先日、ようやく『アサシンクリード3』をクリアした。
すでに『アサシンクリード4 ブラックフラッグ』が発売されており、周回遅れでのクリアだ。3を遊ぶためにわざわざアメリカ独立戦争史を勉強しなおすなど、このゲームに対する私の期待度がいかに高かったことか。発売日とその翌日には休暇を取ったほどだ。
- 出版社/メーカー: イーフロンティア
- 発売日: 2012/12/21
- メディア: DVD-ROM
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では、なぜクリアにこんなに時間がかかったのか。
やり込み要素を遊び尽くしていたわけではない、放置している期間が長かったのだ。
いいゲームだと思う。これだけの規模のプロダクトを毎年きちんとリリースしているだけで敬服に値するし、今までのシリーズには無かった新要素が山盛りにされている。とても挑戦的な作品だと思う。
ただ、事前の私の期待値が高すぎたのだ。
2009年に発売された『アサシンクリード2』は文句なしの神ゲーで、私はことある度に人にオススメしている。『2』の主人公エツィオ・アウディトーレは人気キャラクターになり、2010年の『アサシンクリード・ブラザーフッド』、2011年の『アサシンクリード・リベレーション』でも主人公を務めた。『アサシンクリード3』は名前こそ「3」だが、シリーズ5作目にあたる。
神ゲー『アサシンクリード2』に比べると、どうしても『アサシンクリード3』は見劣りする。神ゲーになりうる要素をたくさん持ちながら、なぜ『アサシンクリード3』は『2』に至らなかったのか。シナリオとシステムの2つの面から考えてみたい。
※今回の記事は消費者の立場からの主観的な感想記事だ。異論反論、大歓迎。
※当然ながらネタバレ注意。
◆シナリオの問題点
『アサシンクリード3』はシナリオ面に2つの問題があると感じた。1つは主人公への感情移入が難しいこと。もう1つは驚きが弱いことだ。
ハリウッドの脚本家ブレイク・スナイダーは「SAVE THE CATの法則」という技法を提唱している。映画の冒頭に「荒くれ者の主人公が捨て猫を可愛がるシーン」を書けば、観客は主人公を好きになり、感情移入しやすくなるというのだ。物語の序盤には、主人公に好感を抱かせるエピソードを入れるべき:これが「SAVE THE CATの法則」だ。
ブレイク・スナイダーには批判も多い。彼の脚本術全体を見渡すと、普遍的な技術というよりも窮屈な様式化に近い。しかし、この「SAVE THE CATの法則」だけは、あまりにも多様な作品に当てはまるため、疑いようのない技法だと言っていいだろう。
神ゲー『アサシンクリード2』を思い出してみよう。
主人公エツィオ・アウディトーレがティーンエイジャーになったところから、物語は本格的に動き始める。彼はルネサンス期のフィレンツェ貴族で、友人とケンカに明け暮れたり、美しい恋人と一夜をともにしたり、不覊奔放な生活を送っている。兄に誘われて街を走り回り、教会の尖塔にするすると登る。月夜のフィレンツェを見下ろしながら兄弟は言葉を交わす。「いい人生だよな」「ああ、最高だ」「ずっとこうだといいな」──。
誰もが心を奪われるような魅力的なシーンが物語冒頭に準備されているのだ。15世紀のフィレンツェを自由に走ってみたい。貴族の生活を味わってみたい。あんな恋人が欲しいし、あんな兄がいたら最高だ。主人公のエツィオになってみたい──。プレイヤーは、そう感じずにいられなくなる。
だから感情移入がかんたんになるし、その後のドラマにも心を揺さぶられる。
また、脇役の存在も見逃せない。本編の物語がシリアスであるほど、ふっと息を抜けるコミカルな脇役が(少なくとも私には)必要だ。
主人公が深刻な問題に直面しつづけると、プレイヤーは疲れてしまう。そして感情移入をやめてしまうのだ。しばしばハリウッド映画で目にする「おもしろ黒人」のポジションは、じつは主人公への感情移入を助ける役割を果たしている。はずだ。
『アサシンクリード2』には、そういう脇役としてレオナルド・ダヴィンチが登場する。ダヴィンチは親友として、様々な発明品で主人公を助けてくれるのだ。好色なイタリア男子のエツィオと、ややオタク気味な天才肌のダヴィンチ。まったく対照的な性格の二人が会話するシーンは、どれも心に残る。
一方、『アサシンクリード3』の主人公コナーには、「SAVE THE CATの法則」が当てはまらない。
コナーは白人の父を持つネイティヴ・アメリカンで、村を焼き討ちにされたことから復讐を誓う。彼の出自はひたすら悲惨だ。美しい森での生活はたしかに魅力的だが、「コナーになってみたい!」と思わせるほどではない。
また、脇役の存在も弱い。コナーは実の父と反目しあっているし、父親代わりのアキレスとは物語が進むに連れて対立する場面が多くなる。一度は味方だと思えたワシントンにも裏があるし、さらに幼なじみのガネンドゴンはコナー自らの手で殺すことになる。こうやって書き出してみると改めてコナーの不遇っぷりに泣かされる。ひどい人生だ。
勘違いされたくないのだが、脇役のキャラクターが浅いとは思わない。『アサシンクリード3』のシナリオは全体を通して「父と息子」がテーマになっている。コナーとヘイザムの親子関係、コナーとアキレスの疑似親子的な関係、そして現代編におけるデズモンド・マイルズの父子関係。様々な父親像を提示することで、父と息子のあり方を再考させるようなシナリオになっている。
ただしそれら脇役の存在が、主人公への感情移入を誘うものになっていないのだ。シリアスな物語の合間にふっと息をつけるような「癒しキャラ」があまりにも少ない。
主人公に好感を抱かせる「SAVE THE CATの法則」が当てはまらないこと。そして、感情移入を助ける脇役が弱いこと。これらの理由から、コナーは「感情移入しにくい主人公」になっていた。
シナリオ上のもう一つの問題点は、驚きが弱いことだ。
神ゲー『アサシンクリード2』では、「どっひゃー!」と叫びたくなる超展開がいくつも待ち構えている。たとえば「ずっとこうだといいな」と言葉を交わした直後に、エツィオの家族は絞首刑で全滅する。どうやら陰謀に巻き込まれたことが分かり、エツィオは首謀者への復讐を誓う。そして物語が進むと、思いもよらない歴史上の有名人が黒幕として浮上するのだ。プレイしながら「うそだろ、マジでこの人が登場するの!?」と何度叫んだか分からない。
一方、『アサシンクリード3』では、驚きの大きいシーンは物語の序盤に集中している。しかも仇敵の正体も最初から分かっている。チャールズ・リーだ。たしかにアメリカ独立戦争史のなかで、悪役として最適なのはリー以外にはありえないだろう。しかし、それでも「最悪の敵が誰だか分からない」状態から「じつはリーだった」と明かされる展開のほうが、そうでない展開よりも驚きは大きかったはずだ。
◆システムの問題点
システム面でもいくつか問題点を感じた。ここでは大きく2つの点をあげておきたい。1つは画面表示の不親切さ。もう1つは細かい部分のバランス調整だ。
まず画面表示の不親切さだが、とくに「操作キャラクターが大きすぎること」には閉口した。
三人称視点のゲームなので、主人公が大きすぎると前方が見えなくなってしまう。障害物にぶつからないよう細心の注意を払わなければならず、街を自由自在に走り回る爽快感が半減する。
PV映像などでは、わずかな違いにしか感じないかもしれない。実際に操作をしてみると、死角が広がったことによるフラストレーションは想像以上に大きいはずだ。足もとが見えにくいせいで、以前のシリーズなら難なくできたテクニックができなくなる。そのストレスは言葉にしがたい。
また旧型Xbox 360を使用しているせいか、しばしば処理落ちするのもストレスだった。
たとえばD3の『地球防衛軍』シリーズのように、処理落ちが「演出」になる──映像の迫力を増す場合もある。が、これが許されるのはあまりシビアなボタン入力を要求しないゲームだからだ。処理落ちで操作がおぼつかなくなっても、なんとなく戦況を打開できてしまうのが『地球防衛軍』だ。
しかし『アサシンクリード』は違う。たとえば屋根を飛び移るというごく基本的な操作でも、ちょっとしたボタン入力のズレで地面に墜落してしまう。難易度の高いゲームではないが、求められる操作は意外とシビアだ。処理落ちしたコンマ何秒かのせいで、思い通りの行動ができなかったりする。
この他にも、画面表示の不親切さをいくつか感じた。
私の個人的な問題かもしれないが、たとえばHUDの表示する情報が直感的に分かりにくいことや、ダメージを受けたときの画面酔いもツラかった。大ダメージを受けると画面が赤く点滅するうえに、ノイズが走るように細かく揺れるのだ。そういう画面を見つめながら、敵を追いかけるミッションもあり(※障害物をよけるため繊細な操作が必要)、わりと3Dには強いはずの私でも気分が悪くなった。
以上が画面表示の不親切さについてだ。
続いて、細かい部分のバランス調整について話したい。
これは私が下手くそなだけかもしれないが、まず敵兵がしつこい。以前のシリーズなら軽々と逃げ切れたはずの距離を走っても、ひたすら敵兵が追いかけてくる印象だった。また一般市民状態でも、不用意に街を歩いていると突然敵兵に襲われることがある。たしかにゲームには適度な緊張感が必要だが、本作では敵兵から逃げるストレスが大きすぎて、「快適にゲームを進めたい欲求」を上回っていると感じた。
また一部のミッションでは、なぜゲームオーバーになったのかすぐには分からないときもあった。たとえば特定のエリアに立ち入った瞬間ゲームオーバーになるのなら、「ここから先に行ってはダメ」とあらかじめプレイヤーに分かるようにしておくべきだ。理不尽なゲームオーバーは、ゲームの緊張感に貢献しない。プレイヤーにストレスを与えるだけだ。
もちろん、理不尽なゲームオーバーが楽しい場合もある。古い洋ゲーなどにありがちな「死に覚え」が楽しいゲームだ。いわゆる「初見殺し」のトラップが山ほどあっても、死に覚えが通用するなら楽しめる。ゲームオーバーのたびに、上達を実感できるからだ。
ところが『アサシンクリード3』では死に覚えがあまり通用しない。AIが複雑になったため、ゲームオーバーのたびにNPCが違う行動を取るのだ。AIが賢くなれば、それだけゲームは面白くなるはずだと私は素朴に信じていた。が、そうとも限らないようだ。死に覚えが通用しないと、「上達する快感」よりも「死ぬストレス」が大きくなる(場合もある)のだ。
『アサシンクリード3』は決してクソゲーではない。
ただ、神ゲーだった『2』に及ばなかっただけだ。
コナーは魅力的な主人公だが、エツィオほどではなかった。好感を抱かせる要素や、脇役の存在が『2』ほど充分ではないからだ。また独立戦争史を体感できるシナリオはじつに楽しいが、ルネサンスのフィレンツェほどでは無かった。プレイヤーを驚愕させるような超展開が『2』ほど充分ではないからだ。
とはいえ、新要素はどれも心をわくわくさせるものだった。
たとえば『3』の目玉の1つは広大な森林地帯「フロンティア」の存在だ。木の枝から枝へ飛び回るのはすこぶる快感だったし、こつこつとマップを埋めながら狩猟生活にいそしむのも楽しかった。ハンティングが面白すぎてメインストーリーになかなか手が付けられなかったことも、クリアに時間がかかった理由の1つだ。
また美しい帆船・アキーラ号で海原を駆け回るのも楽しかった。メインストーリーではチュサピーク湾の海戦を再現したミッションがあるのだが、楽しすぎてこのミッションだけで何度かプレイしてしまったほどだ。
新要素はどれも面白く、アメリカ独立戦争という時代設定にも心踊らされた。平均的なゲームに比べれば、クソゲーどころか良ゲーの部類に入るだろう。挑戦的な「新しいアサシンクリード」を見せてくれたと思う。
何はともあれ、これでようやく『アサシンクリード4 ブラックフラッグ』に着手できる。ガマンできずにプレイ動画をちょっとだけ覗いてみたのだが──。ハッキリ言って驚いた。『3』で感じた問題点が、どうやらすべて取り除かれているっぽいのだ。
主人公のエドワード・ケンウェイは豪放磊落。酒好きの荒くれ者で、野心に満ちている。なにしろ「海賊になって一山稼ぎたい」と考えるような人物だ。誰でも子供のころにはスティーヴンソン『宝島』やヴェルヌ『十五少年漂流記』に心ときめかせたはずだし、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『ワンピース』は老若男女を問わず大人気だ。海賊を目指すエドワードは感情移入しやすい主人公のはずだ。どんなストーリー展開になるのか期待せずにはいられない。
またシステム面では『3』のいい部分だけを残して、悪い部分は無くなっているようだ。たとえば操作キャラクターの表示サイズは『2』に近いものになっているし、HUDも直感的に分かりやすそうだ。さらに木に登る、船を駆るなどの楽しかった部分は、そのまま『4』にも受け継がれている。
いずれにせよ私はアサシンクリードが好きだし、きっとシリーズが続くかぎり遊び続けるのだろう。どうにか一週間ほど時間を作って、カリブの海賊の世界にどっぷりと浸かりたい。
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