デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

狼少年をころしたら/おとぎ話のリテラシー

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※一部に残虐描写があります。

『狼少年をころしたら』





かみそりのような三日月の輝く夜でした。


村の酒場にどなり声が響きます。
「――デマこいてんじゃねえ!」
椅子が倒れ、ゴブレットが宙を舞いました。ワインを頭から浴びて、男の子は言い返します。
「嘘じゃないよ! あの神官さまは、本当は吸血鬼なんだってば――!」
最後まで言い切らないうちに、大きなこぶしが彼の頬を打ちました。
「そうやって、みんなの不安をあおりやがって!」
ぶどう畑の旦那が叫びます。ふだんから重たいワイン樽を扱っているからでしょう、旦那の腕は丸太のように太く、ハゲあがった頭には、ぶどうのツルのような青筋を立てていました。しこたま飲んで、顔を首まで真っ赤にしています。
この男の子は、村でいちばんの嘘つきです。「森から狼が来たぞ」と触れてまわっては、慌てふためく村人を見て笑っていました。叱られても「騙されるほうが悪いんだ」と言って聞かず、とうとう親からも見放されてしまいました。何しろ、「子供」という言葉さえない時代のことです。路頭に迷った彼は、この酒場で床磨きをして糊口をしのいでいるのでした。
「旦那だって見ただろう。あの神官さま、教会の十字架を外しちまったじゃないか!」
「ありゃあ十字架のつけ根が腐っていたからだ。いつ屋根から落ちてくるか分からん」
数年おきに教皇庁から派遣される神官さまは、村人にとって、なくてはならない存在です。種まきの時期、刈り入れの時期、収穫祭の采配に結婚式から葬式まで、あらゆる村の行事を神官さまが取り仕切ります。神官さまの悪口を言う人などいません。この村ではつい半月ほど前に、新しい神官さまがやってきたばかりでした。
「お前が不安をあおるせいで、うちの女房は体を壊しちまったんだぞ。礼拝にも行かず、最近じゃあ一晩中起きてやがる、眠っているところを襲われたら怖いと言ってな。主人の俺が目を覚ますころに、ようやくベッドに入る始末だ」
「それはあんたが甲斐性なしだからだろ」
「なんだとぉ!」
一瞬のできごとでした。ぶどう畑の旦那はそばにあった椅子をつかむと、男の子に振り降ろしました。「ぐぅ」と喉を鳴らすような声を出して、男の子は床に崩れ落ちます。誰かが「いけない」とつぶやきました。けれど、男の子はもう動きません。
「やっと静かになったか……」旦那はへへっと笑い、みるみる青ざめていきました。「おい、いつまで寝てるんだ。起きろよ、おい!」
酒場の主人が、カウンターの中から血相を変えて飛び出しました。男の子を抱き起こすと、ぐらり、と首がありえない方向に曲がりました。
「ダメだ」酒場の主人は、男の子のまぶたを閉じてやります。「死んでる」



彼の葬儀を執り行ったのは、神官さまでした。
嘘つき少年の両親は「うちに息子なんていなかった」と、遺体を受け取りませんでした。すると神官さまが、家族の代わりに葬儀の一切合切を受け持つと言ったのです。小雨の降りしきる中、小さな棺桶に土をかけるのは酒場の主人と、客たちでした。
「神官さま、俺はとんでもないことをしちまいました……」
参列者の少ない葬儀が終わった後、ぶどう畑の旦那は神官さまを呼び止めました。
「酔っていたとはいえ、まさかこんなことになるなんて……」
神官さまの顔はしわだらけで、真っ白な眉毛はまぶたに届きそうなほど伸びています。緑色の瞳は、知的な光をたたえていました。
「反省していますか?」
「はい、もう酒は飲み過ぎないようにいたします」
「あなたのしたことは、許されることではありません。しかし――。嘘をつくのは人倫にもとる行為です。それが誰かの不安をさそうような嘘であれば、なおさらです。あの子にも“とが”はありました」
「はい――」
ぶどう畑の主人は、神妙な顔でうなづきます。神官さまは柔らかな笑みを向けました。
「これからは死んだ彼のぶんまでも、まじめに生きなさい」



事件が起こったのは、それから二週間ほど後のことです。



はちみつのように黄色い満月が、村を照らしていました。
まだガス灯もなく、明かりといえば蝋燭かランタンだけの時代です。白々と夜道を照らす満月は、村人たちにとって夜遊びの合図でした。普段よりもずっと遅い時間まで酒を飲み、すっかりできあがってそれぞれの家路につきます。村のいたるところで「いまぁかえったぞぉ」という酔っぱらいの声と「まったくあんたって人は!」と激昂する女たちの声が上がります。
そんな夫婦げんかの音も聞こえなくなり、みんなが寝静まったころ。
気まぐれな雲が、スッと満月を隠しました。



ぃやぁぁぁあああ――!



甲高い悲鳴が、村人の眠りを覚ましました。


オオカミ少年をころしたら

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