デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

批評屋が嫌い(だった)

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中学生ぐらいまで、批評が嫌いだった。
映画や小説を批評するのみならず、それでメシを食っている人が嫌いだった。
批評ではない。他人の創作物に“タダ乗り”してカネを稼いでいるのが批評だ。作品に対する感想なら誰にだって書ける。感想は一人ひとり違ってかまわない。にもかかわらず、やつらの感想文はカネになり、自分の感想は2chのサーバで電子の塵くずになるだけ。この落差が理解できなかったし、やつらを卑怯だと思った。嫉妬、嫉妬、嫉妬。とにかく恨めしくて憎たらしくて、死ぬほど羨ましかった。
あの憎悪は、たぶんカネだけが理由じゃない。
きっと、自分の感性が否定されたような気がするから嫌だったのだ。
知識や教養が足りなくて、体力的にも劣っている:そんな人間にとって唯一の心のよりどころは“感性”だ。
(おれは経験不足のガキかも知れないけど、感性だけなら誰にも負けない)
(おれはバカかも知れないけれど、感性だけなら誰にも負けない)
あの頃の私は、自分の能力不足から目をそらすために“感性”という言葉を利用していた。意味のあいまいなこの言葉には、もったりとした甘い味わいがあって、幼い精神を慰めるのにぴったりだった。
だからこそ、批評屋との落差を目の当たりにして戦慄したのだ。
自分が「いい!」と感じたものを、有名な誰かが批判していたときの焦り
自分が「イマイチ……」と感じたものを、どこかの“偉い人”が褒めちぎっていたときの焦り
自尊心のよりどころを“感性”に求めていた私にとって、それは耐えがたいほどの焦燥だった。「イイ・イマイチ」を決めているのは自分の“感性”だ。自分がどんなものを好み、どんなものが嫌いで、その理由はどこにあるのか。それらを判断するのは自分の“感性”だ。しかし批評屋の感想はカネになり、自分のそれは一銭の価値も生み出せない。彼らの書いた記事は膨大なアクセス数を稼いでいるのに、自分のそれは「ちらしの裏に書いてろ」と言われる始末。
批評屋の言葉を聴いていると、自分の“感性”にはゴミくず程度の価値しかないと言われているような気がしてくる。自分の存在が無価値だと言われているような気がしてくる。
だから批評屋を憎んだ。
テレビや雑誌で“偉い人”が口を開くたびに、「こいつ全然わかってない」と嘲笑った。こいつらはバカだ、運よく知名度を手に入れただけの蒙昧な連中だ。こいつらの言葉には本当は一銭の価値もないんだ、なぜなら本当はおれのほうが優れた感性を持っているはずだから――!




     ◆




カネになるほどの批評には、知識や教養、先行研究といった土台がある。分厚い背景を持っているからこそ、その批評には希少価値が生まれ、カネになる。生意気な中学生のころならいざ知らず、今ではそれを理解している。
けれど、それでも。
感想は一人ひとり違ってかまわない:この考え方は今でも同じだ。
目の前の創作物から何を感じて、どんなことを考えたのか。作品から得られるあらゆる情報について、私たちは本質的に自由だ。世間的に正しいとされる解釈はあるかもしれないが、それは個人の楽しみ方を規定するものではない。
たとえば『こヽろ』をBL小説として読んでもかまわないし、『夏への扉』をロリコン願望の成就として楽しんでもかまわない。『The Catcher in the Rye』を「ムギバタ球場の正捕手くん」と訳してもいいし、『The Big Sleep』を「でぶの惰眠」と訳したっていいだろう。手を変え、品を変え、いろいろな切り口から何度も楽しめばいい。たとえば「作者の意図」を唯一絶対の正解にしてしまったら、それ以外の楽しみ方が許されなくなる。そんなのもったいない。学力テストじゃあるまいし、個々人の楽しみ方にまでマニュアルを作ろうとするな、強制しようとするな。
そんなの、ちっとも楽しくない。





たとえば、あなたの好きなモノを有名な誰かが悪く言っていたとしよう。世間的には「駄作」と呼ばれていたり、「流行遅れ」と言われていたとしよう。
だからなんなの?
著名人の“お墨付き”がなければ、あなたはそれを好きにならなかったのか。流行っていなければ、見向きもしなかったのか。そんなの本当に「好き」と言えるのか。たとえ誰からも理解されなくても、世間から忘れ去られても、あなたが「好き」なら充分ではないか。
創作物の楽しみ方は個々人の自由だ。
モノを創るときはともかく、モノを消費するときの“感性”に優劣はない。どんな偉い学者先生の批評だろうと、小学生の感想だろうと、楽しんだ人が勝ちだ。感想文がカネになるかどうかは“感性”の優劣を決めるものではない。感想ブログのPV数は“感性”とは無関係だ。
少なくとも私は、自分と正反対の感想を目にしたらワクワクする。いい時代になった、ブログやTwitterなどの私的なメディアを通じて、たくさんの人が個人的な感想を公開している。いったいどんな切り口でそういう感想を導き出したのか、すごく気になる。目を輝かせながら、その人の意見に耳を傾けたいと思う。
だって、そうすれば自分の知らない世界が見えるから。
そのほうが楽しいから。





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※念のため(?)に書いておきますと、このブログのアフィリエイト収入は微々たるもので、はてなポイントの購入に充てるぐらいの金額でしかありません。また、もしも万が一、何かの手違いで感想を書くお仕事をいただくことがあったとしても、「ちょっとずるいことをしている」という意識を私は捨てられないと思います。