少し前になるが、こんなブログ記事がバズっていた。
「仕事で新人や部下・後輩を見ていると、どうにも仕事に対する責任感や、社会人の意識が薄い人がいる。これは新人だけに限らず、30代~50代のベテラン社会人にも潜んでいる。
そんな中でも、昔から気になっているのが、仕事を依頼したときに、即座に「無理です!」「出来ません!」と答える人がいます。」
【引用元】仕事の依頼に対して即座に「無理です!」「出来ません!」と答える人。
仕事を断るのは「責任感」や「社会人の意識」の欠如だそうだ。記事の末尾では「仕事が出来る出来ないよりも、このような社会的常識は身に付けていてほしいです」と結んでいる。では、常識さえ身につければ、こういう同僚は仕事をするようになるのだろうか?
精神科医や心理学者であっても、ときに信憑性の薄いことを言ってしまう。ましてシロウトの精神論など、オカルト以外の何ものでもない。「心構え」や「常識」を問うのは、加持祈祷で病気が治ると信じるようなものだ。
この著者は「なぜ仕事を断るのか」の分析が足りない。だから記事全体の説得力が損なわれており、ただの愚痴になってしまっている。
では、なぜ同僚は仕事をしないのか?
かんたんな話だ。インセンティブ設計に問題があるからだ。利益のない追加作業をする人はいない。
部下や同僚が仕事を断るのは、身も蓋もないが、その作業をしても報酬が増えないからだ。どんなに働いても月給が変わらないのなら、ヒトは作業をできるだけ減らそうとするに決まっている。月給制では金銭的インセンティブが働きにくい。
誰かの仕事を増やすなら、当然、それにあわせて報酬を上乗せすべきだ。でなければヒトは仕事をしないし、したとしても真面目に取り組まない。
かつて日本のサラリーマンは、残業代という形でこの追加報酬を受け取っていたのだろう。しかし最近の日本では「見なし残業」が定常化しており、なおかつ残業代圧縮が進んでいる。サラリーマンにとって、追加作業に対する金銭的インセンティブがないのだ。仕事を断って当然だ。
職人の見習いがタダで働くのは、将来、立派な職人になった際の見返りが大きいからだ。短期的にはタダ働きに見えても、長期的には優れた投資だと見なせる。将来の充分な見返りが期待できるなら、タダ働きにも金銭的インセンティブは生じる。
では、今の日本企業で20年後に残っているのは何社だろう?
2013年の倒産企業の平均寿命は23年だった[1]。ベンチャー企業の場合は「10年説」や「2年説」があるという[2]。企業の存続期間は、意外と短いのだ。一方、職業人生は約40年続く。年金の受給年齢が引き上げられれば、この期間はもっと伸びるだろう。終身雇用制度が崩壊した現在、「会社のため」にタダ働きをするのは合理的選択ではない。
とはいえ、今の日本で追加報酬を支払うのは(その是非は別として)あまり現実的ではないだろう。
労働分配率とは、生産活動によって得られた付加価値のうち、労働者がどれだけ受け取ったのかを示す指標だ。経済活動で得られた収益が、どのくらい労働者に行き渡っているかを示している。そして現在、労働分配率は世界規模で低下しているらしい[3]。
労働分配率は、景気が悪くなると上昇する傾向がある。企業の収益は伸び悩むが、人件費の削減には時間がかかるからだ。たとえば上記のグラフを見ると、バブル崩壊後の不況に陥った1990年代や、リーマンショックの起きた2008年には、日本の労働分配率は上昇している。
一方、景気がよくなっても、企業の収益が労働者の報酬に転化されるとは限らない。たとえば日本では2001年から小泉政権による「聖域なき構造改革」が始まり、2006年ごろには「日本は好景気に入った」という言説が目立つようになった。しかし人件費は増加しなかったため、労働分配率はきわめて低水準まで落ち込んだ。
企業の目的は利益を追求して資本家に配当することであり、雇用を創出することではない。それが良いことか悪いことかは別として、現在の資本主義のもとでは「企業」はそういう存在として想定されている。景気が悪化すれば、企業は利益確保のために人件費を削ろうとする。しかし、好景気になったからといって人件費を上乗せしない。人件費を増やす積極的な理由がないからだ。
かくして労働分配率は下がり続け、所得のトリクルダウンは起こらない。
閑話休題。
「人件費は増やせない」
「追加報酬は支払えない」
これらを所与の条件とした場合、どうすれば同僚に仕事をさせられるだろう。会社として出せる人件費が限られているにも関わらず、金銭的インセンティブを生み出すことはできるだろうか。
方法の1つは、スーパースターを作ることだ。
優秀な社員を1人だけ選び、その人にびっくりするほど高額の報酬を支払えばいい。
スティーヴン・D・レヴィット『ヤバい経済学』には、ニューヨークの麻薬売人の詳しいレポートが記載されている。売人のネットワークのうち、街角に立ってヤクを売るのはいちばん下っ端の仕事だ。彼らの収入はすずめの涙で、その多くが母親と一緒に暮らしている。実家から独立するカネすらないのだ。にもかかわらず、1980年代には多くの若者がギャングの仲間入りを果たし、ときには売り場を巡って殺し合いまでしていた。
なぜ彼らは最低賃金以下の仕事に命を賭けたのだろう?
それは、ギャングとしてのし上がることに成功すれば、莫大な富を得られるからだ。成功する確率が低くても、成功した場合の報酬が大きければ(つまり期待値が充分なら)、それは金銭的インセンティブになりうる。命をかける「価値」が生じるのだ。
似たような例はたくさんある。
たとえばハリウッドには、俳優としてブレイクするのを夢見る白髪のウェイターがいるらしい。一部の女性が、職能を磨くよりも女を磨いて「婚活」に取り組むのも同じ理由だ。ラノベ作家として成功を夢見るフリーター。第2、第3の『もしドラ』を書こうとするはてなブロガー。みんな同じである。目の前の確実な報酬ではなく、期待値に金銭的インセンティブをくすぐられているのだ。
社内にスーパースターを作るのは、これの応用だ。
優秀な人に飛び抜けて高額な報酬を支払えば、若手社員は「○○先輩みたいになりたい!」と目を輝かせて働くだろう。たとえ低賃金であっても、だ。人件費の支払総額を抑えたまま、金銭的インセンティブを生み出すことができる。
また、精神的インセンティヴで金銭面を補ってやるのも効果的だ。
「同じ夢に向かっている」
「同じ仲間である」
そういう帰属意識を抱かせることができれば、労働者は低賃金でも喜んで働くだろう。金銭的利得の少ない作業は、仲間のための尊い滅私奉公へと姿を変える。カネはもらえなくても、仲間からの「承認」を得られる。
なぜFacebookの「イイネ!」が押されるのか、なぜTwitterのファボ数やリツイート数、フォロワー数を競うのか。他者からの承認が報酬として機能するからだ。はてな村奇譚を読めば、もはや疑いの余地はない。承認欲求を満たすためなら、ヒトは無限の努力ができる。金銭的欲求を満たすのが難しければ、承認欲求を満たしてやればいい。
「スーパースター」を設定して金銭的インセンティブをくすぐり、仲間意識と承認によって精神的インセンティブを与える。こうすれば、給与を増やさなくても無尽蔵に働く人材を作り出せる。
人件費高騰にお悩みの経営者諸氏は、ぜひ挑戦してみてはいかがだろうか。
[1]2013年「業歴30年以上の老舗企業倒産」 倒産企業の平均寿命は23.6年
[2]ベンチャーの寿命は?
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※逆にいえば、もしもあなたの会社にスーパースターがいて、なおかつ帰属意識を高めるイベントが多いなら、疑ってみたほうがいいだろう。あなたの賃金は適正価格ではないかもしれない。
※適正な価格は自由競争によって決まる。自由競争とは、市場にプライスメイカーがいない状態を指す。しかし、今の日本では労組がベースアップを要求せず、人事面接で給与増を訴える労働者はあまりいない。つまり企業が労働市場のプライスメイカーになっており、自由競争が成立していないのだ。需要側がプライスメイカーになる場合、価格は不当に下がる。
※労働市場を自由化して、賃金を適正な価格にするには、日本の労働者はもっと賃上げを要求すべきではないだろうか。
※もちろん、その賃金に見合った能力を磨くことが前提条件ではあるが。