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「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

アフリカが発展しない理由と“強いリーダー”の資質

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政府はあの手この手で国民を貧困に押しとどめている。――汚職、不適切な経済政策、そしてときには国民を恐怖に陥れて。

この一文を読んだとき、現在の日本について書かれているのかと思った。
これはアフリカ、ジンバブエについてのレポートだ。私は第三世界の知識が全然足りない。入門編のつもりで読んだのだが、いまの先進国にも共通するような「政府と経済」の深い問題がえぐり出されていた。アフリカで起こっていることは対岸の火事ではない。同じ課題の規模が違うだけ、かも。

アフリカ 苦悩する大陸

アフリカ 苦悩する大陸

私は「強いリーダーの時代は終わった」と繰り返し書いてきた。しかし私がそう考えるのは、私が日本という先進国の――経済発展が行き着くところまでいき、腐り落ちようとしている世の中の――住民だからかもしれない。本書を読めば読むほど、強いリーダーが救いようのないバカだったときの悲惨さを思い知り、ネルソン・マンデラがいかに素晴らしい指導者だったのか再確認させられる。アフリカはいまだ聖人君子を求めている。



たとえば、いまの日本人は本来なら換金できるはずの技能を持ちながら、それをマネタイズできずにいる。数年前、就職活動の一環としてYouTubeに自己PRの動画をアップロードした学生が話題になった。プロから見れば笑ってしまうような素人動画だったかもしれないが、私はなかなかの完成度だと思った。少なくとも面接官のおっさんたちで、あのレベルの動画を作れる人は珍しいだろう。これは学生に限らない。ほとんどすべての日本人が、自身の輝かしい才能を“趣味の一環”として塩漬けand/or無償提供している。
なぜなら、それらの技能を換金する労働市場がないからだ。
これは経済の問題であり、政治の問題であり、なにより社会体制の問題だ。「同人化する社会」が生まれたのも、評価経済という幻想的な発想が関心を集めるのも、すべては「才能を換金する場所がない」という社会が悪い。(※貨幣はもっとも優れた評価の尺度だ)
たとえば同人活動で活躍している社員がいるとして、その才能を活かせる企業はあまりない。大抵の企業では副業が禁止されており、コミケで収益を得ているのがバレただけで大問題になる(かもしれない)。虎の穴やメロンブックスに卸すなんてもってのほかだ。「庶民は“雇われる”ものだ」という常識が変わらない限り――つまり社会体制が変わらないかぎり、日本人の眠れる才能は世の中を潤すことができない。
これはつまり、日本が“リーダーを必要としない社会”へと脱皮できる段階まで到達したことを意味している。
日本では、もはや「考える人」と「手足になる人」の分業が必要なくなりつつある。「手足として働く」のは機械に任せるか、物価水準の安い国の人々にやってもらえばいい。本来なら機械がやるべき仕事を人間がやっているから、人間がまるで機械のように酷使されてしまう。あるいは物価のクソ高いこの国で、後進国並みの賃金で働かされてしまう。この状況を打破するには、すべての人が「考える人」を目指さなければいけない。目指すことができる世の中を作らなければいけない。
あくまでも、日本では。



アフリカでは状況がまるで違う。
しばしば私たちは疑問を口にする:アフリカはなぜ発展しないのだろう、と。しかし実際には発展していないのではなく、むしろ衰退してしまったのだ。ヨーロッパからの植民地支配を受けていた時代、たくさんの禍根を残しながらもアフリカ諸国はゆっくりと経済発展をしていたらしい。先述のジンバブエは1980年の独立からの20年間で、著しく貧しくなり、平均余命は10年以上も短くなった。平均年収は950米ドルから400米ドル以下に下落し、為替レートは(※ハイパーインフレを見れば想像がつくだろうが)崖を転げ落ちるように急落した。
アフリカ諸国のほとんどで、独立後、よく似たことが起きたらしい。軍事独裁政権は権力を振りかざし、価格統制や的外れな投資を繰り返し、なかには「海外から援助を得ること」を主な産業としてしまった政権まである。リーダーがどうしようもないアホだと、国はどこまでも荒廃していくのだ。
ヨーロッパ諸国の無責任を感じずにはいられない。
植民地支配の時代にうまい汁を吸えるだけ吸っておいて、ちょっと風当たりが強くなっただけで切り捨てた。「独立させてあげたんだよ、人道的でしょう?」と微笑みながら、充分なアフターケアを準備しなかった。冬の夜に、裸の赤ん坊を捨てるようなものだ。植民地支配が良かったとは思わない。しかし民主的な国家をアフリカの人々が自力で作れる段階まで、政治的・経済的なサポートをしていくべきだったのではないか。
ルワンダにはフツ族ツチ族という二つの部族が暮らしている。フツ族は色黒で鼻の幅が広く、国民の大多数を占めている。一方、ツチ族は面長で鼻筋が通っており、肌の色はやや薄い。かつて農耕民族だったフツ族に対して、牧畜民のツチ族は家畜などの“財産”を持っていて、比較的裕福だった。しかし両者は同じ言葉を使い、同じ経済圏で暮らす隣人同士だった。
ところが、この地を植民地にしたドイツ人とベルギー人は、ツチ族ばかりを優遇した。肌の色が薄くて欧州人っぽいという理由だけで、優位な職をツチ族の人々に与え、フツ族を支配させた。これがツチ族に対する憎しみをフツ族の人々に植え付け、独立後のルワンダ内戦の遠因となった。
こうした経緯を知ると、あらためてネルソン・マンデラの偉大さに気づかされる。
もしも彼が権力に取り憑かれた人物だったら、支持者からの人気を確かなものにするため、白人に対する憎悪を煽り、内紛・虐殺へと扇動していただろう。しかし彼は融和を解き、結果として南アフリカは、大陸でもっとも豊かな国になった。おかしな支配者が現れなければ、今後も着実に成長を続けていくだろう。
アフリカ諸国のような地域では、今まさに“優れたリーダー”が必要とされている。
これが私の感想だ。



アフリカに対しては様々な支援が行われている。どれも軽んじることのできない大切なものばかりだ。が、なかでも教育支援・留学支援などのエリートを育てる施策が重要なのかもしれない。国民全員に初等教育を受けさせるには、まず初等教育の重要さを理解している指導者が必要なのだ。
いま、世界中が食糧難や資源枯渇を恐れている。
一方、アフリカには肥沃な大地と豊かな地下資源が眠っている。
アフリカの発展は、人類すべての希望であるはずだ。



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