アリストテレスによれば、芸術創作活動の根本は「模倣」だという[1]。
創作物語は現実のできごとの模倣であり、絵画の基礎は現実の模写だ。それだけではない。数え切れないほどの先行作品の美点を受け継いで、最新の作品は創造される。プロに限らず、少しでもモノを創ったことがある人なら、先行作品の研究なくして良い作品は生まれないことを知っている。「学ぶ」と「真似る」の語源は同じだ[2]。
ところが、ネットの世界でパクリに向けられる視線は厳しい。
TPP参加にともない著作権違反の非親告罪化が検討されているが、気に入らない相手への嫌がらせに利用されることを危惧する声もある[3]。先行作品から学んだことを活かしたつもりが、「パクリ」と認定されて断罪されるのでは創作意欲が萎縮してしまう──。そう危惧する人がいるのもうなづける。
当然ながら、パクリは悪だ。
自分では創造的努力を払わず、誰かの作ったものをさも自分の創作物であるかのように発表することは、言うまでもなく詐欺である。写真やイラストを無断借用された人は、そのまま創作意欲を失ってしまうかもしれない。他人の創造性にタダ乗りする行為を許すことはできない。
要するに、パクリにはルールがある。模倣なくして創作物は生まれないが、詐欺的な模倣はルール違反だ。あらゆる創作者は、巨人の肩に立つ小人だ。無から有を生み出すのではなく、先人たちの知恵を借りて、もう一歩上の何かを作ろうとしている。〆切りは刻一刻と迫っているのに、アイディアが1つも浮かんでこない。そんなときは心の中の悪魔が囁くはずだ。パクってしまえ──。
何かをパクリたくなったときは、次の3つのルールを厳守すべきだろう。
1.著作権に問題ないものをパクれ
著作権に触れるようなパクリをしてはいけない。当たり前の話だ。
たとえば写真だ。WEBサイトの素材やイラストの資料──。趣味や仕事で写真を必要としている人は多いだろう。ならば、有料の素材集を購入するか、もしくは取材に出向いて自分の手で撮影すべきだ。たとえばクライアント側が「こんな作品を描いてださい」と送ってきた参考資料にも、著作権の怪しい画像が使われているかもしれない。要注意である。
フリーの写真素材を集めるなら、PixabayというSNSがオススメだ。投稿者はCC0を約束して写真をアップロードするので、商用利用可、クレジット表記不要で利用できる[4][5]。写真の投稿時には運営側の審査があり、品質の低いものはリジェクトされる。高品質な写真素材を探すにはうってつけのサイトだ。
注意点は、PixabayはあくまでもSNSだということ。投稿者がどこかからパクった画像を投稿して、運営側が見抜けなかった場合、著作権がアウトな画像が掲載されてしまうこともありうる。全幅の信頼を寄せるのは危険かもしれない。
2.できるだけ古いものをパクれ
『千の顔を持つ英雄』という本がある。古今東西の神話を比較して、ストーリーの共通点を探ろうとする本だ。著者ジョゼフ・キャンベルの講義を受けて大いに感動したジョージ・ルーカスは、英雄物語の基本構造を自らの映画脚本に活かした。極端な言い方をすれば、『スターウォーズ』は『ギルガメッシュ叙事詩』のパクリだ。C3POやチューバッカは、姿を変えたエンキドなのだ。
何かをパクりたくなったら、元ネタはできるだけ古い時代のものを選ぶべきだ。
たとえば『ギルガメッシュ叙事詩』の成立は紀元前2600年ごろだという。コメディのシナリオを書くなら、古典落語が参考になるかもしれない。18禁のイラストを描くなら、江戸時代の春画からコンセプトを盗めるかもしれない。能や狂言、シェイクスピアやギリシャ悲劇。ルネサンス時代の絵画。歴史的価値のあるものからアイディアを借りるのだ。
古い時代のものを参考にするのは、ただ著作権が切れているからではない。長い時間を越えて現代まで残っているということは、時代の変化に耐えうる何かを持っているということだ。時代を選ばず人を感動させる要素。ヒトが生まれつき持っている心理機能に訴えかける要素。そういう要素をきちんと押さえているからこそ、『スターウォーズ』は映画史に残る傑作になったのだろう。
どうしてルーカスのパクリは罪にならないのだろう。
あるいは、なぜシェイクスピア『ロミオとジュリエット』をパクった『ウエストサイド物語』は、パクリだと見なされないのだろう。
それは、多大な創造的努力が払われているからだ。
古い時代のものは、そのままでは現代人を感動させられない。時代に合わせたチューニングが必要だ。たとえば『ロミオとジュリエット』における名門貴族の対立は、『ウエストサイド物語』ではニューヨークの移民の対立に置き換える必要があった。春画をヒントにエロまんがを描くとして、細目で下ぶくれの江戸時代の美人では現代人を萌えさせられない。
現代人を喜ばせるためのチューニングには、膨大な創造的努力が求められる。
充分な創造的努力が払われているのなら、古典をパクるのは罪にならないのだ。
3.元ネタをリスペクトしろ
あえて極端な言い方をすれば、『北斗の拳』は『マッドマックス(旧)』のパクリだ。『屍鬼』は、スティーブン・キング『呪われた町』のパクリだ。しかし、原哲夫先生や小野不由美先生がパクリストと呼ばれることはありえない。
なぜなら、元ネタへの敬意が垣間見えるからだ。元ネタへのリスペクトが感じられる作品は、パクリではなく「オマージュ」や「インスパイア」、場合によっては「パロディ」と呼ばれる。
そもそも、なぜパクリは悪なのか?
誰かの創造的努力にタダ乗りして、自分の作品として発表することが詐欺的だからだ。だからこそ、詐欺的なパクリをしている人は元ネタを隠そうとする。他人が作ったものであることを秘密にして、さも自分が1から作ったかのような顔をする。元ネタへのリスペクトがないのだ。敬意を払っていないからこそ、詐欺的なパクリを働けるのだ。
何かをパクったときは、元ネタを明らかにすべきだ。
自分が元ネタを好きで好きでたまらないことを告白すべきだ。元ネタへの愛が爆発した結果だと伝われば、それはパクリと呼ばれない。オマージュやパロディに昇華されるはずだ。
(※もちろんパロディには元ネタをコケにするためのものもあるのだけど……それはまた別のお話)
パロディとパクリとオマージュの違いも曖昧ですが、作り手側の意図から考えると一目瞭然。読者に元ネタを是非知っててほしいのがパロディ、絶対知られたくないのがパクリ、知ってるとより楽しめるけど知らなくとも問題ないよというのがオマージュ。
— 海野螢 (@unnohotaru) 2012, 6月 7
元ネタを明かすのが怖い?
元ネタを明かしたら炎上するかもしれない?
そんな恐怖があるなら、元ネタへの敬意が不充分な証拠だ。別のところからアイディアをひねり出したほうが身のためだろう。
◆
1.著作権に問題ないものをパクれ
2.できるだけ古いものをパクれ
3.元ネタをリスペクトしろ
何かをパクりたくなったときは、この3つのルールを厳守したい。
詐欺的なパクリを働かなくて済むはずだ。
しかし、この3つのルールを守ってもなお、パクリとして炎上する可能性はある。
偶然に似てしまう場合だ。
ヒトの脳の基本的な構造は同じだ。先進国の文化や習慣は、時代とともに似通ったものになってきた。似たような脳を持ち、似たような文化に触れて生活しているのだから、当然、アウトプットしたものが似てしまう可能性はある。
不幸なことに(あるいは悪人にとっては好都合なことに)、偶然に似てしまったことを証明するのは難しい。「元ネタを知らなかったこと」を立証するのは、いわば悪魔の証明だ。偶然の相似とパクリとを、客観的に区別することはできない。
偶然似てしまう現象に、効果的な予防策はない。
せいぜい、普段から誠実な態度を心がけておくことだろう。過去の作品を洗われたときに、疑わしい作品がざくざくと出てきた──。そうなれば当然、信頼は失墜する。どんなに「偶然だ」と主張しても耳を貸してもらえなくなる。オオカミ少年と同じだ。
パクリ疑惑が持ち上がったときに、「あの人がそんなことをするはずない」と言ってくれる人がどれだけいるか。一握りの人にしか擁護されなければ「内輪褒め」だと見なされる。
自分を信用してくれる数千人、数万人のファンを持っているかどうか。炎上の火種に対して、自発的に消火活動に当たってくれる味方をどれだけ引きつけているか。重要なことは、普段からどれだけ信頼される人物像でいられるか、だ。
たとえば、ブログの過去記事に、どこかの本からコピペしたような文章が書かれていたとしよう。しかし引用の表記は見当たらない。偶然に似てしまっただけだとしても、読む人はパクリを疑うだろう。
そうなったら、他の記事も洗いざらい調べられるはずだ。
その結果、アリストテレスを引き合いにだして「模倣は創作活動に欠かせない」と主張する記事が見つかったとする。学ぶと真似るの語源は同じだと書いてあったとする。どうやらブログの著者は模倣を肯定するようなやつらしいぞ、と読める。これで決まりだ、こいつはパクリを働いたに違いない──。そう断定されるだろう。そうなれば、どんなに偶然だと弁解しても信じてもらえない。
偶然似てしまう場合を考慮すれば、パクリを容認するような発言は一切控えるべきだ。「パクるときの3つのルール」などという記事を書いてはいけない。痛くもない腹を探られる原因になるからだ。賢明な読者諸氏におかれては、このブログを悪い手本として清廉潔白な言動を心がけていただきたい。
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※参考
[1]「詩学」は原則本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
[3]同人活動から考えるTPP 著作権侵害、非親告罪化の影響は? - シネマトゥデイ
[4]F&Q‐Pixabay
[5]商用・非商用を問わず完全フリーで使えるハイクオリティな画像検索サイト「Pixabay」 - GIGAZINE
※お断り
いま世間を騒がせているような悪質なパクリに対して私は否定的です。ものを作るときに何を参考資料に選ぶべきかを考えて、この記事を書きました。