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「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

男が産休・育休を取れない本当の原因

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 新入社員研修のときの話だ。

「わが社には、産休・育休制度があります。社内規定としては、男性も取得可能ということになっています」

 40代の人事担当者は、淡々とした口調で言った。

「でも、みなさん。取らないでくださいね?」

 当時、まだTwitterが普及していなかったのは幸運だった。もしもあの頃の私がSNS中毒だったら、怒りに駆られてこの顛末を投稿しただろう。もちろん社名を公表したうえで、だ。きっと投稿は大炎上し、あえなく私はクビになっていたはずだ。

 一般的に言って、企業は社員が家族に尽くすのを嫌う。むしろ家族を犠牲にしてでも仕事をして欲しいと望むものだ。まして日本は「本音と建前」の社会である。建前としては男性も産休・育休を取得可能だとしても、不文律でその取得は認めない。そんな企業は珍しくないだろう。

 企業が家族をないがしろにするのは、日本に限った話ではない。

 たとえば映画『クレイマー、クレイマー』で、ダスティン・ホフマン演じる主人公のテッドは、仕事に熱を入れすぎた結果、妻のジョアンナに離婚を突きつけられる。父子2人のてんやわんやの生活が始まるが、職場の上司には「家庭の問題を仕事に持ち込まないでくれ」と釘を刺されてしまう。洋の東西を問わず、愛社精神と家族愛とはトレード・オフのものらしい。 

 

 なぜ、男性は産休や育休を取れないのだろう?

 なぜ多くの企業が愛社精神と家族愛とをトレード・オフだと見なし、その両立を認めないのだろう?

 この疑問は普通、経済学的な理由や文化的背景から説明される。しかし、生物学的な視点から眺めると、まったく違う答えが見えてくる。遺伝子の利益と企業の利益の衝突という、トンデモない見方ができるのだ。

 

 

 

 

 進化生物学には包括適応度という考え方がある。

「なぜ生物は助け合いをするのか」という疑問に答えるために編み出された考え方だ。20世紀半ばまで、生物がお互いに協力する理由は大きな謎だった。たとえばアリやハチのような社会性昆虫の場合、なぜ働きアリたちは自分の子供を残そうとせず、女王の子育てを手伝うのだろう。当時の進化理論ではうまく答えられなかった。

 自然界は優しくない。たとえばシマウマの直接の生存競争の相手はライオンではなく、同じシマウマだ。シマウマは生き残るためにライオンよりも速く走る必要はない。隣を走る友だちよりも速く走ることができれば充分だ。自然選択を受ける単位が「個体」であれば、お互いに助け合う行動など生まれるはずがない。

 この疑問に初めて答えを出したのが、イギリスの天才生物学者ウィリアム・ハミルトンだった。彼は自然選択を受ける単位が、個体ではなく「遺伝子」だと気づいた。生物は自分の子供を増やそうとしているのではなく、自分の遺伝子を増やそうとしているのだと気づいたのだ。

 血縁者は自分と同じ遺伝子を高い比率で共有しているので、血縁者の繁殖成功につながる行動はすべて、間接的に自分自身の遺伝子を将来に残すことにも繋がる。親や兄弟姉妹に協力することが、より多くの遺伝子を残すことにつながる(場合もある)のだ。

 アリやハチの場合、私たち哺乳類とは繁殖の方法がかなり違う。その特殊な繁殖方法ため、働きアリは自分の子供よりも、自分の姉妹と多くの遺伝子を共有している(※自分の子供とは1/2、姉妹とは3/4の遺伝子を共有することになる)。だから彼女たち(※働きアリはすべてメスだ)は、自分の子供を残そうとはせず、自分の姉妹を──母である女王の産んだ妹たちを育てることに奔走する。

 このあたりの話はリチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』のなかで詳しく論じている[1]。一言でいえば、「家族は大事だよ」という行動を説明するもの。それが包括適応度だ。アリに限らず、血縁者と協力しあう動物は枚挙にいとまがない。肉食動物が兄弟と協力して狩りをする──。そんなシーンをテレビの動物番組で見たことがあるだろう。

 包括適応度の考え方は、ヒトにも適応できるのだろうか?

 当然、できるのだ。

 たとえば閉経の存在があげられる。じつはほとんどの哺乳類には閉経がない。ゾウの寿命は55歳ほどで、そこまで生き延びる個体は全体のわずか5%しかいない。しかしゾウのメスは、その年齢に達してもピーク時の50%ほどの繁殖能力を有している[2]。閉経を経験する哺乳類は極めて珍しく、ヒト以外ではゴンドウクジラくらいしか知られていない[3]

 なぜヒトには閉経があるのだろう?

 現代の医療により寿命が延びた結果、繁殖能力を失ったあとも長生きできるようになったのだろうか? しかし、それは間違っている。なぜなら医療技術が発展する以前から、私たちはそこそこ長生きだったからだ。狩猟採集民族における20歳時の平均余命は37~47年だ[4]。つまり有史以前の世界でも、20歳まで生き延びることができたヒトは、そのまま60歳以上まで生きた可能性が高い。現代社会で平均寿命が延びたのは、おもに乳幼児死亡率が低下したからであって、最長寿命が延びた影響は小さい。

 ヒトの女性は10代後半に初潮を迎えて繁殖可能になる。狩猟採集民族における合計特殊出生率は2.8~8.0と幅広いが、普通は1人の女性が4~5人の子供を産むようだ[5]。繁殖を終える年齢(=末っ子を産む年齢)は、様々な文化圏でほぼ一定で38~41歳である[6]。そして40代~50代で閉経を迎えるが、その後も10年以上の寿命を持つ。ヒトの閉経が現代医療の副産物ではなく、遺伝的にプログラムされたものであることは明らかだ。

 ほとんどの哺乳類のメスは寿命ぎりぎりまで繁殖可能なのに、なぜヒトは違うのだろう。閉経という身近な現象も、生物学の視点では興味深い謎だ。

 しかし包括適応度の考え方にもとづけば、この謎を解くことができる。

 ポイントは、ヒトが社会性の動物だということだ。ジャレド・ダイアモンドは様々な狩猟採集民族の社会形態を分類しているが、そのなかで最小のものは小規模血縁集団(バンド)と呼ばれる5人~80人のグループだ[7]。有史以前の人類も、それくらいの人数で暮らしていたと想像できる。オオカミやリカオンと同様、ヒトが血縁にもとづく群れを作って生活する動物だったのは間違いない。なおかつ、子供の成長にとても時間がかかる点がオオカミと違う。ヒトは体重5tのアフリカゾウと同じくらい時間をかけて大人になる。

 群れで生活し、かつ、成長に時間がかかる。ヒトはそういう生態を持っていたために、ある年齢を超えると自分の子供を産むよりも、娘や息子の子育てを手伝ったほうが──孫の世話をしたほうが、遺伝子をうまく残せるようになった。

 具体的に考えてみよう。母親は、子供とは1/2の遺伝子を、孫とは1/4の遺伝子を共有している。また、高齢出産になるほどハンディキャップのある子供が生まれる可能性や、出産時に死亡する可能性が高まる。子供が無事に育つ確率が下がっていくのだ。もしも仮に、出産した子供が無事に育つ確率が50%になった場合、[無事に育つ確率] × [子供と共有する遺伝子 ]= 1/2 × 1/2 = 1/4となる。自分が子供を産む場合と、孫が無事に成長する場合とで、後世に残せる遺伝子の期待値は等しくなる。

 したがって、無事に出産できる確率がこの水準を下回ったら、自分が新たな子供を産むよりも、孫の世話をしたほうが自分の遺伝子をうまく残せることになる。血縁者である娘や息子の子育てを手伝うほうがいいということになるのだ。「おばあちゃん仮説」として知られる考え方だ。

 だからヒトは閉経を持つように進化した。閉経という形質そのものは、偶然にも突然変異で手に入れたものかもしれない。しかしヒトは、群れで暮らし、かつ成熟に時間がかかるという生態を持っていた。この生態ゆえに、閉経の存在が進化的に有利に作用したのだ。

 狩猟採集民族の場合、閉経後の女性は他の誰よりも大量の食べ物を持ち帰ることができるという。彼女たちは知識と経験が豊富なうえに、赤ん坊に手を焼かされることもないからだ[8]。私たちが今日まで生き延びることができたのは、閉経後のおばあちゃんたちのおかげかもしれない。

 

 閉経の例で、私たちヒトの生理機構にも包括適応度の考え方が適応できることが分かった。では、私たちの「心」はどうだろう? 血縁者を助けることで遺伝子を上手く残せるのなら、当然、血縁者を助けようという「感情」が進化したはずだ。私たちはそういう感情を生まれ持っているのだろうか?

 正直なところ、あまり説明の必要はないと思う。

 歴史上でも、私たちの身の回りにも、兄弟姉妹で協力して問題を解決する逸話はいくらでもある。「シンデレラ」のように、継親が(血縁関係のない)継子をいじめる可能性は、実の親が実子をいじめる可能性よりも高い。血は水よりも濃いという、ありきたりの話だ。

 人類学者ナポレオン・シャグノンは、アマゾンのヤノマモ族という狩猟採集民族を30年にわたって研究した。その結果、血縁関係が村を1つにまとめる絆になっていることを突き止めた。近縁者同士は争うことが少なく、争いのときには味方しあうことが多い。村の人口が増えて血縁関係が薄くなると、お互いの気に触ることが増えて分裂し、新たな村を作る[9]

 時代や文化を問わず、私たちが家族を大切にしようとする感情を持っていることは明らかだ。これは遺伝的な、生まれ持った感情である。

 

 何を当たり前の話を、と思うかもしれない。

 しかし「ヒトが家族愛を生まれ持っている」という事実は、人文系学問にとっては重要な意味を持つ。それこそ爆弾級の発見なのだ。なぜなら、「家族」は一種の破壊活動組織であるという驚くべき結論が導かれるからだ。

 歴史上の政治活動や宗教活動はすべて、「家族」の弱体化を試みてきた。政治組織や宗教組織から見ると、「家族」は個人の忠誠心を奪い合うライバルだ。しかも、このライバルは不公平な強みを持っている。血縁者同士は、政党の仲間や信者仲間よりも、お互いを大事にする。家族は身内をひいきし、他の組織だったら問題になるような摩擦も水に流す。家族の一員に対する不当な行為に復讐するためなら何でもしかねない[10]

 この部分、ぜひ映画『ゴッドファーザー』のテーマ曲を聴きながら、そしてマーロン・ブランドの顔を思い浮かべながら読んでほしい。ヒトが赤の他人よりも家族を優先するという心を生まれ持っている以上、社会のルールよりも「家族」を優先しかねない。それこそマフィアのような非合法組織になりかねないのである。

 この結論は、教会や国はつねに家の確固とした支えとなってきたという右翼的見解にも反しているし、家は女性を抑圧し、階級の結束を弱め、御しやすい消費者を操作するようにデザインされたブルジョワ的、家父長的制度であるという左翼的見解にも反している。

 ──スティーブン・ピンカー『心の仕組み』

  レーニン主義でもナチズムでもいいのだが、全体主義イデオロギーはつねに家族の絆よりも「上」の忠誠心を要求する。戦時中の日本では「お国のために」がスローガンであり、「家族のために」ではなかった。「臣民全て滅びようとも天皇一族を残せ」であり、「臣民全て滅びようとも自分の家族だけは生き残ろう」ではなかった。

 宗教も同じだ。初期キリスト教において、その信仰心が家族愛とは相容れないことを指導者たちは気づいていた。キリスト本人もこう言っている。

 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。

 ──マタイによる福音書10章34-37

 

 ここでようやく愛社精神の話ができる。

 企業は経済的な利益を追求する組織であり、社員には会社に対する忠誠心を持って、全力で働いてほしいと考えている。そして「家族」は、その忠誠心を奪い合うライバルなのだ。だから「仕事は家族よりも大切だ」という価値観を植え付けようとするし、家族との絆を深める時間をできるかぎり奪うことが合理的な戦略になる。産休や育休を取られては困るのだ。

 超長期的な視点で見れば、社員が家族を大切にすることは企業にとっても利益になる。各家庭の子供たちは、将来における潜在的な顧客だからだ。しかし子供の成長には20年を要するのに対して、現在の企業は四半期ごとに利益をあげることを求められる。ここで、社員の遺伝的な利益と、企業の金銭的な利益が衝突する。だからこそ、愛社精神と家族愛とはトレード・オフになってしまう。

 

 家族をないがしろにした全体主義国家はいずれも崩壊した。長きにわたって人々の信仰を集めている宗教は、いずれも家族との共存の道を選んだ。

 ここに教訓があると思う。

 ヒトが家族愛を生まれ持っている以上、家族をないがしろにする組織はいずれ破綻するのだ。構成員の心と組織の目標とが乖離していき、バラバラに空中分解してしまう。もしもあなたの勤めている会社がホワイト企業で、家族との充分な時間を取るように勧めているとしたら、その企業は今後も安定して存続する可能性が高い。一方、家族以上の忠誠心を要求するような会社だとしたら、優秀な人から順番に逃げ出して、やがて行き詰まってしまうだろう。

 たしかに、ヒトの心は変わりやすい。

 だが、自由自在に変えられるわけでもない。

 誰もが心の奥底に「絶対に譲れないもの」を持っているし、それを踏みにじれば相応の報いを受けることになる。

 

 

 

 

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◆参考文献等◆

[1]リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子〈増補新装版〉』紀伊國屋書店(2006年)p264以降
[2]デヴィッド・M・バス『男と女のだましあい』草思社(2000年)p314
[3]ジャレド・ダイアモンド『セックスはなぜ楽しいか』草思社(1999年)p176
[4]グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』日経BP社(2009年)上p158
[5]グレゴリー・クラーク(2009年)上p138
[6]マッシモ・リヴィ‐バッチ『人口の世界史』東洋経済(2014年)p13
[7]ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』草思社文庫(2012年)下p106以降
[8]ジャレド・ダイアモンド(1999年)p194
[9]スティーブン・ピンカー『心の仕組み』ちくま学芸文庫(2013年)下p259
[10]スティーブン・ピンカー(2013年)下p265~266