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「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

知識ゼロから学ぶオリンパス事件/損失隠しの手口とは!?

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※中高生・就活生・簿記を勉強しないまま大人になってしまった社会人の方に向けた記事です!
※間違い等お気づきの点があればご教授ください。



続編のようなモノ:知識ゼロから学ぶ簿記のきほん/おこづかい帳と簿記はなにが違うのか




     ◆ ◆ ◆





「……あら? ねえ、あんた。あたしのプリン知らない?」
「……うーん、よく分かんねーな……。プリン? 知らねーよ」
「そう……ここに入れておいたはずなのに……。ていうか、どうしたの? 眉間にシワなんか寄せちゃって。あんたらしくもない」
オリンパスの虚偽記載のニュースを読んでいたんだ。けど、専門用語が多くてイマイチ理解できないんだよね」
「たしかに。新聞やテレビのニュースは、基礎的な知識のある人向けよね。簿記三級に三回落ちたあんたみたいなバカ男子高校生には、ちょっと厳しいかも」
「とりあえず、“とばし”ってのが三重県景勝地じゃないことは分かったぜ(ドヤァ」
鳥羽市ね。そういうボケはいらないわ」
「ねえ、ケイリさん。この事件のことを解説してよ。ケイリさんなら新聞より分かりやすく説明できるでしょ?」
「いくら?」
「は?」
「だから、報酬はいくら?」
守銭奴だ! この女子高生、守銭奴だ!」
「自分の知識や技能でお金を稼ぐのは当然でしょ? でも、まあ……あんたが……シワケがどうしてもって言うなら、教えてあげなくもないけど……
「こんなことケイリさんにしか頼めないよ」
「し、しかたないわねッ。それじゃ覚悟しなさい、基本のキの字から叩き込んであげるわ!」




※イラスト:倉澤もこ先生


【登場人物の紹介】
貸方ケイリ(かしかた・けいり):16歳の守銭奴JK。経済や会計に詳しく、そろばんをいつも持ち歩いている。背が低いことを気にしている。
借方シワケ(かりかた・しわけ):ケイリのクラスメイト。さる事情から彼女に莫大な借金をしてしまったため頭が上がらない。ついでに首も回らない。出席番号⑨番、バカ。



1.企業の通信簿 〜BSとPLのしくみ〜
オリンパス元社長のマイケル・ウッドフォード氏は12月1日、取締役を辞任する意向を表明したそうです。前月の23日に来日し、25日にはオリンパスの取締役会にも出席した同氏。今後は『委任状争奪戦』をしかけて、オリンパスの社長へと復帰することを狙っています。『“飛ばし”による損失隠し』とは、一体どんな仕組みで行われたのでしょうか」
「なんだか急にギガジ●みたいになったわね」
「詳細は続きを読むから!」
「そんなボタンはない!」パコンッ!
「っ痛! そろばんで叩くなっつの! ――それにしてもオリンパスは超ピンチだよな。ウッドフォードさんが社長に復帰することで、業績の悪化を避けられるといいけど」
「――ふふん」
「なんだよ?」
「あんたは今、何気なく『業績』って言葉を使ったわよね。だけど、そもそも企業の業績って何のこと?」
「えっと、それは……どれだけ商売を大きくできたか、じゃね?」
「たしかに売上が伸びれば、『商売が大きくなった』と言えるでしょうね。だけど売上以上に原価が伸びていたら? 原価が売上を上回っていたとしたら? それは業績が『良い』と言えるかしら」
「原価が売上を上回る――つまり赤字ってことだよな。どんなに売上が伸びていても、赤字だったら業績が『良くなった』とは言えなさそう……」
「その通り。企業の『業績』は色々な見方ができるわ。利益の大きさ、負債残高や預金残高、もちろん売上金額も大事なポイントね。あたしたちが『教科』ごとに成績を評価されるように、企業は様々な『金額』ごとに業績を評価される」
「それじゃ、そういう『金額』を一つ一つ調べなくちゃいけないってこと? 利益とか、負債とか預金とか。すげー面倒くさそう」
「そういう『金額』を一覧にした表があるの。あたしたちの場合は、各教科の成績を一覧にした『通信簿』があるでしょう? それと同じようなものね。『財務諸表(ざいむ しょひょう)』といって、作成が法律で義務付けられているわ。『財務諸表』は企業の通信簿よ」
「それって、具体的にはどういうもんなの?」
「財務諸表は、大きく分けて四つの表から成り立っているの。資産や負債をまとめた『貸借対照表(たいしゃく たいしょう ひょう)』、売上や費用をまとめた『損益計算書(そんえき けいさんしょ)』、現金の流れをまとめた『キャッシュフロー計算書』、純資産の動きをまとめた『株主資本等変動計算書(かぶぬし しほんとう へんどう けいさんしょ)』、さらにこの四つの表を補足する『注記表(ちゅうきひょう)』があって――」
「ストップ! ストぉーップ!」
「なによ?」
「そんないっぺんに言われても、脳みそがついていけねーって!」
「あんたってホント、初代ファミコン並みの知性よね」
「名作だらけってこと? ドラクエとか」
「セーブデータがすぐ消えるってこと。安心して、財務諸表のなかでも重要なのは二つだけ――『貸借対照表』と『損益計算書』だけよ。他の二つ(注記表を入れれば三つ)は『必要があれば見るもの』だと思っておけばいいわ。あんたみたいなド素人には早すぎる」
ポケモンでいう種族値みたいなもんだな」
「そうそう、初心者のうちは気にしなくていい――って、ちょっと待って。あたしはポケモンなんて子供っぽい遊びはしないわよ! 種族値なんて知らないんだから!」
「『ネコにこばん』ってどんなワザだっけ?」
「威力40、命中率100%の物理技でPP値は20――(ハッ」
「ウワサで聞いたんだよねー、ケイリさんが通学電車で夢中になってDSしていr」バコンッ!
「は、話を続けるわよっ! 財務諸表の種類についてまとめると、この図のようになるわ」




貸借対照表は英語でバランス・シート(Balance Sheet)、だからBSと呼ばれるの。そして損益計算書はプロフィット&ロス(Profit and Loss)、だからPLと呼ぶわ。このほうが短くて言いやすいから、あたしも今後は『BS、PL』という呼び方を使うわね」
「――う……ん……、あれ? ケイリさん誰と喋ってんの?」
「ようやく目が覚めたみたいね」
「……たしかケイリさんにそろばんでぶたれて、その前はDSについて話していたような……」
「BS! DSのことなんて知らない!」
「そうだっけ……?」
「イヤだわ、早く(記憶を)すり潰さないと……ッ! それじゃ実際にBS、PLを見てみましょう。各社ホームページの『IR情報』とか『株主のみなさまへ』とか書かれたページで公開されているわ」







「これは2011年3月に発表されたトヨタ自動車のBS、PLよ」
「うわー細かい数字だらけ! 頭がフットーしそうだよおっっ!
「この数字をすべて理解する必要はないわ。知りたいところだけ見ればいいのよ。たとえば『現金及び現金同等物』の残高は2兆807億円、売上高は18兆円以上。天文学的な数字ね。さすがは“世界のトヨタ”ってところかしら」
「それってガンダムで例えるとどんぐらいすごいの?」
「普通の企業がXファイターだとしたら、デススター並みの規模ね」
「それ、スターウォーズ!」
「たとえば任天堂株式会社の場合、2011年3月の『現金及び現預金同等物』は8128億円、売上高は1兆円。中小企業が多いゲーム業界では異常なぐらいの大企業で、さながらスターデストロイヤーってところかしら。だけど、それでもトヨタとは比べるべくもないわね」
「そんで、オリンパスがやった『虚偽記載』ってのは、こういうBSやPLにウソの情報を載せることを言うのか」
「だいたいそんなところ。あんたにしては飲み込みが早いじゃない」
「まあね、俺にも虚偽記載の経験があるから」
「――!?」
「さっきケイリさんは『財務諸表は企業の通信簿』だって言っただろ? 俺が小学生のころの話なんだけど、すっげーヒドイ成績を取っちゃってさ。で、通信簿を改ざんして親に見せた。叱られたくないし」
「あんたって犯罪者の素質があるわね……」
「結局バレて、二倍ぐらいきつく叱られた」
「まさに今のオリンパスと一緒ね。――ところで、ここにRootportの通信簿を持ってきたわ」
「誰それ?」
「このブログの著者よ。通信簿の内容を見ると……国語、数学、英語がまったくダメで、社会科もイマイチ。ハッキリ言って目を覆いたくなるような悲惨さね。こんなに勉強のできないヤツが社会派のブログ記事を書くなんて、思いあがりもいいところだわ」
「やめたげてよぉ」
「英語にいたっては、中学高校の六年間で『2』以外を取ったことがないわ(五段階評価)。4とか5がついているのは音楽・美術などの実技系、でも保健体育の成績はパッとしない。この通信簿を見るかぎり、Rootportが『勉強も運動も苦手なダメなやつ』だったことは明らかね」
「もうやめて、ケイリさん! Rootportのライフはとっくにゼロだよ!」
「――と、まあ、通信簿を見ればその人がどういう学生だったのか、よく分かるわ。それと同じように、財務諸表を見ればその企業の特徴がよく分かるの。たとえばトヨタの場合なら、『賃貸用車輌及び器具』が、自動車会社ならではの科目ね」
「ちょっと待った。それって表のどのあたり?」
「BSの左側、『有形固定資産』の真ん中あたり。貸し出し専用の自動車なんて、他の業界の企業ではまず見かけないわ。――BSの左側に記載される“資産”は、簡単に言えば“企業の持ち物”のことよ。トヨタは製造業の会社だから工場を持っているでしょう。そういう会社は、有形固定資産の『土地』『建物』『機械装置』の金額が大きくなるわ」
「世の中の会社は、製造業ばかりじゃないよね。工場を持たない会社ならどうなんの?」
「当然、有形固定資産の金額は小さくなる。たとえばモバゲーでお馴染みの株式会社DeNAのBS、PLを見てみましょうか」







トヨタに比べると、だいぶ小さな金額が並んでるな」
「それでもDeNAは従業員数1000人を超す大企業よ。DeNAが小さいんじゃなくて、トヨタが大きすぎるの。ここでは金額そのものよりも、『割合』に注目して! 資産総額に対して、有形固定資産はどれぐらいの割合かしら」
「資産総額って、BSのいちばん下のことだろ? トヨタの資産総額は約29兆8181億円で、そのうち有形固定資産が6兆3091億円だから――。えっと、うーん、と……」
「21.2%、およそ2割ね。つまりトヨタの“持ち物”のうち、2割が工場や貸し出し用の自動車だと分かるわ。それに比べてDeNAの場合、資産総額は1272億円に対し、有形固定資産は11億円しか持っていない。割合でいえば0.89%で、“形のあるもの”はほとんど持っていないと分かる。IT企業らしいBSだと言える」
「形のあるものを持っていないとしたら、どんなものを持っているの? たとえばソフトウェアとか?」
「たしかにDeNAは、有形固定資産よりもソフトウェアの金額のほうが大きいわね。だけど、それ以上に『現金及び預金』の大きさが目立つわ。626億円、資産のおよそ半分が現預金なの! 企業の規模からは考えられないぐらい、たくさんの現金を持っている会社だと言えるわね」




「現預金の残高は、そのまま企業の『支払い能力』を示しているわ。新しい設備の購入にせよ、借金の返済にせよ、どんなものでもカネさえあれば“支払う”ことができる。DeNAがプロ野球チームの購入に踏み切ったのには、潤沢な現金を持っているという背景があるのよ。さすがは詐欺まがいの商b――」
「それ以上いけない!」
「え?」
「匿名掲示板じゃねえんだから、特定の人・企業をdisるようなことは言っちゃダメだ。ていうか、この前ケイリさん言ってたじゃん、あそこは増収増益を続ける優良企業だって」
「サービスは無料ですけどね」
「儲けの大きさに感 無 量 、なんつって――」
パコンッ




【ここまでのまとめ】
1.「財務諸表」は企業の通信簿。
2.なかでも「貸借対照表(BS)」と「損益計算書(PL)」が重要。
3.BSとPLを見れば、その企業の特徴が分かる。




2.正しい虚偽記載のやり方 〜BSとPLのしくみ・2〜
「もう少しだけ基礎的な知識を解説するわね」
「えぇー、早くオリンパス事件について教えてくれよ」
「まだ慌てるような時間じゃないわ」スチャ……「言ったでしょう、基本から叩き込んでやるって」
「むしろ、そのそろばんで記憶を叩き出されているような気がするよ!? つーかさ、そろばんは人を殴るものじゃないんだから……」
「はぁ? そろばんは護身具でしょう?
「ちょっと何言ってんのか分かんねーよ!?」
「話を戻すわよ。BS、PLを見て、なにか気づくことはないかしら?」
「気づくことって言っても……うーん……」
「訊き方を変えましょうか。なんでわざわざBS、PLという二つの表に分けていると思う? この二つの表はどんな役割を分担してる?」
「そうだな……BSに載っているのは企業の“持ち物”とかだよな。んで、PLには『売上』とか『費用』が載っている……」
「いいところに気づいたわね。それじゃ、それぞれの表の上にある“日付”を見なさい」






「!」
「どう? 分かってきた?」
「BSは『3月31日現在』となっているのに、PLは『4月1日〜3月31日』と書かれている。だから……つまり……!」
「つまり?」
「……どういうことだ?」
パコンッ
「繰り返しになるけれど、BSには資産(企業の持ち物)や負債が載っているわ。たとえば現金の残高は毎日のように増えたり減ったりするでしょう? だから特定の日を決めて、その日の“残高”を載せるしかない。その日のことを“決算日”と呼ぶわ。現金のように“残高”が重要なものはBSに載るの」
「それじゃ、PLは?」
「売上や費用は、ある日一日の金額を見てもあんまり意味がないわね。企業の業績を知りたいのなら、一年を通じての“累計額”を知る必要がある。その一年のことを“会計期間”と呼ぶわ。日本では、4月から3月までを会計期間にしている会社がほとんどね。だけど世界的には1月から12月までを会計期間にするほうが主流よ」
「BSには“残高”が載っていて、PLには“累計額”が載っているのか」
「ええ。残高のことを『ストック』、累計額のことを『フロー』と呼ぶわ。馴染みのない呼び方だと思うけど、会計学の教科書では『穴の開いたバケツ』の喩えで説明されることが多いわね。穴の開いたバケツに勢いよく水を注ぐと、ある程度は水が溜まるでしょう? 一定の期間、水を注ぎ続けたとして、その期間に“流れた水の合計”がフロー、期間が終了した瞬間にバケツに残っていた水の量が“ストック”よ」
「で、企業の活動のうち、ストックの金額をまとめたものがBSで、フローの金額をまとめたものがPLだ、と」
「そういうこと」
「俺たちの通信簿でいえば、期間中の遅刻回数や欠席日数がフローにあたるのかな」
「そうね。だとすればストックにあたるのは、期末一斉テストの成績かしら」
「だけどテストの結果は、それまでの期間にどれだけ勉強してきたか、だよ?」
「一夜漬け常習犯のあんたの口から、そんな殊勝な言葉が出てくるとは思わなかったわ……。だけど、いいところに目をつけたわね。期末一斉テストは一日限りの一発勝負だから、その成績はストックだと言える。だけど、それまでの勉強量に――つまりフローに結果を左右される。ストックとフローは密接に関わっているのよ」
「なるほど! たしかに期末テストの成績って、それまでに積み重ねてきた一夜漬けのノウハウの結果だもんな。いかに効率よくヤマを張るか――」
「ちゃんと勉強なさい」パコンッ「ストックとフローの関係は、企業の活動でも同じよ。PLの数字が、ちゃんとBSに反映されているの。よく見て、PLとBSとで数字の一致している部分があるでしょう」







当期純利益、か。これって、その会社の一年間の“儲け”だよな」
「その通り。収入の合計から支出の合計を引いたものが当期純利益ね。PLで計算された当期純利益が、BSの右側・純資産の部に組み込まれているわ。どんな形式のBSでも、『利益剰余金』にはPLの当期純利益が含まれている――これは覚えておいて」
「なあ、ケイリさん。そもそも『純資産の部』ってなに? たとえばBSの左側『資産の部』ならイメージしやすいんだよ。現預金とか工場とか、会社の“持ち物”の金額が載っているんだろ。あとBSの右側でも『負債の部』は何となく分かる。会社の背負っている借金の額だ。それじゃ、『純資産の部』ってどういう意味なんだ?」
「ああ……。気づいてしまったのね……」
「なんだよ、もったいぶって。教えたくない理由でもあるわけ?」


「ううん、そんなんじゃない……。だけど、純資産の部の正体はね……」


「正体は……?ゴクリ」


「……秘密よ」ボソッ


「秘密ぅ!?」


「ええ、教えられないわ。今のあんたには早すぎるから」
「そんな不親切な!」
「また時間があるときに説明してあげるわ。オリンパスの事件を理解するうえで重要なのはBSの左側『資産の部』で、BSの右側はそんなに重要じゃないの。だから今日は説明を省略するわね。『PLは、BSの右側と繋がっている』――これだけ覚えていれば大丈夫よ」
「なんか釈然としねーな」
「一気に知識を詰め込んでも、どうせあんた忘れるでしょ?」
ぐぬぬ……」
「話を続けるわね。BSにはもう一つ大事な特徴があるの。資産総額と『負債・純資産の合計』に注目して」





「ここも数字が一致しているな」
「ええ。BSの右側の合計と左側の合計は、どんな時でも一致するの。これは『貸借一致の原則(たいしゃく いっち の げんそく)』と呼ばれる現象よ。計算のミスや不正経理をしていなければ、必ず表の左右が一致する」
「どうして?」
「例によって説明は省略するわ。そういうものなのだ、と飲み込みなさい」
「俺には早すぎる、ってやつ?」
「そうよ。子供に『赤ちゃんはどこからくるの?』と訊かれて、正直に教える親はいないわ。物事には順序ってものがあるの」
「ぐふふ、ケイリさん。赤ちゃんってどこからくるの?」
「はぁ? あんたそんなことも知らないの? コウノトリが運んでくるのよ。で、日本ではコウノトリ絶滅危惧種だから、少子化が進んでいるの。常識でしょう?」
「……ケイリさん、それマジでゆってる?」
「冗談に決まってんじゃない。セクハラで風紀委員会に訴えるわよ?」



【ここまでのまとめ】
1.BSには“残高(ストック)”、PLには“累計額(フロー)”が載っている。
2.PLとBSは“当期純利益”が一致する。(BSの『利益剰余金』には、『当期純利益』が含まれている)
3.BSは、左側と右側それぞれの合計が一致する。(“貸借一致の原則”)



「BS、PLが発明されたのは500年以上前の大昔よ。当時は電卓なんて無かったし、紙やインクは今よりずっと貴重だった。そんな時代に間違いなくお金を管理する方法として、BS、PLが生まれたわ。“貸借一致の原則”はその頃の名残ね。表の左右が一致しなければ、どこかで計算を間違えたのだとすぐに気づける」
「一種のエラーチェックなのか」
「そういうこと。たとえばPLの利益を実際よりも多く見積ったら、どうなるかしら? PLの当期純利益はBSと一致させなければいけないわ。だけど、そうするとBSの右側が大きくなってしまい“貸借一致の原則”を満たせなくなる」
「利益を実際よりも大きく見積る――要するに、損失を隠すってことだよな」
「ええ、その通り。悪いコトをすれば、BS、PLのどこかに歪みが出る。会計士や投資家は、その歪みを手掛かりにして不正を探すの。そして……」
「そして……?」
「逆に言えば、“貸借一致の原則”さえ満たしていれば、どんな悪いことをしてもバレない――ってことになるわ」
「そんな簡単なモノなのかな」
「“貸借一致の原則”を満たしたまま不正を働くのは簡単ではないし、もちろん会計士は血眼になって不正を監視しているわ。だけどね、事実としてオリンパスの虚偽記載はバレないまま20年間も放置されてきた。それだけ難しいのよ、“飛ばし”を見抜くのは」
「ここでようやく本題か」
「ええ、長くなってしまったわね」
「それじゃ教えてくれ、“飛ばし”って、いったい何?」






3.限りなく真っ黒に近いグレー 〜優良企業が“飛ばし”に手を染めるまで〜
オリンパスの“飛ばし”については、歴史的な経緯を見ると分かりやすいわ。この会社が不正経理に手を染めるまでのいきさつは、すでにいろいろなニュースで解説されているから、おさらいのつもりで聞いてもらえるかしら」
オリンパスの歴史は1919年(大正8年)に山下長が高千穂製作所を創業したことから始まるんだよね。当時は体温計が主力製品だった――」
「妙に詳しいわね」
「――って、Wikipediaに書いてあった」
「ネットがあれば、バカでも賢いふりができるわね……。とにかく、オリンパスは戦前から続く企業よ。東京証券取引所に上場したのは1949年(昭和24年)、終戦から4年後ね。あたしたち一般消費者にとってはカメラのメーカーってイメージが強いけれど、今でも医療系の売上が4割近くを占めているわ」
「ニュースでは、『バブル期に財テクに走り〜〜』とか書かれているけど?」
「日本で『バブル期』と言ったら、1980年代後半から1990年代初頭のころを指すわ。今のあたしたちには想像できないくらい日本が好景気だった頃よ。どの企業も溢れんばかりの儲けを出していた」
「儲けにあわせて、現預金の残高も増えていったわけだ」
「そうよ。そしてどの企業も、余裕の出てきた現預金を、もっと利ざやの大きい金融商品で運用するようになったの。株式とか、社債とかね。こういうものをまとめて『有価証券』と呼ぶわ」
「それって、BSに載っていたよね」
「ええ、有価証券は企業の“持ち物”の一つ。だからBSの左側・『資産の部』に記載されるわ。1年以内に手放す予定があるものは『流動資産の部』に、そうでないものは『無形固定資産の部』に記載される」
「手放す予定がある――っていうと?」
「売却する予定や、社債なら償還の予定がある場合ね。有価証券は、ふつうの定期預金よりもはるかにリターンが大きい。しかも当時は、そうやってみんなが株式を欲しがるから、株価が上がり、さらに売却時の利ざやが跳ね上がる、という好循環ができていた」
「ああ、それが『財テク』ってやつだろ、本来の事業じゃなくて金融商品の運用で儲けを膨らませるっていう。だけどリターンが大きいってことは……」
「それだけリスクも大きいってこと。知ってのとおり90年代の中ごろまでにバブルは完全に崩壊、株価が大暴落した。株価だけじゃない、土地も、社債も、ゴルフ会員権も、あらゆる“値段のつくもの”の価値が下落したわ。各企業が保有している有価証券は紙クズ同然になってしまったの」
「そうなると、当然BSにも影響が出るよなあ」
「――って、思うでしょう?」
「まさか違うの!?」
「じつは、当時の会計基準では“何もしなくてよかった”の。BSには『取得した時の価格』を記載すればよくて、時価がどんなに下落しても、それを反映する必要がなかったのよ。こういう、時価と簿価(帳簿上の価格)との差額のことを『含み損』と呼ぶわ。もちろん『含み損』を抱えた有価証券を売却するときには『売却損』という損失を計上しなければいけない。だけど――」
「売らずに所有しつづけている限りは、『取得した時の価格』のままBSに載せることができた、と」
「そういうこと。ニュースで時々耳にする『塩漬け』ってやつね。いまは含み損を抱えていても、いつか景気が回復したあかつきには価格が上昇して、もとに戻るんじゃないか――。そんな淡い期待をどの企業も持っていたの。甘いわね」
「つーかさ、どうして時価を載せる必要がなかったの? それって、カ、カ、会――」
会計基準?」
「そう、それ! 会計基準がおかしいじゃん。含み損があっても『売買しなければ表面化しない』なんて」
「その通りね。さっきも言ったとおり、各企業が多額の『含み損』を抱えるようになったのはバブルの崩壊が原因よ。逆にいえば、それ以前は『含み損』が大きく膨らむことは滅多になかったし、時価会計の必要もなかったのね」
「時価会計って?」
「時価に基づいた金額をBSに記載すること。バブル崩壊後、時価会計の必要性が叫ばれるようになったわ。そして2001年3月期から日本でも本格的に導入されたの」
「各企業の『含み損』が明るみに出されたのか」
「こういう新しい会計基準が導入される時には、たいてい数年間の“準備期間”が設けられるわ。規則では2001年3月期からだけど、実際には90年代の後半には、どの企業も『含み損』を明かさなければいけなくなった。もちろんオリンパスもね」
「で、オリンパスはその損失を隠したわけだ」
損失隠しの手口を説明する前に、オリンパスが本来やらなければいけなかった会計処理について解説するわね。正しい会計処理は次の通りよ」





「この図が、時価会計が導入される以前のオリンパスの財務諸表だと思ってちょうだい。BSには『取得した時の価格』で有価証券の額が記載されているわ。で、この有価証券は多額の含み損を抱えていた。だから、まずは……」





「まずは、含み損のぶん有価証券を減らす必要があるわね。だけど、資産だけを減額するとBSの左右が一致しなくなる。そこで……」





「有価証券を減額するのと一緒に、含み損と同じ額の『特別損失』を、PLに計上するわ」





「すると、損失が増えた分、PLの当期純利益が減って……」





「PLの当期純利益は、BSの右側・純資産の部とつながっているわ。PLの当期純利益が減った分、『利益剰余金』が減って、『純資産』が小さくなる」





「するとBSの左右それぞれの合計額が等しくなるから、“貸借一致の原則”が守られて一件落着ね。“当期純利益”の額は小さくなってしまったけれど、有価証券は時価にもとづいた、より正確な金額になったわ」
「だけどオリンパスの経営陣は、こういう正しい処理をしなかったんだよな。“利益”が小さくなるのがイヤだから……」
オリンパスだけじゃないわ。日本中のあらゆる経営者が、含み損の処理に頭を悩ませたはずよ。リスクを見誤ったのは自分の責任なのに、どうにかして損失の計上を避けようとした。そこで考え出されたのが“飛ばし”なの」
「待ってました! いよいよ説明してくれるんだね、三重県景勝地についt――」バコンッ
「こほん……。いやだわ、手が勝手に」
「……って今、こめかみを狙ってたよな! そろばんフルスイングで! 思いっきり殺しにかかってたよなっ!?」
「思い出して欲しいんだけど、BSは“決算日”に――」
「まさかのスルー!?」
「うるさいわね、話を続けるわよ? 思い出して欲しいんだけど、BSは“決算日”にその企業が持っている資産・負債をまとめた資料でしょ? ということは、どんなに『含み損』を抱えた有価証券であっても、“決算日”に持っていなければ、BSに載せる必要がない――ってことに、なるわよね?」
「――!」
「だから決算日よりも前に、子会社に売り払ってしまえばいいのよ。できるだけ小さな子会社がいいわね。当時の会計基準では、上場していない子会社なら財務諸表を開示しなくてよかったから」
「ちょっと待って、ケイリさん。含み損のある有価証券を売却したら、『売却損』っていうカタチで損失が明らかになるんじゃなかったの?」
「それは時価で売却した場合ね。もしも簿価のまま売却することができれば、BSの『有価証券』が減って、それと同額の現預金が入ってくるだけでしょう? 損失も利益も出ないわ。図解するとこんな感じよ」






「もしも時価で売買すれば、当然、簿価とのズレが出る。そのズレを『売却損』としてPLに載せなければいけなくなる。だけど簿価のまま売れば、そんな損失を計上しなくて済むわ」




「こうやって、本来ならBSに載せるはずの『含み損のある資産』を社外(この場合は子会社)に移し換えることを、“飛ばし”と呼ぶの。ここでは子会社を使ったいちばんシンプルな例を使ったけれど、どんな“飛ばし”の方法でも基本は同じよ」
「でもさ、これって子会社が充分な現金を持っていなくちゃ出来ないよな?」
「あんたバカぁ? そんなの、親会社がカネを貸せば解決じゃない」
「!?」
「子会社にカネを貸した場合、『子会社貸付金』という資産が発生するわ。で、貸したカネは有価証券を売却したときに回収するってわけ」
「うーん、悪どい!」






「BS上では『子会社に対する貸付金』があることになっているけれど、貸したカネはすぐに回収してしまったでしょう? だから、この『子会社貸付金』は“架空の”ものだと言えるわね」
「つーかさ、どうしてこんなデタラメなことが許されたんだろう」
「じつはね、当時はまだ法律が整備されていなくて、取り締まれなかったのよ。おまけに大手証券会社のOBで、こういう“損失隠しのノウハウ”をアドバイスして儲けるヤツらまで現われた。ここでは名前を伏せるけれど、ちょっと調べるだけですぐに見つけられるはずよ、そいつらの悪行の数々を。今では禁止されているあらゆる手を使って“損失隠し”に加担しているわ」
「当時はまだグレーゾーンがたくさんあったのか……」
「限りなく真っ黒に近いグレーゾーンが、ね。だけど、子会社を使った“飛ばし”ができなくなるまでに、大して時間はかからなかった」
「どういうこと?」
連結会計制度の整備が進んだからよ。親会社・子会社の財務諸表をぜんぶ一緒にして、一つの企業グループとしての財務諸表を開示すること――それが連結会計制度よ。たとえ含み損のある有価証券を子会社に売却しても、子会社で『特別損失』を計上したら、それが連結財務諸表に反映されてしまう。子会社を使った“飛ばし”が不可能になったの」
オリンパスの経営陣は、いよいよ追い詰められたわけだ」
「そこで膿を出しておけばよかったのよ。グレーゾーンだった処理が法律で禁止されるタイミングで、きちんと謝罪して特別損失を計上しておけばよかったの」
「必殺『遺憾の意』を発動すればよかった、と」
「ええ、そうね。だけどオリンパスの経営陣は、そうはしなかった」
「じゃあ、どうしたの?」
ケイマン諸島を使うことにしたのよ」





大きな地図で見る


ケイマン諸島は、カリブ海に浮かぶイギリス領の島よ。美しい海に囲まれた人口4万人ほどの国で、主要産業は観光。スティーブンソンの小説『宝島』のモデルになったとも言われているわ」
「その島がどうして損失隠しに関係してくるんだ?」
タックス・ヘイヴンって聞いたことがあるでしょ」
「税金がかからない地域のことだよな」
「そう、それ。ケイマン諸島は世界的にも有名なタックス・ヘイヴンの島なのよ。企業の法人税や個人の所得税が完全に免除されているわ。島の政府の財政は、輸入品にかかる物品税などで賄われている」
「すごいよなー。俺のオヤジ、日本は税金が高すぎるって、いつも愚痴ってるぜ。それに比べりゃ天国だよな」
「そうとも言えないわ。ケイマン諸島には社会福祉制度がほとんどないの。近代国家とは呼べない“ただの島”だ――なんて意見も目にするわ。法人税が免除されているのもね、企業を誘致するためというより、徴税する“体力”がないからと言ったほうがいい」
「徴税する体力?」
「税金をきちんと徴収するには、強い行政力が必要なのよ。脱税を監視しなくちゃいけないのはもちろん、日常的な業務にもマンパワーが必要よ。企業の業績に応じた正しい税額を請求して、取りすぎた税金はきちんと還付して……。人口たった4万人の――それも教育水準のあまり高くない島では、とてもできないのでしょうね」
「だから税金そのものを無くしてしまえ――か。ずいぶん大味だなあ」
「あたしたちからすると、ちょっと信じられない感覚よね。世界的に見ても“細かい”ってことで有名だもの、あたしたち日本人は」
「そうそう、マメで細かくて謙虚で勤勉で――」
「ことごとくあんたには当てはまらないわね……。ともかく、ケイマン諸島は徴税の仕組みがないわ。ということは、企業の業績をきちんと調査する法律・制度も整備されていないのよ。たとえば日本の会計基準は、もともと法人税の徴税制度からスタートして発展してきた。中小企業では、今でも法人税の税務申告に使う資料が唯一の業績資料――なんてところも少なくないわ。徴税制度は、会計制度の母なのよ。だけど、ケイマン諸島にはそれがない」
「だからペーパーカンパニーが多いわけか」
「やりたいほうだいでしょうね」
「そんで損失隠しとはどう関わってくるんだよ。ケイマン諸島に子会社を作る、とか?」
「いい線ついてる。だけど子会社じゃ、連結会計から逃れられないわ。だから代わりにファンドを作ったの」
「ああ、それもよくニュースに出てくるけど分からないんだよな。ファンドってなに?」
「『財テク専門の会社』だと思ってくれればいいわ。投資家からカネを集めて、そのカネを有価証券に変えて運用し、利益を還元する。そういう会社のことをファンドっていうの」
投資銀行とか証券会社とはどう違うの? ああいう金融機関も、同じような仕事をしているじゃん」
「そうね、だから信託銀行や証券会社もファンドの一種だと言えるわ。だけどニュースなんかでこの言葉が出てきた場合は、もっと小規模な会社を指しているわね。お金持ちが個人的に出資して設立した会社――みたいなイメージよ」
オリンパスは、そういう会社をケイマンに作ったのか」
「作った、というより『すでにある会社を利用した』らしいわ。営業実態のない休眠会社を見つけてきて、それを誰かのポケットマネーで買い取る。そしてファンドとしての体裁を整えてやる。あとは子会社で“飛ばし”をした時と同じよ」
「なるほど、含み損を抱えた有価証券を、簿価のまま買い取らせたのか。現預金はどうすんの? やっぱり貸付金?」
「ファンドは一応、金融機関よ。だから架空の“預金口座”を開設して、そこに資金を預けるという形を装ったはず。図解するとこんな感じかしら」







「この図では、わかりやすくするために実際よりもシンプルに描いているわ。ここでは“架空の預金口座”を例に出したけど、オリンパスは他にも“仕組み債”と呼ばれる金融商品を利用していたみたいね」
仕組み債ってのは――」カチャカチャ「……なん……だと……!? Wikipediaを読んでさっぱり理解できねえ……」
「そうでしょうね。今はとりあえず『どえらく複雑な金融商品』ぐらいに理解しておけばいいわ。あと、図ではファンドが1社しか登場しないけれど、実際には複数のファンドやペーパーカンパニーに分散させていたらしいわ」
「そうすると損失隠しが見つかりづらくなるの?」
「ええ。小口に分割すれば、一件あたりの金額は小さくなる。会計士は金額の大きな取引から順番に調べていくから、額の小さい取引は見逃されやすいの」
「……ちいさい、か」
「……なに見てんのよ」スチャッ
「別になにも見てねえよ! と、とにかく! オリンパスはこうやって含み損のある有価証券をBSから取り除いたんだな! すごくよく分かったよ、さすがはケイリさん!」
「ぜんぜん分かってないっ!」
「そんな怒るなって、ケイリさんは身長のこと気にしすぎだよ」
「身長のことなんて誰も話してないわっ」
「? それじゃ胸のこt――」ベキィッ



「――ふう。またつまらぬモノを斬ってしまったわ……」スチャ「分かっていないのは、“飛ばし”をした後のこと。今まで見てきたように、“飛ばし”をすると有価証券が他の何かの資産と入れ替わるでしょう? 例えば一番最初の例なら、子会社の現預金と入れ替わった。二番目の例では『子会社貸付金』を有価証券と入れ替えた。そして最後の例では、架空の『預金口座』と有価証券とが入れ替わった。……どの例でも、有価証券を一時的にBSの外に出しているだけで、根本的な解決にはなっていない。BSからは確かに見えなくなったけれど、実際には“架空の何か”と入れ替わっただけ。『含み損』は姿を変えて、BSに残っているのよ。架空の『子会社貸付金』や『海外預金』といった姿でね」
「なるほど、だから、その含み損をどうにかしないと、未来永劫、ずっと“飛ばし”をやめられないってことか」
「今回は回復が早いわね。あんたの言う通りよ。もちろん永遠に虚偽記載を続けることなんて現実的には不可能で、いつかはバレるわ。そうなる前に、少しずつ含み損を解消して、虚偽記載を“なかったこと”にしないといけない」
「含み損を“なかったこと”にするためにウソをついて、今度はそのウソを“なかったこと”にするのか。泥沼だよな」
「ウソはつくもんじゃないわね。オリンパスは過去の『損失隠し』を隠す必要に駆られた。そして、ジャイラスの買収に踏み切ったのよ」
ジャイラスって、ウッドフォード元社長が解任されるきっかけになった……?」
「そう。月刊誌FACTAがスクープして、ウッドフォード元社長が追及した、あれよ。ジャイラスなどの中小企業三社をありえない金額で買い取って、直後に損失を計上したという事件。今回の騒動のきっかけね」




【ここまでのまとめ】
1.“飛ばし”とは、含み損のある有価証券をBSの外に移し替えること。
2.会計制度と法律の整備により、“飛ばし”はどんどんやりづらくなっている。
3.その結果、オリンパスは海外のファンドを利用した非常に複雑な手法で“飛ばし”を行った。
4.“飛ばし”た有価証券の含み損は、姿を変えてBSに残っている。何らかの方法で解消しなければならない。




4.うそをもう一つだけ 〜つじつま合わせのためのM&A
オリンパスは『過去の損失隠し』隠しのために、子会社の買収を利用したわ。彼らが利用したカラクリを説明する前に、普通の子会社買収の仕組みを解説しておくわね」
「また基本からかあ……。企業買収のニュースは、毎日のように新聞に載ってるけど?」
「そうね。だけど、企業買収がBSにどういう影響を与えるのか――それを解説したニュースは滅多に見ないわ」
「そもそもBSって言葉が、なかなか新聞に載らないもんな」
「たとえば『IT企業が野球チームを買収することにした』という事例を考えてみましょうか」
「なんだかさっきも聞いたような話だな……」





「あんまり意識したことはないでしょうけれど、プロのスポーツチームは立派な『企業』よ。どんな野球チームも、一つの企業として、ちゃんとBS、PLを作成しているわ」
「野球チームの“オーナー”っていうのは、要するにそのチームの株主ってことだよな」
「そうね。野球チームを買収する時は、まずは現在のオーナーにそれなりの金額を支払わなくちゃいけない。そのチームの価値を正しく見積ってね」
「正しい価値、か」
「ここで問題! 買収する企業の価値は、なにを基準にして見積もればいいかしら?」
「えっと……集客力、とか……?」
「それだけじゃ抽象的すぎて、“正しく”見積もるのは不可能ね。いい? 企業を買収するっていうことは、その企業が持っているすべてのものを手に入れるってことなのよ?」
「持っているすべてのもの――ティンと来た! 資産総額だ!!」
「不正解。確かに企業を買収したら、その企業の資産がすべて手に入るわ。預金も、有価証券も、固定資産もぜんぶね。だけど同時に、その会社の借金も引き継がなくちゃいけない。資産も負債も、一緒くたになって手に入る」
「と、いうことは?」
「資産総額から負債を引いた金額――要するに“純資産”の金額が、その企業の価値の基準になるの」
「えーと、つまり大雑把にいえば、『企業を買収する』というのは、『その企業の純資産の額と同じだけのカネを支払うこと』っつっていいのかな?」
「だいたいそんなところ。で、企業を買収したら、買った企業のBSを、自社のBSと合体させるわ」




「二つのBSを……合体させる……?」
「なんだかイヤラシイ目つきになっているけど、つっこまないわよ。たとえば買収した企業の『現預金』なら、親会社の『現預金』と合算してBSに載せるわ。同じように、他の資産や負債も、それぞれ合算していく。それが企業を買収したときのBSへの影響よ」





「『企業の買収』っていう言葉を聞くと、道具か何かを買ったみたいに聞こえるわよね。だけどBSに与える影響を考えれば、『二つの企業を融合させる』という表現のほうが正しいわ」
「だけどさ、企業を買収するときって、どんな場合でも『純資産』の額しか支払わないの? 売買価格が同意に至らずM&Aに失敗し――みたいなニュースも見かけるけど」
「あんたの言う通りね。純資産の額は、あくまでも買収時の基準でしかないわ。実際にはそれよりも高い金額を支払うのが普通よ」





「だけど、そうするとBSの左右それぞれの合計が一致しなくなるんじゃね?」
「そうね。だから企業買収の時には『のれん』という特別な科目を使うの」





「さっき、あんたは野球チームの価値を測る基準として『集客力』と言ったわよね。あんたの指摘はある意味、正しいわ」
「マジで?」
「BSに記載されるのは、現預金や有価証券、固定資産といった『具体的なもの』だけよ。だけど企業の持っている“価値”はそれがすべてじゃない。ブランド力やイメージといった『抽象的なもの』の価値も持っているわ」
「なるほど」
「もしも企業の価値が『具体的なもの』だけだとしたら、買収時にはBS上の価値――つまり純資産の金額を支払うだけでいい。でも、実際にはBSには表されない価値がある。そのぶんを上乗せして支払うのが普通なの」
「そしてBSには『のれん』が計上される、要するに――」
「のれんというのは、買収した企業の『抽象的な価値』を表したものだと言えるわね。実態のない、概念的な価値だわ。BSの“貸借一致の原則”を守るために使われているけれど、本来ならBSには載せることのできない“価値”なのよ」
「話がどんどん哲学的になってきた……」
「大事なのは『のれん』が『本来ならBS上に表記されない価値』だってコト。このことだけ覚えてくれればいいわ。計算のために仕方なく『のれん』という科目を使っているけれど、気持ちとしてはBSから取り除いてしまいたい」
「企業のブランド力って、永遠に持続するものでもないしね」
「その通りよ。なかには100年前から続くブランドもあるけれど、ほとんどの企業は20年も続かないでしょう? たとえばインターネットのサービスを思い浮べてもらえばいいわ。SNSの【自主規制】は、数年前まで絶大なブランド力を持っていた。莫大な人数の参加者を抱え、日本の大学生のほぼ全員が利用していると言ってもいいぐらいだった」
「だけど、最近はあんまりパッとしないよね。みんな海外から来たSNSの【記載自粛】に流れちゃって、あっちは終コンになっちまった」
「このSNSのブランド力は、わずか数年で一気に落ちたでしょう? こんな感じで、企業のブランド力には“寿命”がある。この寿命にあわせて、『のれん』を減らしていかなくちゃいけない。ブランドの寿命が尽きたときに、ちょうど『のれん』がゼロになるようにね」
「具体的にはどうやるの?」
「まずはブランドの寿命を見積もる必要があるわ。といっても、客観的に“寿命”を計算するなんて不可能よ。なにがウケて何が飽きられるのかなんて、誰にも予測できないから」
「たしかに。まさか海外の実名SNSがこんなに流行るとは思わなかったよな」
「だから、法律に従うのが普通ね。日本の法律では、『のれん』の寿命は20年以内と決められているわ。見積もった“寿命”に応じて、毎年均等に『のれん』を減らしていく――これを『のれんの償却』と呼ぶの」






「毎年、一定の割合で『のれん』を減らして、それと同額の『のれん償却費』をPLに計上するの」




「PL上の費用が増えるから、当期純利益は減るでしょう? するとBSの純資産が減って、貸借一致の原則が満たされるわ」
「で、同じことをブランドの寿命が尽きるまで繰り返す、と」
「長くなったけれど、以上が企業買収をした時の“普通”の処理よ」
オリンパスはこの処理を悪用したわけだ」



【ここまでのまとめ】
1.『企業を買収する』=『2社のBSを融合させる』
2.買収時に支払う金額は、その企業のBS上の価値(=純資産の金額)に、ブランド力などの抽象的な価値を上乗せした額。
3.上乗せされた『抽象的な価値』は『のれん』としてBS上に残る。
4.『のれん』は一定の期間で償却される(費用として処理される)



オリンパスの“飛ばし”についておさらいするわよ」
「えっと、まず『有価証券』が含み損を抱えてしまった。そこでケイマン諸島の休眠会社を利用してファンドを作り、“架空の海外預金”を開設した。簿価のまま有価証券を売却して、『含み損』が露呈するのを防いだ――」
「ええ。結果だけを見れば、『含み損』が“架空の海外預金”に姿を変えただけ、だと言えるわ」
「永遠にウソをつき続けるわけにもいかねえから、オリンパスはこの“架空の海外預金”をどうにかして処理しないといけなくなった」
「そうね、気付かれないように少しずつ減らしていく必要があったわけ。ところで『のれん』っていうのは、企業を買収した時に“上乗せして支払った額”だったわよね」
「!」
「企業を買収するときに、“架空の海外預金”を上乗せしたことにすれば、どうなるかしら?」
「えっと、上乗せした金額が『のれん』になるから……。結果的には、“架空の海外預金”が『のれん』と入れ替わるのか!」
「その通りよ」





オリンパスの経営陣にとって頭痛のタネだったのは、“架空の海外預金”を誰にも気づかれずに処理することだった。だから適当な会社を見つくろって、買収することにしたの」



ジャイラス(仮)の株主や、M&Aの仲介業者に、BS上の“架空の海外預金”を上乗せして支払ったことにするわ。そうすると……」





「上乗せした分の『のれん』が発生する。結果から見れば、『架空の海外預金』が消えて、『のれん』と入れ替わったことになるわね」
「これだけ見ると『だから何?』って感じだけど……」
「あんたは大事なことを忘れているわ。のれんは償却されるでしょ?」
「!?」
「頭痛のタネだった“架空の海外預金”だけど、『のれん』に姿を変えれば、毎年、少しずつ減らしていくことができる。そして最終的にはゼロになって『損失隠し』をしたことを隠し通せるってわけ」
「のれんを償却するってことは、毎年、『のれんの償却費』という費用を計上することになるよな」
「そうね。本来なら、莫大な『含み損』が生じた時に、それを特別損失として計上しなければいけなかった。だけどオリンパスは “飛ばし”を行い、架空の海外預金を作り、それを『のれん』に変えて、少しずつ費用として計上していったのよ」
「ああ、それで損失の“先送り”と言われているのか! だけど分からないのは、それって結果的には同じじゃないの? のれんが全部償却された時には、最初に計上すべきだった特別損失と同じ額が、費用として計上されたことになるから」
「数字のうえでは同じことかも知れないけれど、社会的には全然違うわ。もしも『含み損』を一度に特別損失として計上していたら、その年の利益が吹き飛んで赤字に転落していたかも知れない。損失を先送りにすれば、赤字化を避けられる。――たとえば『19××年に赤字になりました』という企業と、『開業以来、ずっと黒字が続いています』という企業とがあったとして、あんたが投資家ならどちらの企業にカネを出したい? もしもあんたが銀行の与信担当者だとしたら、どちらの企業にならより安い金利でカネを貸せる?」
「当然、ずっと黒字の企業だ……。そうか、損失を先送りにするってのは、そうやってトクをすることなのか」
「ウソをついてトクをすること――これをオトナの世界では詐欺と呼ぶわ」
「虚偽記載は立派な犯罪ってわけだ、オトナの世界では」
「もっとも、この国にはまともなオトナがほとんどいないみたいだけど」




【ここまでのまとめ】
1.オリンパスは“飛ばし”により、『架空の海外預金』などの架空の資産を抱えることになった。
2.小さな企業を、そうした架空の資産を上乗せして買収し、多額の『のれん』を計上した。
3.のれんは償却される(費用化されながら最終的には消える)ので、過去の『損失隠し』を隠すことができる。



「ここでは『のれん』を償却する手法を紹介したけれど、実際のオリンパスの手法はさらに混み入っているわね。ジャイラス買収時に生じた『のれん』を、オリンパスは減損処理しているわ」
「減損(げんそん)ってなに?」
「のれんの価値が無くなったものとして、一気に損失計上してしまうことよ。費用として少しずつ処理するのではなくて、いっぺんにPLに反映させること。それが『のれん』の減損処理ね」
「あと、オリンパスが“飛ばし”をした時に発生したのは、“架空の海外預金”だけじゃねーだろ? 仕組み債がどうとか……って話だったじゃん」
「そうね、オリンパスが隠した『含み損』は、様々なカタチの“架空の資産”に姿を変えていたはずよ。今回は分かりやすさを優先したけれど、実際にはもっと複雑で巧妙な手口を使っていたでしょうね。捜査が進んでいるみたいだから、いまは結果が出るのを待ちましょう。とりあえず、“飛ばし”と“損失先送り”の大まかなカラクリは分かったかしら」
「うーん、なんとなく、かな……。あともう一つ分かったことがあるよ」
「なあに?」
「ウソは絶対にバレるってこと」
「その通り、天網恢々疎にして漏らさず、っていう言葉もあるぐらいだから」
「……あのさ、ケイリさん。今日はありがとう」
「ど、どういたしまして……? なによ急に改まって」
「じつは俺、ケイリさんに言わなくちゃいけないことがあるんだ……」
「言わなくちゃ……いけないこと?」
「うん、もしかしたら、すごく驚かせてしまうかも知れない」
「……すごく驚く……」
「今日は俺のために時間を割いてくれて、本当に感謝しているよ」
「べ、別に!? ただ、あんたがバカすぎるから……少しは役に立ちたいと……思って……
「今日だけじゃない、ケイリさんは何だかんだ言って、いつも俺のために手を焼いてくれるからさ……やっぱり俺も、正直になろうと思う」
「……い、一体なによっ! さっさと言いなさいよ!」
「動揺しないで聞いてくれよ?」
「――動揺? このあたしが?? するわけないでしょ!」
「じつはプリンを食べたのは俺だ」






「はぁ!?」





「いやー、本当に申し訳ないと思っているんだよ。バイト代使い果たしちゃってさ−、今日は昼メシ抜きだったんだよね」
「…………」
「で、部室の冷蔵庫をあけたら、美味しそうなプリンがあるじゃん? ラッキーって思って、美味しくいただk――ち、ちょっと待って、ケイリさん――そんな顔しないで! ってか、なにその特大サイズのそろばんは――。それで殴られたら……さすがに無事ではすまないっていうか――ちょ、まっ、待って! 落ち着いて話をしよう! 話せば解るから! うっ……わ――。――ご、ごめんなさいー!!」







     ◆ ◆ ◆



続編的なもの:知識ゼロから学ぶ簿記のきほん/おこづかい帳と簿記はなにが違うのか


倉澤もこ先生のブログ
http://charlee000.blog12.fc2.com/
※お忙しいなか、本当にありがとうございました!



あわせて読みたい
◆サラリーマン根性の集大成…オリンパス調査報告
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111206-OYT1T01143.htm
※調査報告の要約。正確で詳しい経緯はこちらの記事をご参照ください。



オリンパス事件と日本型企業統治の闇
http://agora-web.jp/archives/1404488.html


オリンパス事件をブロック図で解説すると?
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1111/16/news010.html






オリンパスの巨額粉飾事件・これまでの経緯まとめ】
4月、マイケル=ウッドフォード氏が社長就任する。
6月、月刊誌「FACTA」誌7月号で、過去の不可解なM&Aが暴露される。(※1)
→この記事を見たウッドフォード氏は、菊川会長をはじめとする日本人取締役に説明を求め、最終的には「多大な損失を出した」という理由で退任を要求した。(※2)
10月14日、ウッドフォード氏解任。蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
10月17日、オリンパスから「すべてのM&Aは適正・適切だった」との声明が出る。
10月20日
・「現代ビジネス」誌が“疑惑の取締役会資料”をすっぱ抜く。「ほとんど価値のない会社を700億円で買った」という事実が明白に。(※3)
・ウッドフォード氏は“身の危険”を感じ、警察に保護を求める。(※4)
オリンパス株主の米投資会社ハリス・アソシエーツが調査要求。(※5)
10月26日、菊川会長兼社長が退任。高山氏が新社長に就任する。
10月27日、高山修一社長会
11月4日、決算延期を発表
11月7日、このM&Aを仲介したのがN氏――野村證券OBでバブル期には企業の財テクを指南し、バブル崩壊後は“飛ばし”等による損失隠しを指導していた人物だと明らかに。(※6)
11月8日、オリンパスは過去の損失隠しを認め、このM&Aを過去の含み損の穴埋めに利用したと発表する。(※7)
11月10日、東京証券取引所オリンパスを「監理銘柄」に指定。上場廃止が危ぶまれる。(※8)
11月12日、オリンパス行政処分となり上場廃止が遠ざかる見込みと各紙朝刊が報道(※9)
また同日、オリンパス元専務取締役の宮田耕治氏がオリンパスの再生を呼びかけるサイトOlympus Grassrootsを公開。(※10)
11月23日、ウッドフォード元社長が来日、捜査に協力。
11月25日、ウッドフォード元社長がオリンパスの取締役会に出席、現経営陣の退陣を迫るが交渉決裂。
12月1日、ウッドフォード元社長は取締役を辞任。現経営陣に対して委任状争奪戦をしかける意向を表明。※11


今後:12月14日までに四半期決算報告書を提出できなければ上場廃止




◆参考◆


※1 オリンパス 「無謀M&A」巨額損失の怪
http://facta.co.jp/article/201108021.html (リンク先は翌月8月号の記事)
※2 オリンパス、解任のウッドフォード氏が真相を語る
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/25966
※3 これが杜撰経営の核心!ほとんど価値のない会社を700億円で買収したオリンパス「疑惑の取締役会資料」をスクープ公開 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/23598
※4 「身の安全に不安感じる」 オリンパス<7733.T>前社長、警察保護求める意向 http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnJT800977620111021
※5 オリンパス株主の米投資会社が会社側に調査要求 http://www.sankeibiz.jp/business/news/111021/bsc1110211253001-n1.htm
※6 オリンパス買収仲介者は80年代から関係、「損失先送り」に関与=関係筋 http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-24022620111107
※7 オリンパスが買収資金を損失先送りに利用、含み損穴埋め認める http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-24030320111108
※8 オリンパス:「監理銘柄」に 東証指定
http://mainichi.jp/select/biz/news/20111111k0000m020084000c.html
※9 オリンパス虚偽記載、行政処分へ 上場廃止判断に影響も
http://www.asahi.com/national/update/1112/TKY201111120140.html
※10 OLYMPUS grassroots.com
http://www.olympusgrassroots.com/jp/index.html
※11 オリンパスに委任状争奪戦 ウッドフォード氏、社長復帰目指す http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111201/biz11120110280006-n1.htm








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