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「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

ヒトに「本能」はあるのか?

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 ヒトに「本能」はあるのだろうか?

 たとえば「浮気は男の本能だ、だから浮気は許される」と主張する人がいる。たしかに、男性のほうが女性よりも浮気性な傾向があることは実験により確かめられている[1]

 だが、この主張は2つの点で間違っている。

 まず第一に、私が「平均値の誤謬(ごびゅう)」と呼ぶ、よくある誤解に陥っている。男性の浮気性な傾向は、あくまでも傾向でしかない。平均値でしかないのだ。たとえば男性は平均的に女性よりも身長が高い傾向がある。だからといって「すべての男はすべての女よりも背が高い」と思い込むのはバカげている。浮気性も同じだ。すべての男性が浮気をするわけではない。

 第二に、「自然主義の誤謬(ごびゅう)」と呼ばれる、これまたよくある誤解をしている。生まれつきの自然な欲求だからといって、その欲求にもとづく行動がすべて肯定されるわけではない。善悪の判断は、先天的・生得的なものとは無関係に、周囲を取り巻く社会的な状況に左右される。たとえば私たちが生まれつき「食欲」を持つことは疑いようがないだろう。しかし、だからといって食欲に突き動かされた行動がすべて肯定されるわけではない。糖尿病の恐れがある場合は食欲をこらえるべきだし、食い逃げは犯罪だ。たとえ浮気をしたがる欲求が生まれつきのものだったとしても、浮気が許されるかどうかは別の問題だ。

 

 ヒトに「本能」はあるか?

 この疑問の答えは、「本能」という言葉の定義による。

 動物行動学の父コンラート・ローレンツは著書『ソロモンの指輪』のなかで、動物の本能を、反射的で、盲目的で、衝動的な行動として描写している。たとえばコクマルガラスのチョックの例が印象的だ。ローレンツはこの鳥を飼いならしており、「深い友情で結ばれて」いた。14羽のコクマルガラスのヒナを新たに飼育することになったとき、チョックはこの14羽を「心の底から憎んでいた」という。ところが、ローレンツがヒナの1羽を手でつかもうとしたとき、チョックは彼に襲い掛かり、手のひらに穴が開くほど強くつついた。ヒナが襲われていると誤認したチョックは、攻撃の衝動をどうしても抑えられなかったのだ[2]

 その点、ヒトはどうだろう?

 ヒトは生まれつき食欲や睡眠欲、性的欲求を持っている。しかしダイエットができるし、徹夜もできる。私たちは生まれつきの欲求をコントロールできる動物だ。ローレンツが言うような衝動的な本能は、ほとんど持っていないと言っていい。ヒトが持つ反射的で、盲目的で、衝動的な本能は、私はたった2つしか思い浮かべることができない。(※この2つについては後述する)

 一方、生まれつきの嗜好や行動の傾向を指して「本能的」と呼ぶことがある。

 ある程度はコントロール可能な、生まれつきの性質だ。先天的な欲求と言ってもいい。先述の「浮気を好む傾向」などは、一般的には「本能的な欲求」と呼ばれることがよくある。

 そういう意味での「本能」ならどうだろう?

 ヒトの「心」には、生まれつきの一定のパターンがあるだろうか?

 

 

■人間は「空白の石版」ではない

 以前の記事にも書いた内容だが、改めて紹介しよう。

 20世紀後半、人間の心は「空白の石版(タブラ・ラサ)」だと考えられていた。生まれながらの性質や行動パターンなどは存在せず、人格や個性はすべて成長の過程で学びとるという発想だ。真っ白な石版に彫刻がなされるように、人格は後天的に刻み込まれるのだという。現在でもこの考え方を捨てられない人は多いだろう。

 ところが1960年代、心理学者ポール・エクマンは人類の「感情」が生まれながらのものであることを明らかにした。笑っている顔や泣いている顔など、さまざまな表情の写真を、世界中の数多くの文化圏の人々に見せて、感情を読み取ることができるかどうか試したのだ。なかにはパプアニューギニアのフォレ族という孤立した狩猟採集民族も含まれていた。その結果、世界のどんな地域、どんな文化圏でも、人間の基本的な喜怒哀楽の表情は同じだと分かった。感情は、文化によって後天的に学ぶものではない。生まれながらのものだ。

 エクマン自身は、これが「人類みんな兄弟」の証拠だと思っていた。ところが学会で発表したところ、激しい非難を受けた。お前はファシストだ、人種差別主義者だと非難された[3]「空白の石版(タブラ・ラサ)」説に取り憑かれた当時の人類学者や心理学者にとって、人間には生まれながらの喜怒哀楽があるという発想は受け入れがたかったようだ。

 言うまでもないが、ヒトの心や行動には生まれつきのパターンがある。ごく簡単なものであれば、Twitterのアンケート機能を使って検証できる。

 

 

 

 勝てば10万円のトク、負ければ10万円の損だ。確率は50:50なのだから、期待値はゼロである。もしもヒトが機械のように合理的な推論能力を持っているならば、賭けに乗る人と乗らない人の数はほぼ同じになるはずだ。ところが、結果はご覧のとおり。賭けに乗らない人のほうが圧倒的に多い。

 これは「損失忌避」と呼ばれるもので、行動経済学ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴァースキーによって実証された。人間には、100ドルの利益よりも、100ドルの損失を重たく見積もるという性質がある[4]。この発見により、彼はノーベル賞を受賞した。カーネマンたちは(当然ながら)Twitterのアンケートよりもより精密で巧妙な実験を行い、「損失忌避」の傾向を確かめている。

 

 

  進化心理学者ダグラス・ケンリックらは、学生たちに「怒った顔を考えて」とか「嬉しい顔を考えて」と尋ねる実験を行った。その結果、嬉しい顔を考えた被験者の大半は、知っている女性の顔を思い浮かべた。また、怒った顔では被験者の75%が男性の顔を思い描き、そのほとんどは見知らぬ男性の顔だった[5]

 Twitterのアンケート機能では、それほど綺麗に実験を再現できなかった。しかし、怒った顔では男性、嬉しい顔では女性を思い浮かべるという傾向は、たしかに見られる。

 なぜこのような傾向が見られるかといえば、怒っている男性は、怒っている女性よりも危険だからだ。有史以前の世界を思い浮かべてほしい。怒っている男性は暴力をふるうかもしれないし、最悪の場合はこちらの命を奪うかもしれない。だからこそ、私たちの心は「怒っている男性の顔」に敏感に進化したのだ。

 

 

  これは心理学者ピーター・ウェイソンが行った「4枚カード問題」を焼き直したものだ。

 まず最初に「Dの裏は7である」という問題について考えてみよう。もしも「D」の裏に7以外の数字が書かれていたら、このルールが守られていないことになる。また、もしも「3」の裏にDが書かれていた場合にも、同様にルールが破られたことになる。したがって、この問題の正解は「Dと3をめくる」だ。ウェイソンによれば、この実験で正解のカードを選ぶ人はわずか5~10%だという。論理学を履修した人でさえ間違える。

(※追記:上記のアンケートには問題文に不足があります。「Dの裏は7である」ではなく、「Dの裏は7であり、7の裏はDである」というルールにするべきでした。Twitterの字数制限を気にするあまり出題ミスを犯しました)

 面白いのはここからだ。

 注意深く問題文を読んでほしい。居酒屋の問題は、論理的には4枚カード問題とまったく同じだ。Dをビールに、Fをお茶に、3を18歳に、7を20歳に置き換えただけだ。にもかかわらず、大半の人が正しい答えを選んでいる。無味乾燥な記号と数字では間違えてしまう問題でも、社会的な状況に置き換えれば、正しい論理的推論ができるのだ。

 レダ・コスミデスは、ヒトはルールが一種の社会契約で、利得のやりとりが関わっているときには、正しい答えを出すという発見をした[6]。噛み砕いて言えば、ヒトの脳は裏切り者を探すのが上手いのだ。4枚カード問題と居酒屋問題を見れば分かるとおり、数学的問題を「裏切り者探し」に置き換えれば、ヒトの脳は抜群の推論能力を発揮する。

 有史以前からヒトは群れを作り、社会集団を作って生活してきた。だからこそ、「ルールを破っているヤツ」を見つける能力に長けた脳が進化したのだ。

 

 なお、上述の4枚カードの問題は、私のミスで不完全なものになっている。「アルファベットの裏は必ず数字であり、数字の裏は必ずアルファベットである」という前提を書き漏らしているのだ。Twitterの140字に収めようとした結果、重要な前提を見落としてしまった。

 とはいえ、ここで紹介した実験はいずれも再現性が高く(それこそTwitterといういい加減な実験条件でも)そこそこ再現する。もしも上記アンケート結果に疑問を抱いたなら、ぜひご自分のアカウントや友人を相手に検証してみてほしい。

 

 

■「双子の研究」の衝撃

 心理学者トマス・ブーチャードの「双子の研究」は喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を巻き起こした。彼の研究によれば、私たちの政治的な立場・思想さえ、遺伝の影響を受けるというのだ。先日の記事でも紹介した内容だが、再掲載したい。

 一卵性双生児は、まったく同じ遺伝子を持った天然のクローンだ。別々の環境で育てられた一卵性双生児を比較すれば、人格形成に遺伝と環境がどれほど影響するのかが分かる。もしも環境だけが人格形成に影響するなら、たとえ遺伝子がまったく同じでも、別々に育てられた一卵性双生児は似ても似つかぬ性格になるはずだ。反面、もしも彼らの性格がそっくりだったら、人格形成には遺伝が大きく影響していることになる。

 ブーチャードの研究の巧妙な点は、別々に育てられた二卵性双生児でも同じ調査をしたことだ。同じ双子といっても、二卵性双生児の場合は遺伝子が異なる。一卵性双生児のような天然のクローンではなく、普通の兄弟に近い。

 結果は衝撃的だった。

 たとえば宗教的信仰に関するアンケートをとって、個人の原理主義的な傾向を調べたところ、「別々に育てられた一卵性双生児」同士でのスコアの相関は62%だったのに対して、「別々に育てられた二卵性双生児」のそれはわずか2%だった。また、ブーチャードの同僚キャスリン・コーソンが「右派的態度」を見つけるアンケートを取ったところ、やはり別々に育てられた一卵性双生児は高い相関を示した。

 ブーチャードは、移民、死刑、成人映画などの単語をあげて、ただ是非を問うだけのアンケートも行った。移民に「NO」、死刑に「YES」などと答えた人は「右派」の傾向が強いと見なすわけだ。結果、別々に育てられた一卵性双生児の相関が62%なのに対して、別々に育てられた二卵性双生児の相関は21%にすぎなかった[7]

 要するに、遺伝はその人の人格形成に多大な影響を与えるのだ。

 しかし、念のため書き添えておくと、遺伝子がすべてを決めるわけでもない。

 ブーチャードの研究は、遺伝的に「右派的になりやすい人」「宗教的原理主義者にやりやすい人」がいると示したにすぎない。「この遺伝子を持っていたら確実に右派になる」という遺伝子を発見したわけではないし、そもそも、そんな遺伝子があると考えるのはバカげている。ヒトの脳はそこまで単純ではない。

 ブーチャードや、彼に続く進化心理学者の研究は、あくまでもヒトの心の「傾向」を調べただけだ。「何か特別な遺伝子を持っている人は全員が全員右派になる」とは言っていない。彼らの研究を遺伝子決定論だと誤解するのは、すでに書いた「平均値の誤謬」の一種だと言える。

 いずれにせよ、私たちの心は「空白の石版(タブラ・ラサ)」などではありえない。

 ダグラス・ケンリックは、ヒトの心は「ぬりえ帳」のようなものだと述べている[8]。塗り絵には無限のバリエーションがある。バラの絵を赤く塗る人がいれば、青く塗る人もいる。塗る人の創造性によって、同じ線画から多種多様な完成画が生み出される。ヒトの心も同じだ。ヒトの心には「線画」のような、生まれつきのパターンがある。しかし成長の過程で着色されて、十人十色の個性が生み出されるのだ。

 

 

■学習には学習のためのプログラムが必要

  ヒトの「心」には生まれつきの傾向などありえない──。

 今でも少なくない人が「空白の石版(タブラ・ラサ)」説を信じている。ヒトは生まれたときは何一つ知らないまっさらな状態であり、成長の過程で学習した内容によって人格が決まる。これが、そういう人たちの信条だ。

 ところが、だ。

 近年の機械学習技術の発達は、何かを学習するためには、そもそも「学習するためのプログラム」が必要だということを端的に示した。何のソフトウェアもインストールされていないコンピュータは、何かを学習して身につけることもできない。「学習のためのプログラム」の出来の善し悪しによって、学習結果は大きく左右される。

 もちろん電子計算機と、ヒトの脳の仕組みは違う。だが、生物の脳が神経細胞で組み立てられた計算機であることも間違いない。

(※素人の考えだが、電子計算機と生理的計算機の違いは大きく2つあると思う。後者は並列処理を得意としており、また神経細胞というデジタルな処理単位と、神経伝達の〝強さ〟というアナログな処理の組み合わせで動作する)

 計算機が何かを学習するには、学習のためのプログラムが必要だ。このことは「人間は白紙で生まれて経験によって個性を身に着ける」という考え方を根底から揺るがす。私たちの脳には、そのようなプログラムがプリインストールされていると考えられる。それも、とびきり高性能な学習プログラムだ。

 本能と学習は、対立するものではない。

 本能が弱いほど学習が強くなるのでもないし、その逆でもない。たとえば言語がいい例だ。あらゆる言語には共通の「深層構造」が存在し、それはあらかじめ脳にプログラムされているという仮説がある[9]。子供が言語を学習する際に、文法辞典を必要としない理由だ。言語の深層構造とは、要するに脳にあらかじめプログラムされたもの――すなわち、本能だ。

 子ガモが初めて目にした動くものを親だと思い込むようにプログラムされているように、私たちには好奇心や学習能力がプログラムされている。孵化後一定の時間が立つと子ガモへの「刷り込み」ができなくなるように、一定の年齢になると新しいもの(とくに言語)を習得するのが困難になるところも似ている。

 ヒトは本能が弱いから学習をするのではない。むしろ逆だ。本能的に「学習のためプログラム」をたくさん持っているのだ。

 

 私たちには少なくとも2つ、コンラート・ローレンツのいうような「本能」──反射的で、盲目的で、衝動的な行動──があると先ほど書いた。その2つとは、言語の使用学習の欲求である。

 子供たちは「言語を覚えたら便利だ」と考えたうえで言語を獲得するのではない。大人が英会話教室に通うのとは、わけが違うのだ。子供たちは、損得計算の結果でも、誰かに命令されたわけでもないのに、言葉を覚えていく。そこに理由はいらない。言語の獲得と使用は、私たちの衝動的な行動だ。

 また、私たちの「学習の欲求」の強烈さにも驚かされる。ここでいう学習とは、学校で教わる勉強に限らないし、難しい本を好んで読むことだけが学習ではない。たとえば女性が集まってウワサ話を交わすとき、彼女たちは自分の知らない情報を積極的に摂取しようとする。今日の運勢、いい男の選び方、芸能人のゴシップ、あるいは夫の悪癖をやめさせる方法──。

 なぜ、彼女たちはそんな情報を知りたがるのか?

 それは、学習が私たちの本能だからだ。

 何か新しい情報を知りたい、役に立つ知識を得たいという欲求は、私たちにとって衝動的なものである。その情報を得ることで何円のトクになるのか等、損得計算はほとんど必要ない。ただ知りたいから、知る。私たちがテレビをつけっぱなしにして「ながら視聴」したり、WEBブラウジングで際限なく時間を浪費してしまうのはなぜか? それは「情報を摂取したい」という欲求が、私たちにとってまぎれもない本能だからだ。盲目的で、反射的で、衝動的で、逆らいがたい欲求だからだ。だからこそ、あなたは今、この記事を読んでいる。

 

 言語の獲得はおそらく私たちの本能だ。学習の欲求もそうだ。これらの本能があったからこそ、私たち人類は膨大な口伝と文献を残し、社会を作ってきた。私たちに学習の欲求がなければ、テレビ産業もインターネット産業も発達しなかった。

 私はこの記事をスターバックスコーヒーでドヤりながら書いているが、私の周囲の環境は遺伝子の影響に満ちている。なぜ机と椅子は、この高さに作られているのだろう。高さ5メートルではなく数十センチなのはなぜだろう。それは私たちの手足の長さが5メートルのテーブルを使いこなせないからだ。そして、手足の長さを規定しているのは遺伝子である。なぜコーヒーは美味しいのか。カフェインで興奮するような脳を遺伝子が作ったからだ。なぜ、このBGMと照明が心地よいのか。それらを心地よく感じる脳を、遺伝子が作ったからだ。

 私たちは、遺伝子の影響に囲まれて暮らしている。

 この社会が存在するのは、私たちに本能が存在するからである。

「本能的である」とは、変更できないという意味ではない。まして浮気や殺人を肯定するものでもない。私たちは食欲に逆らってダイエットができるし、本能に従わずに中高年で新しい言語を学ぶこともできる。有用な本能は活かして、そうでないものは抑制すればいい。

 ヒトの脳は現時点で最高の機械学習装置だ。AlphaGOは囲碁では人間より強いかもしれないが、サグラダファミリアを設計することも、「喜びの歌」を作曲することもできない。

 

 

 

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◆参考文献等◆

[1]デヴィッド・M・バス『男と女のだましあい』
[2]コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪』ハヤカワ・ノンフィクション文庫(1998年)p85
[3]スティーブン・ピンカー『心の仕組み』ちくま学芸文庫(2013年)下p132~133
[4]ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』ハヤカワ・ノンフィクション文庫(2014年)下p90以降
[5]ダグラス・ケンリック『野蛮な進化心理学白揚社(2014年)p66
[6]スティーブン・ピンカー(2013年)下p78~80
[7]マット・リドレー『やわらかな遺伝子』紀伊國屋書店(2004年)p109
[8]ダグラス・ケンリック(2014年)p108~111
[9]スティーブン・ピンカー(2013年)