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最強の「プロの犯行」/塚本晋也監督『野火』感想

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 ニコニコ動画の黎明期には「プロの犯行」というタグが流行った。

 第一線で働いている(であろう)プロのクリエイターが、ニコニコ動画に高品質な作品を投稿していた。「野生のプロ」「振り込めない詐欺」……当時のニコ動には、混沌とした熱気が満ちていたように思う。何かを創りたい、誰かに見てもらいたいという欲求を止められない人々が、商業の論理の通用しない場所で力を振るっていた。

 

 塚本晋也監督は『野火 Fires on the Plain』の製作にあたり、出資者がなかなか集まらず、結局、自主製作することになったという[1]。いわば本作は、最上級の「プロの犯行」だ。

 限られた制作費のなかで、観客を圧倒する映像を作り上げていたと思う。 戦争映画といえば、莫大な予算をかけて迫力のある映像を作ることが多い。空を埋め尽くす爆撃機、夜空を焦がす艦砲射撃。そんな映像は本作には登場しない。カメラは主人公の目線とほぼ同じ高さで撮影され、蒸し暑いジャングルの空気を肌で感じるような作品になっている。

 このあたりは『CUBE』等にも通ずるものがあるかもしれない。低予算を逆手にとって、観客を絶望的な閉塞感へと追い込んでいくのだ。『CUBE』の登場人物たちが謎の四角い部屋に閉じ込められたように、本作の主人公はフィリピンの密林に置き去りにされる。

 

 ビデオゲームには『Call of Duty』という人気のシリーズがある。知らない人のために説明すると、いわゆる「FPS」という一人称視点で敵を撃ち殺すゲームだ。とくにシリーズ4作目の『Call of Duty 4 modern warfare』は最高傑作で、大人が遊ぶに足るゲームに──遊んだ人に戦争について再考させるような経験を与える作品になっている。当然、18歳以上が対象のゲームだ。

 このゲームでは、プレイヤーは複数の主人公を操作することになる。どの主人公も、日本のRPGに登場するようなヒーローではない。ごく平凡な、名も無き兵士にすぎない。そんな彼らが銃弾飛び交う戦場に放り込まれるのだ。しかも、このゲームは一人称視点。画面に映されるのは主人公たちが見ている光景だ。その臨場感たるやハンパなものではなく、多くのプレイヤーがまずは恐怖を感じたはずだ。

 さらに、このゲームの主人公は死にまくる。プレイヤーが下手ならすぐに死ぬし、ストーリー上、死を避けられないキャラがいる。プレイヤーは臨場感あふれる一人称視点で、彼らの死を追体験することになる。結果、プレイヤーは戦争について再考を迫られる。死の経験をシナリオにうまく組み込んだことが、Call of Duty 4を凡百のゲームと別次元の作品に高めた要因だと私は思う。CoD4は一人称視点の特長を活かしきったゲームであり、これを越えるFPSを探すのは簡単ではない。

 主人公の視点によりそったカメラワークで、死を追体験させる──。

 これは『野火』にも共通するものだろう。どこから飛んでくるのか分からない機銃掃射の恐怖。目をおおいたくなるような死体の山。そして、戦友が食料に見えてくるという究極の飢餓。肌にへばりつくような蒸し暑さ。これらに生々しい臨場感を覚えるのは、主人公の視線をなぞるようなカメラワークの賜物だ。見る映画というよりも、体感する映画と呼んだほうがふさわしいかもしれない。人の死に対して無感動になり、感覚がマヒしていく──。そんな極限状態まで追体験できる映画はそうそうないだろう。

 

 今、この時代だからこそ楽しめる映画かもしれない。

 なぜなら、この作品はコンテクストを説明しないからだ。

 本作のストーリーは、いささか唐突に始まる。ジャングルの奥地で、主人公は野戦病院に行くよう命じられる。なぜ彼らがこのジャングルにいるのか。そもそもこのジャングルはどこで、彼らは誰と戦っているのか。一切説明されない。そういう前提知識は観客の側ですでに持っているものとして、お話は進んでいく。

 今年は終戦から70年の節目だ。奇しくも『永遠の0』や『艦隊これくしょん』のヒット等で、太平洋戦争について復習した人は少なくないだろう。観客の多くが前提知識を共有しているはずだ。現在では可愛らしい二次元美少女に擬人化された艦船たちだが、戦争末期にはその多くが無力化されていた。

 補給線も制空権も失ったまま戦争を続ければ、何が起きるのか。

 かつてモスクワが経済実験の中心地となったように、戦争末期の南方の島々は「ヒトはいつまで人間でいられるか」という人体実験の現場となってしまった。その結果、第二次世界大戦のなかでもとくに忌まわしいできごとの1つ──人肉食が行われた。

 原作小説『野火』は、ドキュメンタリーではなくフィクションだ。この点はきちんと押さえたうえで本作を見たほうがいいだろう。しかし、戦争末期に日本が制空権を失ったのは事実だし、東南アジアの島々で末端の兵士への補給線が分断されたことも事実だ。フィクションとは、嘘を通じて真実を写し出すものである。

 弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに『たとえ』でお話しになるのですか」。

 そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。だから、彼らには『たとえ』で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである」

──マタイによる福音書

  この映画のなかで、煙草と芋のどちらが必要かという問いがなされる。飢えにさいなまれる戦場では、ほとんどの人が芋を選ぶ。では、芋を選んだ人々のカバンから芋が尽きたときに、いったい何が起きるのか?

 上映期間は残りわずかだが、ぜひ劇場で目撃してほしい。

 

 

 

[1] http://www.cinra.net/news/20140724-nobi

 

nobi-movie.com

 

塚本晋也×野火

塚本晋也×野火

 

 

野火 (新潮文庫)

野火 (新潮文庫)

 

 

※なお、Call of Dutyシリーズには、「World at War」という太平洋戦争末期の東南アジアが舞台になる作品がある。ただし、連合国側の兵士を操作して枢軸国側の兵士を倒すという内容で、「バンザイ!」と叫びながら突撃してくる日本兵が 敵として登場する。そのせいか(?)日本語版は作成されず、国内では販売されなかった。CoD4ほどではないが、こちらもかなりの傑作。日本で発売されなかったことが惜しまれる。