アニメ『新世界より』は不穏な空気を漂わせる演出が私好みで、とても面白い。日常の裏側でなにかとんでもなく醜悪でひどいことが起こっている……忍び寄るような恐怖感がとてもいいのだ。
この作品が物語に引き込むフックとして利用しているテクニックは、たぶん『クローバーフィールド』と同じだ。設定もあらすじも全然違う2つの作品だけど、物語に興味を持たせるという部分ではよく似た構造のテクニックが用いられている。主人公の身の回りで“なにか”が起きているのに、でも“なにか”の正体が分からない。そういう状況は、私たちの原初的な恐怖を掻き立てる。“なにか”を知りたいと思わずにはいられなくなる。
- 作者: 貴志祐介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/01/24
- メディア: 単行本
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また、『新世界より』の場合、物語は主人公たちの生きる“現在”と、そこに至る過程(つまり“過去”)との多重構造になっている。“消える子供たち”というモチーフは、読者や視聴者を“現在”の側に引き付けるために利用されている。
“現在”に至るまでの歴史的経緯――作り手側が(おそらく)伝えようとしているテーマは長大で、 じつは“物語”という形式にはあまり適していない。物語は、個々人の生き方を描くものだからだ。歴史的な経緯を端的に伝えようとするのなら、それこそ歴史の教科書みたいな形式のほうが適している。が、それでは感動が足りないし、人の心に残らない。
だから、あえて物語という形式を採るのだ。
『新世界より』はテーマの巨大さを乗り越えるために、序盤では“現在”に興味を持たせつつ、フラッシュバック的に挿入される歴史的シーンで“過去”にも目を向けさせるという方法を採っている。そして物語が進むにつれて“現在”の抱える秘密が明らかになり、それが“過去”とリンクする……というカタチになるはずだ。
アニメ『新世界より』特設ページ‐ニコニコ動画
http://ch.nicovideo.jp/channel/shinsekaiyori
「正体不明の“なにか”が主人公の周辺で起きている」という問題設定は、“世界”とか“歴史”といった長大なテーマを描くのに適しているのだろう。「殺人事件が起きました、犯人は誰?」「男女が出会いました、2人の恋は上手くいくの?」……そういう問題設定から“世界”を描くのは、とても難しい。もちろん不可能ではないだろうけれど、逆立ちで綱渡りをしながら足の指で折り鶴を作るような超絶技巧が必要になるはずだ。
遠い未来や、文化・習慣の違う別世界:そういう場所が舞台の物語では、殺人や恋愛では興味を引きつけにくいのだと思う。住む世界が違いすぎて、感情移入しづらいからだ。殺人や恋愛といった個人的課題では、それを解決したいという気持ちが見る人の心に芽生えづらい。
ただし、ここで興味深いのはドイルやクリスティの小説に現代日本の私たちが感情移入できることだ。
時代も文化・習慣も違うのに、なぜか登場人物に感情移入して、事件を解決してやりたいと感じてしまう。
文章や翻訳が巧みだというだけでなく、イギリスに関する膨大な量のデータ(映像とか)が私たちの周りにあふれているからだろう。登場人物たちの知っているモノ・見ているモノを、私たち読者も日常生活のなかですでに共有している。
テレビをつければ、タワーブリッジのかかるテムズ川を一度ぐらいは目にしたことがあるはずだ。フィッシュ&チップスを私たちは知っているし、ホームズの食べたサンドウィッチの味を私たちは想像できる。登場人物と共有している情報が多いから、時代や舞台が離れていても感情移入できるのだ。
しかし、そういう“共有情報”が減ると、とたんに感情移入が難しくなる。
殺人や恋愛などの個人的問題では、物語の続きを読ませることが難しくなる。「読者が知らないことを主人公も知らない」という構図のほうが上手くいく。
たとえばアニメ『とある科学の超電磁砲』の第1話(脚本:水上清資)は、物語の導入回として完璧で、2009年の第1話・オブ・ザ・イヤーだと個人的に思っている。佐天涙子という無能力者の目を通すことで、能力者にあふれた学園都市という世界を伝えることに――登場人物たちに感情移入させることに成功している。
漫画版では存在感が薄かった佐天涙子というキャラクターの真価を見出し、アニメ版では準主役級のキャラクターへと格上げした。水上清資先生の慧眼だと思う。『オカルト学院』も『No.6』も面白かった。
『とある科学の超電磁砲』の場合は、「正体不明の“なにか”が起きる」という技法はあまり使われていない。とくに第1話では、ほぼ皆無だ。しかし「視聴者が知らないことを登場人物も知らない」という部分だけを取り上げれば、『新世界より』や『クローバーフィールド』と同じ構図が見受けられる。
◆
「正体不明の“なにか”が起きる」という問題設定は、遠い未来などの異世界を描くのに適している。また、おそらく“世界”や“歴史”といった巨大なテーマを描くのに向いている。このことを端的に示す例が、フィリップ・K・ディック『ユービック』だ。
- 作者: フィリップ・K・ディック,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/10
- メディア: 文庫
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傑作と名高いこの小説、じつは前半がかなり退屈だ。
この作品は近未来を舞台にしており、2人の主人公が登場する。1人は対エスパー専門のセキュリティ会社の経営者で、テレパシストや透視能力者から顧客の個人情報を守っている。いわば超能力時代のノートン先生だ。そしてもう1人は、その会社で働く技師だ。
物語は、危険なエスパー軍団の居場所が分からなくなったところから始まる。これでは顧客の安全を守れなくなると、経営者は頭を悩ませる。また技師の側の物語は、美少女に「私を雇ってください」と迫られるところから始まる。彼女はエスパーの能力を無効化する強い力を持っているらしい。が、腹にイチモツありそうだ……。
エスパー軍団の不在も、無効化能力を持つ美少女も、読者にとってわりとどうでもいい。登場人物たちの生活する世界が現在とかけ離れているから、彼らの苦悩・期待・不安にうまく感情移入できないのだ。この人たち困っているみたいだけど好きにしたら?って感じ。
ところが、この作品は中盤を過ぎたあたりから猛烈に面白くなる。
主人公の周りで“時間退行”という謎の現象が起こり始めるのだ。たとえば、全自動で朝食を準備してくれる装置が、目を離したすきに電気トースターと電気ポットに変わってしまい、ふと気づくとヤカンになっていたり。あるいは超高速の通信装置が、いつの間にか壁掛け式の電話(※映画『となりのトトロ』でさつきが使っていたやつ)になっていたり……。不可解な超常現象に巻き込まれてしまう。
この現象はいったい何なのか。なにが原因なのか。もしもこの現象を引き起こした“犯人”がいるとしたら、それは誰なのか。ここで「読者が知らないことを登場人物も知らない」という構図が完成し、主人公に感情移入せずにはいられなくなる。「正体不明の“なにか”が起きる」というモチーフによって、読者は物語世界に引きずり込まれる。
あとは結末までノンストップだ。
タイトルの“ユービック”の意味が分かった瞬間には総毛立つこと間違いなし。最後まで読んだあとには「……なんだ、ただの神作品か」という感想しか残らない。
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私の書くお話には、大きく2つの弱点がある。1つは物語の展開やオチが読めてしまうこと。そしてもう1つはキャラクターの立て方がへたくそなこと。一言でいえばあまり面白くないのだ。
リーダビリティを高めるために「正体不明の“なにか”が起きる」というモチーフをどこかで使ってみたいと思うのだけど、こうやって技法を盗むこともパクリの範疇に含まれるのだろうか。
※関連
Rootportの創作物まとめ
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120928/1348822497
※この記事ではあまり面白くないと書きましたが、それでも、なかには「面白かったよ!」という感想をくださる方もいて、そういう方には感謝感激というかもうなんつーかあたしのゼンブをあげちゃうってぐらい嬉しいです!