デマこい!

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映画『トゥモロー・ワールド』はCoDだった。

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【ネタバレ注意!】
Call of Dutyというゲームがある。一人称視点で鉄砲を撃ちまくるゲームで、戦場に放りこまれたかのような臨場感が最大の魅力だ。通称、CoD。映画『トゥモロー・ワールド』を見ながら、私はこのゲームのことを思い出していた。


コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2

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【あらすじ】
映画『トゥモローワールド』(原題CHILDREN OF MEN)の舞台は、人類すべてが不妊になった近未来だ。過去18年間、一人も子供が生まれていない。主人公の男はうだつのあがらない役人で、ひょんなことから一人の少女を守ることになる。その少女は、人類にとって18年ぶりの「妊婦」だった。



【ストーリーについて】
「ありきたり」という評をちらほら目にする。確かに「男が、女を、目的地まで連れていく」という昔ながらのプロットだ。とはいえ、現実社会の問題を物語に投影するのは、SFの真骨頂だろう。この作品は、その部分でもよく出来ていて、SFの醍醐味を味わうことができた。
この作品から学べるのは、リアリズムは虚構性を際立たせるということだ。終盤の「兵士たちが銃を降ろす」というシーンには、涙せずにはいられない。しかし臨場感あふれる戦場の描写は、「銃を降ろすことのできない現実世界」を思い出させる。現実に対する強烈な皮肉を感じるからこそ、胸が熱くなり、深い感動につながるのだ。



【リアリズムとCall of Duty
この映画のすばらしさは映像にある。特筆するべきは長回しの多さだ。ワンカットがそれぞれ極めて長く、まるでドキュメンタリー映像を見ているかのような臨場感がある。映画批評サイトを覗くと、クライマックスの戦闘シーンが話題になっている。この戦闘シーンは、なんと10分以上のワンカットに仕上がっているのだ。手ぶれに任せたカメラも、「観客がカメラマンの立場」にいるようで面白い。
いわゆるハリウッド的な映画では、観客はスクリーンの外に置き去りにされがちだ。たとえば仲間が死んだ時、主人公の悲痛な顔が大写しになる。もしも自分がスクリーンの内側の世界にいたなら、主人公の顔だけに注目するだろうか。危険な戦闘の最中ならば、主人公の背後が気になるし、他の仲間の様子も気になる。「見せたいモノだけを映す」という演出は、時に観客を置き去りにしていた。
一方、この映画ではそのような演出がほとんどない。暴力的なシーンも感動的なシーンも、周囲の空気まで一緒にカメラに収めている。映像を「見る」楽しさに満ちている。この点を絶賛する批評をたくさん目にした。
で、私はCall of Dutyというゲームを思い出した。一人称視点で進むゲームなので、プレイヤーは好きな場所を見まわすことが出来る。カメラが切り替わることはない。Call of Dutyは、とくに映画的な演出が多いということで人気を集めたシリーズだ。まるで映画のような派手なストーリーを、ひとつのカメラで追いかけ続ける。これはめちゃくちゃ長いワンカットと呼べるはずだ。
「ゲームが映画のようになった」と言われて久しいが、ゲームはとっくの昔に、映画を超えていたようだ。





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