている。メンバーのなかで理科系の知識は随一だ。

 メインキャラクターが5人。これでピンときた。

 表に書き込んで見ると、『グーニーズ』のキャラクターは五つ星システムにぴたりと割り振ることができたのだ。

 まず、マイキーは牽引役だ。喘息持ちで大人しい性格をしており、この点は『ハナヤマタ』のハナや『ごちうさ』のココアとは大きく異なる。が、思い出してほしい。キャラクターシステムにおける役割と、その役割を演じるキャラクターの個性は、必ずしも一致しない。海賊の宝を見つけようと決意して行動を起こすマイキーは、作劇上は間違いなく牽引役だ。

 続いて、マウスは振り回され役だと見なせる。生意気で悪ぶっているところは『きんモザ』のアリスとは違う。が、ツッコミを入れながらも牽引役と行動をともにしてしまうのは、明らかに振り回され役の立ち位置だ。

 ブランドがお姉さん役ということに異論はないだろう。常識や社会規範(※母親の言いつけ)によって主人公たちを縛ろうとしたり、社会性ゆえに笑いを誘ったり。これはお姉さん役に特徴的な行動だ。『ごちうさ』のリゼはしばしば良いところを見せようとして笑いを誘う。ガールフレンドの前でカッコつけようとするブランドとは共通点が多い。

 そしてデータは、他のキャラクターが持たない科学知識を使ってストーリーを前進させる役だ。独自の価値観を持って物語を転がすのはトリックスターの特徴だ。もしもデータが居なければ、ダイナマイトを発見したり、足もとを滑りやすくして敵の追跡を遠ざけたり……といった展開は不可能になる。

 消去法で、チャンクがガチ百合役ということになる。

 もちろんチャンクは同性愛的な行動を見せない。作劇上、彼は「何か失敗することでお話を前に進める」という役割を担っている。たとえば怒りにまかせて体当たりしようとした結果、転んでドアを突き破ってしまう。恐怖にかられてよく確認せずに逃げようとした結果、敵の車をヒッチハイクしてしまう。これがチャンクだ。

 つまりガチ百合役は、感情をうまくコントロールできない役だと言える。

 感情が高ぶると理性が吹き飛んでしまう役割なのだ。『きんモザ』の小路綾が同性愛のような行動を取るのは、理性を吹き飛ばす感情としてもっとも強力なものが「恋愛」だからだ。ガチ百合役にとって重要なことは、誰かに憧れを抱くことではない。感情を理性で抑え込めないことである。

 アニメ『ごちうさ』第2期の第2話には、「シャロの家に幽霊が出る」というエピソードが描かれる。シャロの恐怖を解決するためにストーリーは展開していく。なぜシャロは幽霊を怖がるのか? 理性的に考えれば幽霊など存在するはずがない。にもかかわらずシャロが恐怖を覚えるのは、彼女がガチ百合役──すなわち、理性よりも感情を優先する役割──だからだ。

 メインキャラクターが理性的な人物ばかりだと、ストーリーが進まなくなる瞬間がある。冷静に考えれば危険すぎる場所。不穏すぎる人物。メインキャラクターが理性的なキャラクターだけだったら、そんな場所に踏み込むことはありえないし、そんな人物と関わろうとしないはずだ。

 そこでガチ百合役の出番だ。

 理性よりも感情を優先することによって、その壁を突破できる。ストーリーを前進させる上で、非常に重要な役割だと見なせるだろう。よかった、シャロは必要だったのだ。


 おそらく、五つ星システムは物語を前進させる力が非常に強い。

 まず牽引役と振り回され役で、基本的なキャラクターシステムである「ボケとツッコミ」を内包している。お姉さん役の社会規範や常識は、他のメンバーの暴走を止めて軌道修正することも、それ自体で笑いを誘うこともできる。トリックスター役によって、それまでのストーリーから方向転換することも可能だ。さらに、登場人物たちが理性的な判断のせいで立ち止まったときも、ガチ百合役によって打開できる。「ここで冒険を終えて帰ろうか」という空気になっている他のメンバーたちを、感情にまかせた行動でさらなる冒険に引き込むことができる。

 また、5人という人数それ自体にも利点がある。1つひとつのシーンを作るときに、バリエーションを豊かにしやすいのだ。

 繰り返しになるが、シーンとは登場人物の反応を描写したものだ。たとえば基本形である「ボケとツッコミ」のキャラクターシステムでは、メインキャラが2人だ。したがって、1つのシーンに登場する人数には3つのバリエーションしかない。キャラAが登場するか、キャラBが登場するか、AB同時に登場するかの3パターンだ。

 ところがメインキャラクターが5人になると、バリエーションが一気に豊かになる。1人ずつ登場するだけで5パターン、2人同時に登場するなら10パターン、3人同時でも10パターン、4人同時なら5パターン、5人同時に登場するパターンを加えて、31パターンのシーンが作れる。「1つのシーンに誰を登場させるか?」という判断だけでこれほどのパターンがあるのだ。キャラクターの会話がマンネリ化することを防げる。

 

 

■シーンを作るためのツール

 ハリウッドの三幕構成は、シーンの配列を決める際には強力なツールとなる。が、各シーンをどう描くかについてはヒントを与えてくれない。この記事では1つひとつのシーンを生み出すためのツールとして「遅く入って早く出ろ」と「キャラクター・システム」を紹介した。

 今回は基本的なキャラクターシステムとして「ボケとツッコミ」を取り上げ、その発展系である3つのシステムを提案した。すなわち、子父母型システム、ダブルペアーズシステム、五つ星システムだ。

 キャラクターシステムはこの3つ以外にも存在する可能性がある。とくにメインキャラクター4人の作品については私の研究が進んでおらず、未知の部分が多い。たとえば『がっこうぐらし』をダブルペアーズシステムに当てはめるのは苦しく、何か別のシステムによってキャラクターが配置されている可能性が高い。(メインキャラが4人だということ自体がネタバレになってしまったような気もする)

 キャラクターシステムの要点は、作劇上の役割と、その役割を演じる人物の個性は、必ずしも一致しないということだ。

 たとえば五つ星システムの牽引役では、『きんモザ』の大宮忍は金髪好きという性格を持つ。が、『ハナヤマタ』のハナにそういう性格は無い。『ごちうさ』のココアは明るく元気だが、『グーニーズ』のマイキーは喘息持ちのインドア派少年だ。彼らの性格はバラバラだが、アリスやチノを振り回しつつストーリーを前進させるという役割は同じだ。

 このことは非常に重要な意味を持つ。なぜなら、キャラクターシステムによって無限とも呼べる物語のバリエーションを生み出せるからだ。

 創作者のなかには、創作活動の定型化を嫌う人がいる。何が三幕構成だ、何がキャラクターシステムだ。そんな「枠」を作っても、人間の創造性を奪うだけだ。真の創作とは、何にも縛られない場所からこそ生まれるのだ──。

 そう信じるのはかまわない。

 が、その前に「枠」が本当に創造性を奪うかどうかを考えてほしい。

 たとえばピクシブ百科辞典の「性格」のページには、この記事を執筆している時点で184種類の定型的な性格が掲載されている。「明るい性格」から「わんぱくな性格」まで様々だ[*4]

 キャラクターシステムの役割と、その役割を演じる人物の性格は別々に設定することができる。つまり同じ牽引役でも、性格の違う184通りキャラクターにそれを演じさせることができるのだ。他の役割にも同じことが言える。したがって五つ星システムには、単純計算で184の5乗、すなわち約2109億通りのパターンが存在することになる。ここにキャラの性別は考慮されていない。登場人物を男女のどちらにするかも含めれば、五つ星システムのバリエーションは(184×2)の5乗、つまり6兆通り以上になる。

 もちろんキャラクターの性格は184種類にとどまらないし、ピクシブ百科事典から漏れているものもあるだろう。さらにキャラクターの年齢層を考慮した場合、五つ星システムのバリエーションは──。もういい、これくらいにしておこう。キャラクターシステムのような「枠」を設定することは、たしかに思考を縛るかもしれない。しかし、それが創造性を奪うとは言えない。一生かかっても試せないほど膨大なパターンを創造できるからだ。

 

 進化生物学者のアンドレアス・ワグナーは、単純なモジュールの組み合わせで膨大な複雑性を生み出すような系はイノベーション能を持つことを示唆した[*5]。たとえばタンパク質の分子は、たった20種類のアミノ酸が鎖状につながったものだ。しかし、その20種類の組み合わせで、鳥の羽毛や眼球のレンズ、シャツの染みを落とす酵素まで作り出せる。たとえば20種類のアミノ酸というモジュール、あるいはDNAの4種類の塩基というモジュール、ヒトの脳における神経細胞というモジュール。そういう単純なモジュールが組み合わさって莫大な複雑性を生み出すものは、飛躍的な発展を遂げやすい数学的性質があるというのだ。

 ワグナーの仮説が正しいかどうかは、分からない。

 けれど、もしも正しいとしたら、三幕構成がこれほど強力なツールである理由を説明できる。三幕構成もまた、単純なモジュールの組み合わせで複雑性を生み出すものだからだ。

 三幕構成は、物語の冒頭から結末までをつなぐだけではない。一種のフラクタル構造になっており、物語の一部分を抜き取っても、そこに三幕構成を見つけることができる。たとえばアニメのシリーズ構成が分かりやすい例だろう。1クールのアニメは、全13話を通して1つのストーリーを描く。第3話あたりにターニングポイントがあり、第7話あたりがミッドポイントになり、第10話からクライマックスに入る。シリーズ全体が三幕構成になっているのだ。しかし同時に、各話の24分間も三幕構成で組み立てられている。開始から12分経過したあたりにミッドポイントがあり、18分あたりからクライマックスに入る。

 発端と中盤と結末を1:2:1の比率で並べる──。三幕構成の基本的な発想はシンプルだ。が、この単純なモジュールを組み合わせることで膨大なバリエーションが生まれる。『グーニーズ』のようなジュブナイルから『オールドボーイ』のような殺伐としたサスペンスまで生み出せる。

 

 キャラクターシステムは、単純な「枠組み」でしかない。しかし、この枠組みが膨大なバリエーションを生み出せることはすでに示した。三幕構成ほどの柔軟性やイノベーションを起こせるかどうかは分からない。しかし、〆切りまでにアイディアをひねり出さないといけない状況に陥った場合などには、強力なツールとして利用できるだろう。

 

 

 

 


[*1]シド・フィールド『素晴らしい映画を描くためにあなたに必要なワークブック』フィルムアート社(2012年) p164
[*2]フランソワ・トリュフォー『定本ヒッチコック映画術』晶文社(1990年)p89
[*3]ブレイク・スナイダー『SAVE THE CATの法則』フィルムアート社(2010年)p66
[*4]性格 (せいかく)とは【ピクシブ百科事典】
[*5]アンドレアス・ワグナー『進化の謎を数学で説く』文藝春秋社(2015年)

  

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