デマこい!

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『ラブライブ!』から日本の多様性を考える

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あなたの喋っている日本語は、正しい日本語だろうか?
結論から言えば、日本語はじつに多様性に満ちた言語であり、唯一無二の「正しい用法」など存在しない。アニメ『ラブライブ!』をニコニコ動画で視聴すると、その一端を垣間みることができる。

オープニングソング「それは僕たちの奇跡」は、「さあ…夢を叶えるのはみんなの勇気〜♪」という歌詞で始まる。この歌い出しが、一部の視聴者には「さあ…夢ヴォー」と聴こえているらしい。動画のコメントをみれば明らかだ。私の耳には歌詞通りに「さあ…夢を〜」と聴こえるのだが、なぜだろう。
じつは日本語の「を」には、2種類の発音がある。
「o」と「wo」だ。
小学校の国語では、子音の「w」が無いものを正しい発音として教えている。つまり「お」と「を」を区別しない発音だ。一方、音大の声楽科やアナウンサー養成所では、「wo」を正しい発音として教える場合が多い。なぜなら、母音が連続すると聞き取りづらくなるからだ。たとえば「小泉花陽を…」というフレーズを「w」を使わずに発音すると、「小泉花陽ぉー」と語尾を伸ばしているように聞こえてしまう。
養成所で叩きこまれるのか、ほとんどのアニメ声優が「wo」を使う。
ラブライブ新田恵海さんも例外ではなく、「さあ…夢を〜♪」という歌い出しでは「wo」と発音している。
したがって、日常的に「wo」の発音を使っている視聴者はこのオープニングに違和感を覚えない。ところが日常的に「o」を使っている視聴者は、子音の「w」が耳慣れないため、「夢ヴォー」と歌っているように聴こえてしまうのだろう。
日常会話で「o」と「wo」のどちらを使うか。これは地域ごと、家庭ごとの違いとして現在の日本にも残っている。
歴史的には「wo」のほうが古いらしい。小学校では「お」と「を」を区別しない発音を正しい日本語として教えるが、これは明治時代の「山の手言葉」にもとづいているという。現在でも、日本には「o」を使う人と「wo」を使う人が混在している。
日本語には、このような方言として認識されていない細かな違いがたくさんある。
たとえば東京近郊の小学校では「布団をしく」か「ひく」かでバトルになるのが、あるあるネタだという。かつて東京の下町には「し」と「ひ」を区別しない地域があった。今では見かけなくなったが、一昔前までは喫茶店で「コーシー」を注文するおじいちゃんがいたのだ。この下町独特のしゃべり方は東京周辺の地域に広まっていたのだろう。私は立川近郊の出身だが、誰の影響を受けたのか、子供のころは数字の七を「ひち」と発音していた。この東京弁の「ひ」は、標準語の「hi」の発音ではない。ドイツ語の「ch」、たとえば「ich liebe dich(イッヒ・リーベ・ディッヒ/私はあなたを愛しています)」の「ヒ」に近い発音だ。なお、「ウザい」はもともと東京の青梅の言葉であり、語尾に「じゃん」を付けるのは神奈川あたりの言葉である。
日本語にはたくさんの方言があり、さらに「wo」と「o」のような細かな違いがある。歴史的・地域的に、様々な種類の「日本語」が話されてきた。想像してほしい、たとえば200年前の土佐の農民が津軽の漁民と出会ったとして、おそらく会話は不可能だっただろう。言葉の差異が大きすぎるからだ。
私たちの「日本語」は、いつ、誰が、どうやって統一したのだろう。
この疑問は重要な意味を持つ。なぜなら、日本語を使うことは「日本民族」の条件の一つだからだ。言い換えれば、日本語が一つに統一されるまで、日本列島に暮らす人々は「日本民族」として統一されていなかった。



     ◆



民族に、科学的な根拠はない。
たとえば特定の遺伝的因子を持っているとか、特定の血縁関係に含まれているとか、そういう生物学的な根拠から「民族」を定義することはできない。
そもそも人類は約7万年前のトバ・カタストロフという天変地異で1万人程度まで人口を減らしており、今生きている人間はその時の生き残りである。5000組程度の夫婦の子孫であるため、ヒトはほかの動物に比べて個体数のわりに遺伝的多様性が乏しいと言われている。遺伝的、科学的な根拠から民族を定義することができないのだ。
似たような地域に暮らしており、似たような言葉を使い、似たような信仰を持つ人々が、自分たちを「同じ民族だ」と認識しているにすぎない。かんたんに言えば、「俺たちは同じ民族だよな」と思っていれば、その人たちは同じ民族である。民族とは気持ちの問題だ。
江戸時代まで、日本に「日本民族」はいなかった。
もちろん日本列島には私たちの先祖が暮らしていたが、彼らに同じ民族としての自覚があったとは考えにくい。住んでいる地域ごとに、それぞれの言葉を持ち、それぞれの風習を持って生活していた。お隣の藩はもはや「別の国」だった。だから現在でも、出身地をさして「おクニはどちらですか?」と訊く。川端康成の『雪国(1937)』は「国境の長いトンネルを抜けると……」という有名な一節から始まるが、海外旅行の物語ではない。かなり現代に近い時代まで、「たくさんの国が集まっている」という日本観が一般的だったようだ。庶民までもが日本列島を単一の国・単一の民族だと見なすようになったのは、ごく最近であるらしい。
では、最近とはいつか。
明治維新である。
19世紀半ばは、欧米諸国によるアジアの植民地支配が完成した時期だ。ベトナムがフランス領となり、アジアでヨーロッパの旗が立っていないのは日本とタイを残すのみだった。そんな時代を生き抜くため、明治政府は富国強兵策を取る。これは日本を、欧米と同じような「国民国家(Nation-state)」へと作り変える政策だった。
一つの民族で、一つの国家を構成する。それがNation-stateの条件だ。そのためNation-stateは「民族国家」と翻訳される場合もある。日本を国民国家として成立させるという明治政府の方針は、つまり、日本列島に暮らす人々を一つの民族に統一することを意味していた。「日本民族」は明治政府によって創造されたのだ。
たとえば「神道」が具体例だろう。神道が現在のように体系化されたのは明治になってからだ。それまでは各地の神社がバラバラに信仰されているだけで、組織化されていなかったという。江戸時代には本居宣長古事記の解読に成功するなど、先行研究はあった。明治政府はそれを活かして「日本民族」の宗教とした。新しい宗教儀式も発明された。明治33年(1900年)、東京大神宮で明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)が挙式する。これが日本で最初の神前結婚式だった。
こうして私たちは、似たような言葉を使い、似たような信仰を持つ「日本民族」になった。



     ◆



いつ、誰が、どのように日本語を統一したのか。これで答えの半分が出せた。しかし方言話者が減少して日本語が本格的に統一されるのは、戦後になってからだ。戦前の日本人は、現在の私たちよりもずっと多様な日本語を話していた。
戦後の日本語統一を担ったものは三つある。
一つは人口の移動。工業化により地方から都市部へと人が移動するようになり、標準語を喋れないことがデメリットになった。1950年代後半には、方言を笑われた若者が自殺するといった事件も起きているらしい。そういった悲劇を防ぐため、地方の小学校では熱心な標準語教育が行われた。
二つ目はテレビだ。白黒テレビが普及したのは1950年代半ば、プロレスブームのころだ。また1964年の東京オリンピックを契機に、カラーテレビが爆発的に普及していく。日本中の人々が、東京で製作された、東京の言葉を喋る番組に熱中した。スウェーデン人の英語がうまいのは幼いころから英語のテレビ番組を見ているからだという話を聞いたことがある。同じことが日本国内で起きたのだ。子供たちはテレビの言葉をまねるようになり、方言は急速に衰退した。
そして三つ目は、日教組の教育だ。先述のとおり、地方の学校では熱心な国語教育が行われてきた。その担い手になったのは、言うまでもなく教師たちである。日教組は戦後まもなくGHQの指示によって生まれた組織の一つで、1958年の調査では86%超の教員が所属していた。標準語を日本全国に定着させた教師たちは、そのほとんどが日教組の一員だった。
日教組は誕生した直後から、「反戦」や「教育の国家統制への反対」の立場をとる、いわゆる左派だった。そんな彼らが、日本語の統一という「日本民族」のアイデンティティの確立に重要な役割を果たした。最近では日教組は「反日的だ」と批判されることも珍しくない。が、しかし現在の私たちが単一民族として単一の言語を使えるのは、彼らの戦後教育があったからである。はたして日教組は「反日」なのだろうか。



     ◆



日本民族は、明治政府によって創造された民族だ。戦後の人口移動、テレビの普及、学校教育によって、私たちは単一の言語を使う単一民族へと統合された。しかし、もともと日本列島には多様な文化があり、さまざまな日本語が使われていた。アニメのオープニングソングの聞こえ方が人によって違うのは、その時代の残滓である。
日本は、多様性豊かな国だ。
たとえば私は、京都に引っ越すまで「地蔵盆」という行事の存在を知らなかった。おせち料理やお雑煮は、地域ごとの特色が強い。また中部や九州では、味噌あんのかしわ餅を知らない人が多いだろう。日本人は単一民族になってから日が浅いため、このような多様性がいまだに残っているのだ。
多様性は、イノベーションの源泉だ。
文化の多様性が豊かだったからこそ、日本はアジア諸国のなかでいち早く工業化を果たし、先進国の仲間入りを果たせたのではないか。私はそう思う。ヨーロッパで日本よりも広い国土を持っているのはスペイン、フランス、スウェーデンぐらいのものだ。日本は広大な国土を持ち、地域的な差異の大きいさまざまな文化を持っている国なのだ。
明治維新からおよそ150年、多様性を内包しつつ一つにまとまることができたことは、誇るべき日本の美点だと私は思う。




戦後教育のなかの“国民”―乱反射するナショナリズム

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砂の器〈上〉 (新潮文庫)

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※と、長々書いてきたけど「ヴォー」は結局淫夢ネタじゃないの?というオチ。