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理想を追うだけでは現実は変わらない。その一方で、現実主義を気取る人が、じつはただの無理想で行き当たりばったり――なんてことも珍しくない。理想と現実。思想と実践。そういう対立する概念のあいだを行ったり来たりしながら、現代文明は進歩してきた。
友人の不良外国人M氏とひさしぶりに飲んで、そんなことを考えた。
M氏は欧州の金融立国の出身だ。以前は第一線のトレーダーとして働いていたのだが、30代のうちに引退。大好きなジム・ロジャースの「これからの時代はアジアだ」という言葉に影響されたのだろう。いまは日本で暮らしながら、この国の言葉を勉強中だ。笑顔がすてきな超イケメン。アラフォーのくせして、いつもハタチぐらいの女の子に囲まれている。ほんと早く捕まればいいのに。たとえ法を遵守していても、モテまくりの罪深い男だ。不良だ。M氏はまだ日本語が達者ではないので、このブログを読まれる心配はない。だから好き勝手に書いてしまうのである。
彼とスタウトを飲み交わしながら、ユーロ危機について訊いてみた。
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統一通貨ユーロがうまくいかなかった理由については、こちらの記事が分かりやすい。
池上彰×岩井克人 お金の正体
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111227/225721/
たとえば「円」は、明治になってから使われるようになった統一通貨だ。それまでの日本では、例えば江戸の小判(金貨)と大阪の丁銀(銀貨)のように、地域によってバラバラな通貨を使用していた。そもそも当時の日本は、いくつもの国に分裂したままだった。人の移動は制限され、文化も言葉も違っていた。明治政府は欧米列強に対抗するため、「日本国民」という単一民族を創造した。川端康成『雪国』は「国境の長いトンネルを抜けると〜」という名文句から始まる。山を一つ越えれば別の国だという感覚は、かなり最近まで残っていた。
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しかしユーロは、日本円のようにうまくいかなかった。前掲の記事でも指摘されているとおり、通貨の統一は労働力の自由な移動とセットでなければ成功しない。明治の日本では関所の開放とともに人の行き来が活発になり、経済格差を労働力の移動によって調整することに成功した。ところがヨーロッパでは労働力の移動がうまく進まず、経済格差が財政の格差となり、現在の通貨危機へと繋がった。欧州の人々は日本のような単一民族にはなれず、「ユーロ国民」は生まれなかった。
このあたりの感覚はM氏にもよく解るという。
ヨーロッパは地域ごとの文化差が大きい、とM氏は何度も強調した。日本のように似た文化を持つ国々ではないし、統一よりも独立を望む気持ちのほうが強い。だから(明治時代の日本のように)国境をなくしたとしても、労働力の移動が活発化することはないだろう。M氏はそう断言していた。
だが、文化の差異の大きさは単純には比べられない。
たとえば江戸っ子の「べらんめえ調」と、京都の「京言葉」とは、発音も文法もかけ離れていた。その差異と、ドイツ語とフランス語の差異とのどちらが大きいかを比較するのは簡単ではない。またドイツ語は38カ国で使われており、たくさんの方言がある。公用語としている国だけでもドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、ベルギー、オランダ、イタリアやフランスの一部――。津軽弁の話者と土佐弁の話者との会話が困難であるように、同じドイツ語であっても会話が成り立たないという。発音・文法が違いすぎるからだ。しかし日本は統一され、欧州諸国は独立を保った。
思うに、日本と欧州の違いを決定的にしたのは文化の近縁度ではない。
「流血の記憶」だ。
欧州連合の構想は、二度の大戦に対する深い反省にもとづいている。第二次世界大戦が終わってからまだ60年そこそこしか経っていない。隣国の人間に身内を殺された経験が、まだ人々の記憶に刻み込まれている。もちろん日本の戦乱の歴史だってヨーロッパには負けていない。が、たとえば上杉謙信と武田信玄が血みどろの抗争をしていたからといって、新潟県民を恨んでいる山梨県民はいないだろう。明治政府が興ったとき、日本は天下太平の300年を過ごしていた。平和な時代が「流血の記憶」を薄れさせ、国家統一を下支えした。
統一通貨ユーロの今後についてM氏の所感を聞いたところ、「南北に分裂するんじゃね?」との答え。北部には経済的に強い国が多いのに対し、ギリシャ、イタリアなど南部の国には「ダメな子」が多い。北ユーロと南ユーロとに分裂しそう――というのがM氏の見立てだ。あくまでも酒席でのヨタ話だけどね。
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ユーロは、理想が現実を追い越してしまった悪い例だ。
統一通貨ユーロの背景には大戦への反省があるし、欧州統一という壮大な「理想」があったはずだ。ジョン・レノンが歌ったように、国境をなくし人々がしあわせに暮らす――そんな理想があったのだ。NO BORDER! 子供らを被害者に・加害者にもせずにこの街で暮らすため、欧州の人々は通貨を統一した。
しかしユーロが導入された1999年、イタリアの対岸・バルカン半島では泥ぬまの内戦が続いていた。すばらしい理想とは裏腹に、現実には憎悪の連鎖が渦巻いていた。大戦からも冷戦終結からも、まだ日が浅すぎたのだ。統一を果たした日本の教訓からいえば、平和な時代があと240年ぐらい必要だった。
理想が現実を追い越してしまったがゆえに、ユーロは失敗しようとしている。
似たような例はたくさんある。共産主義は「誰もが飢えずに平等でハッピーな暮らしをする」という理想を掲げていた。その理想だけなら、たしかにユートピアのように思える。しかし現実には、人間はまだそんなに賢く進化していなかった。独裁者を生みやすい政治構造を作り出し、そして競争と多様性を排除したことで人々の独創性がそがれ、経済成長を停滞させた。共産主義もまた、「理想が現実を追い越して失敗」した例である。
輝かしい理想をかかげながら、現実を見据えた堅実な路線を取った例もある。
たとえば明治時代の「良妻賢母」思想。女性の地位向上という理想のために、女の仕事とされていた家事・育児の価値を高めるという戦略を採った。結果として、人身売買さながらの嫁入りなどは減っていった。しかし「男は外で働き、女は家で待つ」というジェンダーロールを強化することになり、男女間の所得格差を現在でも解決困難なままにしている。良妻賢母の考え方は、たしかに当時の現実にそくした堅実な作戦だった。が、負の遺産を残してしまった。
単身女性32%が「貧困」20〜64歳、国立研究所分析
http://www.47news.jp/47topics/e/225432.php
理想と現実。
理想が先行すれば失敗する。ユーロが失敗しつつあるのは、欧州のインテリたちが理想主義的すぎたからだ。
しかし現実にそくした施策ばかりをとっていると、いざ現実の状況が変わったときに負の遺産を残してしまう。
だからといって無理想なんてもってのほか。行き当たりばったりな日和見主義でしかない。
世の中はそう上手くいかない。
◆
では、なにもしないほうがいいのか。
ユーロなんて導入しないほうが良かったのだろうか。
たしかに事態はまだ収拾していないし、戦争という最悪の結果を避けるには、慎重なハンドリングが必要だ。考えうる限り最高の着地をしても、南北ユーロの分裂という結果に終わるかもしれない。
しかし、それでも理想には近づいた。
ユーロの導入国は17カ国、たとえこれが二つに分裂したとしても、独立を求めるあまりバラバラなカネを使っていた頃よりは、ずっと理想に近い。いつの日か国境を無くして、子供たちを戦争の恐怖と流血の記憶から解放する。その日へと近づくことができたはずだ。
変化はいつだって、歯がゆいほどゆっくりだ。
理想と現実のあいだを行き来しながら、私たちは進歩していく。
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