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知識ゼロから学ぶ簿記のきほん Ep.02 (1)/なぜ任天堂は“赤字”でも倒産しないの?

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※中高生・就活生・簿記を勉強しないまま大人になってしまった社会人の方に向けた記事です!
※間違い等お気づきの点があればご教授ください。


第1話: 知識ゼロから学ぶ簿記のきほん/おこづかい帳と簿記はなにが違うのか


次:知識ゼロから学ぶ簿記のきほん Ep.02 (2)/減価償却って、なんだ?




     ◆ ◆ ◆




働きすぎは体に毒だよなぁ……。
立川駅北口のドーナツ屋、向かいの席を見て、俺はそう思った。ベリーショートの髪にパンツスーツという“デキる女”って感じの人が座っている。けれど、彼女は目の下にクマを溜めこみ、ケータイを手にしたまま機能停止しそうになっていた。ふらふらと頭が前後に揺れ始めて、あ、これはヤバいな――
と、思った矢先に、彼女は意識を失った。
ごつん、とテーブルにおでこをぶつけ、載せてあったハンドバッグが宙を舞う。カバンの中身が床に散らばり、彼女の生徒手帳が俺の足もとに滑ってきた。やっぱり、うちの高校の生徒だった。
「…………!」
彼女は跳ね起きると、腕時計に目を走らせて舌打ちした。荷物をすばやく拾い集めて、店から飛び出そうとする。
「ちょっと! 忘れ物……」
呼び止めると、颯爽とした足取りで近寄ってきた。さっきまでの寝ぼけ眼が嘘みたいだ。
「すまない。ありがとう」
男の俺でも(キュン……)ってするぐらいイケメンな笑みを向けられた。女だけど。目の下にクマがあるけれど。
「い、いえ……。ぶ、部活がんばってくださいね!」
俺の言葉に軽くうなずいて、その人は立ち去った。
俺たちの高校では、各部活動のお金儲けが奨励されている。体育会系の部活ならユニフォームにスポンサー企業のロゴを入れているし、文化系の部活では製造業からサービス業まで何でもござれだ。制服姿では取引先の大人にナメられるから、服装は自由。
「待たせたわね! すぐに動くわよ!」
だから、この子のように制服のブラウスを第一ボタンまで留めている生徒は珍しい。
「遅いよケイリさん、俺にも予定があるのに。時はカネなり、だろ?」
「時間の価値はその人の生産性によって違うわ。そういう文句は、あたしよりも時給を稼げるようになってから言いなさい」
――スチャ。彼女はそろばんを握りしめる。
「分かったら、さっさと立つ!」
この子の名前は貸方ケイリ(かしかた・けいり)。“なかよし銀行”という生徒会組織に所属している守銭奴だ。身長は小っちゃいけれど態度はデカい。三度のメシよりもカネが好き、信じられるのはお金だけ。
「ケイリさんって、そのうちロバの耳が生えてきそうだよな」
「それって、ギリシャ神話?」触ったものをぜんぶ金に変えてしまう王様の話だ。「ステキなお話よね。あたし、お金が大好きなの
このセリフを言うときだけ、ケイリさんは天使のような微笑みを浮かべる。あの王様の末路を知らないのだろうか。
店を出ると、姫カットの無表情な少女が待っていた。
「……ケイリ、もうすぐバスが出る」
黒地に赤い菊柄の振り袖を着て、首からペンダントを下げている。ペンダント・ヘッドには五百円玉大のビー玉のようなものがあしらわれていた。
「もうすぐって、どれくらい?」
「あと5分25秒」
透明な球体をのぞきこみながら、ハルちゃんは答える。九千房ハル(くせんぼう・はる)というフルネームを教えてもらったのは最近だ。一緒にのぞきこもうとしたら、ジトッと睨まれた。
「あまり近づかないほうがいい、命がおしければ」
さらりと怖いことを言う。
カリカタ・シワケ、あなたを嫌いなわけではない。わたしは男がきらい」
聞き飽きた台詞だった。ハルちゃんは、ケイリさんの後ろにぴとりとくっつき、俺を威嚇する。あ、ちなみに借方シワケってのは俺の名前ね。
「5分あれば充分だわ。さ、行くわよ!」
ケイリさんを真ん中にして、俺たち三人は――なかよし銀行・調査室のメンバーは、バス停に向かった。




       ◆




「ケイリさんって女子高生にしてはかなりお金持ちのはずだよね?」
「どうかしら。うちの高校には目玉が飛び出すほどの資産を作った女子もいるわ」
「でも、俺みたいに昼メシ代がなくて水道水でごまかす……なんて経験はないだろ?」
「たしかにそこまで貧乏ではないわね。ていうか、それ、お腹壊すわよ?」
「お金持ちなんだから、わざわざバスを使わなくてもいいじゃん。タクシーを使えばあっという間の距離だよ?」
じつはこの後、予定が控えていた。俺としてはさっさと仕事を終わらせたかったのだ。
「まったく、あんたって人は……。いい? お金持ちになりたければムダづかいは禁物よ。ケチであることは、お金持ちの必須条件だわ」
「ほんとうかなぁ……」
「ほんとうよ。だって、ゲーム業界の大物投資家はラーメンすらおごってくれないらしいし、ソーシャルメディアの雄と呼ぶべきIT企業でも来客にお茶を出さないそうよ。ケチでなければ、お金持ちにはなれないのよ」
「そのネタは、ヘヴィなブログ読者にしか通じないと思うよ」
「とにかく、あたしは出さなくていいカネは一銭たりとも出したくないの。市営バスの安さと便利さに感謝すべきね」
なかよし銀行は各部活動のカネの管理を一手に引き受けており、学外の一般企業とも数百億円単位の取引をしている。俺たち調査室は、銀行の営業部や与信部とは独立した、いわば遊撃部隊だ。ところが、ケイリさんが入学するまでは「腐りきっていたわ!」とのこと。彼女は先輩たちの不正を次々に暴いて、追い出して、一年生でありながら室長の立場に収まった。
「先輩たちがめちゃくちゃなことをしてくれたから、どの部活もいまは業績が悪化しているの。倒産件数も減ってないし」
そろばんを弾きながら、ケイリさんは言う。
「ところでケイリさん、前から気になっていたんだけど……」
俺は声をひそめて耳打ちする。ケイリさんのほっぺたが、なぜか赤くなった。
「な、なによ改まって…… ち、近づきすぎよ……
「いや、こんなことを今さら聞くのも恥ずかしいんだけどさ」
「恥ずかしい……? いったいなんなの?」
「うーん、やっぱり言いづらいなぁ……」
「煮え切らないわね、さっさと言いなさいよっ」
「そもそも“倒産”って、なに?」




「「――はあ!?」」




ケイリさんとハルちゃんの声がハモった。ハルちゃんがこんな大きな声を出すのを見たのは初めてだ。
「……さすがのわたしでも、それは引く」
「ありえないわね、なかよし銀行に所属していながらそんなことも知らないなんて」
ハァ……と、ため息を落として彼女はそろばんを握りなおした。
――スチャ。
「いい? 倒産っていのうは、一言でいえば“カネが返せなくなること”よ。約束した金額を期日までに返せなくなって、銀行との取引が中止されてしまうこと。企業として経済活動ができなくなること。それを倒産と呼ぶわ」
「銀行との取引がなくなると、“倒産”しちゃうの?」
「大雑把にいえば、その通りよ。どんな企業でも、まずは銀行からカネを借りて、そのカネで商品を仕入れて、利益を載せて売上げを出して、利子をつけて返済する……。そういうカネの流れを持っているでしょう? このカネの流れは、大企業だろうと自営業の個人だろうと同じよ。そして、このカネの流れが止まってしまえば、経済活動そのものができなくなる」
「つまり、店じまいするしかなくなる……?」
「そういうこと。法律的には“破産”、“会社更生”、“民事再生”などいくつかのパターンがあるけれど、どれも“倒産”であることに変わりないわ。たとえ黒字を出している企業でも、資金繰りの手違いで返済が滞れば“倒産”するの。あっけないものよ」
「……? 黒字でも“倒産”することがあるの?」
「ええ。黒字、赤字といった企業の業績は、現金(キャッシュ)の流れとは一致しないわ」
「日本語でおk」
「たとえ黒字を出していても、現金が足りなければ倒産の危険性があるわ。逆に、どんなに大赤字を出しても、充分な現金を持っている会社は倒産しない――」
ケイリさんはハルちゃんに目配せをした。
「実例を見せたほうが早いわね。ハルちゃん、ちょっとお願い」
ハルちゃんはペンダント・ヘッドを手のひらに載せた。大きめのビー玉に見えるこの球体は、じつはiSphereというマルチ・デバイスなのだ。ハルちゃんがふっと息を吹きかけると、俺たちの前に立体映像が投影された。
「これは2012年3月期の任天堂株式会社の財務諸表よ」




「財務諸表については前にも説明したことがあるけれど、覚えているかしら」
「説明? はて、そんなことがあったかな……」
「ほんと、あんたって初代プレイステーションみたいな人間ね」
「傑作だらけってこと?」
「本体だけじゃセーブできないってこと」
ケイリさんは、ハルちゃんのiSphereに向かって指を振った。立体映像が切り替わる。



「かいつまんで説明するけど、財務諸表というのは企業の“通信簿”みたいなものよ。たとえば私たちの成績は、科目ごとの得点とか教師からの特記事項とか、いろいろな要素から評価されるでしょ? 同じように企業の成績も、売上や利益の金額とか注記事項とか、様々な部分が評価の対象になっている。だから5つの表を使って、成績を開示するの。この5つの表をまとめて“財務諸表”と呼ぶわ」
財務諸表のなかでもとくに重要視されるのが、損益計算書(PL)と貸借対照表(BS)だという。損益計算書は英語でProfit & Loss だからPLと呼ばれ、貸借対照表はBalance SheetなのでBSと呼ばれる。
「損益計算書(PL)は一定期間の収益や支出をまとめたもの、貸借対照表(BS)は一定時点での企業の“持ち物”をまとめたものだわ」
「……えっと、どういうこと?」
「ある1日の売上金額を見ても、その企業の実力はわからないわ。ゲーム会社ならクリスマス前や夏休みの時期に売上が伸びるはずだし、逆に、オフシーズンでは売上が落ち込むはず。だから収益や支出については、1日分の金額ではなく、一定期間での金額を見なければ意味がない。この一定期間のことを“会計期間”と呼ぶの。4月から3月末までの1年間を会計期間にするのが一般的ね」
たしかに、任天堂のPLには(2011年4月〜2012年3月)という日付が書かれていた。
「それに対して、たとえば現金や在庫品はどうかしら? 入金があった日には現金残高は増えるはずだし、商品を発送した日には在庫品の残高は減る。現金や商品のような“企業の持ち物”は、毎日、残高が変わってしまう。だから特定の日を決めて、その日の残高で企業の成績を評価しなければいけないの。この特定の日のことを“決算日”と呼ぶわ」
そういえば任天堂のBSには(2012年3月末)という日付が書かれていた。3月31日のことだろう。
「BS、PLにどんなものが書かれているのかは、なんとなーく分かったよ。でも、いまの話が『赤字でも倒産しない企業』に関係あるわけ?」
「大ありだわ。よく見て、2012年3月期の任天堂株式会社は巨額の赤字を計上しているでしょう。608億円の経常赤字、432億円の純損失を出しているわ」
「ちょ、ちょっと待って。俺は任天堂1社の赤字について聞いたんだ。どうして2つの数字が出てくるの?」
「……利益や損失は、1種類じゃないから」ハルちゃんが答えた。「利益や損失には、5つの種類がある。ケイリはいま、そのなかでも重要な2つをあげた」
「そうよ」とケイリさんは立体映像を指さした。





「“利益”という言葉を聞いた場合、シロウトは総収入から総支出を差し引いた“純利益”のことをイメージしてしまいがちよね。でも、この表に書かれているとおり、実際には5つの種類があるわ」
と、表のいちばん上に手を伸ばす。
「まず売上から売上原価を引いた“売上総利益”というものがあるわ」
売上原価とは、商品の仕入れや製造に必要な支出のことをいう。広告宣伝費などは含まれない。
「つまり売上総利益を見れば、商材そのものの収益性がわかるの。売上総利益どれぐらい儲かる商品を扱っているかを示した数字なのよ。この時の任天堂の場合は、6,476億円の売上高に対して、売上総利益が1,536億円だから――」
ケイリさんはぱちぱちとそろばんを弾く。

2012年3月期・任天堂
売上総利益 153,654百万円 ÷ 売上高 647,652百万円 = 売上総利益率23.7%

「――23.7%の利益率だったわけね。この年の任天堂は売上が伸び悩んでいて、最終的には赤字を出してしまった。にもかかわらず、2割以上の利益率を維持している。ゲームは、わりと利益率の高い商材なの。たとえば印刷業なんかは利益率が薄くて、調子のいい年でも1割弱ぐらいだったりする。ゲームはヒットさえすればボロ儲けできるけれど、ヒットを出すのが難しい。そういう商材だと言えるわ」
「なるほど」
「お次は“営業利益”ね。売上総利益から、販売費および一般管理費を引いた金額を、営業利益と呼ぶわ」
「販売費および一般管理費って?」
「たとえば広告宣伝費とか、あとは営業や事務の人たちの人件費とか――。仕入れや製造には関係ないけれど、営業活動には絶対に必要な支出があるでしょう? それを販売費および一般管理費というの。略して“販管費”って呼ぶ場合もあるわね」
「うーむ」
うなずきながら、俺は天井を見上げる。青白い照明が車内を照らしていた。
「たとえば電気代なんかは、販管費になるのかな?」
「いいところに目をつけたわね。たとえば製造業の場合、工場の電気代は売上原価に含まれて、事務所や営業所の電気代は販管費に含まれるわ」
ケイリさんは腕を組む。
「いずれにせよ、“営業利益”は企業が本業でどれほど儲けているのかを示した数字だといえる」
「本業?」
「そう、本業。任天堂ならゲームや周辺商品の開発・製造・販売ね。たとえば株式の売買とか、土地や建物の賃貸とか、本業以外でもカネを稼ぐ手段はある。銀行にカネを預けているだけでも利子収入が発生する。――こういう営業外の取引は、営業利益には反映されていないわ。その企業が、本業だけでどれほど儲ける能力があるのか。それを示したのが営業利益なの」
「……かなり大事」とハルちゃん。
ケイリさんもうなずく。
「最終的な決算が赤字だとしても、本業で儲けている企業なら――営業利益が黒字なら――数年後に持ち直す場合が多いわ。たとえば建物が地震で壊れたり、持っていた株券がリーマンショックのような大暴落で紙くずになってしまったり……。そういう一時的なハプニングで損失を出したとしても、本業できちんとカネを稼いでいれば、そのうちリカバリーできるでしょ?」
「で、でも待ってよケイリさん! この年の任天堂って……」
「営業利益が赤字――。営業損失を計上しているわ。“わりとヤバい”ってことになるわね」
「そんな……」
「説明を続けるわよ。本業の儲けである“営業利益”に、利子収入などを加味したものを“経常利益”と呼ぶわ」
「さっきケイリさんが言っていたやつだよね」
「銀行預金を持っていない企業なんて、まずありえないわ。本業とは関係なくても、毎年必ず利息の収入が発生する。借金がある場合は、支払利息も定期的に発生するわね。――本業以外の部分まで含めて、企業が企業として経営を続けた結果が経常利益なの」
任天堂のPLを見ると“為替差損 (かわせさそん)”って言葉が書かれているよね? これは?」
外国為替の値動きによる損失のことよ」
「ガイコクカワセノネウゴキ……」
「呪文みたいに唱えないでよ。任天堂は世界中で商売をしているから、外国の銀行にもお金を預けているはずでしょ? アメリカのドルとか、ヨーロッパのユーロとか、イギリスのポンドとか……。そういう外貨預金の残高は、日本円に換算してからBSに反映するの。たとえば為替相場が1ドル80円のときに1万円分を預け入れたとしましょう。すると、125ドルの外貨預金ができる」
ケイリさんはそろばんを弾く。
「ここで、もしも3月末の為替相場が1ドル79円だったとしたら? 125ドルの外貨預金は、BS上では9,875円として計上される」

10,000円÷@80(¥/$)= 125ドル
※外国預金を作ったとき

125ドル×@79(¥/$)= 9,875円
※3月末にBSに反映するとき

「銀行に預けたときは一万円だったのに、3月末には9,875円に減ってしまった。差額の125円の損失が発生しているわ。これを“為替差損”として営業外損失に計上するのよ」
「損失だけじゃなくて、利益が出ることもあるんじゃない?」
「……その場合は“為替差益”になる。営業外収益に計上」
「ありがと、ハルちゃん。――ともあれ、“経常利益”には、特別なハプニングによる収益や支出は含まれていないわ。企業がふつうに経営活動を続けた結果として生み出された利益なの。“営業利益”が企業の本業の収益力を表しているとしたら、“経常利益”は企業の総合的な収益力を表しているといえるわね」
「本業の収益力と、総合的な収益力、かぁ……。それじゃ、特別なハプニングによる収支を含んだらどうなるの?」
「それが“税引前当期純利益”よ。土地や建物を売却した場合の収入は“特別利益”に計上するわ。また、地震で建物が壊れたり、株価が暴落したり……そういう突発的な損失を“特別損失”に計上するの。“経常利益”に特別利益を足して、特別損失を減じたものが“税引前当期純利益”ね」
「税引前――っていうのは……?」
「その名の通り、法人税地方税を加味していない利益のこと。日本の税制では、“税引前当期純利益”の金額を基準にして支払うべき法人税の金額が決まるわ。そして税金を差し引いた最終的な金額を“当期純利益”と呼ぶ。長くなったけれど、ぜんぶ覚えてね」
商材の収益力を示す“売上総利益
本業の収益力を示す“営業利益”
総合的な収益力を示す“経常利益”
税額計算の基準になる“税引前当期純利益
そして、最終的な儲けの金額である“当期純利益
「……ふぅ〜!頭ん中がパンパンだぜっ!」
「大企業が黒字を出した、赤字を出した――というニュースを見かけるけど、これからは“どの部分の利益で黒字・赤字を出しているのか”まできちんとチェックしなさい。同じ“赤字”でも、当期純利益だけが赤字なのか、営業利益から赤字なのかによって、深刻さが全然違うわ」
「それで、赤字でも倒産しない企業の秘密について、だったよね」
「そうね。さっきも言ったけど、ゲームは業績が乱高下しやすい商材なの。ヒットすれば儲かるけれど、ヒットを出すのが難しい。だから売上や利益が、年によって大きく上下するわ。そして、ときには赤字を出してしまう」
「ということは、年によって売上や利益がほとんど変わらない企業もあるってこと?」
「するどい、その通りよ。……そうね、ためしに任天堂を、もっと業績の安定している企業と比べてみましょうか。任天堂と同じぐらいの規模の売上高で、同じ関西の企業で……。そうだ、あそこなんてどうかな」
ケイリさんが言い切るよりも先に、ハルちゃんが指を振った。新しい立体映像が浮かび上がる。




「あのさ、ケイリさん……」
「なぁに?」
任天堂と同じくらいの規模の売上高、って言ったよね?」
「そうね」
「だけどJR西日本の売上高は1兆2,876億円で、任天堂の倍ぐらいあるよ!?」
任天堂の売上高は6,476億円だったはずだ。
「甘いわね」とケイリさん。「財務諸表を見るときは、単年度のものだけを見ても意味がないわ。最低でも3年分、できれば5年分の資料を比較しなければ、その企業のほんとうの能力は分からない。……ハルちゃん、お願い」
「……らじゃ」



「この資料は、過去5年間の任天堂JR西日本の業績を一覧にしたものよ」
2011年度とは、2011年4月から2012年3月末までの会計期間のことをいう。
「これを見ると、2011年度の任天堂はとくに業績が悪かったのだと分かるわ」
「たしかに、それ以前の4年間は1兆円以上の売上高を出しつづけてる……」
「それじゃ、JR西日本はどう?」
「1兆2,000億円前後の売上をキープしてる。たしかに任天堂に比べるとずっと安定してそうな感じがするよ」
「グラフにすると、もっとハッキリするわ。……ハルちゃん!」
間髪入れず、ハルちゃんは立体映像を切り替えた。



「うわ、これはすごい……」
任天堂の売上高は2008年度に1兆8000億円を超えているのに、2011年度には6000億円程度と、3分の1ぐらいまで落ち込んでいる。比べてJR西日本の売上高は、ほとんど横一直線だ。
「鉄道会社の売上は、そうそう変わらないわ。ゲームは、面白くなければ誰も遊ばなくなる。けれど鉄道の乗客は、そう簡単にほかの交通手段に変えたりしない。通勤や通学で、毎年、同じくらいの人数が使ってくれる。だから業績がとても安定しているの」
「業績ってことは、売上だけじゃなくて利益も?」
「そうよ。ハルちゃん、お願い」



「このグラフを見れば明らかね。ゲーム会社の任天堂は、利益を出せるときにはボロ儲けしている。世界的に大ヒットしたWiiは2006年12月発売だから、2007年度、2008年度はWii関連の売上だけでもかなり儲けていたはずよ。けれどヒット商品に恵まれなかった年は、あっという間に赤字に転落しているわ。これに対して鉄道会社のJR西日本は、毎年ほぼ一定の利益を出し続けてる」
「でも、利益がすごく薄い……?」
「そうなの。電車って、ゲームに比べれば利益率の低い商材なの。車両や線路のメンテナンスに莫大な金額がかかるし、燃料費もバカにならない。管理に必要な人件費も膨大だわ。コンピューター1つでプログラミングできるゲームソフトに比べると、原価や販管費がどうしても高くついてしまうのね」
「売上高が安定しているからって、“すげー儲かる”わけでもないんだな」
「そうね。鉄道の場合、社会的な責任も大きいわ。日本人は時間にうるさいから、ちょっとした遅延でもたくさんの人に損害を与えてしまう。まして事故なんて絶対にあってはならない。安定して利益を確保できる反面、やるべきことは多いわ」
「ゲーム会社には社会的責任はないの?」
「ないわけじゃないけど、鉄道会社ほど大きくはないわね。ゲームがなくても死ぬわけじゃないし――」
「俺はゲームなしじゃ生きていけないよ……」
「なら一人で死になさい。……ゲームは生きていくうえで“絶対に必要”というわけではない。嫌いなゲームは遊ばなければいい。だからこそ、社会的な責任よりも“面白さ”を追求すべきなのよ。社会の常識で縛り付けてしまったら、いい製品なんて生まれない」
「ゲームが子供に悪影響を与えるっていう批判もあるけど……」
「子供のしつけは、ゲーム会社だけの責任じゃないわ」
「うーん、そういうものかなぁ……。まあ、ゲーム会社が鉄道ほど安定していないっていうのは分かったよ。ヒットを出せるかどうか、ちょっとしたバクチみたいな商売なんだね」
「バクチ、ね……。たしかに言い得ているわね。ヒット作に恵まれなければ、“営業利益”から赤字になってしまう。本業から、儲けが出なくなってしまう。バクチみたいな事業だからこそ、財務的には堅実で健全な経営をしなければいけない」
「財務的に堅実で……えっと、なんだって?」
「いつでも充分なカネを持っていなければいけないってこと。……さっき話した“倒産”の条件、覚えてる?」
「カネを返せなくなること、だっけ?」
「そうよ。逆に言えば、どんなに大赤字でもカネを返し続けているうちは倒産しない。2011年度の任天堂は、PLだけを見れば“営業赤字”でかなりヤバそうに思える。だけどBSを見ると、そうでもないと分かるはずよ」



「BSの貸方 (※右側)を見て。流動負債というのは、一年以内に期日が来る債務のことよ。簡単に言えば“近いうちに返さないといけないカネの額”が流動負債には書かれている」
「1,554億円か。すさまじい金額だなぁ……」
「ええ、すさまじく少ないわ」
「少ない!? この金額が?」
「あんたのバイト収入に比べたら、天文学的な金額でしょうね。でもね、企業と個人は全然違うの。日常的な感覚は捨てなさい。任天堂流動負債の金額は、この規模の会社にしては驚くほど少ないわ」
「会社の規模、か……」
「BSの左下、資産合計と書かれている欄を見て。任天堂の“資産総額”は1兆3,684億円ね。資産っていうのは“企業の持ち物”のことだから、任天堂の持っている設備や在庫品、銀行預金などの総額が、この金額ってこと。――この規模の会社なら、ふつうはもっと流動負債があってもおかしくないのよ。だけど任天堂流動負債は1,554億円、資産総額のわずか1割弱」
「……財務的には、かなり安全な経営をしている」
「極めつけは現預金の残高ね。任天堂の“現金及び預金”は4,620億円、流動負債の3倍近い金額だわ。さっきも言った通り、流動負債というのは1年内に返済しなければいけない債務のことよ。つまり任天堂は3年分の借金返済に充てられるほどの現金を確保しているということになる。もしも仮に1円もカネが入ってこなくても、任天堂は3年間は倒産しない」
「ほぉ〜、なるほど!」
赤字を出しても、すぐに倒産しない理由が分かった。
「現金はたくさんあればあるほど“いい”んだね!」
「そうとも限らないわ」
「どうして? 倒産しづらくなるんでしょう」
「ええ。だけど現金は、現金のままでは利益にならない
「!?」
「その現金を使って製造設備を建てて、原材料を買って、製品を作って――いわば現金を“商品”に交換して、それを売らなければ、利益を出すことはできない。現金が豊富 (キャッシュ・リッチ)だからといって、経営者が優秀だとは限らないわ。ほんとうは任天堂だって、この現金を使ってもっと色々なことに挑戦したいはず。だけど、ゲームというバクチみたいな事業だからこそ、赤字になったときに備えて多めに現金を持っていなければいけない。財務的には堅実かつ健全でなければいけないの」



JR西日本のBSと比較すれば、ハッキリとわかるはずよ」
「現預金の残高が506億円で、それに対して流動負債は……5,468億円!? 10倍以上じゃん! だ、大丈夫なの?」
「大丈夫だと思うわよ。鉄道事業は、収益が安定している。だから債務の返済計画も立てやすいの。3月31日時点での預金残高が流動負債の10分の1だとしても、電車が動いている限り、毎日かならず現金収入がある。預金が枯渇 (ショート)して、債務が返済できずに倒産――なんて、まずありえないわね」
「な、なるほど……」
「ほかにも気づくところはないかしら? 任天堂のBSと比較して、JR西日本のBSにはどんな特徴がある?」
「うーん、えーと、うぅむ……」
「たとえば、資産総額はどうかしら?」
「資産の合計金額は……2兆6,429億円、任天堂の2倍ぐらいあるね」
「資産っていうのは、企業の持ち物のことよ。JR西日本はどんなものを持っているかしら?」
「電車の車両、とか……?」
「ほかにも線路などの“構築物”や、その下の“土地”、駅舎の“建物”や整備のための“機械装置”があるはずよね。こういうものをまとめて“有形固定資産”と呼ぶわ」
「有形固定資産だけで2兆円以上か……」
「資産総額の大部分を占めているわ。鉄道会社ならではのBSだと言える」
「ねえケイリさん、固定負債っていうのは何? これも1兆円以上あるけど……」
「解消されるまでに1年以上かかる負債のことよ。大雑把にいえば、返済までに1年以上猶予のある債務のこと。すぐに返さなくていい借金のことだわ。鉄道会社は収益が安定していて返済計画を立てやすい。だから銀行から長期的な融資を受けやすいの」
「……銀行から見ても、理想的な融資先」とハルちゃん。「貸したお金を踏み倒される危険性が低い。長期的な収入源になる」
「日本では毎年何百社も新しい会社が生まれているわ。だけど、そのほとんどは10年以内に倒産して消えている。カネを貸すのもバクチなのよ。でも、鉄道会社は10年ぐらいじゃ無くならない。鉄道会社にカネを貸すのは、必ず勝てるバクチなの」
「必ず勝てるバクチかぁ(ジュルリ」
「損益計算書(PL)や貸借対照表(BS)を見るだけで、いろいろなことがわかるわ。その企業の収益性や、倒産の危険性、ときには経営者の考え方まで、BSとPLには反映されている。財務諸表の分析は、企業を調査するときのキホンね」



話しているうちに、バスは目的地に着いた。
駅前から20分ほど、バス停に降り立つと、目の前に白い外壁が迫っていた。
「ここが園芸部の工場ね!」
高さは3階建てぐらい、幅50メートルほどの建物だ。完成したばかりだと聞いている。
「さ、仕事しましょうか」
「ケイリさん、今日はどれくらい時間かかるかな。長くかかりそう?」
「さっきからしつこいわね。時はカネなりだとか、タクシーを使ったほうが早いとか……。なんなの? なにか用事でもあるわけ?」
「いや、それが……じつは……」







――つづく!








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