「仕事」とは社会参加の方法だ。あなたが給料を受け取れるのは、あなたの行動・存在がカネを払うに値すると、社会から認められた証拠だ。カネを稼ぐことのできない人が不当に低く評価されてしまうのは、社会の一員だと見なされていないからだ。どんなに成績のいい優等生でも、バイトすらしたことのない人は社会的に無価値だ。それが良いか悪いかは別として、いまの世の中ではそういうことになっている。
20、30代の正社員、「転職したことがある」が52.5%【DODA】
http://careerzine.jp/article/detail/1881
この数字がどこまでアテになるのかは分からない。有効回答は800件で、経年的な変化も――転職が増えたのか減ったのか――も分からない。しかし、転職経験者が私たちの想像しているよりも多いのは確かだ。一昔前まで日本は終身雇用・年功序列の社会だとされていた。その時代の常識に照らせば、「過半数が職場を変えたことがある」という調査結果は衝撃的ですらある。
日本の学校教育では「働く能力」を教わる機会がない。「社会参加の能力」と言い換えてもいいだろう。本来ならばそういう能力を開花させる役割を担うはずの職業高校(※工業高校や商業高校)が、成績の伸び悩んだ子供たちの「受け皿」になってしまっている。日本人の職業能力は、民間企業での人材育成に一任されてきた。
ところが現在、民間企業での人材育成は機能不全に陥りつつある。
理由は三つ。
まず一つ目は、民間企業で学べる「働き方」が急速に陳腐化していること。もちろん働きながら学べることはたくさんある。簿記や会計の根本的な部分は500年前から変わっておらず、今後、数百年は変わらないだろう。職場で実際にカネを扱うようになってから学べる知識は決して無駄ではない。その一方で、物流・物販をはじめとした商売の形態は急激に変化している。今までの「仕事のやり方」は、数年後には無意味になっている。
たとえばメーカーの営業職のことを考えてみよう。
彼らの得意先は一般消費者ではなく、仲卸業者――つまり問屋だ。しかし総合商社ならいざ知らず、問屋のほとんどは零細企業であり、充分な市場調査ができない。消費者の動向をいちばんよく知っているのはビックカメラやイオンのような小売業者である。そこでメーカーの営業スタッフは、まず小売店の担当者と商談して販売計画を練る。どの時期に、どんな商品を、どんな問屋・運送業者を使って出荷するのか。完璧な絵を描いたうえで見積もりを立て、問屋の担当者へと売り込みにいく。
ちなみにこの時、使う問屋や運送業者のなわばり争いに気を遣わなければいけない。下手な新参業者にモノを流してしまうと、古くからの得意先が二度と商売の相手をしてくれなくなる。にわかには信じられないが、日本には損得勘定だけでは動かない世界が残っているのだ。義理や縁故が、どろどろした澱のように溜まっている。
さて、メーカーの営業職として仕事を覚えたとして、その知識はいつまで使えるだろう。
amazon.comの例を出すまでもなく、情報化の影響をもろに受けているのが物販・物流の業界だ。自宅からクリック一つで買い物ができる時代、「小売店は消費者の動向を知っている」という前提をいつまで維持できるだろう。たとえば健康サプリメント業界や化粧品業界は「メーカー → 卸売り → 小売店」という商流にいち早く見切りをつけ、すでに消費者直結の通信販売へとシフトを終えている。商売の形態が急激に変化している時代だ。必要なのは柔軟な適応力であって、伝統ではない。職場で学べる「働き方」の陳腐化が進んでいる。
二つ目は人材育成をできる人材がいないこと。これは就職氷河期の影響だ。大雑把にいって、団塊世代の人々は終身雇用・年功序列を前提とした働き方をしていた。そういう生き方を常識として社会人になったのがバブル入社世代だ。これは団塊世代、バブル世代の個々人がそういう考え方をしているという意味ではなく、世代全体の空気感のことを言っている。一度社会人になったら、死ぬまでその会社に尽くす――。
ひとつの財閥で一生働きつづけるというのは、どんなものなのだろう、とちょっと気になる。社宅、社歌、社葬。
――――ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(1984年)
当時の日本企業の常識は、海を越えて世界中に知られていた。現在でも関西電力や東京電力には中途採用者がほとんどいないという都市伝説がまことしやかなに囁かれている(※実際どうなのだろう?)が、日本の大企業はそれこそ丁稚奉公のように、まっさらな新入社員を年長者が育て上げるという気風を持っていた。らしい。
ところがバブル崩壊と就職氷河期の到来で、この風土は壊れた。新入社員が毎年やってくるという習慣はなくなり、現在では入社5年目、10年目の“新人”がいる職場も珍しくない。後輩がまったく入ってこなくなってしまったのだ。
人にモノを教えるのは、誰にでもできることではない。コツや技能が必要な分野であり、だからこそ限られた人しか教師には――モノを教えるプロには――なれない。現在の新入社員たちが配属されて最初に目にするのは、誰かを指導した経験がほとんどない“先輩”たちだ。バブル崩壊当時にリストラを進めなかった企業ほどこの傾向は強いだろう。新入社員を絞るという方法で人材削減を図ったはずだからだ。
現在の日本企業には「後進を育てた経験」のある人がほとんどいない。いたとしても育てた人数が少ない。たとえばダイヤモンド・オンラインには人材育成に悩む管理職に向けた記事が溢れており、問題の深刻さを物語っている。
そして三つ目、転職が一般化したこと。一つの企業に腰を据えるという風習がなくなれば、新入社員にとって合理的な戦略は「その企業で学べることを学べるだけ吸収し、自分の人的資産価値を高める」ことになる。大事なのはあくまでも自分の経験や実績を上積みすることなのだ。企業側としてはたまらない、せっかくカネをかけて育てた社員が、投資を回収する前に他社に逃げてしまうのだから。
転職が「悪いこと」だと言いたいのではない。個々人が最適な戦略を選ぶことの、いったい何が悪いというのだろう。転職がこれほど一般化した(企業が人材育成の投資を回収しづらくなった)のは、終身雇用制度を守れなくなった企業の側にも責任がある。そして企業が年功序列を守れなくなったのは不景気のせいだ。社会全体が抱えたジレンマであり、犯人探しは意味がない。
転職を前提として働く「合理的な個人」は、後進の育成には気を払わない。なぜなら彼らにとって、自分の価値を高めるのが最優先課題であって、転職市場における競争相手を増やすのは合理的ではないからだ。また企業は人材育成へのコストを今後も絞り続けるだろう。新入社員にカネをかけても投資を回収できないのに対して、転職市場には魅力的な人材がゴロゴロと転がっている。
転職市場の存在により、企業は人件費を下げ続けることができる。転職によって高給を目指せるのはごく一部の超すごい人材だけで、大多数の人にとっては給与水準はかえって下がってしまうのではないだろうか。少なくとも、景気が低迷し続ける限り。だからこそ私たちは景気の回復を目指さなくてはいけない……
……と、まとめても良かったのだが、
それで困るのはこれから社会人になる人たちだ。
企業はいま人を育てる機能を急速に失っている。もちろん業界や企業の設立年数にもよるけれど、まず、人を育てられる人がいない。さらに職場で学べる知識のうち、将来にわたって有用なものが少ない。そして転職を前提とした勤労観の出現により、先輩が後輩を育てないという傾向がますます強くなっている。にもかかわらず、能力がなければ給料があがらない世の中になりつつある。
それが良いか悪いかは、この記事では問わない。
大荒れの海原に悪態をつくのは自由だが、それで転覆を免れるわけではない。せいぜい振り落とされないよう、甲板のどこかにしがみつくしかない。
これから社会人になる人たちにアドバイスするとしたら:自分の価値を高めることに早いうちから取り組んだほうがいい。
いますぐお手軽に取り組めるのは資格試験だろうか? たしかに、どこの馬の骨ともつかない私設団体が資格ビジネスで儲けることに疑問を感じないわけではない。が、なにかを勉強するのはしないよりもはるかにマシだ。
そしてそれ以上に自分の好きなことで稼ぐための道を拓くのが重要だ。アプリ開発に興味があるならさっさと完成させて公開してみるべきだし、ゲームを作りたいのならアルバイトでも何でもいいからゲーム業界にさっさと飛び込むべきだ。絵描きになりたいのなら絵を売れ、歌手になりたいなら歌を配信しろ。あなたを評価するのは中抜き業者ではなく消費者だ。あなたを“買ってくれる”人たちと、直接つながることができる。そういう時代になったのだ。なりたい詐欺からは卒業しよう。
働き方を見つけるということは、あなたが社会からどのように必要とされるのかを見つけるということだ。そして働き方は変わった。社会参加の方法は変わった。かつてはどこかの企業に雇われることが社会参加の方法だった。いまでは目の前の薄っぺらい機械を通して、社会と関わることができる。年配者には想像できないほど広い社会とつながることができる。
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