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pixivが絵師を増やしたのではない。

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pixivやニコニコ動画は市井の才能を発掘し、多くの人にクリエイターとしてデビューする機会を与えた。高品質なイラスト・音楽・映像が、今この瞬間も生み出されている。これは技術革新が雇用を生み出した例として、肯定的な文脈で語られることが多い。
しかし、技術革新だけで、この現象を説明できるのだろうか。
もしも本当にクリエイターの人口が増えているとして、pixivやニコニコ動画だけの恩恵と言えるのだろうか。
つい1年ほど前には、ソーシャルゲームのイラストが安すぎるというニュースが話題になった。ごく少数の「勝ち組」は別として、Afterニコニコ動画の時代に一気に増えたクリエイターたちは総じて収入が少ないらしい。しかし、それでもクリエイターの道を志す経済的な理由があるはずだ。
グローバル化にともない日本の労働者の賃金は減少を続けている。この所得低下によって、労働者たちは資本集約的な仕事から離れるようになったのではないか。労働集約的で、家内制手工業的なクリエイターの仕事を選ぶようになったのではないだろうか。




      ◆




先日、江戸東京博物館の「明治のこころ」展を見に行った。
大森貝塚で有名なE.S.モースは、明治初期の日本の日用品や陶器をコレクションしていた。どれも庶民が日常的に使用していた、いわばガラクタの数々だ。アメリカの博物館に寄贈されていたそれらガラクタを「明治のこころ」展では展示している。



「明治のこころ」モースが見た庶民のくらし
http://www.asahi.com/event/morse2013//
※このページの写真で見るよりも、実物はずっと綺麗でした。



どの展示品も、ガラクタと呼ぶにはしのびないほど精巧で美しかった。
モースが来日したのは明治初期だ。私はこの時代に対して誤ったイメージを持っていた。工業化が進んでおらず江戸時代の面影の色濃い、未開な時代だと思っていたのだ。とんでもない。意匠の凝らされた日用品の数々は、江戸末期の日本にすでに豊かな文化が花開いていたことを示していた。
皿、壷、包丁、しゃもじ、かんざし、ろうそく、玩具……すべてが手作りの一点モノで、工業製品というよりも工芸品だ。実用性と芸術性を兼ね備えており、現代人の感覚からすれば「使うのがもったいない」ほどのできばえだった。
なぜ140年前の日本人は、あんな製品を作っていたのだろう。
どの製品も熟練した職人の技術を要するもので、やや偏執的な、オタクっぽいこだわりがなければ作れなかったことが想像できる。いったい何が、かつての日本人をそうさせたのだろう。
美しい日用品の数々を見て、一緒に行った友人は「豊かな時代だったんだね」と言った。
大量生産による画一的な製品に囲まれた現代に比べれば、たしかに明治初期の日本人は多種多様な製品を消費していたことが分かる。その部分だけに注目すれば、たしかに当時は「豊か」だったかのように思える。
しかし彼は、重要な視点を見落としている。多様な製品を消費するために、いったいどれだけの労働が必要だったのか、だ。豊かさとは、よりわずかな生産活動でより多様な消費活動を営むことをいう。消費の側面だけでは豊かさは語れない。生産の観点なくして豊かさは計れない。



     ◆



江戸末期〜明治初期に使用されていた日用品は、どれも異様にクオリティが高い。こうした高クオリティな製品は、労働集約的な職人芸で生産されていた。
労働集約的な産業とは、労働者1人あたりに投下される資本が少ない産業のことを言う。たとえば筆一本、工具一式だけで製品を製造できるような仕事だ。
反対に、労働者1人あたりに投下される資本が多い産業のことを資本集約的な産業という。現代の工場労働者の多くは、信じられないほど高額な機械装置を使って生産活動を行っている。
生産過程における資本(≒機械設備)の割合が高ければ資本集約的、人間の割合が高ければ労働集約的な産業と言っていい。



一般的に、労働集約的な産業では労働者の賃金が安くなりやすい。というか、労働単価の安い状況でなければ労働集約的な産業は成り立たない。労働単価の高い状況では、一つ一つの製品を職人の手で作るよりも、分業や機械化を進めたほうが低コストだからだ。生産過程の組織化や機械化よりも労働者のほうが安いという状況があって始めて、労働集約的な産業が花開く。
また労働集約的な産業では製品のクオリティが高くなりやすい。生産コストの大部分を人件費が占めるため、低価格化による競争ができないからだ。
人間の「食い扶持」は一定以下には減らせない。だから労働集約的な産業ではコストの切り下げに限度がある。そのため労働集約的な産業が百花繚乱する社会では、人々は製品の品質で競いあうようになる。こうして江戸末期〜明治初期の日本では、異常に高品質な工業製品が生産されるようになった。




当時の製品が高クオリティな理由は分かった。
次の疑問は「なぜ当時の日本で労働集約的な産業が花開いたのか?」だ。
たとえば農業をとってみても、当時の日本では人間の手で土を耕し、人糞を肥料として利用していた。移動手段は駕籠(かご)や人力車だった。きわめて労働集約的な産業が営まれていたと言っていい。一方、ヨーロッパやアメリカに目を向ければ、工業化以前から牧畜が発達しており、動物を動力源とした産業が花開いていた。産業革命の以前から資本集約的な経済を発展させていた。
この違いをもたらしたのは「マルサスの罠」だ。
土地の開墾には時間がかかり、食糧の生産高はかんたんには増えない。一方、人口の増加は食糧生産の増加よりもはるかに早く進む。そのため、やがて人口が食糧に対して過剰になり、飢饉が頻発するようになる。これが「マルサスの罠」と呼ばれる現象だ。
日本は、江戸時代にマルサスの罠にハマったと言われている。
戦国時代までは、日本でも動物を利用した農法が多用されていたらしい。肉食の文化も根付いていた。しかし天下太平の世になると人口が爆発し、大規模な飢饉が頻発するようになった。マルサスの罠である。
総生産に対する人口が増えたとは、つまり人間一人当たりの労働生産性が下がったということだ。言い換えれば、労働単価が下がり、安く使える労働力が大量に現れたとも言える。馬や牛を使って田畑を耕すよりも、人間を使ったほうが安上がりになってしまったのだ。こうして日本の農村から家畜が減った。
マルサスの罠にともなう労働単価の低下は、工業にも影響を及ぼした。分業や機械化を進めるよりも、職人1人で作ったほうが安上がりな状況が生まれた。
そして、労働集約的な家内制手工業が発達した。
江戸時代に安価な労働力が増えたことが、日本人が資本集約的な武器である銃を捨て、労働集約的な武器であるサムライソードを選んだ理由である……と指摘する研究者もいる。




江戸末期〜明治初期の異様に高クオリティな日用品の数々は、労働力が安価だったことの現れだろう。その後の工業化・資本集約的な産業の発展により、そうした工芸品は駆逐されていく。
自動車王フォードは「我々はどんな色の車でも作れる、顧客が黒いクルマを望むかぎり」と言った。工業化と大量生産の台頭により、工業製品の没個性化が進んだ。
工業化とは、つまり資本集約的な産業の発展である。現代の日本は資本集約的な産業がとことんまで発展した社会なのだろう。100円ショップに並ぶ精巧な工業製品の数々を目にすると、そう思わずにいられない。多額の設備投資をして、さらに人件費の安い地域の労働者を使って、ようやく100円という価格を実現できる。




      ◆




話を、現代のクリエイターに戻そう。
pixivやニコニコ動画は、多数のクリエイターを排出している。ソーシャルゲームの台頭など、情報化によって新たな市場が生まれたことで、彼らクリエイターの労働需要が生まれた。この現象は、技術革新によって雇用が生まれた例として肯定的に語られることが多い。
しかし本当にクリエイター人口が増えているとしたら、技術革新だけでこの現象を説明するのは、やはり少し無理がある。
現代の日本では労働者の低所得化が進んでいる。グローバル化の進行にともない、世界の労働単価は一つに収斂しつつある。もともと人件費の安かった国では賃金が増え、人件費の高かった国では賃金は減っていく。日本は世界の平均からすれば人件費の高い国であり、グローバル化による賃金低下は避けられない。
pixivの絵師やニコ動のボカロPが増えている背景には、こうした労働単価の低下があるのだろう。イラスト制作にせよDTM作曲にせよ、大規模な設備投資を必要としていない。労働集約的な、家内制手工業に近い仕事だと言える。資本集約的な大企業でいくら働いても賃金があがらないのなら、技術のある労働者は自分の能力を活かした労働集約的な産業にスイッチするはずだ。
江戸時代、マルサスの罠で労働単価の下がった日本では労働集約的な産業が花開いた。グローバル化にともなう所得低下とともにクリエイターが増えていく現状は、当時の日本によく似ているのではないだろうか。
クリエイターを志す若者に対して、「もっとまともな仕事につけばいいのに」と説教する大人は珍しくない。しかし、ちょっと冷静に考えてみてほしい。彼らの言う「まともな仕事」にかんたんに就けるのならば、そして、まともな仕事の賃金が大幅に増える見込みならば、クリエイターという不安定な仕事を選ぶ人はこんなに多くないはずではないか。人の一生は、社会情勢や経済情勢と無関係ではいられない。

この国には何でもある。だが、希望だけがない。

村上龍は小説『希望の国エクソダス』で日本社会をこう語った。それから10年、日本では非正規雇用が増大し、かつての「ふつうの生活」はドラマや映画の中のフィクションになった。希望どころか、何もかも無くなりつつあるのが今の日本だ。
普通に働いても賃金は上がらない。どんな大企業に努めても、安定した将来など約束されていない。たしかにクリエイターの所得は総じて低いし、サラリーマンのような安定も無い。しかしクリエイターになって一発ヒットを出せば、莫大な富が転がり込む。何もかも無くなりつつある日本で、希望だけはある。



現代日本のクリエイターを増やしたのは、pixivやニコニコ動画だけではない。
労働者の賃金低下と、若者たちの儚い希望がそれをもたらした。









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※というか、「pixivやニコニコ動画がクリエイターを増やした」と当たり前のようにみんな言ってるけど、そもそも本当にクリエイターの数って増えているんだろうか?(何をいまさら)
※※私見では、ニコニコ動画やpixivのクリエイターさんって専業ではなく副業の人のほうが多そうに思える。けど、実際のところどうなんだろ。