デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

生成AIの「無断学習」について

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『AIと著作権に関する考え方について(素案)』に対するパブリックコメントが、2024年1月23日~2月12日の期間に募集されていました。以下の文章は、その際に送った私のコメントを加筆修正したものです。

 

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 私はRootportというペンネームで作家・マンガ原作者として活動しています。『サイバーパンク桃太郎』という全編AI作画のマンガを出版し、TIME誌の「世界で最も影響力のあるAI業界の100人」に選ばれました。

 私はブロガーとしてキャリアをスタートし、多言語に翻訳された著作もいくつかあります。生成AIに著作物を無断学習されている立場ですが、生成AIへの規制強化には強く反対します。今回のパブリック・コメントでは規制強化を求める声も届くはずですが、それに対する反論として以下の内容をお送りします。

(画像出典)文化庁著作権セミナー資料 https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/seminar/2023/

 AIに対する規制は、令和5年6月19日著作権セミナー「AIと著作権」の資料43ページに書かれている「AIを利用して画像等を生成した場合でも、著作権侵害となるか否かは、人がAIを利用せず絵を描いた場合などの、通常の場合と同様に判断されます。」という方針で充分だと私は考えます。

 規制はAIによって生成したデータを公開した際に課すべきで、それは既存の法律・規制でもカバーできる範囲内でしょう。(たとえば贋作を公開・販売することは、用いたものがAIだろうとアナログの絵筆だろうと、許されるものではないでしょう)

 むしろ、AIの研究・制作・学習の段階に規制を課すことは、不要であるばかりか有害です。

 

 ところで、ラジオ放送は1920年代のアメリカで、アマチュア無線の愛好家の手で始まりました。当時のアメリカでは多くの若者が無線装置を作ることに熱中し、無線通信を楽しんでいました。無免許の人も珍しくありませんでした。そうした文化の中から、ラジオの放送という産業が生まれたのです。もしもラジオがなければ、テレビの放送も現在とは全く違う形になっており、映像産業・放送産業はこれほど発達しなかったかもしれません。

 あるいは、1970年代のパソコンの誕生も同様です。アルテア8800は世界初のパソコンの一つと見做される製品ですが、キーボードもモニターも付属していない、プロセッサを収めただけの「箱」でした。しかし当時のアメリカには電子工作の愛好家たちがたくさんおり、これを道具として使えるように改造していったのです。

 アルテア8800用のBASICを開発したことが、マイクロソフト社の始まりです。また、この時代のカリフォルニアには「ホームブリュー・コンピューター・クラブ」という愛好家のコミュニティが生まれ、スティーブ・ウォズニアックスティーブ・ジョブズなどの人物を輩出しました。

 

 現在の生成AIを取り巻く状況は、ラジオが生まれた頃やパソコンが生まれた頃によく似ています。

 

 生成AIの愛好家たちが(オンライン・オフラインを問わず)コミュニティに集まり、日夜、技術の研鑽を楽しんでいるのです。

 近い将来、ここから「放送産業」や「パソコン産業」に匹敵する巨大な産業が生まれるかもしれません。情報通信産業ではアメリカの後塵を拝しているわが国が、生成AIの分野では国際社会をリードする立場になれるかもしれません。生成AIに過度の規制を設けることは、技術革新と産業発展の芽を摘むことになります。

 もちろん生成AIの登場によって、仕事を奪われる人もいるでしょう。

 しかし、そのような産業構造の変化には(規制ではなく)補償で対応するべきだと私は考えます。生成AIを規制した際に失われるものを考えると、天秤のバランスが全く取れないからです。生成AIの研究・制作・学習は、できる限り自由であるべきです。

 

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 送信した内容は以上の通りです。

 今回のパブリックコメント募集に対して、様々な業界団体が規制強化を求めるコメントを公開しています。これは批判ではなく感想ですが、危機感が足りないように私は感じます。今ここで無断学習に対する規制を強化したとして、この先の3年間は業界を守れるかもしれません。では、10年後はどうでしょうか? 30年後は?

 生成AIは、破壊的イノベーションです。

 たとえばMicrosoftドイツ法人のCTOアンドレアス・ブラウン氏は、GPT-4の登場を「初代iPhone」に匹敵するターニングポイントだと述べました。ビル・ゲイツ氏は、AIは「GUI」以来の革命的なテクノロジーだと主張しました。東大副学長の太田邦史氏は、学生に向けた声明文の中で「組み替えDNA技術」に匹敵する変革だと指摘しています。これらの比喩がどれほど妥当かは分りません。が、私たちの生活や文化を大きく変える技術であることは、疑いようがないでしょう。

 そういう破壊的な技術を目の前にして、「3年後まで事業を存続させる」という近視眼的で保守的な判断は、果たして適切なのでしょうか?

 むしろ「30年後に世界一になっている」ことを目指して、新技術の活用を進めるべきではないでしょうか。危機感を持って新しい時代に適応しようと努力しなければ、30年後には業界そのものが消滅しているかもしれません。賽は投げられたのです。

 

「人間 vs AI」という問題の立て方は間違っています。

近い将来、「AIを使う人間 vs AIを使わない人間」の競争が始まります。

「AIを使う企業 vs AIを使わない企業」の競争が、「AIを使う国家 vs AIを使わない国家」の競争が、それぞれ始まります。

 その時代を生き延びるためには、どちらの側に立っていたほうが賢明なのでしょうか。

 みなさんの暮らしを豊かにするAIが、もしも私の著作物を学習していたとしたら、それはとても光栄です。データセットに含まれる全文章のうち何億分の一というわずかな貢献だとしても、みなさんのお役に立てることを嬉しく感じます。

 

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 なお、今回のパブリックコメントには明治大学の金子敏哉教授を始めとした専門家の方々も意見を寄せていました。ざっくり言えば、今回の『素案』はあくまでも「考え方を示す」ものであり司法判断ではない、法律の解釈は現実に紛争が起きたときに裁判所が下すべきだ……という内容です。

 これに比べると、私の送付したコメントは読書感想文レベルのものだな……という感想を禁じ得ません。お恥かしいばかりです。