「あの子は選ばれなかったのよ」
「え?」
「この世界は選ばれるか選ばれないか――選ればれないことは、死ぬこと」
アニメ『輪るピングドラム』が面白い。
監督の幾原邦彦さんは『美少女戦士セーラームーン』シリーズや『少女革命ウテナ』で一世を風靡した人、らしい(当時はアニメをあまり見ていなかったのでよく知らない)。この作品で実に12年ぶりに監督業へと舞い戻った。ポップかつぶっ飛んだ演出は、時代遅れどころか非常に新鮮で、むしろ最先端を突っ走っている。
幾原監督はこの作品の制作動機について、季刊『エス』のインタビューで次のように答えている。
「映像」というエネルギーを使って総括すると、ちょっと伝わるんじゃないかな、と思って。 僕らの世代と、今の若い人をつなぐ距離のことを総括したエンターテインメント作品は記憶にほとんどない。
「現在を生きている僕らに、ここ数年起こっていることを総括して感じさせて欲しい」っていう欲望がある。
総括されないと、自分達の生きている世界を実感できない。実感できないと、「新しい幸せの価値」というものをイメージできない。 僕たちの心を振り回す今の「幸せの価値」って、前の世代の人たちが作ったものだというのが分かっていても。
暗喩的・哲学的な描写の多いアニメだが、こういう制作背景を知ると、じつに社会性に富んだ作品だとわかる。普段あまりアニメを見ない人にこそ、ぜひ見てほしい。
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第20話はとくに衝撃的で、いろいろと考えさせられた。勢いでtwitterに感想をつぶやきまくったのだけど、今回のエントリーはそのまとめ。思いっきりネタバレしてますので、未見の方は戻るボタンをクリックしてください!
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作品中でいちばん意味深なのは「こどもブロイラー」だ。こどもブロイラーって、いったい何? 透明な存在になるってどういうこと? 第20話まで来て、ようやくそれらの意味するところが解ってきたと思う。
つまり今の私たちは、こどもブロイラーで透明にされた存在なんだよ。
「こどもブロイラー」とは受験戦争かも知れないし、勝ち組礼賛の風潮かも知れないし、KYという同調圧力かもしれない。とにかく、この社会の構造によって個性を――色を奪われて、透明になってしまった:それが「何者にもなれなかった」いまの私たちだ。
透明になるということは、誰の目にも見えないということ。誰の心も動かせないということ。そうなれば、肉体的には生きていても、社会的には死ぬ。いまの時代、透明にならず色を保てるのは「選ばれた人たち」だけだ。
だから、つまり、選ばれないということは、死ぬということ。
こどもブロイラーからの救出が「家族」だという点は、すごく象徴的だと思う。陽鞠は、晶馬の“家族になる”ことで、こどもブロイラーから助け出される。
「家族」とはもっとも原始的な人間関係であり、私たちにとっての最初の「社会」だ。ヒトはカラダだけでは生きていけない。ヒトは社会的な居場所があって初めて生きていける。だから家族が必要なのだ。陽鞠は高倉家の一員となり、色を失わずに済んだ。兄妹三人の家が異常なほどカラフルなのは、あの家が透明化に抵抗する場所だからだろう。
重要なのは「人間関係のなかで意味を持つこと」であって、別にそれは家族でなくてもいい。地域のつながりだとか、寺の檀家仲間だとか、そういう共同体ならば何でもいい。人間関係のなかで意味を持つことができれば、人は透明にならずにすむ。「わたしのことを覚えていてくれるヒトがいる。それだけでいい」というセリフの意味は、端的にヒトが一人では生きていけないことを、ヒトが他人の記憶のなかで生きる生き物だということを示している。
ところが地域社会や信仰仲間といった共同体は、現在ではすっかり解体されてしまった。私たちは「家族」以外の社会を喪失している。
ヒトは「社会」がなければ生きていけない。「家族」は最初の社会だ。そして家族を作るためにヒトは「恋愛」の本能を持った。
しかし恋愛は商品となり、消費の対象となった。第20話冒頭の「キスをし続けるといつか空っぽになる」とはそういう意味じゃないかな。いまの私たちが言う「恋愛」は、その“本来の目的”から離れてしまったよね、と。
ヒトは社会的な生き物だから、放っておけば勝手にコミュニティを作る。地域社会や共同体といったものが無くなったのだとすれば、「共同体を壊しつづける仕組み」があるはずだ。
その仕組みに対する唯一の対抗手段が、恋をして、家族を作ることだった。――少なくとも、今までは。
◆
ここからはピングドラムから少し離れるけど、「どうやって共同体を取り戻すのか」が、いまの私たちの中心的な興味になっていると思う。
勝ち組のノマドになれるのは一部の“選ばれた”ヒトだけで、そういうヒトしか色を保てない。透明にさせられた私たちは、必死で色を取り戻そうとしているんじゃないだろうか、意識的にせよ無意識的にせよ。
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「あずまんが大王」「かもめ食堂」「らき☆すた」「よつばと」「けいおん」――これら「日常系」の系譜は、私たちの求める「共同体」のあるべき姿を示した。が、一方で、すでに透明になってしまった私たちがどうやって共同体を再構築するのかまでは示すことができなかった。
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『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の大ヒットした理由が、いまなら分かる。
あれは「共同体再生の物語」だ。私たちがここ数年、ずっと待ち焦がれていた物語だ。それが最高の脚本家と最強の監督の手でカタチになった、私たちが喜ばないはずない。
『あの花』は「学校教育により分断された若者たちがコミュニティを再構築する物語」だった。そのきっかけになるのが死んだ同級生の幽霊ってのも、なかなか宗教的・日本文化的でイイ感じだ。めんまは神様なのだと思う。キリスト教のGodじゃない、日本の神道的な神様。共同体再生の守り神だ。
最近、知人の結婚式に参加する機会が増えて、「ああ、ヒトは結婚するために生きているんだな」と思うようになった。いやべつに結婚じゃなくてもいいんだけど、自分が安心できる居場所を見つけるため。家族のようにつきあえる仲間を見つけるため。
カネのためじゃない、ヒトは誰かのために生きている。
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