日本人は労働生産性が低いという。特にホワイトカラーの仕事の効率化が急務だと言われている。「働き方を変えるべきだ!」と啖呵を切る人は多いけれど、ではどのように変えればいいのだろう。具体的施策はおろか、方針すら見つけられずにいる。
また、現在の教育の形態は18世紀からほとんど変わっておらず、とっくに制度疲労を起こしているという。情報技術の発達により「知のあり方」が変わったと言われている。だから教育も変わらなければ……と訴える人は多いけれど、ではどのように変えればいいのだろう。なんとなくのイメージではなく、明快な方針を見つけなければいけない。
端的に言って、今までの学校教育は「ミスしない人」を育てるものだった。各企業の人材育成も、その延長線上だった。日本ではミスをしない人ほどいい職に就くことができ、ミスをしない人ほど高い地位へと出世できた。受験や成績考課だけではない、教室や職場での人間関係でも「ミスをしない」ことが重視され、一度でも失敗した人間は社会から排斥された。かくして日本人は総じてミスの少ない国民に育った。
この「ミスの少ない国民性」は一昔前までは確かに有用だったのだろう。たとえばExcelも電卓もない時代から、大企業は年間数百万件、数千万件の取引を行っていた。すべての仕訳を人の手で帳簿につけ、あらゆる税金や引当金をそろばんだけで計算していた。「ミスをしない国民性」があったからこそ、当時の日本企業は他のどの国よりも正確な財務管理を行い、適確な経営判断を行うことができた。今では想像もできないが、バブルのころの日本企業は「世界を飲み込んでしまう」と危惧されるほどだった。「ミスしない」ことを偏重する社会が、日本の好景気を影で支えていた。
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ところが情報技術の発達により、人間よりもはるかにミスの少ない機械を、手軽に使えるようになった。そして「ミスしない人」の価値は暴落した。とくに製造業の現場では顕著で、いまでは巨大な生産ラインがわずか数人のスタッフで運営されている。ブルーカラーの仕事はどこまでも効率化された。
ところがホワイトカラーの職場では、そうならなかった。
というより、ホワイトカラーの労働者たちの多くは気づかなかったのだ。「ミスしない人」にはすでに価値がないと。自分たちの仕事のほとんどすべてを、機械に置き換えたほうが安上がりだと。
ミスをしないヒトはいない。
当たり前だが、人間は必ずミスをする。どんなに真面目で勤勉な人でも、絶対にミスをするのだ。
「ミスしない人」を育てる時代は終わった。「ミスしない」のは無価値だと気づくことが、ホワイトカラーの仕事を効率化する第一歩だ。ヒトは絶対にミスをする。ミスの許されない仕事は、すべて機械にやらせるべきだ。これからの時代に必要とされるのは、ミスのない環境を作れる人だ。ミスのない仕組みを設計して、構築できる人だ。
◆
本来、「知的であること」と「ミスしないこと」は一致しない。
にもかかわらず、日本では「ミスしない子供」に高い成績が与えられる。決められた時間内にミスせずに課題をこなすこと。入学試験をはじめとするあらゆるテストが「ミスの有無」を評価するようにできており、ミスの少なさが得点につながるように設計されている。教育の理想や目的は分からないが、実態として日本の教育制度は「ミスのない人」を育成するように出来ている。
情報技術がいまほど身近ではなかった時代、この教育はたしかに世の中に豊かさをもたらしていた。
効率的な制度運営は、世の中の豊かさに直結する。たとえばナイジェリアは豊富な石油資源を持っていながら、社会制度がボロボロなために今でも貧困国の立場に甘んじている。破綻する以前のJALは、ひと月の売上金額が三ヶ月後まで分からなかった。社会や組織を動かしている「仕組み」に難点があると、それは社会や組織を滅ぼしてしまう。
たとえば無人島に漂着したときに役立つのは理系知識だけだ(だから文系知識は無価値だ)という主張を見かけるが、人間というものを分かっていない。「制度」や「仕組み」がなけば豊かな社会は作れない。無人島に漂着した人間が2人以上ならば、食糧の分配や採集活動の分担など、社会的な取り決めが――つまり「制度」が必要になる。
社会を豊かにするには「制度」や「仕組み」が不可欠で、それが間違いなく、確実に、運用される必要がある。「ミスしない人」の出番だ。
情報機器が氾濫する以前は、「ミスしない人」は貴重な人材だった。労務制度や税法、会計制度などの「ルール」を記憶し、そのルールどおりに書類や数字を動かす……。コンピューターの無い時代には、人の脳みそを使うしかなかった。「ミスしない人」が多ければ、それだけで精密な制度運用が可能になり、社会の豊かさや企業の業績を向上させられる。ひたすら「ミスしない人」を育てた日本は、他国に対してすさまじい優位性を持っていただろう。
ただし、一昔前まで。
大前提として、どんな人でも必ずミスをする。ヒトよりミスの少ない&安価な機械があるのなら、それを用いたほうが効率的だ。ルールを覚えて、ルール通りに数字を動かす:まさにコンピューターが得意としている分野ではないか。ヒトがルールを覚える時代は、とっくの昔に終わっている。それに気づいていない人があまりにも多いから、日本では非効率なホワイトカラーの労働者に多額のカネが浪費され、労働生産性が低い水準のままなのだ。
ホワイトカラーの仕事の効率化が進まないのも無理はない。
彼らの仕事を機械に置き換えるということは、彼らのいままでの仕事を否定するということだ。彼らが今まで勉強してきた知識が、価値を失うということだ。自動車工場にロボットが導入され始めたころ、当時のブルーカラーの労働者たちは製造ラインの機械化に反対していた。それと同じことが、今度はホワイトカラーの職場で起こるだろう。
◆
機械のせいで失業が増えることには賛成できない。「効率化」は失業をもたらすだけで、社会に豊かさをもたらさない……。と、主張する人もいるだろう。ご指摘の通りだ。労働の機械化・効率化があまりにも急速に進むと、それは失業と貧困を生む。しかし長期的な視野で見れば、話は別だ。
そもそも「豊かさ」とは何だろう。
生物学者マット・リドレーは「単純な生産活動で・多様な消費ができること」だと指摘している。私たちの先祖が狩猟採集生活をしていたころ、彼らは自分たちの手で食糧を確保し、衣服をつくろい、住居を建設していた。多様な生産活動をしながら、衣食住という最低限の消費活動しかできなかった。人類は分業により一人当たりの生産活動を単純化させ、消費活動を多様化させてきた。
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「分業による生産活動の単純化」を、「効率化」と言い換えてもいいだろう。
たとえばあなたが縄文人だとして、一日分の魚を釣り上げるのには何時間かかるだろう。運が良ければ1時間で仕事を終えられるかもしれない。あなたが若い縄文人で、まだ釣りに熟練していないなら、半日、丸一日をかけても食糧を得られないかもしれない。
ところが今なら魚1匹をコイン1つで買える。時給1,000円のアルバイトなら、わずか6分間の労働でサンマ1尾を得られる。
これが「効率化」だ。
たとえば米1俵の値段は、昭和30年頃に約4,000円だったものが、平成15年頃には約1万4,000円、およそ3.5倍になった。一方、国家公務員の初任給は昭和30年頃に8,700円だったものが、平成15年頃には約18万円、およそ20倍になっている。“物価の優等生”と呼ばれる鶏卵に到っては、昭和30年頃から値段がほとんど変わっていない。所得に対する米や卵の相対的な価格は下落している。これは食料品全体に当てはまる現象で、背景には生産技術の向上と効率化がある。
食料品の価格下落とともに農業従事者の比率は減り続けた。では失業が増えたか?
とんでもない、都会に出てきた農村出身者たちは第二次産業に従事し、日本の高度経済成長を支えた。食糧生産が効率化されたからこそ、農作業をしない時間に新たな消費が生まれ、農作業をしない人々が新たな消費を行った。食糧生産の効率化がなければ、テレビも洗濯機も冷蔵庫も売れなかった。人々は食糧を買うのに精一杯で、工業製品を買うような余裕はなかったはずだ。カラーテレビやエアコン、自家用車が人々の手に届くようになったのは、製造技術の効率化により価格が下落したからだ。かつては一生働いても買えなかったものが、数年の労働で手に入るようになった。なにかを入手するために必要な労働時間が減少すること。それが価格の下落だ。
生産活動の効率化は余暇を生む。
余暇は新たな消費を生み、新たな産業を生む。
食料品や生活必需品が昭和30年代並みに高価だったら、DVDプレイヤーもゲーム機も売れなかっただろう。アニメーションスタジオ・シャフトが『まどか☆マギカ』を作れたのは、DVDやブルーレイに使えるほどカネが余っている人がいたからだ。生活必需品の価格下落がなければ、あんな高品質な娯楽作品は売れないし、そもそもアニメが産業として成り立つかどうかも怪しい。現在のように多数の制作会社がしのぎを削るなんて、絶対に不可能だ。昭和中期には考えられないほど多様な消費を、現在の私たちは享受している。
産業の効率化は「単純な生産活動で・多様な消費ができること」につながる。つまり豊かさをもたらす。
この流れの行きつく先は、たとえばニコニコ動画のクリエイターがアフィリエイトだけで食っていけるほど生活必需品の価格が下がった世界、あるいは自宅からのワンクリックだけで生産現場のラインを管理できる世界だ。その時代には、いまの私たちには想像もつかないような消費活動が生まれ、新しい産業となっているだろう。その産業の名前を、たぶん私たちはまだ知らない。昭和30年代にWebデザイナーはいなかった。
◆
話をホワイトカラーに戻そう。事務職の仕事は効率化されるべきだろうか:もちろん答えはイエスだ。産業の効率化は新たな消費と産業、雇用を生む。ルールを記憶し、ルール通りに書類や数字を処理する。それは最終的にはコンピューターがすべき仕事であって、人間の仕事ではない。現在でさえ低賃金な地域へのアウトソージングが進んでおり、日本人がそういう仕事を目指しても職にあぶれる。この日本では、もはや「ミスしない人」に価値はない。
これからの時代に必要とされるのは「環境を作れる人」だ、ミスのない環境を。
これは単にプログラムが書けるとか、アプリを作れるなどの意味ではない。もちろん情報技術に特化した専門家も必要だろう。分業は必須だ。が、IT技術者だけが「ミスのない環境を作れる人」ではない。たとえば報告・連絡の取り方や、意思決定の方法など、より広い意味での仕事環境の話をしている。
40年前、大企業の経理部・財務部には100人以上の人員が割かれていた。
なにしろ電卓もない時代だ。腕カバーをつけた経理職員が手書きの伝票をめくり、そろばんを弾きながら働いていた。帳簿から帳簿への転記、あらゆる経理雑務、そしてお茶くみや若手社員のお嫁さん候補として、大量の女子社員が雇われていた。そういう職場風景は、電算機の発達にともない変わっていった。現在ではどんな大企業でも数人〜十数人のスタッフしか置かず、会計システムとExcelとAccessで仕事をこなしている。そして40年後には、経理や財務という部署そのものがなくなるだろう。すべての取引を電子決済ですませ、税金計算から連結決算、財務諸表の作成まですべてモバイル端末が自動で行う。そういう時代が来るはずだ。
いま必要なのは、電子端末の代わりになれる人ではない。
そういう時代に向かって仕事環境を設計・構築できる人だ。
ホワイトカラーの働き方を変えるべきだと主張する人は多い。「ミスしないように事務処理をする」のが今までのホワイトカラーの仕事だった。これからは「ミスのない環境を作る」ことが彼らの仕事になる。
現在の教育は時代遅れだという人は多い。たしかに「ミスしない人を育てる」ことは、本人にとっても社会にとっても不幸だ。もちろん教育の目的は「社会の一員を育てること」であって、人材育成は巨大な目標のごく一部でしかない。しかし、その小さな一部分に限って言えば、これからは「ミスのない環境を作れる人」を育てていかなくてはならない。
ヒトは必ずミスをする。あなたがミスをするのは(身もフタもないが)あなたが人間だからだ。
8世紀頃のスペインで、とある錬金術師がワインをうっかり暖炉にこぼした。人工生命体(ホムンクルス)を作る実験の最中だったという。暖炉の石のうえでワインが2回沸騰することに、彼は気づいた。この発見から蒸留技術が生まれ、ブランデーが作られ、ウイスキーやウォツカ、日本の焼酎が発明されていった。
「うっかり」から生まれたものは多い。
グラハム・ベルはうっかり希硫酸をズボンにこぼして、助手のワトソンを呼びつけた。このときの「おい、ワトソンくん来てくれ!」という一言から電話の歴史は始まった。ベルギーの技術者ゼノブ・グラムは自作の発電機をデモンストレーションしている時に、うっかり二台の発電機をつないでしまった。そして発電機がモーターとしても使えることを発見し、現代の電気文明の端緒を開いた。あなたの自宅の電子レンジのターンテーブルが回るのは、遠くの発電所のタービンが回っているからだ。ライト兄弟の飛行機にせよ、本田宗一郎の空冷エンジンにせよ、発明の過程には「うっかり」がある。
人類の目覚ましい進歩は、誰かのミスによってもたらされる:そう思わずにはいられない。ミスの否定は、ヒトの創造性の否定だ。「ミスしない人」を育てることは、その人の人間性を抑圧することにほかならない。ミスが許されない状況下では、誰もがリスクを回避し、失敗を隠匿する。しかしミスを容認する状況下ならば、ミスの原因がきちんと分析・検討されることで、かえってミスの少ない環境を作り出せる。
ミスの許されない仕事は機械にさせよう。
ミスをするのは、ヒトの仕事だ。
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