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「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

知識ゼロから学ぶ簿記のきほん Ep.02 (2)/減価償却って、なんだ?

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※中高生・就活生・簿記を勉強しないまま大人になってしまった社会人の方に向けた記事です!
※間違い等お気づきの点があればご教授ください。




第1話: 知識ゼロから学ぶ簿記のきほん/おこづかい帳と簿記はなにが違うのか


知識ゼロから学ぶ簿記のきほん Ep.02 (1)/なんで“赤字”でも倒産しないの?
:(未定)



     ◆ ◆ ◆




時間は少しだけ戻る。今日の昼休みのことだ。
「借方殿! 借方シワケ殿!」
「……どの?」
こんな呼び方をするヤツは、クラスに一人しかない。
「あいどるに……興味はござらんか!?」
「いきなり何っすか、岡さん……」
くどいようだが、この高校では服装が自由だ。取引先の大人からナメられないように――という目的はあるものの、誰もが身だしなみに気を使うわけではない。当然、岡さんのような格好になってしまう生徒もいる。
「さよう」と岡さんはチェックのネルシャツの裾をベルトに入れ直した。なぜか指先の切れた革の手袋をはめている。「アイドルでござる。拙者と……その……握手会に馳せ参じぬか!?」
「えーと、なんでまた俺と……?」
クラスメイトとはいえ、岡さんとはあまり会話がない。「さん付け」で呼んでいるあたりから、俺たちの距離感を察してほしい。
「ちょwwwウケるwwwwソッコーで拒否られてんのwwww借方マジやべえwwwベリwwwパネェwwww」
「いや、拒否ってわけじゃ……。つーか、尾登さんも何の用っすか?」
尾登 (おとう)さんは肌と服が黒く、髪が黄色い。耳にはピアスが鈴なりにぶら下がっている。岡さんと尾登さんは、このクラスに3人いる“ちょっと浮いてる人”カテゴリの一員だ。ちなみに3人目はケイリさん。俺自身が4人目になっていないことを切に願いたい。
「じつは、拙者のもとにこのような果たし状が――」と、岡さんは旧世代のスマホを差し出す。なにやらファンキーな絵文字を多用した文面が踊っていた。

はじめまして!
“リリー・オブ・ザ・バリー”への会員登録、ありがとうごさいます!
当サークルは「アイドル養成組織」です。みなさまには、お気に入りの女の子のプロデューサーになっていただきます。私たちと一緒に、あの子をトップアイドルへと育てませんか?

「“リリー・オブ・ザ・バリー”かぁ〜」
「ご存じか?」
「名前だけなら」
イベントの企画運営を収益源にしている部活だ。最近では「アイドルを育てる」というコンセプトでライブ運営や飲食店経営などを行っており、ニュースサイトのバナー広告やテレビCMでも目にする機会が増えた。
「でも、なんで握手会に俺を?」
「続きを読んでいただきたいッ!」

※私たちの事務所「オイリーハウス立川」にお越しの際にこのメールをご提示いただくと、特別優待として30分間のフリートークタイムをプレゼント!
※いまならダブルチャ〜ンス! 限定企画として、お友だちを2人ご招待いただくたびにフリートークタイム1時間を大サービス♪ この機会を見逃しちゃダメだぞ☆

「事務所っていうのは、あの派手な建物のことだよな?」
立川駅の南口で、ひときわ異彩を放っているビルだ。和風とも中華風ともつかない外観で、軒先には提灯やランタンを下げている。“事務所”とは名ばかりで、飲食店とライブハウスの入居した商業施設だ。
「で、フリートークタイムっていうのは――」
「女と一対一で喋る時間のことだよwww俺のwwww最高にクレバーな口説きテクをwwww見せてやるwwww」
「“女”などと下賤な呼び方をするでないッ! あいどるでござるっ! それに口説くとは何事か! 大切な打ち合わせの時間であるぞ!」
岡さんの発言には解説が必要だろう。
“リリー・オブ・ザ・バリー”の事務所「オイリーハウス立川」には飲食店が入居しており、所属のアイドルたちがウェイトレスをしている。“プロデューサー”として迎え入れられた客たちは、カネを払えば“打ち合わせ”と称してアイドルと一対一でおしゃべりできる、という仕組みだ。――たぶん。
俺は行ったことがないので想像の域を出ないけどね。
「で、岡さんはこの特典に心惹かれて、一緒に行く仲間を探しているんだね?」
「さよう。まずは尾登殿に声をかけもうした」
「ベリパネェwwwwマジウケるwwwww乗るしかないwwwwこのビッグウェーブにwwww」
うーむ、尾登さんの喋り方は疲れるなぁ。
「それで、三人目に俺を選んだ理由は?」
「気を悪くしないでいただきたいのだが……。拙者たちと同じく、クラスで“ちょっと浮いてる”カテゴリでござろう?」
「ええっ!」
いやいや待て待て、ござろう?って。疑問形で言われても困る。
「しかるに拙者は、借方殿のことが同胞として以前から気がかりでもうした。どうだ、借方殿。この機会に拙者たちと親睦を深めr――」
「ストップ、すとぉぉっぷ!」一緒にすんな、とはさすがに言えない。「きょ、今日は用事があるんだ。せっかく誘ってくれたのに悪いけど……」
「“リリー・オブ・ザ・バリー”の経営www気にならねーの?wwwww」
「……!?」
経営?
「昔は弱小な部活だったのにwww二年連続で増収増益wwww純利益が200%で成長してるwwww」
利益が毎年2倍ずつに増えているということだ。
「超もうかっててww今年も去年の倍ぐらいのw利益が出せる見込みらしっすwwwパネェwwww」
「お、尾登さん! その話はホント!?」
200%の成長を3年続けるとは、つまり利益が2倍×2倍×2倍に――8倍になるということだ。尋常じゃない。
「つかwwwwこの高校の生徒ならwwww常識の範囲内ってーかwwwすっげうわさになってるしwwwwwwwオレ、アイドルには興味ねーけどwwwカネ儲けには興味あるわwwwww」
なるほど。たしかに広告をバンバン打っていることからも“リリー・オブ・ザ・バリー”の羽振りのよさがうかがえる。ここは一つ、経営の秘密を探ってみるのは悪くないかも。もしかしたら女の子とも仲良くなれて一石二鳥? むふふ……。
「わかった、行くよ! 一緒に行かせてくれ!」
「おおっ!さようでごさるか! これは頼もしい。では今日の夕刻の――」




     ◆




で、岡さんから指定された時間が思いのほか早くて、なかよし銀行の仕事と重なってしまったというわけだ。
……さすがにケイリさんには言えないよなぁ。
きっと「遊びと仕事のどっちが大事なの!?」って叱られる。もちろん遊びのほうが大事だけど、ケイリさんが納得するとは思えない。
「時はカネなりだとか、タクシーを使ったほうが早いとか……。なんなの? なにか用事でもあるわけ?」
「いや、それが……じつは……人には教えられないんだ」
「ふぅ〜ん?」
じっとりとした視線を向けられた。
「人に教えられないような予定、ねぇ……?」
「さ、さあ! 早く仕事にかかろうよ! お客さんも待ってるんでしょ!?」
ケイリさんの背中を押して、俺たちは工場に入った。




「園芸部って名前だけど、土も畑もないんだな」
「落成したばかりというだけあって、ぴかぴかね……」
「ここでは作物の加工を専門に行っています。佃煮は真空パックと缶詰の2つの製造ラインがあります。あとはおせんべいと、おまんじゅうと――」
園芸部の歴史は古く、部活動の“お金儲け”が始まる前から存在しているらしい。そのころは花を育てたり、ときどき造園したりするのが活動内容だったそうだ。が、いまでは広大な畑と水耕栽培施設を持ち、農作物を首都圏全域に向けて出荷している。
「この工場では、おもにウドの加工食品を作る予定になっています」
真っ白な廊下を歩きながら、エリカさんが解説する。彼女は園芸部の経理担当者だ。
「ウド? なにそれ」
「あんた、ウドを知らないの? この高校の生徒なのに? 立川で暮らしてるのに!?」
「立川が関係あるの?」
「ハァ……。あんたの頭ってウドみたいに空っぽね」
「な、なんだとっ!」
ウドの正体は分からない。けれど、褒められていないのは分かる。
「ふふふ、お二人は仲が良いんですね」とエリカさん。
「「よくないっ!」」
思わず声がハモって、ますます気まずくなる俺たち。
ハルちゃんが言った。
「……立川は、ウドの生産量が日本一」
「そのとおりです。うちの高校の生徒なら、どなたもご存知だと思いますよ」
「……ウドを食べるのは日本ぐらい。つまり世界一の生産量を誇るということ」
喋りながら、廊下のつき当たりまでたどり着いた。壁の一部がガラス窓になっていて、眼下に製造ラインを見下ろせる。
「あれがウドです」とエリカさんが指さした。
泥まみれの白くてひょろ長い野菜が、ロボットアームで次々にベルトコンベアに載せられていた。ラインの途中にはシャワーを吹き付ける装置があり、それをくぐると真っ白な表面が露わになった。
「あれが、ウマいの?」
危うく「あんなのが」と口走りそうだった。青白くて、あまり栄養がありそうには見えない。もやしの親玉みたいな雰囲気だ。
「……酢味噌で食べると最高」
ハルちゃんはつぶやいて、こくりとつばを飲み込んだ。
「低カロリーな健康食として、何年か前に大ブームになったのよ? あんた覚えてないの?」
「まったくの初耳だよ」
「そのブームのおかげで、この工場を建てることができたんです。……それでは、どうぞこちらへ」
俺たちは工場の応接室に通された。




帳簿をめくっていたケイリさんが顔を上げた。
「……経理処理は、とくに問題なさそうだわ」
「よかった! ありがとうございます」
エリカさんの顔がパッと明るくなる。
「ちゃんと固定資産に計上すべきものとそうでないものを区別しているし、減価償却の方法は間接法を採っている。今のところ文句なし、って感じね」
俺は無言で二人のやりとりを聞いていた。ハルちゃんは立体映像に囲まれて作業を続けている。会計システムの構造を確認しているらしい。
ハルちゃんの作業も、ケイリさんたちの会話も、俺にはちんぷんかんぷんだ。
「あとはキャッシュフローだけど……」
「あ、それは大丈夫だと思います。財務的には余裕を持った経営をするのがうちの部活の方針なので」
「ええ、心配しているわけじゃないわ。でも、念のため銀行預金の残高表を見せていただけるかしら?あと当座照合表も必要ね」
「わかりました。ちょっと待っててくださいね!」
にこやかに笑ってエリカさんは応接室から出て行った。相手の仕事ぶりがしっかりしているからか、ケイリさんは機嫌が良さそうだ。
「カネの管理が堅実だと、心が安らぐわね♪」
「えーと、ケイリさん。ご機嫌なところに水を差すようで悪いんだけど――」
「なぁに?」
「固定資産って、なに?」
「もぉ〜、さっきも話したでしょ? 土地とか建物とか、あとはソフトウェアみたいな、何年も使い続ける資産のことよ」
それは知っている。貸借対照表(BS)に載っていた。
減価償却とか、計上すべきものとそうでないものがあるとか言ってたけど、あれはどういう意味?」
「まったく、少しは勉強しなさいよね!」
言葉はいつも通りだけど、口調は軽やかだ。ケイリさんはそろばんを握る。
――スチャ。
「すごく基本的なことからおさらいするわよ? たとえば、この工場を建てるために一億円の土地と、一億円の建物と、一億円の機械装置が必要だったとしましょう。全額を現金で支払ったとしたら、どんな仕訳を切ればいいかしら?」
「うーん、こんな感じかな?」

【借方】建物   ¥100,000,000- /【貸方】現金 ¥100,000,000-

【借方】機械装置 ¥100,000,000- /【貸方】現金 ¥100,000,000-

【借方】土地   ¥100,000,000- /【貸方】現金 ¥100,000,000-

「正解。ちなみに、これを1つの仕訳にまとめることもできるわ」

【借方】建物   ¥100,000,000- /【貸方】現金 ¥300,000,000-
    機械装置 ¥100,000,000- /
    土地   ¥100,000,000- /

「ここでは簡単にするために“一億円”っていう金額にしたけれど、実際にはもっと複雑な取引になるわ。大事なのはこの一億円の内訳よ。――たとえば園芸部の場合、トラックを何台も持っているわ」
製品を出荷したり、畑の土を移したりするためだ。
「そういう自社のトラックを使って建設資材を運搬した場合、ガソリン代や運転手の人件費は“建物”の取得金額に含めるべきかしら? それとも野菜を運ぶときと同じように、売上原価や販管費として処理するべきかしら?」
「う……それは……」
建設に必要だった費用なら、建物の金額に含めたほうがいいような気がする。でも、トラックの運転手にとっては、運ぶものが農作物だろうが建設資材だろうが、仕事内容はあまり変わらない。
「困った、って顔をしてるわね」
ケイリさんはくすりと笑う。
「正解をいえば、建物の購入に必要だったカネはすべて、原則として“建物”の金額に含めなければいけないわ。建設資材を運んだときのガソリン代も、“建物”の取得価額に含まれるの」
「なるほど〜!」
「ただし、あくまでも“原則として”ね。ものによっては、“建物”の金額に含めなくていい支出もあるわ。たとえば不動産取得税や登録免許税は、固定資産の金額に含めるか、それとも費用として処理するか、選ぶことができる」
「む、むずかしい……」
「まあ、細かいことは少しずつ覚えていけばいいでしょう。とりあえず今は、要点だけを押さえて。固定資産を取得した時の出費には、固定資産として計上すべきものと、そうでないものがある。これだけは覚えておいてね」
「固定資産として計上する――っていうのは?」
「固定資産の金額に含めるって意味よ」
う〜ん。ここまで、そろばん攻撃なし。今日のケイリさんはちょっと気持ち悪いぐらい上機嫌だ。エリカさんがしっかり者でよかった!
「それじゃ、“減価償却”っていうのは何?」
「固定資産を取得した場合、支払ったカネは費用として計上されないわ。その固定資産の耐用年数にあわせて、数年間に分割して費用として計上するの」
「――はて?」
「もう、ニブイわね! たとえば、機械装置を取得したときの仕訳を見てごらんなさい」

【借方】機械装置 \100,000,000- /【貸方】現金 \100,000,000-

「これを見て、なにか気づくことはない?」
「うーん、気づくことと言われても……。現金を減らして、機械装置を増やす。そういう仕訳だよな?」
「じゃあ、ヒント! 現金は、財務諸表ではどこに記載される?」
「えっと……。貸借対照表(BS)の借方?」
「正解。じゃ、機械装置は?」
「こっちも貸借対照表(BS)の借方だ」
「そうよ。つまり、この取引は貸借対照表(BS)の中で数字が動いているだけ、ってことになるわ」
「ああ、そうか。現金が減って、機械装置が増える――要するに、現金が機械装置に入れ替わっているだけなのか……」
「さらに言えば、この取引は損益計算書(PL)にはまったく反映されていないわ。1億円の出金があったにも関わらず、損益計算書(PL)上の“原価”や“費用”には影響していないのよ」
「ええっ! そんなのおかしくない?」
「おかしくないわ。たとえば、もしも、この1億円の出金をすべて売上原価に含めたら、一体どんなことが起きるかしら?」
「利益が1億円減る、よね?」
「冴えてるわね。そのとおり、売上原価が一時的に膨らんで、利益が激減してしまうわ。固定資産を取得したこの年だけ、利益率も下がってしまう。特別な年になってしまうでしょう?」
「うん、まあ……」
「逆に、翌年以降は利益が伸びるはずよ。新しい機械装置を導入すれば、当然、生産能力は高くなる。その分、売上も増えるはず。一方で、“原価”や“費用”は機械装置を導入する前と変わらない。少なくとも“機械装置を導入するために支払ったカネ”は、翌年以降の原価には含まれない。――生産力の向上は機械装置のおかげなのに、それっておかしくない?」
「……おかしい、かも……」
「だったら、たとえば機械装置の耐用年数が10年だとしたら、1億円を10年間に分割して“費用”として見なしたほうがいいんじゃない? そのほうが、より正確な“利益計算”ができるんじゃないかしら」
耐用期間が10年の機械装置に1億円を払ったとしたら、それは10年分のカネをまとめて支払ったようなものだ。もしもこの1億円を“支払った年の原価・費用”に含めてしまったら、10年分の費用を1年で計上したことになる。年ごとの利益の推移を比較した場合に、その年だけ利益率が歪む。
「製造原価、広告宣伝費――、様々な支出によって“売上”はもたらされる。そして“利益”っていうのは、売上金額から、その売上を生み出すのに生じた原価や費用を引いたもののことよ。だから10年分の支払いなら10年間に分割して計上しなければいけない。20年分のカネなら20年に分けて“費用”に計上すべきなのよ。これを“費用収益対応の原則”と呼ぶわ」
「費用収益対応の原則、ねえ……。具体的にはどんな仕訳を切るの?」
「それじゃ“耐用期間10年の1億円の機械装置を4月1日に導入した場合”で考えてみるわよ。まず、機械装置を取得したときにはこういう仕訳を切るわ」

20**年4月1日【借方】機械装置 \100,000,000- /【貸方】現金 \100,000,000-

「この部分はさっきと同じだね。BS上の数字が入れ替わっているだけで、PLには影響がない」
「そうね。そして、この会計年度が終わるときには――つまり翌年の3月末には、1年分の“減価償却費”を計上するわ」

20*+年3月31日【借方】減価償却費 ¥10,000,000- / 【貸方】機械装置 ¥10,000,000-

「ケタが大きくて読みづらいけど、1千万円ね。取得価額が1億円で耐用期間が10年だから、1億円の10分の1、つまり1千万円が“1年分の費用”になるわ」
「費用ということは――」
「“減価償却費”は損益計算書(PL)に含まれるの。その機械装置が工場の製造ラインなどに使われている場合は“売上原価”に、営業事務所などで使われている場合は“販管費”に計上されるわ」
「なんだか光熱費に似てるな」
たしか電気代も同じだったはずだ。
「いいところに気が付いたわね。光熱費を支払ったときの仕訳と、減価償却費を計上したときの仕訳を比較してごらんなさい?」

【借方】光熱費 ¥***- /【貸方】現金 ¥***-

【借方】減価償却費 ¥****- /【貸方】機械装置 ¥****-

「光熱費を支払ったときは、現金を減らして費用を計上してて……」
「うんうん」
減価償却費の場合は、機械装置を減らして費用を計上してる……?」
「そのとおり!」
ふつうの費用の場合は、現金が減ったときにPLに計上される。ところが固定資産を取得した場合は、現金が減ってもすぐには費用として認識しない。現金をまず固定資産に替えて、それを減らしながら減価償却費をPLに計上していく。
「ケイリさん、この場合ではBS上の機械装置の金額が、毎年10分の1ずつ減っていくことになるよね」
「そうね」
「ということは、10年後にはBS上の機械装置の金額がゼロになる?」
「そういうこと。耐用年数が満了したときに残高がゼロになるわ。――こうすれば10年分の支払いをきちんと10年間に分割できるし、“費用収益対応の原則”も守れるってわけ」
ふむ、と俺は腕を組んだ。
「だけど、耐用年数ってそんな正確に予測できるものなのかな。丁寧にメンテナンスしていれば、耐用年数を過ぎても使える場合のほうが多いんじゃないの?」
耐用期間をとっくに過ぎた日本の中古車が、アフリカで戦車の代わりに使われているのをニュースで見たことがある。中央アフリカのグンマーという国で紛争が続いているのだ。
「いいところに目を付けたわね」とケイリさんは微笑む。「ほかにも問題があるわ。この方法を使うと、もともといくらで取得した機械装置なのか分からなくなってしまう。帳簿上の残高が正しいのかどうか、後から確認するのが難しくなる。たとえば園芸部では機械装置だけでも何台も持っているわ。一台ごとに取得価額と耐用年数、経過年数が分からなければ、園芸部の財務諸表が正しいのかどうかを検証できない……」
「――ぜんぜんダメじゃん、この方法!」
減価償却費を計上するときに、固定資産の残高そのものを減らす方法を“直接法”と呼ぶわ。残高から直接、減価償却費を引く方法。だから直接法」
「ってことは、違う方法もあるの?」
「ええ。間接法というものがあるわ。簿記の試験ではどちらも出題されるけれど、実務では有形固定資産は“間接法”で管理するのが一般的ね。直接法でやっている会社なんて見たことがない」
「どんな方法なの? 間接法って」
減価償却費を計上するときに、こんな仕訳を切るの」

【借方】減価償却費 \10,000,000-/【貸方】減価償却累計額 \10,000,000-

「この減価償却累計額というのは、マイナスの資産よ。貸借対照表(BS)上ではマイナスの数字のまま借方に記載されるわ」
「なにを言っているのか意味がわからないよ!」
「つまり、こういうこと」

建物          ¥ 100,000,000-
建物減価償却累計額   ¥△ 5,000,000-
機械装置        ¥ 100,000,000-
機械装置減価償却累計額 ¥△10,000,000-
土地          ¥ 100,000,000-

「これは貸借対照表(BS)の借方、有形固定資産の部分を拡大したものよ。建物と機械装置と土地を1億円ずつ購入してから、丸一年がたった状態を再現しているわ」
「丸一年がたった状態? でも、建物や機械装置の残高が減ってないよ?」
「代わりに“マイナスの資産”である減価償却累計額が計上されているでしょう? たとえば建物の帳簿上の残高が知りたければ、建物の残高と、減価償却累計額の残高とを足してやればいい。この記載方法なら建物の取得価額が1億円だったとハッキリ分かるし、帳簿上の残高が9500万円だということもすぐに分かる。これが間接法のいいところね!」
「建物と機械装置で減価償却累計額の残高が違うのはどうして?」
「説明が漏れていたわね。ここでは建物の耐用期間を20年と見積もって、減価償却費の金額を計算しているわ」
「1億円の20分の1だから、500万円か〜」
「ほかにも気づくことはない?」
「……土地には、減価償却累計額がない?」
「カンがいいわね。じつは、土地は減価償却しないのよ。建物でも機械装置でも、形のあるものはいずれ壊れるわ。だから耐用年数をあらかじめ決めておかなければならない。だけど土地は、基本的に壊れない。天変地異で海底に沈みでもしないかぎり、土地はずっとその場所にある。だから減価償却しなくていいの」
「なるほどなぁ〜」
「最後に、減価償却が完了したときの処理をおさえておきましょう。機械装置を購入してから丸10年が経って、しかも機械装置がまだまだ使用可能なときのBSがこれよ」

建物          ¥ 100,000,000-
建物減価償却累計額   ¥△ 50,000,000-
機械装置        ¥ 100,000,000-
機械装置減価償却累計額 ¥△ 99,999,999-
土地          ¥ 100,000,000-

「あれ? 機械装置の残高がゼロになってないよ?」
「ゼロにしちゃうと、完全に帳簿から消えちゃうでしょう? だけど本当はまだ使っているし、消えてもいない。実態と帳簿とが乖離してしまうのよ。だから1円だけ残して、機械装置がまだありますよ、ってことを示すの」
「実際はゼロ円の価値しかないけれど、ゼロにはしないんだね!」
「この1円のことを“備忘価額”と呼ぶわ」
「いや〜勉強になったよ! ありがとう、ケイリさん」
「べ、べつにあんたのために教えたわけじゃないんだからねッ! あんまり無知だと仕事がしづらいから――」
「お待たせしましたっ!」
エリカさんが応接室に戻ってくるのと、俺のケータイが鳴ったのはほぼ同時だった。派手な着信音が鳴り響く。俺は慌てて画面をのぞいた。
「あ、ごめん!」岡さんからだった。「ちょっと用事ができちゃった! 俺はこれで失礼するよ!」
「ちょっと! まだ仕事の途中でしょう!?」
「いや、ほんとうに外せない用事があって……その……」
「お忙しいんですね、借方さんも」
「違うわ、こいつはただ遊びたいだけで――」
口ごもる俺に、思わぬところから助け船が出された。
「……行かせてやればいい」
ハルちゃんだった。何十枚もの立体映像のウィンドウに包まれて、表情は分からない。
「……どうせここにいても、カリカタ・シワケにできることはない。行かせてやればいい」
「そ、そうは言ってもね、ハルちゃん――」
「――ごめん! また明日〜!」
「あ、ちょっと! 待ちなさいってば!」
そろばんをぶんぶんと振り回すケイリさんを置いて、俺は応接室を飛び出した。
目指すは“リリー・オブ・ザ・バリー”の事務所「オイリーハウス立川」だ。
ういういしいアイドルたちが俺を待っているのだ! やっほぅ!






――――――――つづく?






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