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「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

仕事をかんたんにする仕事/未来の「仕事」を考える(1)

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モノの価格がどんどん下がっている。デフレのことではない、技術革新のおかげで、私たちの所得に対するモノの値段はダダ下がりを続けている。以前にも書いたとおり、米一俵の価格は昭和30年代には約4,000円だったが、平成15年には約1万5,000円、およそ3.5倍になった。一方、国家公務員の初任給は昭和30年代に8,700円だったが、平成15年には約18万円、およそ20倍になっている。これは米に限らず、あらゆる食料品、工業製品に当てはまる。かつて国家予算を投じて作られたスーパーコンピューターよりもはるかに高性能なデバイスで、いま、あなたはこの記事を読んでいる。
モノの価値を計るには、「それを手に入れるのに必要な労働時間」を考えるといいだろう。たとえば一日分の魚たんぱく質源)を入手するのに必要な時間は、狩猟採集生活をしている頃は半日〜丸一日だった。しかし現在では、安いものなら百円玉一枚で買える。時給1,000円のアルバイトをわずか一時間するだけで、縄文人の丸一日の労働に匹敵する物品を入手できる。かつて自動車は一生かけて働いても手に入らないものだった。しかし現在では自動車がなければ私たちの生活は成り立たない。乗り物の発達が輸送コストを引き下げ、物品のさらなる価格下落をもたらした。文明が発展するかぎりモノの価格は下がり続ける。




かつて自動車は、職人の勘と経験によって作られていた。フォードは職人たちの作業工程を分析・分解し、流れ作業で作れるようにした。つまり仕事をかんたんにした。これにより自動車の価格は急激に下落し、一般庶民にも広く浸透していった。仕事をかんたんにする仕事がなければ、モノの価格下落は止まってしまう。
モノの価格下落が止まると何が起こるか:人が人として扱われなくなる。
モノの価格が下がるということは、逆にいえば労働の価格が高くなるということだ。かつては1年(365日)のローンを組んで買ったカラーのブラウン管テレビが、現在なら5日も働けば買える。労働時間は73分の1だ。逆にいえば、テレビに対する人間の労働の価値が73倍になったと言える。
もしもモノの価値が下がらないとしたら、それは人の労働の価格が上がらないということを意味している。しかし世界的な傾向として人口は増え続けている。つまり人間一人当たりの価値は、実質的に下がってしまう。そして人が人として扱われなくなる。
たとえば16世紀〜17世紀、日本の製造業は欧州のそれに引けを取らなかった。たとえば大量の鉄砲を国内生産していたし、紙製品、絹織物、武具などを輸出していた。ほとんどの人は農業に従事していたが、農村には牛馬が飼われ、養豚・養鶏も盛んだったという。田畑を耕すのは役畜の仕事だった。ところが人口増加があまりにも速く進み、技術発展による食糧生産の増大を――食糧価格の下落を――追い抜いてしまった。その結果、18世紀〜19世紀には人々は牛馬を捨て、鍬を使って土を耕すようになった。肉食の習慣もなくなった。
なぜなら役畜を飼育するよりも、人間の手を使ったほうが安上がりだったからだ。牧草地を作るぐらいなら、少しでも田を広げようとした。その結果、人口は常に食糧生産の限界近くを推移するようになった。それを裏付けるように、江戸時代には深刻な飢饉が頻発している。間引き・口減らしが平気で行われていた。労働の価格が下がると、人が人として扱われなくなるのだ。
これは現在のブラック企業でも、一部で共通することだろう。たとえば飲食業や小売業は構造的にブラック化しやすいといわれている。食事の提供やモノの販売は、現在の技術なら充分に機械化可能だ。しかし機械を使うよりも人間を使ったほうが安上がりなため、作業の自動化が進まない。そして人が、まるで機械のように扱われてしまう。
たとえば鉄道の発明、自動車の発明、時計、印刷、電話の発明――。仕事をかんたんにする仕事は、多くの場合で「技術開発」だ。
たとえばGoogleの無人自動車が実用化されれば、ドライバーの仕事は現在よりもずっと簡単になる。港でコンテナを積み込んだトレーラーの運転手は、高速道路の入口まで手動で運転したら、あとは高速を降りるまで居眠りをしていればいい。あるいは自宅に設置したシミュレーターから、遠隔操作でトラックを運転することもできるだろう。一台を高速道路まで運転したら、別のトラックへと操作を切り替える……一人のドライバーが運転できる自動車は、現在は一台だけだ。無人自動車が実用化されればそれを二台、三台へと増やせる。結果として輸送コストが下がり、モノの価格が下がり、相対的な人の労働の価格は上昇する。
しかし、仕事をかんたんにする仕事は、なにも技術屋だけのものではない。Googleやホンダがどんなに素晴らしい発明をしても、道路交通法がそれを許さなければ意味がない。制度や仕組みの面でも、私たちの仕事はかんたんにできる。むしろ現在の日本は技術面では世界最高水準であり、急ぐべきなのは制度面をかんたんにすることだ。
必要な資料を揃えて役所の窓口までご持参ください?
重要案件について稟議書に印をついて社内を回付してください?
東京の小学生とボストンの主婦とムンバイの大学生が一緒になってネトゲで遊んでいる時代に、いったい何をゆってるの?
日本の文化や技術水準は、しばしば「あいつら未来に生きているな」と揶揄される。らしい。であれば、制度や仕組みの面でも未来に生きるべきではないか。たとえば一年間の収入・支出のデータをケータイ一台で管理して、三分間で青色申告を終えられるようにする。そのためには、そもそも税制度をシンプルで恣意的な要素のないものへと作りかえなくてはいけない。たとえば京都とパリとサンフランシスコに経理担当者を分散させて、決算期には24時間体制で作業を行えるようにする。そのためには企業の会計基準をシンプルで、無駄な会議や議論の要らないものへと作りかえなければいけない。
制度をかんたんにする――これはいまの日本の施政者に決定的に欠けている視点だ。税率を上げる・下げる、あるいは助成金社会福祉の基準を厳しくする・緩くする……。そんな話題で人々の気を引いて、肝心な部分に触れていない。たとえば中小企業のために助成金を出すとして、申請書類を作るために社員の残業時間が増えてしまっては意味がない。たとえば税率を上げて税収が上がったとしても、それらの事務処理をするためにアルバイトを雇う必要があるのでは無意味だ。これからは制度の内容を考えるだけでなく、制度そのものを簡単にするという発想が欲しい。
仕事をかんたんにする仕事は、これからもずっと必要とされる。モノの価格を押し下げ、人の労働の価格を引き上げるからだ。すべてのヒトが人間らしく扱われる社会。そういう世の中を作るためには「仕事をかんたんにする仕事」が欠かせない。技術面ではもちろん、制度や仕組みの面でも「仕事をかんたんにする」という発想が求められる。
では、仕事がかんたんになり続け、モノの価格が下がり続けると、社会はどのように変わるだろう。私たちの働き方にどのような影響を与えるだろう:一言でいえば、いまは「遊び」でしかない活動でも、生活できるようになるはずだ。たとえばニコニコ動画のうp主や、Pixivの絵師がネットの人気だけで生きていける世界……。
そんな世界が実現可能かどうかを、次回の更新では考えてみたい。




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