- 作者: 桜井のりお
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2007/01/09
- メディア: コミック
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大学時代の友人とひさしぶりに会ったら、話があわなくなっていた。
待ち合わせ場所は秋葉原。私がアニメの話題作についてペラペラと喋っていたら、彼はぽかんとした表情を浮かべていた。『Stein’s Gate』はおろか、『まどか☆マギカ』も『けいおん』も観ていないという。私にとっての一般常識を、何一つ共有できなかった。彼に非はない。私がそちらのカルチャーに染まってしまっただけだ。
ただし、東京の友人には社会人になってからオタク化した人が多い。独身の男性(に限らないのだが)は帰宅後ヒマだ。バラエティ番組は最近あまり面白くない。しかも帰宅する時間が遅くなりがちで、テレビをつければちょうど深夜アニメを放送している。オタク化しやすい構造があるのだ。その友人も同じ構造にハマっているものだと思い込んでいた。
しかし彼は東京在住ではない。大学時代こそ関東で過ごしたものの、もともと東北出身で、現在は仙台で暮らしている。関東を離れたのは震災の直後だ。アニメの話をするのは早々にあきらめて、仙台の空気感というか雰囲気のようなものについて話を聞かせてもらった。元来、気の置けない仲である。ひとつぐらい通じない話題があっても会話に支障はきたさない。
とくに気になっていたのは、こちらのニュース。
ザ・特集:東日本大震災 被災地でパチンコ店がはやるワケ
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120202ddm013040009000c.html
震災後、被災地のパチンコ屋が売上を伸ばしているという。大災害の被災者がギャンブル依存症やアルコール依存症になるのはよくあることだそうだ。家族を失い、仮設住宅に移り住んでからは周囲に知り合いもおらず、やることもない。ヒマつぶしとしてパチンコ屋を訪れて、ずぶずぶとハマっていくのだという。そして復興財源として分配された私たちの税金が、全自動銀玉入れ機に消えていくのだ。
東京出身・京都在住の私には、このニュースがにわかには信じられない。
たしかに東京にも京都にもパチンコ屋はあるし、同級生の親にはギャンブルで身を持ち崩した人もいる。パチンコが射幸心を強烈に煽る遊びだということも知っているつもりだ。
旧世代ゲーム企画屋が、携帯ソーシャルゲーム遊ぶと何を思うか。
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2153.html
※中盤のパチンコに関する分析が興味深い。「強烈なモチベーション」を伴った「連続くじ引き」である点が、パチンコが中毒的な面白さを作りだす要因だと指摘なさっている。
しかし、それでも「ヒマだから」という理由だけでパチンコ屋に並ぶという心理が、私にはイマイチ解らない。すこしでも空いた時間があれば文章を書いていたい――というのは異常な例だとしても、たとえばポータブルゲームをやり込むだとかボードゲームをするだとか、あるいは読書でもいい。時間のつぶし方なんていくらでもあるではないか。
なぜ、よりによってパチンコなのだろう。
ほかに「趣味」と呼べるものはないのだろうか。
「東北人の気質かも知れないな」と彼は答えた。「東北では、趣味にチカラを注いでいると『なにを遊び呆けてるんだ』と白い目で見られてしまう。(男子たるもの)きちんと仕事に全力投球すべきだという雰囲気がある。うちの会社だけかも知れないけど、たとえばフットサルなんかの社会人サークルも東京ほど盛んじゃない」
そして楽天イーグルスの応援か、パチンコか、という二択になってしまうのだそうだ。
娯楽の多様性が失われて、文化が干上がってしまう。いわば「文化の砂漠化」が起きているのだ。
もちろん仙台にも趣味人はいるのだろう。けれど東京、大阪、福岡などと比較すると、同じ大都市圏でありながら人口比率は少ないのではないだろうか。オタク文化に限っていえば、同人誌即売会の開催情報でよく耳にするのは前述の三都市+名古屋、新潟ぐらいだ。東北についてはあまり聞かない。
真面目で、保守的。
そんな東北人の気質が背景にはあるのかもしれない。仕事以外の趣味に手を出すなんて、遊んでいる証拠:いかにも寒冷地の人々らしい、頑固で堅実な性格をしているではないか。そういう伝統的な気質のため、被災地には無趣味な人が多く、パチンコ依存症の遠因となっているのだ――。
いいや、ちょっと待て。
デマこいてんじゃねえ。
百歩譲って、東北人には真面目で堅実な性格の人が多いとしよう。
しかし、それが伝統的だって?
冗談じゃない、仙台といえば「伊達男」の語源となったように、かつては日本でもトップレベルに先進的な街だった。それこそ江戸の人々を驚かせるぐらいに、技術も文化も進んでいた。華やかな都市だったのだ。伝統的に保守的だなんて、ちょっと信じられない。
「原因のひとつは人口流出かもしれない。先進的で開放的――趣味人になりそうな人はみんな東京に出てしまって、そうでない保守的な人だけが地元に残る。上京した人は滅多にUターンしてこない。そういう高度成長期の人口流出が原因となって、いまの東北人の気質が生まれたのかも」
これが友人の説だ。東北大学をはじめ、仙台周辺の大学では「いかにして人を地元に引き留めるか」を課題とした取り組みをしているという。人口減少は文化面だけでなく、まず経済面で深刻な問題となる。仕事の担い手も消費者もいなくなれば、「文化の砂漠化」が進むのも無理ないだろう。
そんなことを話しながら、別の友人と合流した。
こちらはアイドルオタクの女性だ。が、ジャニオタ等ではなく、「かわいい女の子が好き」だそうだ。「アイドルのファン」と一言でいってもすそ野は広いんだね。このブログで「初音ミクはアイドルの定義を変えた」とか偉そうなコトを書いたわりに、私はアイドル業界にあんまり詳しくない。そこで彼女に指導を請うた。
そして連れていかれたのが、つんく♂の作ったアイドル育成型カフェ『AKIHABARA バックステージpass』だ。通称バクステ。詳しいことは公式ホームページをチェックだ。
AKIHABARA バックステージ⇔pass
http://backst.jp/
秋葉原ってホントに色々なものの最先端になっているのだな、と感心した。
お茶をしているうちに、彼女も東北出身だということが明らかになった。初対面の二人なので少し心配していたのだけど、東北人という共通項があってよかった。無事に「東北トーク」で盛り上がることができた、ようだ。
電車の本数が少ない話とか、冬場は登校中に遭難しそうになった話だとか――。東北人ならではの話題が並んでいく。仙台に戻った友人とは対照的に、彼女は東北に帰るつもりはないという。その理由の第一位は「バクステが無いから」なのだろうなぁと推察しつつ、二人の会話を横目に私はコーヒーを啜っていた。ちなみにコーヒーはびっくりするほど美味しかった。
「バクステみたいなお店は地方にはまずないよね」
「メイド喫茶もないし」
「あったとしても何だかいかがわしいお店でさぁ」
「カラオケボックスは高三になるまで地元には無かった」
「放課後に歌っていたら、学校の先生が見回りに来たよwww」
「地元に戻るつもりはないの?」
「ない。観たいアニメもやってないし――」
ああ、なるほど。私は理解した。
大学時代の友人と話題が通じなくなってしまった理由が、ようやく腑に落ちた。東京から離れれば離れるほど、映るチャンネルは減っていく。私の友人はアニメを見なかったのではない、見られなかったのだ。
娯楽には、ひどい地域格差がある。所得格差よりもはるかに大きな格差だ。私も新入社員研修で大分県に行った時、娯楽の少なさに辟易した。テレビに映るチャンネルは片手で数えられるほどで、書店に立ち寄っても欲しい雑誌も文庫本も手に入らない。カラオケ屋もボーリング場も、自動車で小一時間はかかる。amazonを使うほどの長期滞在ではなかった。あの時の唯一の娯楽は、あぜ道の生物相の観察だけだった。
そんな文化的に痩せた土地に、パチンコ店がやってきたら――。
東京や大阪、名だたる大都市で数え切れないほどの娯楽と競合し、勝ち残ってきたエンターテインメントだ。パチンコはいわば娯楽界のスーパーエリート。そんな「めっちゃ面白い遊び」が、それまでろくな娯楽のなかった地域にある日突然やってくるのだ。郊外型のビジネスとして最適だからという理由で。
パチンコ中毒になるな、というほうが無理だ。
娯楽には地域格差がある。地方では娯楽の多様性がきわめて低く、大都市の住民には想像できないほどだ。人口密集地の仙台ですら、テレビはNHK総合・教育に民放4局しか入らない(んですよね?)。一方、東京にはキー局がすべて集まり、場所によってはテレビ埼玉やテレビ神奈川まで受像できる。この放送格差は娯楽格差の端的な例だ。秋葉原のようなメイド喫茶やアイドルカフェはもちろん無いし、カラオケやボーリング場も数が限られる。出版物も充分に配本されない。
こうした娯楽格差が地方都市の「文化の砂漠化」を招き、地方在住者における無趣味な人の率を高める。そして震災のような大災害があった場合に、被災者をギャンブル依存症に陥れる潜在的なリスクとなるのだ。
◆
所得格差と地方の人口減少との悪循環は、以前から指摘されている。
地方には仕事がない、人々は仕事を求めて都市部に出ていく。すると地方の人口が減り、ますます仕事がなくなる――。この悪循環の背景には「娯楽格差」が通奏低音のように横たわっていたはずだ。
地方には娯楽がない、人々は刺激を求めて都市部に出ていく、すると消費者が減るため、維持可能な娯楽がますます絞られ、多様性を失っていく。その結果、地方にはますます娯楽が無くなる。どんなに仕事があっても、娯楽の失われた地域に人はいつかない。東北は復興特需に沸いている「はず」だという。では、東京からボランティアに行った若者のうち、一体何人が東北に残っただろう。たとえ必要とされる仕事があっても、「楽しいもの」が無ければ人は去る。文化が砂漠化してしまったら、そこに花は咲かないのだ。
所得格差・娯楽格差・人口減少。
これらは三つどもえの悪循環となって、地方都市を疲弊させている。
ただし、希望はある。
情報技術の発展により、求められる娯楽の性質は急速に変化している。かつては資本集約的な娯楽が好まれた。広大な駐車場を必要とする自動車や、映画館、カラオケボックスにボーリング場。どれも高額の設備投資と維持費用のかかる娯楽ばかりだ。人口密集地でなければ共存できず、郊外ではパチンコ屋の一人勝ちになる。しかし現在では、情報集約的な娯楽が好まれるようになってきた。娯楽を提供するのに必要なコストは、一昔前に比べればぐっと低くなった。
寄付や復興財源といった「カネの支援」、ボランティアをはじめとする「人の支援」、それらとあわせて「娯楽の支援」も必要なのではないだろうか。仮設住宅が一通り建設され、被災者の方々が「これからの人生」と向き合う準備がいよいよ整った。そういうタイミングだからこそ、「楽しみ」の重要性は増すはずだ。人はパンのみに生きるにあらず。一日のストレスを発散する方法がパチンコと野球しかないなんて淋しいではないか。
好みは人それぞれだ。パチンコをやめろと言うつもりはないし、娯楽を選ぶ権利は本人にしかない。しかし、選択肢を示すことはできる。こんなに面白いことも、あんなに楽しいこともありますよ――。典型的な娯楽だけでなく、教養的な読書や勉強会なども「娯楽」のうちだ。ヒマな時間のつぶし方に多様性を持たせることが、娯楽格差を埋めることにつながる。
所得格差を埋めるだけでは意味がない。娯楽格差を埋めるだけでも効果は期待できない。この二つを同時に埋めてはじめて、文化の砂漠化や地方の人口減少――いわゆる地域格差を解決できる。東北にはいまこそ「娯楽の支援」が必要で、それは地方都市の諸問題を解決する糸口になる。
地方都市は観光のために存在しているのではない。非日常の場所ではないのだ。東京では味わえない楽しい「日常」がある場所。
そんな場所なら私も住んでみたい。
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※少なくとも私の立場としては、パチンコにカネをつぎ込むぐらいなら、その1/10でいいからマンガやラノベ、ゲームやアニメに使ってほしいな。
【参考】
放送格差
http://bit.ly/A5PP1s
幸福感ではかった地域間格差
http://www.iser.osaka-u.ac.jp/coe/dp/pdf/no.7_dp.pdf
※幸福度の格差が所得格差と一致しない、という調査。そらそうだよなー人はカネのために生きているわけじゃないし。