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「大企業に入社して損をする生き方」を選ばせているのは誰か。/人生の教科書としての物語

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 最近見つけたこのエントリーがとても興味深かった。

 

 ■英雄とは“あなた”のことだ 『千の顔をもつ英雄』

 

 記事の後半はかなり専門的な内容になってしまうけれど、導入部分は必読だ。

 いま日本で生きている人には、人生という大きな枠で考えたときにいま自分がどの辺りにいるのか、照らし合わせてみることのできるような“物語”が足りないんじゃないか。

 この指摘には大いに納得させられる。

 

 マンガ家や芸能人などの職業に憧れる人は多い。それらの職業がきらびやかだというだけではなく、どうやってその職種に就いたのか(自伝などで)知られているからだ。その職業で大成するまでの道筋が明かされているので、自分が人生におけるどのあたりのステージにいるのか確認しやすい。だから若者たちはワナビ化し、大学生はとりあえずシューカツにとりくむ。

 人生は千差万別のはずなのに、そのくせ「生き方」のロールモデルを求めてしまう。私たちはそういう生き物だ。自己啓発本がバカ売れし、IT社長や外資系銀行員のブログに大量のブックマークがつく。私たちは他人の生き方を知ることで、自分の人生のヒントを得ようとする。

 かつて「物語」や「神話」には、そういう「人生の教科書」としての機能があった。現代では、社会的成功者たちの英雄譚がちまたに溢れている。その反面、私たちは物語のヒーローにはなれない。きっと何者にもなれず、無名のまま死んでいく。単に「物語が足りない」というよりも、「凡人のための物語が足りない」のだ。

 また現代は、変化の時代でもある。ヨーロッパの暗黒時代のような安定はなく、社会構造や生活様式が目まぐるしく変化している。親世代の生き方でさえ参考にならない。現代は「物語」を喪失した時代だ。

 では、この時代を生きる私たちは何をお手本にすればいいのだろう。どうすれば「自分を幸せにする物語」と出会えるのだろう。

 

     ◆

 

 私たちは人生のお手本を「物語」に求める。それは運命的な小説との出会いかも知れないし、オヤジの経験談かもしれない。あるいは歴史の教科書の1ページかもしれない。かたちはどうあれ、物語との出会いは私たちの人生を変える。少なくとも私はもしも桜の枝を折ってしまったら正直に親に謝ろうと胸に誓って生きてきた。

 たとえば人気ブロガーのちきりんさんは、パール=バック『大地』に心酔しているご様子だ。

 ■夏休み向けお勧め本!

 とはいえ、現代は物語がチカラを保ちづらい時代だ。社会環境の変化があまりにも早いからだ。情報化の進んだこの時代に、スカーレット=オハラのような恋愛をするのは不可能だ。※といいつつ、妄想してみると面白いよね。たぶんスカーレットは表向きの実名Facebookアカウントと毒吐き用の匿名ブログを使いわけているはず。レット=バトラーが現代に生きていたら、どんなメールを打つだろう。あと、アシュリーは増田に居座っていそう。閑話休題 時代の変化に合わせて、好まれる物語も変わってきた。その時代の空気に一致するものが選ばれ、次の時代の空気を形づくってきた。

 たとえば日本では高度経済成長のころに、アメリカのホームドラマが大量に輸入されていたという。高度成長期、農村の大家族が解体され、都市部では核家族という「新しい生き方」が生まれた。しかし日本人は、核家族という生き方の何をしあわせとするべきなのか知らなかった。参考となる物語を持ち合わせていなかった。

 そこでアメリカ産のホーム・コメディが持ち込まれ、私たちの暮らしを変えた。核家族向けの団地が登場したのもこの頃だが、欧米風のフローリングの物件ばかりが作られた。純和風の大型団地なんて聞いたことがない。お父さんが大黒柱となって外で働き、可愛い奥さんが家を守る。子供は二~三人で週末には一家でドライブ……なんてドラマの世界に、みんなが憧れていたのだろう。日本でモータリゼーションが進んだのもアメリカン・ホームドラマの影響かもしれない。

 このあたりの話は、こちらのエントリーが詳しい。

 ■遅刻する食パン少女まとめ

※世間ではテンプレとされている「遅刻まぎわに食パンをくわえて走る美少女と曲がり角でぶつかる」というシチュエーションだが、実際にマンガで見たことはないよね、なにがオリジナルなのだろう――という疑問から始まる調査研究。めちゃくちゃ面白い。オリジナル作品を求めてマンガの歴史をさかのぼっていく。そもそも「遅刻」という概念が産業革命以後に生まれたものだし、日本人はいつから食パンを食べるようになったのか? といった興味深い考察が目白押し。

 

 若者が大企業を目指すのは、高度成長時代の「物語」の残滓だ。

 実現困難になった「昭和のしあわせな人生像」に囚われるあまり、それ以外の人生を選べなくなっている。いい学校を出ていい会社に入る――という時代遅れなロールモデルに従って、若者たちは大企業を目指す。同じことは婚活女子にも言える。生活力という観点からいえば、彼女たちの状況はさらにシビアだ。

 高度成長時代の物語は、現在では通用しない。

 少子高齢化やグローバル化といった、昭和のころは想定されなかった社会情勢に私たちは直面している。人口の減少は国内市場の縮小を招き、不景気は続く。景気回復には海外からカネを集める手段が不可欠となる。またグローバル化によって、技術やアイディアだけでなく、労働者の賃金が国外との競争にさらされる。この時代にアメリカン・ホームドラマのような生き方ができるのは、本当にごく一部のエリートだけだ。

 時代は変わった。私たちには新たな物語が必要なのだ。

 グローバル人材として活躍している人たちのブログがウケるはそのためだろう。昭和っぽい価値観から脱出して、なんだか華やかで幸せそうな生き方をしているように見えるからだ。英語の堪能なノマドたちの人生を、私たちは新しい物語として受け入れた。若手の起業家・10代で公認会計士試験に合格するキャリアウーマン……優秀な人々の生き方が物語化・神格化されている。そういう英雄譚を私たちは喜んで消費している。

 ここで参考にしたいのは、こちらのエントリーで紹介されている一冊。

 ■「英語は女を救うのか」

 優秀な人々のなかでも、とくに「英語を使う人」に着目している。英語学習産業の産業構造ってなんだか宗教に似ているよね、というかなりアブナイ分析だ。

 英語を使って日本的な社会から脱出した女性たちは少なくない。彼女たちを預言者や救世主のような立場に据えて、英会話産業従事者が「牧師」となり、一般信者の女性たちを指導する――この階層構造はたしかに宗教的といえなくもない。(あくまでも「なくもない」程度だけど)

 少なくとも「英語を使う女」の人生は物語となり、人々の憧れを集めているようだ。ブログやツイッター、SNSは「特別な人たち」と私たちとの距離を縮めた。

 目がくらむほど艶やかな英雄譚に囲まれて、私たちは生きている。

 

     ◆

 

 しかし、そういう華やかな世界で生きる人たちの言葉を、鵜のみにしていいのだろうか。

 私たちのほとんどは何者にもなれず、名前を残すことなく死んでいく。人類の歴史をふり返れば、名をなす人なんてほんの一握りだ。「名をなさなければいけない」「何者かにならなければいけない」という価値観そのものが、誰かの物語によって刷り込まれたものではないだろうか。「凡人である」ことが不幸ならば、誰もしあわせになれない。私たちは「普通の生き方」を模索するべきだし、それは「特別な人たち」の人生からは学べない。

「若者よ! トヨタを目指すな!」

「若者よ! さっさと海外に出て学んでこい!」

 そういう威勢のいい言説を目にするたびに、私は居心地の悪さを感じる。ここでいう「若者」には、地元に仕事が無いから何となく東京に出てきてしまった中卒の少年や、工業高校を卒業してブラジル人労働者と一緒に工場のラインに立っている青年は含まれない。有名大学出身の、同世代のなかで1%に満たない人々のことを指して「若者」と総称している。これは欺瞞だ。

 世の中にはいろいろな人がいる。

 ■大企業で働くと毀損されるいくつかのコトについて

 大企業に勤めていると「自分の部署のルール遵守」が至上命題になり、他セクションでの商売の基本が身につかない――という論旨。「与えられた仕事以外に興味を持たなくなる」ことを、このエントリーでは「毀損」と書いている。が、大企業に一生をささげるつもりならば損どころか基本的な生存スキルになる。エントリーの著者がたまたま「大企業での働き方」に馴染まず、外に出た。その結果、大企業勤務時代に「損をした」と感じた――というだけのことだ。

 はてな界隈でよく見かける「トヨタに入るよりもトヨタを潰すような会社を作れ」という価値観に基づけば、このエントリーは極めて的を射ている。大企業での仕事は社員の独り立ちの芽を摘む。反面、「やっぱりトヨタがいちばん!」という価値観に基づけば、答えは違ってくる。

 そう、世の中にはいろいろな人がいるのだ。

 ブログやSNS喧伝される「成功譚」を目にすると、自分との落差を感じて落ち込んだり、不安になったりする。だけど私はアインシュタインにはなれないし、あなたはモーツァルトにはなれない。あなたは、あなたになるしかない。人生の骨格となる物語も、たぶん一人ひとり違う。あなたが道しるべとする物語は、あなた自身の手で見つけなければいけない

 逆にいえば、「成功譚」に不安になる必要もないのだ。

 このブログの読者には小説や映画、アニメの好きな人が多いと思う。あなたが見た作品はすべて、多かれ少なかれあなたの人生に影響を与えている。『まどかマギカ』を見返すたびに、『夏目友人帳』に心揺さぶられるたびに、あなたの人生は少しずつ変わっていく。

 しあわせな人生を送る秘訣は、自分をしあわせにしてくれる物語を見つけることではないか。

 

    ◆

 

 とはいえ、日本の大企業が今後も生き残るためには「日本的な部分」を捨てなくちゃいけないんだろうな、って部分はもーなんつーか論を待たないと思う。海外進出しなくちゃ、と口先で言いながら留学生や現地人の採用をまるで計画していない企業は、今後先細っていくだけだ。

 

 ※この記事は2011年8月9日の「デマこいてんじゃねえ!」から転載しました。

 

 

 

 

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