夏コミに参加したみなさん、本当にお疲れ様でした!
私はコミケに参加するのは2回目で、夏コミは初体験でした。煉獄のような暑さにも負けないみなさまの活きいきとした姿が印象的でした。こっちまでヤル気をいただきました!
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ただ、コミケの参加者を見て、私はなんだか切ない気持ちになった。数万人単位の創作好きが集まっているけれど、この中でデビューできるのはほんの一握り。しかも運良く商業化にこぎつけたとしても、待っているのは地獄の“憧れ産業”だ。
夢を追いかけるなんて、常識的に考えればアホだ。大人はみんなそう言う。
並んでいる同人誌は、どれも驚くほど質が高い。事情を知らない人は「同人誌といえば成人向けの二次創作ばかり」というイメージを持っているかもしれない。が、実際にはそんなことはなく、全年齢向け・一次創作のモノも一大勢力となっている。ずらりと並んだマンガやイラスト集はどれもハイクオリティで、素人目にはプロと見分けがつかない。
言うまでもなく、マンガやイラストレーターの世界は“憧れ産業”だ。その仕事に就きたい人の数が、仕事の数をはるかに上回っている。供給過多のために賃金はどこまでも低くなり、競争にさらされることで品質はどこまでも高くなっていく。
私の友人に米国在住の絵描きさんがいて、今回の夏コミにも参加していた。彼女いわく「アメリカなら普通に仕事もらえそうな人たちが、日本ではアマチュアの立場に甘んじている」のだそうだ。ちなみに彼女は普段、アメコミの出版社から仕事を請け負っており、線画を引いたり色を塗ったりして糊口をしのいでいる。
ご存じのとおり、日本のオタク・カルチャーはいまや世界中に広まっている。コミケのようなイベントも、あらゆる国・地域で開催されている。アメリカではAnime ExpoやOtakonなどの同人誌即売会が有名だ。
しかし米国の現状は、日本とかなり違うらしい。絵のクオリティは日本ほど高くない――正直なところ下手っぴが多いし、同人誌よりもポスターの販売が中心だそうだ。しかもこのポスター、A4ぐらいのサイズ一枚で10ドル〜20ドルが相場だという。同人誌一冊500円前後が相場の日本の感覚からすると、ちょっと信じられない。あちらでは印刷代が日本ほど安くないので、こんな金額になる。
またコミケには“スケブ”という文化がある。好きな絵師さんに自分のスケッチブックを渡し、その場でイラストを描いてもらうことを“スケブ”と呼ぶ。日本では「描き手の善意によるもの」という扱いで、もちろん無料だ。だけどアメリカの同人作家たちは、スケブでもきちんとお金を取る。日本の良さはカネよりも人のつながりを大事にすることだ。が、絵描きは技術を売っているんだから、スケブをお願いする側はカネを払うのが当たり前だよなあ……とも思ってしまう。
彼女の言葉を信じるなら、日本の同人作家さんたちはアメリカで勝負したほうがいい。
現在、自分の絵を海外で売るためには、まずはプロデビューが必要だ。マンガにせよ、カードゲームのイラストにせよ、まずは自分の技術を出版社に認められなければいけない。「コミケやコンクール等→出版社→海外」という経路だ。ところが、出版社は必ずしも海外進出に積極的ではない(らしい)。もちろん大手の出版社はどこも海外向けのセクションを設けている。が、日本国内の商売で利益を確保することに窮々としているし、海外に向けて全力で投資しても充分なリターンが見込めない。円高だし。
なら、出版社を仲介する必要ないんじゃね?
感心したのは中国人のやり方だ。Anime ExpoやOtakonには中国人の同人作家も参加している。しかし売り子をしているのは絵の描けないただの留学生で、同人作家自身は中国在住だったり、同じ米国内でも遠隔地に住んでいたりするという。つまり、「委託販売のネットワーク」ができあがっているのだ。どこかで同人イベントが開催されれば、米国中、いや世界中から同人誌が集まってくる。そりゃあ中国で印刷したほうが安上がりに決まってる。同胞意識の強いかの国ならではの方法だろう。
この部分、日本はいただけない。ウチとソトの意識が強すぎるのか、留学すると日本に残った友人とのコネクションが途切れがちになる。薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われちゃうのだ。スカイプとツイッターのあるこれからの時代、こういう悪習はなくなるといいな。
私の友人の絵描きさんに話を戻そう。彼女の働くアメコミ業界は完全な分業制だ。彼女が現在かかわっている作品では、イタリア人の作ったお話にマレーシアの人が線画を描き、西海岸シアトルの彼女が色を塗り、東海岸ボストンの絵師が表紙をつけているという。まさに「フラット化した地球」を体現しているのだ。
絵に国境はない。スペイン語なんて分からなくても、ピカソの『ゲルニカ』に私たちは心を揺さぶられる。言葉の壁を軽々と越えられることこそ、絵画のチカラだ。
と、いうわけで絵師の皆さんはご自身のホームページを英語化するところから始めてみてはいかがでしょうか。今の時代、英語ができるヤツなんて掃いて捨てるほどいる。あなた自身は英語がさっぱりでも、知人・友人のつてをたどれば翻訳のできる人が絶対に見つかるはず。
海外進出の方法は一つじゃないのだ。
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夢を諦めたら、どうなるのだろう。
“憧れ産業”を目指しても、経済的な豊かさを手に入れるのは難しい。「海外を目指せ!」なんて言われても、そんなの絵に描いたモチだ。だから早々に筆を折ってしまうほうがいい。夢にしがみつくなんて、ぶの悪い賭けに“人生”をベットするようなものだ。常識的な人間なら、そんなギャンブルはしない。
しかし会社生活では、あなたがやりたいかどうかに関わらず、「会社の仕事」を押しつけられる。中小のブラック企業だろうが大企業だろうが、この点は同じだ。要するに機械の部品のひとつになるわけ。会社にとって大事なのは組織として健全な運営を続けることであって、社員の自己実現とか、わりとどうでもいい。会社から与えられる仕事がたまたまあなたのやりたいことだったらラッキーだけど、そんな奇跡はまず起こらない。
日々、レイプ目になってエクセルを叩き、毎晩飲み屋で上司の愚痴に付き合わされる。生産性が高いんだか低いんだかわからない仕事に忙殺され、あなたが「本当にやりたかったこと」はもう一生できなくなる。会社に勤めるというのはそういうことだ。
親世代の人たちは、それでも就職を奨める。「いい学校を出て、いい会社に入って、奥さんと子供を養って」という昭和幻想に取り憑かれているからだ。女性の場合は高給取りの男と結婚して……というストーリーになる。ご存じのとおり、いまそういう人生を歩むのは難しい。コール・オブ・デューティーでいえばベテランモード並みの難易度だ。
たしかに「就職」は、親をとりあえず安心させ、それなりの収入を約束してくれる。金銭面だけに目を向ければ、“憧れ産業”を目指すよりもずっと儲かる。いつの時代も魂は高い値段で売れる。
しかし人はパンのみに生きるにあらず、だ。
憧れ産業はたしかに儲からない。結婚できないかもしれないし、社会全体でみたら少子高齢化に拍車が掛かるかもしれない。だけど、それで困るのは誰だ? 若者の勤勉さのうえにあぐらをかいているオッサンたちだ。彼らを生き延びさせるために、私たちは心は殺すべきなのだろうか。心はそんなに安いモノなのか。
繰り返しになるけれど、なぜ憧れ産業が儲からないのかといえば、市場の規模に対して供給が過剰だからだ。解決するには市場を大きくするしかない。
じつは日本国内のあらゆる企業が同じ問題に直面している。人口が減少すれば当然市場も縮小し、儲けを出せなくなる。この現状でなんとか利益を確保するため、世の企業のえらい人たちは「高付加価値製品で勝負します」と口を揃える。数が売れないなら、単品あたりの利益を上乗せすればいいという発想だ。しかし単価が上がれば販売数量は減る。減ったぶんの利益を守るため、ますます利益を上乗せし――。まるでドリフのコントだ。「サマンサ・タバサが成功したように我が社も付加価値の高い製品を……」カバンでうまくいったことが電子部品でもうまくいくはず? うそーん。。。
市場が縮小するという前提に立てば、高付加価値なモノを売らざるをえない。しかし日本国外に目を向ければ世界は人口爆発、中国様はどんどん豊かになっている。にも関わらず「付加価値を高めて……」なんて言うのは、国外で勝負する自信も意欲もないからだ。お年寄りの発想なのだ。
日本の労働生産性の低さがしばしば話題になるけれど、それって、そもそも「生産してやろう」という発想の人間が少ないからだ。なにか新しいモノを生み出そうとする人間が叩きつぶされる社会じゃ、生産性なんてあがるワケがない。そんな社会に背を向けて、私たちはせっせと創作に打ち込もう。ゼロを1にできるのは私たち若い世代だけだ。
より利益率の高いものを売りたい――これは売り手サイドの理屈だ。しかし消費者サイドが本当に欲しいモノは「高品質なのに安いもの(≒利益の薄いモノ)」。これには時代も地域も関係ない。そういうモノをうまく提供できたからユニクロもIKEAも大成功した。小さな国内市場の常識にとらわれていては、ああいう商売はできない。
常識的に言って、憧れ産業を目指すのはアホだ。だけど常識を疑わずに盲信することだって、充分にアホなのだ。
同じアホなら踊らなきゃ損じゃん?
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まとめ:
人生はたった二万日しかない。職業選択は、その二万日を「いかに有意義なものにするか」という問題だ。
日本の同人作家は異常なほど高品質なものを生産できる。にもかかわらず市場の小ささゆえに創作活動は“憧れ産業”化し、低賃金にあえぐことになる。だが情報化の進んだ現在では、日本国内だけで活動する理由はなく、世界中を相手に商売できる。言葉の壁を取り払うことに成功した事例ならば、中国人留学生の例から学ぶことができる。もしかしたらオタク・カルチャーは金の鉱脈かもしれない。
普通に就職すれば、安定した収入や、かりそめの“幸せな家庭”を持てるかもしれない。そのかわり、あなたの「やりたいこと」はできなくなる。魂を売り渡すことができなければ出世なんて望めない。
そうやって過ごす二万日は、はたして有意義なものだろうか。いつか死の床についたときに「いい人生だった」と思えるだろうか。かなわなかった夢や、諦めた過去ばかりが走馬燈のように浮かび、失意の中で死んでいくのではないか――。
「やってできなかった」よりも、「やらずに諦めた」ほうがなお悪い。たった二万日の人生なら、一日でも長く自分の好きなことをやるべきだろ?
だったら、やりたいことをやったヤツの勝ちだ。
あなたの人生はあなたのものだ。親や兄弟、まして見ず知らずのお年寄りを食わせるために浪費するのはおかしい。
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と、まあ好き勝手なことを書いたけれど、現実的なことをいえば私も就職を勧めちゃうなあ。人間が生きていくには“先立つもの”が必要で、お金の余裕は心の余裕。心の余裕は創造性のみなもとだ。
コミケに参加している人たちは、みんな人生の高額ギャンブラーだ。勝つ見込みが低いことを承知のうえで、嬉々としてスロットを回している。みんな心からこの賭けを楽しんでいる。
比べて弊社の男性社員たちのなんとつまらないことよ。創作に携わっているヒトとは、天と地ほども違う。あの先輩の場合、週末のおっパブだけが生き甲斐だからなあ……。いくらいい給料を貰っていたって、あんな人生はごめんだ。南無三。
やっぱり楽しいことがいちばんだよね。
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