デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

夏だけど桜の季節についてつらつらと考えてみる

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黒板と教壇は、かならず教室の西側に配置される。これは右利きの生徒に対する配慮だ。学校の教室は南向きの場合が多いため、もしも教壇が東側にあったら腕の影で教科書やノートが見づらくなる。どんな当たり前の光景にも、なにかしら理由があるものだ。たとえば日本人にとって、桜は出会いと別れの象徴だ。卒業式・入学式が桜の季節に行われるからだ。
では、なぜ日本の学校では“4月始まり”が当たり前になったのだろう。


※ときどき思い出したように調べていますが、はっきりとした答えにまだ出くわしていません。今回の記事は、調査メモのようなものです。
※もしもご事情に詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひご教授ください。




     ◆





欧米の街並みの美しさに心を奪われる日本人は多い。都市計画のすばらしさに感銘を受けて、比べて日本の街並みはあまりにも汚いと落胆する。だけど、私は大阪や東京のごちゃごちゃした感じがけっこう好きだ。「ここはアジアだ!」と感じるからだ。アジア人としての一体感みたいなものが騒ぐ。
また、ヨーロッパの都市計画がすばらしいと言っても、とくに大陸側――パリやバルセロナ、イタリア諸都市など――のイメージが強い。アメリカならばボストンやワシントンのような歴史の古い街に「美しい都市」という印象を持っている。あくまでも個人的な印象だが。

日本でも、文化財の建築はどれも美しい。そして石造りの建物が多いヨーロッパでは、街全体が文化財になってしまう。たとえばフィレンツェの市庁舎(ヴェッキオ宮殿)は14世紀の建物なのに、いまでも現役として使われている。日本でいえば、姫路城が申告書や申請書を受け付けているようなものだ。
ところが現代の巨大都市になると、どこも光景が似かよってくる。
たとえば北京の摩天楼は梅田によく似ていたし、五環路沿いに林立するマンションは東京湾岸にそっくりだった。ロンドン中心部の街並みは東京に酷似している(※主観)。テムズ川の両岸には近代的な建築物が立ち並び、東京でいえば山の手の雰囲気によく似ている。と思った。
ここで無駄に大阪人にケンカを売ってしまうのだけど、大阪の街並みはずいぶんごちゃごちゃしていると思う。歴史の長さの証拠だ。東京は比較的新しい街だからこそ、大阪に比べてのびのびとした土地の使い方をしているし、緑地や公園もよく見かける。
ロンドンの街並みがどことなく東京に似ていることも、明治政府が徹底的にイギリスの真似をしたから……だったりするのだろうか。最近、イギリスの制度を調べていて、色々と驚かされている。明治以降の日本は欧米のなかでも、とくにイギリスを真似しまくっていたようだ。
たとえば会計期間や税金の課税期間だ。
欧米企業には12月決算の会社が多いので、ヨーロッパでは“1月始まり”が常識なのだとばかり思っていた。実際、フランスやドイツ、オランダ、スイス、ベルギー等、「暦年制(1月-12月制)」の国が多い。けれど、スウェーデンノルウェーギリシャの場合、税金の課税期間と政府の財務会計期間は7月-6月制を取っている。アメリカ政府は10月-9月制だ。意外とバラついている。
ちなみに日本も7世紀のころは1月-12月制を採っていたらしい。律令制の時代だ。近代的な年次会計が始まるのは明治政府になってからで、明治維新の直後は米国のような10月-9月制を採っていたらしい。明治7年には7月-6月制に切り換えるなど、明治政府は会計期間を頻繁に切り替えている。4月-3月制が始まるのは明治17年からで、地租の徴収に便利だったからだとされている。
で、イギリスの会計年度も4月-3月制なのだ。
もちろん民間企業では1月-12月制が普及しつつあるのだが、政府の財務・徴税期間はいまだに4月-3月制を採っている。とくに笑っちゃうのは個人所得税の計算期間で、なぜか4月6日始まりの翌年4月5日締めという中途半端な期間が設定されている。 HMRC(※Her Majesty's Revenue and Customs、イギリスの国税庁のサイトで調べてみると、歴史的な紆余曲折でこうなったらしい。が、サイトに説明文を載せるということはイギリス人にとっても「?」と感じる期間なのだろう。イギリスにはこういう歴史的な不合理がたくさん残っていて楽しい。同じ英語圏でも、やっぱりアメリカやオセアニアとは違う。
おそらく財政難に悩まされていた明治政府の役人たちは、“4月始まり”に注目したのだろう。当時の主要税目だった「地租」を徴収するのにも適しているし、なんとか導入したい。調べてみると、イギリスが“4月始まり”のようだ。よし、真似してみよう!……という経緯があったのではないだろうか。
ここで、ようやく学校の話になる。
いまでこそ日本の学校は“4月始まり”が当たり前になったが、最初からそうだったわけではない。たとえば江戸時代の寺子屋には明確な“学年”が無かったし、大学などの高等教育機関は明治から大正まで長きにわたり“9月始まり”だった。政府の予算期間と一致させるために、少しずつ4月学年始期制が導入されていったという。
先述のとおり、大日本帝国中央政府が4月-3月制を導入したのは明治17年(1884年)のことだ。そして2年後の明治19年1886年、まず高等師範学校において4月学年始期制が採用された。そして明治22年(1889年)4月からは市町村が4月-3月制を導入、翌・明治23年(1890年)5月からは道府県が4月-3月制を導入した。これにより日本の行政機関の会計期間は“4月始まり”に統一された。さらに2年後の明治25年(1892年)、小学校において4月学年始期制が採用される。こうして4月学年始期制は一般化していったようだ。
なお大学で“4月始まり”が採用されるのはずいぶん後になってからで、たとえば東京帝国大学では大正10年(1921年)から。学府としての独立性を重視していたのかもしれない。いずれにせよ、大学全入時代の現在とはずいぶん違った青春を、当時の学生たちは送っていたはずだ。
4月が入学式・卒業式の季節になってから100年ほど。
桜の花は、いまではすっかり出会いと別れのシンボルになった。



※まあ、秀吉の「醍醐寺の花見」の逸話で分かるとおり、日本人が昔から春の華やいだ雰囲気が好きだったのは間違いないでしょう。
※※お花見は奈良時代の貴族の風習が起源だとか。
※※※品種改良でソメイヨシノが作られたのは江戸時代の中期だったはず。隅田川は当時からお花見スポットだったらしいです。
※※※※古典落語『花見酒』は私の大好きなお話の一つ。経済のキホンも学べちゃいます。





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※年表
明治維新(1868年)
明治2年(1869年)9月〜:10月‐9月制
明治5年(1872年)11月〜:暦年制(1月‐12月制)
明治7年(1876年)12月〜:7月‐6月制
明治17年(1884年)10月〜:中央政府が4月-3月制を導入
◆明治19年(1886年):高等師範学校において4月学年始期制が採用される。
明治22年(1889年)4月〜:市町村が4月-3月制を導入
明治23年(1890年)5月〜:道府県が4月-3月制を導入
◆明治25年(1892年):小学校において4月学年始期制が採用される


大正10年(1921年):東京帝国大学で4月学年始期制が採用される






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