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コンテンツ産業が世界を覆いつくす日/未来の仕事を考える(2)

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付喪神(つくもがみ)をご存じだろうか。箸や椀、杓子、楽器など、工業製品の妖怪だ。長く使われていた道具には魂が宿ると言われており、現在でも針供養などの風習が残っている。付喪神が登場したのは鎌倉時代だ。平安末期の『今昔物語集』にもよく似た怪異が登場するものの、工業製品の擬人化というレベルには至っていない。付喪神の人気がピークに達するのは室町時代で、百鬼夜行絵巻にそのユーモラスな姿が描かれている。
妖怪学者・小松和彦は、鎌倉時代における経済の変革が付喪神を生んだのではないかと指摘している。鎌倉時代には街道の整備が進み、商業が活発化した。工業製品が一般庶民にとって身近なものになった。当時の農村の人々にとって、工芸品は不思議なものだったに違いない。自分たちには作り方の分からないものが大量に流れ込んできたのだ。そこに何かしらの神秘性を感じとり、付喪神というアイディアが膨らんでいった。



TVアニメーション「うぽって!!」オープニング・テーマ:I.N.G

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付喪神の現代的な表現?



では、この経済の変革はどうして可能だったのだろう。工業製品が巷にあふれるということは、工業・商業に従事する人が増えたということを意味している。逆に言えば、そういう人々を養えるほど食糧生産の技術が発達したのだ。街道が整ったというだけでは、この経済の変革は説明しきれない。
たとえば鎌倉時代には、二毛作や牛馬耕、水車の利用が始まっている。いずれも農業の収量増大と省人化をもたらす技術だ。農業技術の飛躍的な発展が食糧生産の効率を高め、工業生産を行うほどの余暇を人々に与えた。工業・商業に専念する人々の数も増えたはずだ。食糧生産の革新が総労働時間当たりの収量を増やし――つまり労働力に対する食糧の価格を引き下げ、農業に従事しない層を養えるようになった。
江戸時代、日本の食糧供給はすべて国内で行われていた。日本の食糧自給率は1960年代で7割弱だったが、現在では4割ほどまで下がっている。一方、江戸時代の農民の人口は85%だったが、現在では日本の人口の3%に満たない約260万人(2010年10月現在)だ。自給率の減り幅に対して、農業人口の減り方があまりにも激しい。生産技術の革新により省人化が進んだのは明らかだ。たとえば乗車型のトラクターが普及するのは1960年代に入ってから。わずか50年前と比較しても、農業生産技術は目覚ましい発展を遂げている。
日本が工業国として花開くことができたのは、農業の発達があったからだ。少人数で食糧を安定供給できるようになったからこそ、工業を発展させる人的余裕が生まれた。前回の記事で書いたとおり、生産技術の革新はモノの価格を引き下げる。そして新たな産業が生まれる。「仕事をかんたんにする仕事」によって食糧や日用品が廉価になり、新たなコンテンツ産業が花開くはずだ。
長くなったが、ここまでが前置きだ。



        ◆



コンテンツ産業とは、どういう業種だろう:一言でいえば「腹を満たすことができない産業」だ。マンガも音楽も小説も、私たちの飢えを直接満たしてくれるわけではない。工業製品は私たちの暮らしを便利にするが、映画を見ても空を飛べるようにはならない。コンテンツ産業にカネを落とすということは、消費者にとっては“ムダ遣い”なのだ、基本的には。
したがって、コンテンツ産業の「製品」はどうしても低価格になる。消費者が食品や生活必需品、将来のための蓄えをして、それでも余ったカネがコンテンツ産業に落とされる。低価格であるがゆえに、多数の人に消費されないとビジネスとして成り立たない。多数の消費者に届けるためにはロジスティクスが必須だ。
江戸時代の瓦版と比べれば、新聞が毎朝きちんと配達されるのは驚異的だ。たとえば週刊誌の原稿を集め、編集し、印刷して、決まった小売店へと配布する――少年ジャンプを日本全国でほぼ同時に発売できるのは、ロジスティクスが完備されているからだ。個人で出来ることではないし、一般企業にとってもこうした商流をゼロから構築するのは難しい。歴史的な経緯のなかで少しずつ投下されたカネと労働力の結晶だ。コンテンツ産業の製品は、出版社や映画制作会社のようなディストリビューターが介在することで「多数の人からの消費」を実現していた。



では、インターネットはコンテンツ産業に何をもたらしたのだろうか。
この10年ずっと言われていることだが、上記のロジスティクスを一夜にして不要なものにした。
たしかにテレビが登場したころ、映画は無くなると囁かれていたが、実際にはそうならなかった。楽観的な人は、本も同じだという。たとえ電子書籍がどんなに普及しても、紙の印刷物が無くなることはないだろう――と。
しかし映画が廃れなかったのは、映画館というデバイスがテレビに対して優位性を持っていたからだ。個人宅では不可能なほどの大画面、すばらしい音響設備、ロビーやチケットカウンターの非日常な演出……。どれもテレビには無いものだ。デバイスとして優れている部分があったからこそ、映画館は生き残ることができた。
今後、紙の印刷物が生き残れるかどうかは、紙というデバイスの優位性をどこまで保てるかにかかっている。キンドルのような電子デバイスの視認性が向上し、メモを自由に書き込めるようになり、なおかつソーシャルふせんのような付加価値まで提供するようになったとき、書籍はどれほどの優位性を残しているだろう。私には予想できないが、ゲームボーイの登場によってゲーム&ウォッチは消えた。
情報を流通させるコストは極端に下がった。コストとは、それを生み出すのに必要な労働力(=労働時間×労働強度×労働人口のことをいう。現在でも「コンテンツ制作者 → ディストリビューター → 運送・小売 → 消費者」という商流は残っている。が、これは歴史的慣性にすぎない。出版不況が叫ばれているが、今までと同じだけの労働力を抱え込むこと自体が不可能なのだ。「情報のロジスティクス」という分野は、いずれ大規模に縮小する。
ここから分かるとおり、産業の効率化があまりにも急激に進むと失業が生じる。人間の学習の速さには限界があり、効率化の速さがそれを超えると、取り残された人々は職を失うしかなくなる。たとえばイオンが出店した地域の商店街で起こっていることと、根本的な部分では同じだ。小売業という分野では効率化があまりにも速く進んでおり、個人商店の店主たちには対応しきれなくなっている。学習速度を超えているからだ。そして店を畳まざるをえなくなる。
こうして考えてみると、コンテンツ産業の未来は暗そうに思える。出版社やテレビ局などのディストリビューターたちが力を失っていき、産業そのものがゆっくりと衰退していきそうに思える。それでもなお、私はコンテンツ産業こそが未来の仕事だと主張したい。なぜなら、人々が必要としなくなったのはコンテンツを頒布する仕組みであって、コンテンツそのものではないからだ。
これはどんなに強調しても足りないと思うのだが、どんな時代もヒトは娯楽を必要としてきた。
マンガや音楽で腹が満たされるわけではないし、自動車や電話のように生活を便利にしてくれるわけでもない。けれど、それらは私たちの暮らしを豊かにしてくれるのだ。ディストリビューターが消えても、コンテンツ産業は――コンテンツを生み出す人々は必要とされ続ける。




ここで、既存メディアとWEBメディアを比較してみよう。既存メディアとは書籍、雑誌、新聞などの紙メディアや、CD、DVDなど、あらゆる物理的なメディアを指す。
まず既存メディアは、参入障壁がとても高い。物理メディアを使って情報を流通させるのは、歴史的な積み重ねがなければ難しい。この難しさは、印刷・運送・小売店の棚確保等のハード面と、編集やマーケティングというソフト面に分けられる。
ハード面を確立するのが大変だからこそ、新規参入が阻まれて、たとえば大手新聞社は安定したニュースの提供を実現することができた。参入障壁が高いからこそ既存業者は利得を確保できるが、安定した情報供給の見返りと考えていいだろう。
またソフト面では編集とマーケティングが両輪となって、「カネになるもの」を供給している。消費者の需要を読み取るだけでなく、編集によってカネを払うに値するものへと製品の完成度を高めている。書籍、音楽、映像……いずれの分野でも、ディストリビューターによるソフト面での支援があるからこそ商業化が成り立つ。同人誌や同人ゲームのマネタイズが成功しづらいのは、需要を読めず、完成度を高めるのが難しいからだ。
一方、WEBメディアは参入障壁が著しく低い。パソコン一台、ケータイ一台あれば、誰でも情報発信ができる――つまりコンテンツの供給者になれる。WEBメディアの力を借りた情報発信には、直接的なものと間接的なものがある。たとえばネット小説や動画共有サイトへの作品の投稿など、WEBを通じて制作物を発表する:これが直接的なコンテンツ供給だ。一方で、同人誌の作り方やライブハウスの借り方など、情報発信のノウハウそのものがWEBを通じて共有されている。インターネットの存在により、物理的なメディアによる情報発信もかんたんになっているのだ。これがコンテンツ供給に対するWEBメディアの間接的な効果だ。
インターネットの存在により、コンテンツを供給するコストは著しく下がった。誰もがコンテンツ産業の「製品」を作り、消費者へと直接届けられる。反面、完成度は低くなりがちで、需要に合致するものが供給されるとは限らない。編集やマーケティングの不在が問題だ。ただし、これについては“キュレーター”と呼ばれる人々によって、ある程度は解消されるのではないかと考えている。これについては後述。
また、既存メディアではコンテンツ同士の競争はゆるやかだ……なんて書いたら、実際に業界で働いている人には叱られてしまうだろうか。しかし玉石混淆のWEBメディアに比べれば、既存メディアでの競争ははるかにゆるい。
たとえば小説なら、ジャンルにもよるが、新人作家の作品は初版で4,000〜8,000部ほどが刷られる。一方で、WEB小説の場合、わずか100PVを稼ぐのも難しい。またテレビなら、どんな深夜だろうと数万人の視聴者の目に触れる。しかしニコニコ動画では、1,000PVすら達成できないコンテンツのほうが多い。WEBメディアは競争相手があまりにも多く、ほとんどの制作物は埋もれてしまう。大手出版社がインターネット上で新たなサービスを展開する場合にも、周到な戦略を立てなければ行き詰まる。
既存メディアは参入障壁が高いが、そのぶん競争がゆるやかな世界。そしてWEBメディアは参入障壁が低いが、そのぶん競争が激しい世界だと言える。
新人作家の初版部数は、WEB小説のPV数よりもはるかに多い。が、それでもビジネスとして儲けを出すのは難しいという。新人作家が人気を広げ、ベストセラーを連発するようになって、ようやく出版社は作家に投資したカネを回収できるという。なまじいい加減なモノを頒布するわけにはいかず、マーケターの審美眼に適ったコンテンツだけが流通する。
一方、WEBメディアでは「正のフィードバックに乗ることが重要」だと言われていた。人気のあるコンテンツは拡散され、ランキングサイトの上位に顔をのぞかせ、ますます人気をのばしていく。これが正のフィードバックだ。ランキングに乗らないコンテンツは、そもそも人目につかない場合のほうが多い。キャズムを超える等々、呼び方はたくさんあるが、「正のフィードバックに乗る」のがWEB上でコンテンツを提供するときの条件だと言われていた。
最近では「正のフィードバック」に加えて、キュレーターの存在が大きくなっている。WEB上のコンテンツは玉石混淆だ。日経ビジネスオンラインこちらの記事に書かれているとおり、雑多な情報のなかから有益なものを拾い集めて、分かりやすく提示する存在が必要とされている。既存メディアのマーケターのように、みんなが欲しがる情報を見抜くのがキュレーターの役割だ。今後は既存メディアの編集のように、コンテンツ制作者へと働きかけて成果物の完成度を高めようとする――そんなキュレーターも登場するかもしれない。
問題は、コンテンツ産業では“食えない”ことだ。少なくとも、いまはまだ。
ニコニコ生放送の配信者がファンからの収入だけで生活しているという話を聞かないし、アフィリエイトだけで生活できるブロガーもほぼ皆無だ。WEBメディアのコンテンツ提供者でマネタイズに成功したのはごく一部のニュースサイトだけで、ほとんどの人は趣味的な情報発信にとどまっている。なぜなら、食料品や生活必需品が現在はまだ高すぎて、WEBメディアからの収入だけでは充分な量を入手できないからだ。WEBメディアを介したコンテンツ提供は、まだ「産業」と呼ぶにはほど遠い。
だからこそ、生産活動の効率化が重要なポイントになる。
食糧や生活必需品は、いずれもっと安くなる。ちょうど、農民の数が85%から3%に減ったように、製造業まで含めた「生産活動」の従事者はいずれ激減する。そうなれば生産活動からあぶれた人々がコンテンツ産業へと流入してくる。人は病気になるほどたくさんは食べられないし、必要以上に遠くまで自動車で出かけることもない。食糧も工業製品も、消費量には限界がある。したがって「モノをこれ以上作らなくていい」という時代がいつか必ずくるのだ。その時代に人々が消費しているのは、モノではなくコンテンツだ。
現在のコンテンツ産業では、製品は数万人から消費されなければ生き残れない。しかし、たとえばアマチュアバンドが“Ust配信コンサート”の収益で食べていけるほど食糧や日用品が価格下落をした時代には、もはやクリエイターが数万人の消費者を相手にする必要はなくなっているだろう。数百人規模のファンからの収入で生きていけるようになるはずだ。



そんな未来はありっこない?
あなたがそう思うのは当然だ。わずか3%の人しか農業をしない時代を、鎌倉時代の人々は想像できなかった。



次回の更新では、数百人規模を相手にした“新しい産業”について取り上げたい。id:elm200さんのスカイプ相談に象徴される「人の話を聞く仕事」の誕生と将来性についてだ。





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