というより、最近繰り返し書いていることのまとめ、ですね。
たとえば日本では、鎌倉時代に牛馬耕や水車の利用が始まりました。農作業を省人化したことで人々には余暇が生まれ、工業・商業をする時間的余裕が生まれました。東海道の整備が進んだこともあって、日本の経済は急速に発展していきます。鎌倉時代〜室町時代にかけて付喪神(※工芸品の妖怪)が流行ったのは、工業製品が人々の身近なものになったからでしょう。16世紀〜17世紀には世界でいちばん高性能な鉄砲を国内生産するようになり、また村落では牛馬だけでなく、豚や鶏などがたくさん飼われていたそうです。日本にはかつて獣肉食の習慣があったのです。
ところが江戸時代の末期になると、農村から動物たちの姿が消えます。人々は自分の手で土を耕すようになりました。
様々な理由が考えられますが、一言でいえば「食糧生産の増加よりも人口の増加のほうが早く進んでしまった」のが原因でしょう。牛馬を育てるには時間がかかります。広い牧草地も必要です。生産技術の向上よりも人口増加のほうが早く進んでしまうと、動物を使うより人を使ったほうが安上がりになってしまうのです。労働生産性という観点からいえば“ダダ下がり”ですね。食糧を作るのに投下される人の数が――労働量が増えたのですから。人口は食糧生産能力のぎりぎりのラインを推移するようになり、江戸時代には飢饉が頻発するようになります。
「労働生産性が低い」状態とは、「本来なら人間がすべきでない仕事を人間がしている」状態だと言えそうです。労働生産性を高くするには、省人化が必須です。
しかし省人化が進むと、失業が増えてしまうのではないか……そんな危惧がぬぐえません。
たしかに短期的にはその通りで、自動織機が導入されたことで機織り職人は仕事を失い、ロボットが導入されたことで自動車工たちは仕事を失いました。ところが長期的に見ると、そうとも限りません。
たとえば江戸時代、日本の食糧自給率はほぼ100%でした。人口の85%が農業に従事していたと言われています。食糧自給率は1960年代で7割弱、現在では4割ほどです。一方、現在の農業従事者は約260万人、人口の3%にも満たない人数です。食糧自給率の低下に対して、農業人口はあまりにも減りすぎています。食糧生産の技術が発達し、省人化が進んだのは明らかです。たとえば乗車型のトラクターが普及するのは1960年代に入ってから。わずか50年前と比較しても、農業の現場は目覚ましい進歩を遂げています。
では、土を耕さなくなった人々はどこに行ったのでしょうか。
失業して飢え死にしていったのでしょうか。
そんなことはありません。農村から都会へと移り住み、日本の高度経済成長を支えました。日本の製造業が華々しい発展を遂げたのは、農業が効率化され、省人化が進んだからです。生産活動の機械化は人々に余暇を与え、新しい産業を生む原動力となりました。
自動車は、手作業が減ったことで価格が下落しました。同じことが食料品でも起こっています。米一俵の価格は昭和30年代には約4,000円でしたが、平成15年には約1万5,000円、およそ3.5倍になりました。一方、国家公務員の初任給は昭和30年代に8,700円だったものが、平成15年には約18万円、およそ20倍になりました。所得に対する相対的な食料品の価格は下落を続けています。
食料品や生活必需品が昭和30年代並みに高価だったら、洗濯機も掃除機もテレビも売れません。DVDプレイヤーもゲーム機も売れません。スタジオ地図が『おおかみこどもの雨と雪』を作れるのは、映画館に来るほどカネの余っている人がいるからです。現在では年収300万円の派遣社員でさえ、江戸時代の旗本よりも豊かな生活を送っています。
労働生産性が向上するとは、つまりそういうことです。
技術革新により食糧生産の機械化が進みました。省人化です。農作業から解放された人々は、工業に専念するようになりました。分業です。そして、もはや「頭脳になる人」と「手足になる人」とで分業することさえ非効率な時代になりました。すべての人が「頭脳になる」という、究極の分業を進めていかなければなりません。
「私の職業は“私”です」
そう言える日が来ることを、願ってやみません。