そもそも年金制度は、高齢により自活できなくなった人のためにある。ヒトは誰でも歳をとる。老いたら死ぬしかない社会は、絶望しかない社会だ。治安の観点からも社会福祉は大切だ。しかし裏を返せば、「自活できる老人」へと年金を支払うのは、正義にもとる。カネ持ちにカネを払うなんてバカげている。
- 作者: ロバート・A.ハインライン,牧眞司,Robert A. Heinlein,矢野徹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/03/15
- メディア: 文庫
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政府とは、失業や貧困を解消し、すべての国民に利益をもたらすために存在している。消費税の増税にせよ、年金受給年齢の引き上げにせよ、どちらも貧しい人ほど困窮する政策だ。日本はいま、積極的に貧民を生み出そうとしている。これは政府の役割にそぐわない。
とはいえ年金制度を放置すれば破綻は避けられない。人口増加を望めず歳入を増やすことができないのなら、支出を削減するしかない。では、どこから削るべきだろうか。
言うまでもなく「余裕のある人たち」への支払いからだ。
・資産総額が一定以上の人には、年金を支払わない(受給資格を凍結する)。
・資産総額は年一回の申告によって把握する。
※申告は毎年行われるので、貯蓄が減ってきたら受給資格が復活する。蓄えのある人にはまずそのカネで食いつないでもらい、蓄えがなくなってきたらきちんとフォローしますよ、という仕組み。
だいたいこんな感じの方法で、支出を削減するべきだ。年金制度の破綻を回避できるだけではない。使うあてのない貯蓄が切り崩されることで社会全体のカネ回りがよくなり、景気回復の火口となる。好景気になれば利子率が上昇し、資産総額の大きい人ほど利息収入が増える。よって、年金受給を凍結したぶんの損失を埋め合わせられるだろう。
いまの二十代の多くは、払ったぶんの年金をきちんと受け取れるとは思っていない。若者たちは一種の税金のようなものとして年金を支払っている。年金制度を「保険契約」型にする理由はない。税と社会保障を一体化させて改革するのならば、そのぐらい踏みこんでほしい。
もくじ
1.カネ持ちにカネを配るという愚
2.貧困は加速させるべきか、緩和させるべきか
3.誰が資産総額を管理するか
4.年金を“受け取るべきでない”貯蓄額
5.貯蓄のパラドックスが崩れるとき
◆ ◆ ◆
1.カネ持ちにカネを配るという愚
マイケル・サンデル教授が大流行したころ、「日本人は正義についてあまり議論してこなかった」という反省の弁をそこここで目にした。あらゆる政策は、突き詰めれば人々の価値観によって――正義によって決定される。しかし日本には体系立った「正義」の理論がない。あるのは「○○はもう古い!」というミーハー精神と、「誰の真似でもない」ことを至上とするオリジナリティ信仰だけだ。そして「プロテスタントの節制って日本の禅宗にも通じるモノがあるよね」というような曲解が蔓延しているため、自分たちの思想的基盤を、他文化と充分に比較検討できずにいる。そうした思想的基盤の脆弱さが、政府がなんのために存在し、どういう政策を「いい政策」とするのか――その判断基準の希薄さを招いた。そして政治は、カネと縁故によって動かされてしまうようになった。
では、政府の存在意義とはなんだろう。
SF作家ロバート・A・ハインラインの傑作『月は無慈悲な夜の女王』は、流刑地だった月面都市が地球連邦政府から独立するというストーリーだ。アポロ11号の月面着陸が1968年、この作品が発表されたのは1966年だ。ハインラインの想像力には舌を巻くばかりだ。彼は豊かな歴史的・社会学的な知識にもとづいて、緻密な政治劇としてこの作品を仕上げた。とくに「月世界国家」の体制をどのようなモノにするか議論するシーンが熱い。ゼロベースで「国」をデザインすることになった登場人物たちは、国家体制について自由に――議会制民主主義だけではなく、それこそ専制君主制から無政府主義にいたるまで――候補として検討する。冷戦中の小説であるにも関わらず、後の新自由主義の萌芽ともとれる文句があることには驚かされる。
「ときどきわしは思うよ、政府とは人類が逃れることのできない病気かもしれぬとね。だが、それを小さく、貧乏で、無害なものに留めておくことは可能かもしれない」
二度の世界大戦を経験して、「国家」は強いチカラを持つようになった。キューバ危機は1962年、強すぎるチカラは人類を滅亡の一歩手前まで引きよせた。強すぎる国家への反省が、当時の作家の心に芽生えたのだろう。どんなエリートを集めても、社会情勢を完璧に理解・コントロールすることは不可能だ。彼らはラプラスの怪物にはなれない。国家による計画経済よりも、市場の作用にまかせたほうが富の分配がうまくいくはず――。新自由主義の基本コンセプトが生まれた。
経済に対する国家の干渉を最小限に抑えること。市場の失敗を補い、公的な財の蓄積のみに政府の機能を限定すること。これが“理論上”の新自由主義だった。しかし実際の政策に応用される過程で、新自由主義は都合のいい日和見主義へと歪曲された。「市場の機能が働かない分野」として保護の対象となったのは、「既得権益者にとって都合のいい分野」だけだった。一方、競争原理にさらされたのは福祉や教育などだ。しかし、これらの分野でサービスの質を左右するのは利益の拡大ではなく、サービス提供者の「献身」だ。カネの力では――市場の機能ではサービスの質を向上させられない分野なのだ。にもかかわらず、「強きを助け弱きをくじく」ような政策を実施するための方便として新自由主義は利用された。
国家が強い権力を持つべきではないという基本理念に、疑いの余地はない。
一部のエリートだけでは正しい判断ができないという点にもうなずける。
しかし「小さな政府」が切り詰めるべきなのは、カネ持ちに対する支出だ。政府からの援助や保護がなくても飢えることのない人々への支出だ。ところが現実世界の「小さな政府」はまったく逆のことをやった。そして新自由主義は、市場原理主義と混同されていった。
市場の機能は完璧ではない。それを補うことこそ、現代の政府の役割だ。
具体的には、社会福祉、教育、警察、自衛戦力などがあげられる。カネのために仕事をしている人が命を賭けられるだろうか。カネのために仕事をしている人が、教え子や患者の人生をおもんぱかることができるだろうか。これらの分野でサービスの質を決定しているのは提供者の「献身」だ。ゆえにカネの力だけではサービスを向上させられない。
また社会全体に目を向けた場合、これら四つはすべて秩序と治安の維持に欠かせない。教育の機会平等は突出した人材を見いだし、社会全体の平均的な創造性を高める。ピラミッドは底辺が広いほど頂点も高くなるのだ。また貧困と犯罪率には強い相関がある。貧乏人=犯罪者候補だと言いたいのではない。犯罪者候補は所得にかかわらず存在するが、貧困は心の余裕を失わせ、それを顕在化しやすくするのだ。貧困による治安悪化や社会不安に比べれば、社会保障や福祉の充実は安い出費だ。
つまり一言でいえば「再分配」は政府の重要な役割なのだ。所得の移転が民間部門だけで進むのならば理想的だが、現実にはそう上手くいかない。だからこそ政府があいだに立ち、徴税や強制的な保険料徴収などでそれを実行する必要がある。
ここまで考えると、疑問が生じる。
カネ持ちにカネを配ることに、果たして正義はあるのだろうか?
再分配を政府の役割だとみなすと、いまの年金制度はその対極だ。世代間で比較した場合、いまの日本では年寄りほど貯蓄が多く、若年者ほど少ない。もちろんこれは世代ごとの合計なので、実際には貧しい老人もいるし豊かな若者もいる(つまり年寄りほど貯蓄の格差が大きいとも言える)。貧乏な老人が飢え死にするような社会を、私は望まない。しかし、それでも、全体的に貧しい若者から一律課金して、全体的にはカネ持ちの老人たちへ一律支給する――。この構造には疑問を覚える。年齢に関わらず、政府が守るべきなのは「カネの無い人々」だ。カネ持ちにカネを配るのは政府の役割に反している。
2.貧困は加速させるべきか、緩和させるべきか
年金制度の破綻を防ぐために――。この題目で議論したとき、おもに二つの政策が俎上にあがる:消費税の増税と、受給年齢の引き上げだ。(そもそも消費税って年金の財源に回していいモノなのか、という点にも疑問はつきないのだけど……。それ以上に重要なのは)これら二つの政策が「貧乏人ほど困窮する」という点だ。
まず受給年齢の引き上げで困るのは、言うまでもなく貧乏人だ。定年退職後にも所得がある人なら困らないし、充分な蓄えがある人も、まあ耐えられる。そうでない人たちが、まず真っ先に困窮する。受給開始年齢は65歳、5年間を生き延びる貯蓄ならば、まだ多くの人が準備できるだろう。しかし70歳に引き上げられたらどうだろう。十年一時代というが、冗談では済まない長さだ。
また消費税は逆進性の強い制度だと知られている。私たちはモノやサービスを消費しながら生きている。消費税が10%上がるということは、私たちの所得が10%減ることを意味している。たとえば1000万円の年収が900万円に減ったとして(※バカにならない金額だけど)生活に困ることはないだろう。しかし300万円の年収が270万円に減るのは笑えない。給料一ヶ月分以上が吹き飛ぶ計算だ。一般的に、所得の多い人ほど消費に回すカネの割合が低く、貧乏人のほうが高い。貧乏人は貯蓄する余裕がなく、所得の大部分を生活費として「消費」に回してしまうからだ。結果、消費税の増税による負担は、貧乏人ほど「重く」なる。これが消費税の逆進性だ。
以上のように、受給年齢の引き上げも消費税の増税も、貧困を加速させる政策だといえる。
政府の役割、そして社会秩序の両面から、そのような政策は避けるべきだ。支出を減らすのなら、まずは「カネ持ちに配るカネ」を減らすことから始めるべきだし、歳入を増やすのならば「景気の好転」による税収増でなければならない。
年金制度の破綻は、火急の問題だ。貧困を緩和しながらこれを解決する方法は、受給資格の凍結しかない。
3.誰が資産総額を管理するか
「資産総額を毎年申告させて管理するなんて現実的に可能なの?」という疑問が当然に生じる。
たしかにかつての社会保険庁のグダグダっぷりを見ると、政府にそんな緻密なカネの管理はできなさそうに思える。一方、国税庁ならばどうだろう。数えきれないほどの納税者を管理するノウハウが、日本中の税務署に蓄積されている。こうしたノウハウを活かさない手はない。
いま議論されている「歳入庁」は、そういう発想で設立されようとしている。日本の省庁は「縦割り組織」として悪名高いが、ノウハウを“横”に共有することで、より効率的な歳入・歳出の管理を目指している。この発想自体はとてもよいと思う。
願わくば歳入庁の設立が、増税のための方便にならないことを祈りたい。
4.年金を“受け取るべきでない”貯蓄額
「一定の資産総額」をいくらにするか、という議論は避けられない。基準金額が高すぎれば支出削減の効果が薄くなる。反対に低すぎれば、本来ならカネを必要とする人にカネがいきわたらなくなる。
国民年金の受給額は、平均65,741円/月だという。平均余命を考慮すると、年金の支給が65歳から始まるとして、男性でおよそ14年8ヶ月(176ヶ月)、女性で21年5ヶ月(257ヶ月)ぶんの年金を受け取ることになる。つまり日本人は、男性で平均1157万円、女性で1690万円ほどだ。む、思ったより少ないな。とりあえずこの金額よりも資産総額の少ない人は、受給資格を保護されるべきだろう。
ちなみに世帯主が60歳以上の世帯では、およそ3分の1の世帯で貯蓄現在高が2500万円を超えている。この金額を14年8ヶ月で割ると約14万円/月、21年5ヶ月で割ると約10万円/月。生活していけない金額ではないけれど、ちょっと苦しい。「一定の資産総額」の基準はもう少し上にしたほうがよさそうだ。問題は、どの程度の支出削減を目標にするのかだ。1割か、それとも2割か――。いきなり3分の1を削減する必要はあるのだろうか。このあたりは年金に詳しい方のご意見を頂戴したい。※それにしても、やっぱりお年寄りってカネ持ってんだなー、使うアテはあるのかしら。
たしかに現在のお年寄りたちは、年金と貯蓄とを合わせて生活費にしている。資産総額が一定以上の人の受給資格を凍結すれば、その人たちは現在よりも生活費を抑えることになるかもしれない。しかし、年金の「頭切り」は受給年齢の一律引き上げよりもずっとマシだ。蓄えのない人が困窮するわけではないし、貯蓄を使い果たしても受給資格の復活により食いつなげる。消費税のような逆進性もない。
なにより眠っている預貯金が消費に回されることで、経済の活性化につながるのだ。
5.貯蓄のパラドックスが崩れるとき
※ここではかなり初歩的な話をします。退屈かも。
「貯蓄のパラドックス」という現象がある。人々は収入を「消費」と「貯蓄」に振り分けているが、貯蓄に回す割合が大きいほど、社会全体の景気が悪化してしまう。この現象を貯蓄のパラドックスという。一人ひとりが貯金を増やそうとすればするほど、かえって私たちの収入は減ってしまうのだ。
なぜこんな現象が起こるだろう。それは「収入とはなにか」を考えれば明らかだ。
あなたが手にした収入は、つまり誰かが支払ったカネだ。カネは人から人へと受け渡されたとき――社会を流れたときに「所得」を生む。人々が貯蓄を志向するようになると、この流れがよどんでしまうのだ。みんながカネを貯めこむようになると、あなたの手元に流れてくるカネも減るというわけだ。
好景気ならばまだいい。企業が銀行からカネを借りて、積極的に設備投資を行うからだ。つまりあなたが預けたカネは、銀行から企業への「貸付金」として再び流れ出す。設備投資を企画した社員の懐に流れ、設備を製造した業者の人々にいきわたり、工事を行う労働者のサイフに収まり、そして食料品や生活必需品、娯楽などへと使われ、ほかの誰かの収入になる――。
ポイントは「銀行がカネを貸すと、社会全体のカネの量が増える」という点。あなたが銀行に100万円の預金をしたとする。あなたはいつでもそのカネを引き落とせる。その預金にもとづいて銀行が50万円の融資をしたとしよう。あなたの100万円の預金が減ったわけではないのに、企業は50万円のカネを手に入れた。つまり、社会全体のカネの量は150万円に増えているのだ。
企業が設備投資に意欲的であればあるほど、銀行の貸付金も増え、社会全体のカネの流量が増える。これが好景気だ。流れているカネの量が増えるのだから、あなたの収入も増える。一方で、不景気とはこの流れが停滞してしまい、カネの流量が減っていくことをいう。
蓄えのある人がカネを消費に回さないと、企業や個人の業績が悪くなる。その結果、人々の収入が減る。すると社会全体の消費はますます減り、企業は設備投資をしなくなる。生産設備を増やしても、投資したカネをペイできないからだ。こうして社会全体のカネの流れが――経済が収縮していく。これが不況だ。
伝統的な経済学では、こういうときこそ政府がカネを使うべきだとしている。企業がカネを借りないのなら、国が借りればいいじゃない。というわけで国債を発行し、公共の利益にかなうモノへと投資する。橋とか、送電線とか、電車とかを作る。企業が失業者に給与を支払わないのなら、国から支払ってやろう、という発想だ。するとカネの流れが復活し、ふたたび好景気に戻れるという寸法。オバマ大統領が掲げた「グリーンニューディール政策」も、この考え方にもとづいている。
しかし現在の日本では、政府はもうこれ以上カネを使えない。国の支出の大部分は国債の返済に充てられている。そして自由に使えるはずのカネは田舎のカネ持ちに流れるばかりで、本当にカネを必要としている人々には行き渡らない。たとえ使えるカネがあっても、使う能力がいまの日本(の政治の仕組み)にはないのだ。
そして忘れちゃいけないのは、カネを使うのは誰でもいいということだ。あなたの収入は、誰かの支払ったカネだ。その誰かが政府である必要はない。
一般的に「格差解消」というと、政府がカネ持ちから徴税して、それを貧乏人に支払うことをイメージする。しかしカネ持ちが貯蓄を貧乏人へと支払うのなら、政府があいだに立つ必要はない。(※ちなみにこの考え方は、新自由主義的といわれる国で歪曲されて応用された。つまり「カネ持ちが貧乏人へと支払うのなら」という前提条件をガン無視して「政府は貧乏人に支払う必要がない」という都合のいい部分だけが利用されたのだ、F**k! 人は利己的であり、カネ持ちがそんな紳士的な振る舞いをするわけがない。政府による再分配政策は原理的に無くすことができない)
カネ持ちが貯蓄を切り崩せば、それは社会のカネの流れをよくし、経済情勢を好転させる。つまり必要なのはカネ持ちがカネを使わざるをえない状況なのだ。そういう状況を作ることこそ、現代的な政府に求められる役割だ。そして年金支給の「頭切り」は、まさにこの政策に当てはまる。景気回復の切り札になりうる。
そして好景気になれば当然、預貯金の利子率は高くなり、株式の配当も増える。つまりカネ持ちがカネを使うと、それは利息収入や配当収入としてカネ持ちのもとに戻ってくるのだ。しばしば「カネ持ちを貧乏にしても社会は豊かにならない」と言われるが、年金の「頭切り」はカネ持ちを貧乏にするような政策ではない。
※なお「カネ持ちを貧乏にしても社会は豊かにならない」という場合の「カネ持ち」とは、「所得の大きい人」のことであって、「資産総額の大きい人」ではない。所得の多い人はそれだけ使うカネの絶対量も多い(はず)。誰かの所得を引き下げるのは、その人の消費行動を抑制することであり、経済を停滞させる発想だ。所得の多い人の足を引っ張っても、たしかに社会は豊かにならない。
だが、資産総額の多い人ならば話は別だ。その人たちが貯蓄を独占しているがゆえに社会全体のカネの巡りが悪くなり、飢えた人々の手に富が行き渡らなくなる。倫理的な観点からいって、資産総額の大きな人は、そのカネをどんどん消費に回す社会的責務を負っている。彼らがカネを使えば、結果として景気の好転と利子率の上昇を招き、利子所得という形で彼らに還元される。年金の頭切りは一見すると「資産の多い人を貧乏にする」ように思えるが、実際には社会全体を豊かにし、その恩恵はカネ持ち自身にも返ってくる。
◆ ◆ ◆
政府の役割は、1.市場の失敗を補い、2.カネの力だけでは不十分な分野を支え、3.社会全体を豊かな方向に維持することにある。そして社会全体の豊かさを考えた場合、失業や貧困を解消し、生活の質を底上げすることが必要不可欠だ。しかしカネ持ちから貧乏人へのカネの移転は民間部門だけではうまくいかない――と、私たちは経験則で知っている。したがって再分配政策は、政府にとって重大な使命だ。
ところが現在の日本政府は、この使命を充分に果たしていない。日本の再分配率は、先進諸国のなかでは最低レベルだ。さらに年金受給年齢の引き上げや消費税の増税など、「貧者がますます貧しくなる」ような政策を推し進めようとしている。ほんとうに必要なのは、年金の「頭切り」のようなカネの流れを健全化する政策であるはずだ。
幸運なことに、日本の税務署はわりときちんと仕事をしている。年金を管理してきた社保庁がぐだぐだだったのとは雲泥の差だ。国税庁の持っている「資産やカネを管理する能力」をうまく活かせば、年金の「頭切り」は夢物語ではない。たとえば頭切りの基準金額を「貯蓄残高4000万円以上」とするだけで、年金の支出を15%程度は削減できるだろう。さて、あなたの貯蓄残高はいくらですか?
カネ持ちへの年金支給を停止することで、彼らは貯蓄を切り崩さざるをえなくなる。すると社会全体のカネ回りがよくなり、私たち全員の収入が増える。景気が好転する。そして利子率の上昇や配当の増加というかたちでカネ持ちにも還元される。年金の「頭切り」は、たんに制度の破綻を回避するためだけの政策ではないのだ。(※なお、増税には景気引き締めの効果があると知られている。消費税はなかでも最悪で、増税されれば間違いなく経済情勢は悪化する)
貧しい人ほど困窮する「受給年齢の引き上げ」
確実に景気を悪化させる「消費税の増税」
そして誰もが利益を享受できる「年金の頭切り」
年金の破綻を防ぐ施策として、いちばん望ましいのはどれだろう。
「きちんと年金をおさめてきたのだから当然、受け取れなければおかしい」
年金の「頭切り」には、こんな反発が予想される。日本の年金制度は保険契約型であり、いままで支払ってきた人が受給資格を――受け取る「権利」を持つ仕組みだ。年金制度がそういう契約だった以上、この反論は的を射ている、理屈のうえでは。
歴史をひも解けば、保険型だけが年金制度ではない。さまざまな制度の形がありうる。たしかに契約上は、いままで支払ってきた人たちには当然、受給の権利が生じるだろう。しかし現実的な「年金破綻」という問題を前にしてなお、自活できるカネ持ちにその権利を認めるべきなのだろうか。そこに正義はあるのか。カネ持ちが消費活動をするのは、社会全体に負ったカネ持ちの義務だ。権利を主張するのは、果たすべき義務を果たしてからではないか。
少なくとも今の20代の人間は、自分が支払ったぶんのカネを年金として回収できるとは思っていない。ほとんどの人は、一種の税金みたいなモノだと考えて支払っている。
「きちんと年金をおさめていれば、きちんと年金を受け取れる」
そんな能天気なことを言える人たちが、私はうらやましい。
(参考)
Ⅲ・世帯属性別にみた貯蓄・負債の状況(PDF:872KB)‐総務省統計局
http://www.stat.go.jp/data/sav/sokuhou/nen/pdf/h22_gai6.pdf
個人金融資産の年代分布‐Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090321
年金の支給開始が70歳になったら、「金融商品」としての損得はどうなるのだろうか?‐橘玲 公式サイト
http://www.tachibana-akira.com/2012/02/3769
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※と、まあ競技ディベートのスピーチみたいなつもりで一つの政策をゴリ押ししてみました。こういう考え方もありうる、というコトでひとつ。何かの議論の叩き台にしていただければ幸いです。