デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

裸の王様の教訓は?

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「特上の服をお持ちしました」と仕立て屋は言った。「ですが、この服には少々問題があるのです。バカには見えないのでございます……」



『裸の王様』といえば、誰もが知っているおとぎ話だ。王様をはじめ、バカだと思われたくない大人たちは服が見えるふりをする。が、子供はありのまま「王様はなにも着ていないじゃないか」と指摘する。さて、このお話の教訓はなんだろう。
私の場合、生活のあらゆる場所にインターネットが入り込んでいる。ヒマさえあればTwitterでつぶやいているし、Facebookをのぞいている。こうしてブログの記事を書き、ちょっとした時間にニコニコ動画を眺めている。これらのソーシャルサービスは、ネット上でもとくに自己顕示欲や承認欲求などが色濃く渦巻いている場所だ。
そういう場所を根城にしている私からすると、『裸の王様』は人間の虚栄心を皮肉った物語に感じられる。バカだと思われたくないばっかりに、もっと愚かな行動を取ってしまう。どんな人でも、一度はそういう経験をしているはずだ。誰もが共感できるからこそ、『裸の王様』は時代や地域を越えて長く語り継がれてきた。
ところで、私の友人の一人に中国史オタクがいる。
ヒマさえあれば歴史書を読み込んでいて、とくに春秋戦国時代がお気に入りだそうだ。私が他の友人たちと三国志の話をしていると、「ずいぶん新しい時代の話をしているね」とツッコミを入れてくる。最近ではさらに歴史をさかのぼって、夏王朝にご執心の様子だ。学生時代に中国史を専攻していたわけでもないのに、膨大な知識を持っている。
彼からすると、『裸の王様』の教訓はもっと別のモノになるという。
秦の始皇帝は中国を統一したが、しかし死後すぐに威信を失い、三代目には滅亡してしまう。秦の二代皇帝の時代には、皇帝ではなく宦官が実権を握っていたそうだ。
あるとき、宦官のなかでも一番の実力者が、二代皇帝に馬を献上したという。
「これは鹿でございます」と彼は言った。
当然、皇帝は笑った。
「何を言う、どう見ても馬ではないか」
しかし周りにいた臣下の人々は、口々に「これは鹿です」と答えたという。
この時代、権力者の言うことに異を唱えることなど許されなかったし、最悪の場合は死刑が待っていた。にもかかわらず、臣下の者たちは二代皇帝の言葉ではなく、宦官のリーダーの言葉にしたがった。つまりこのエピソードは、皇帝が実質的に権力を失っていたことを示している。
国史には、こんな話がいくつもあるという。
逆らう者を片っ端から処刑してしまい、信頼を失って、最終的には山で餓死した王様等々……。適切な助言をくれる人が周囲にいなかったために、国を滅ぼしてしまった権力者が少なくないのだそうだ。
そして『裸の王様』も、そういうお話の一つに思えるのだという。無垢な子供のように嘘偽りない助言をくれる人物が周りにいたら、王様は裸でパレードをすることもなかっただろう。権力の座についたことで、周囲から下心のない意見を得られなくなる:その危険性こそが、『裸の王様』の教訓だ。



同じお話であっても、聞く人の持っている知識や経験に左右されて、得られる教訓は変わる。
やっぱりたくさんの人の意見に耳を傾けることが大切だよね、というのが今回の記事の教訓。









※ちなみに「馬鹿」という言葉の語源は他にあるらしいです。