デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

思春期ゾンビのさまよう国で

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たとえば自分の手に入れられないものを、隣の誰かが顔パスで入手しているとき。持っていて当然のような顔をして味わっているとき。そんなとき、人の心には燃えるような感情が芽生える。どうにかしてそいつの足を引っ張ってやりたい、人生は甘くないと教え込んでやりたい、私だけが苦労するなんて許せない。言いようのない感情で頭のなかが一杯になる。それを嫉妬と呼ぶ。




エリートの役人が言う:
「大学生が遊んでいるのは許せない!」
(だって、俺が大学生のころは遊ぶヒマもなく公務員試験の勉強をしていたから)



中卒のオッサンが言う:
「大学生が遊んでいるのは許せない!」
(だって、俺は大学に行けなかったから)



高卒のおばさんが言う:
「大学生が遊んでいるのは許せない!」
(だって、あたしにはキャンパスでの青春がなかったから)



そして、誰もが口を揃えて言う。
――大学を減らせ。
エリートたちは選民意識を守るために、学歴コンプレックスの大人たちは「大学なんて出なくても生きていける」という自尊心を守るために、教育機会を縮小しろと叫ぶ。なるほど、たしかに立派な人間に育つかどうかは、学歴とは無関係だろう。しかし彼らの主張に一片の真実があるとしても、結局は自分を可愛がるためで、大学生の視点に立っているわけではない。若者のことを考えていない。




この国では「若さ」は最大の価値を持っている。誰もが永遠の若さを手に入れようとしている。チョイワル、四十歳女子、国民的美魔女――。自分の“思春期”を一秒でも長引かせようと必死になっている。いつから私たちは“老いること”を忘れてしまったのだろう。成熟することを恐れるようになったのだろう。“思春期ゾンビ”の大群が、今日も街を徘徊している。
持たざる者は、いつだって持てる者を憎む。
だから若者は、ただ若いというだけで嫉妬の対象になる。




無邪気さ、無鉄砲さ、後先を考えない冒険心。
これらはすべて憎しみの対象だ。なぜなら“思春期ゾンビ”たちが、すでに失ってしまったものだからだ。どうあがこうと取り戻せないものだからだ。若者が若者らしく振舞うだけで、思春期ゾンビたちは震え上がる。自分がもう若くないという事実を見せつけられて、いてもたってもいられなくなる。
思春期ゾンビだらけのこの時代、可愛がられるのは“若者らしくない若者”だ。
妙に老成していて、むちゃくちゃな冒険をせず、年長者のいうとおりに振舞う。思春期ゾンビたちの心を掻き乱さない若者だ。“若者らしさ”を発揮しない若者だ。




「いまの世の中が息苦しいのは」と、ある人は言った。「みんなが大人になれないからだよ。先に生まれた人たちが、後から生まれた人たちを愛せないからだよ」
それでも私たちにできることは、愛することだけだ。
いつまでも子供な年長者たちを、よしよしと撫でてやることだけだ。




     ◆




誰が書いたのかは分からない。
どこで見たのかも覚えていない。
だけど、いつまでも忘れられない言葉がある。
インターネットのどこかで見かけた一節が、いまだに頭から離れない。



「人生とは何だろう?」
 ませた子供が訊きました。


「宝くじのようなものさ」
 老いた乞食が答えます。


「結果が出るまで、当たった気でいられる」

だから人は、老いを恐れる。
まだ結果は出ていないと、自分に言い聞かせながら。










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