プログラミング知識ゼロの俺が、ChatGPT(GPT-4o)にストップウォッチのアプリを作らせてみた。果たして無事に動くかな…?
▼ChatGPTとの会話
▼感想
俺は今まで「できるだけAIに仕事を任せよう」とか、「どんなタスクならAIに置き換えやすいか」に目を向けがちだった。けれど、これは間違い――とまでは言わないまでも、ちょっとピントが外れていたかもしれない。
「自分のやりたい仕事をするためのアプリを、AIに書かせる」が正解かも。
正直なところ、現在のAIには丸投げできる仕事が少ない。
たとえばChatGPTは画像の認識や加工ができるし、音声データも扱える。pdfファイルやExcelファイルを編集することだってできる。その万能ぶりには驚かされるし、数年後にどうなっているか想像すると空恐ろしい気持になる。
しかしそれでも、現状では「それ専用のアプリやAI」を用いたほうが正確性でも速さでも勝る。タスクの内容によっては、「ハルシネーションを起こすので人間の視認チェックが必要になる」という時点でまったく使いモノにならない場合すらある。たとえばExcelなら、Excelファイルを直接アップロードして中身を操作させるよりも、「自分のやりたいことを実現するための関数の組み方」をAIに訊いて、それをコピペしたほうが(つまりExcelの操作は人間の側でやったほうが)速いし正確だ。
人間は「できる」と知らないことは、「やろう」という気にならない。
その発想に至れない。
最近、俺はWindowsの共有フォルダにiPadからもアクセスできることを知った。数回のクリックと画面タップだけでできた。それを知るまでは、「やろう」という気にすらならなかった。自宅のWindowsパソコンからiPadにpdfファイルを送るために、わざわざfirestorageやギガファイル便を使うことすらあった。「俺は今まで、なんてムダな時間を…」と頭を抱えたものである。
白状すれば、プログラミングができないは俺のコンプレックスの一つだ。
中学生時代に、BASICを使ったごく簡単なシューティングゲームを作ったり、playコード?だったかな?を使って、ケータイの着信メロディを作成したことはあった。けれど、それっきりで、プログラミングの知識は頭からすっかり蒸発してしまった。俺にとってプログラミングは、いつの間にか脳内の「自分にはできないこと」のフォルダに投げ込まれていた。
ところが、AIの出現によって、それは「できる」ことになった。
今まで「できないこと」だったすべてのものが、「できる(かもしれない)こと」になった。数えきれないほどの「やってみたいこと」が、一夜にして目の前に現れた。
なんというか、ちょっと呆然としている。
何をして遊ぼうか。