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『中二病でも恋がしたい』とは何だったのか

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中二病でも恋がしたい』はハーレムラノベものではない。
 たとえば今期のアニメなら『六畳間の侵略者!?』等と比較すれば明らかだ。ヒロイン全員が主人公に対してラブ光線を出すのではなく、あくまでも主人公カップルとそれを見守る友人たちという構図になっている。
 ハーレムものでないなら、いったい何なのか?

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  脚本家ブレイク・スナイダーは『SAVE THE CATの法則』のなかで、恋愛映画と友情映画は本質的に同じだと指摘している。彼の分類法によれば、2人の登場人物の人間関係に焦点を当てた映画はすべて「バディもの」という同じジャンルになるという。その2人が同性なら友情映画になって、異性なら恋愛映画になるというのだ。

 ということは、だ。

中二病』は主要人物5人の人間関係・友情を主眼に置いたお話で、たまたま異性が1人混ざったためにそこだけカップルが成立してしまったのだと考えることもできる。

 5人の人間関係?
 そう、『ごちうさ』や『きんモザ』と同じなのだ!

 美少女日常系のアニメでは、登場人物が必ず5つの役割のどれかに割り当てられている。「牽引役」「振り回され役」「お姉さん役」「ガチ百合」「トリックスター」の5類型だ。このことは、以前にもブログに書いた

 で、これはそのまま『中二病』の登場人物にも当てはまる。

 小鳥遊六花は「牽引型」のキャラだ。行動的な性格で、ストーリーを前進させる役割。ボケキャラになる場合が多い。『ゆるゆり』歳納杏子、『きんいろモザイク』大宮忍、『のんのんびより』越谷夏海、『ご注文はうさぎですか?』ココアと同じような立場だ。

 富樫勇太は「振り回され型」のキャラだ。牽引型のキャラクターに振り回される役割で、ボケに対するツッコミを担う場合が多い。『ゆるゆり』赤座あかり、『きんいろモザイク』アリス、『のんのんびより』越谷小鞠、『ご注文はうさぎですか?』チノと同じである。

 モリサマーは「お姉さん型」で、物語に常識的な視点を提供する。ツッコミに回りがちだが、常識に縛られるがゆえのボケをかますことも。『ゆるゆり』船見結衣、『きんいろモザイク』猪熊陽子、『のんのんびより』宮内一穂、『ご注文はうさぎですか?』リゼの仲間である。

 デコちゃんは「ガチ百合型」のキャラだ。登場人物の誰かに強烈な憧れと思い入れを持つが、たいてい、その恋は実らない。『ゆるゆり』吉川ちなつ、『きんいろモザイク』小路綾、『のんのんびより』一条蛍、『ご注文はうさぎですか?』シャロと同じ立場だと言える。

 くみん先輩は「トリックスター型」のキャラだ。独自の価値観で行動して、お話を引っかき回す。『ゆるゆり』池田千歳、『きんいろモザイク』カレン、『のんのんびより』宮内れんげ、『ご注文はうさぎですか?』千夜と同じような役割を果たしている。

 つまり、『中二病』は美少女日常系なのだ。今さら言うまでもないことかもしれないが、『IS』や『はがない』『SAO』のバリエーションではなく、『ゆるゆり』『きんモザ』『のんのんびより』『ごちうさ』の近縁種だと言える。ハーレムものから恋愛要素を薄めたのではなく、美少女日常系に男を1人放り込んだものなのだ。

中二病』を美少女日常系だと見なすと、色々と新しいことが分かる。

 たとえば「ガチ百合型」のキャラは、恋する女子の可愛らしさを提供するために存在するのだと私は思っていた。が、デコちゃんよりも六花のほうがよっぽど恋してるし可愛い。ガチ百合型キャラの存在理由は「恋する乙女の可愛さ」ではない。

 ガチ百合型キャラは「恋してる姿の可愛さ」よりも、どちらかといえば「特定の人物に対する執着」のほうが大切なのだと思われる。だから『月間少女野崎くん』の千代ちゃん(※恋する乙女代表)みたいに、ためらったりしない。恥じらうことも稀だ。ひたすら押せ押せで相手につきまとう。

 美少女日常系として『中二病』を見ると、目新しい点は「ガチ百合型キャラの相手が変わること」だ。序盤では六花に付きまとっていたデコちゃんは、六花&勇太のカップル成立後はモリサマーとの絡みが増えていく。これは美少女日常系ではめずらしいと思う。シャロの相手がリゼからチノに変わるようなものだ。

 物語とは登場人物である。

 登場人物が存在しなければ、物語は存在しない。ヒトが1人も登場しない「おれはミサイル」でさえ、擬人化されたAIという登場人物が必要だった。『蟹工船』は名前は明かされないがやはり多数の登場人物が存在していた。

 逆に、登場人物さえ存在すれば物語は成立しうる。『マルテの手記』のように起承転結やドラマ的な起伏が一切ない文学作品でも、主人公という登場人物が存在しているがゆえに物語として成り立っている。登場人物なしに存在する物語は、ありえない。なぜなら物語とは登場人物そのものだからだ。

 そしてマンガやアニメの美少女日常系は、とくに登場人物やキャラクター性に重きがおかれたジャンルだ。サスペンスやミステリー、ドラマ性で物語を牽引するのではなく、登場人物の性格紹介をひたすら展開することで成立している。美少女日常系を分析する際にキャラに着目するのは当然だろう。

 個人的な経験から言えば、「日常系」はゼロ年代半ばから急に勢力を拡大したジャンルだと思う。90年代半ばからゼロ年代初頭にかけては『エヴァ』や『最終兵器彼女』『イリヤの空、UFOの夏』のようなセカイ系が大流行していた。日常系は『あずまんが大王』が先鞭をつけ、その後、『らき☆すた』『けいおん!』のヒットで市民権を得ていった。『涼宮ハルヒ』シリーズは、ある意味「最後のセカイ系」だ。1人の少女の意思が世界を揺るがすという設定を持ちつつ、部室でダベるという日常系の要素もあわせ持っていた。

けいおん!』が爆発的なヒットを飛ばし、日本中の楽器屋に平沢唯のPOPが並んだ。日常系はついに市民権を得た。このころ、しきりに目にしたのは「視聴者は六人目の軽音部員として物語を楽しんでいる」という意見だった。主要登場人物の誰かに感情移入するのではなく、彼女たちと同じ目線で、同じ空気を味わうことに喜びを覚えているのではないか、と。

 いわゆるハーレムものでは、ヒロインの1人がしあわせになると他の全員が不幸になる。この問題を回避するには、そもそも男を出さなければいい。こうして生まれたのが日常系だ。……そんな意見も目にした。

 では、男子禁制のはずの日常系に男性キャラを放り込んだら何が起きるのか?「六人目になりたい」と感じていた男性視聴者に、感情移入しやすいキャラを準備するとどうなるか?

中二病』は、そういう実験作として見ることもできる。『ハルヒ』も『らき☆すた』も『けいおん!』も、みんな京都アニメの作品だった。日常系の先端を切り開いてきた京アニだからこそ挑戦できた実験といえる。かもしれない。

 軽音部の部室に入りたい、あの中に混ざりたい……。

 そういう男性視聴者の夢を──文字通り中二病を──叶えたのが、あの作品だった。

 

 

 

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※おまけ:その他の日常系に五類型を当てはめると?

けいおん!』はあまりキャラの類型化がされておらず、むしろ一人のキャラがいろいろな側面を見せる。キャラの設定が「深い」と言ってもいいと思う。こういう複雑さ・深さがあったから、普段アニメを見ない人まで巻き込んだヒットになったのではないか。

『Aチャンネル』の場合はメインキャラが4人しかおらず、「牽引役」が不在だ。主人公るんは「トリックスター型」、トオルは「ガチ百合型」、ユー子は「振り回され型」、ナギは「お姉さん型」と言っていい。主人公にトリックスター型のキャラを配置するのは、『のんのんびより』等と同じだ。では、振り回され型のユー子はいったい誰に振り回されているのか? 残りの3人から少しずつ振り回されているのだ。つまり『Aチャンネル』では牽引役の不在を、ほかのキャラが少しずつ担当することで補っている。

ヤマノススメ』もメインキャラが4人しかいない。この作品の場合、不在なのは「ガチ百合型」だ。あおいは「振り回され型」、ひなたは「牽引役」、楓は「お姉さん型」、ここなは「トリックスター型」のキャラである。この作品では、あおいとひなたの人間関係がかなり濃密に描かれており、ガチ百合の不在を補っている。

生徒会の一存』についても私には真に驚くべき説明を見つけたのだが、それを書くには余白があまりにも小さい。