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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

あの人がいつも間違ったことを言う理由。/ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』感想

冗語 感想
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 まずは簡単な算数の問題を1つ。

 

チョコレートとガムは合わせて110円です。

チョコレートはガムよりも100円高いです。

ガムの値段はいくらでしょう? 

 

 どうだろう、すぐに正解が分かっただろうか?

 

 行動経済学者ダニエル・カーネマンは、これとよく似た問題を、心理学の実験として数千人に解かせた[*1]。被験者は名だたる大学の学生たちだ。ハーバード大学、MIT、プリンストン大学。世界でもっとも優れた頭脳の持ち主たちのはずだが、50%以上の被験者がこの問題に正しく答えられなかった。「もっと多くの大学で試したら、おそらく誤答率は80%を超えたに違いない」とカーネマンは述べている。

 ほとんどの人が、この問題を見せられた瞬間に「ガムは10円」と思ってしまう。計算すれば分かるとおり、それでは合計120円だ。正解はガム5円、チョコレート105円。だが、ヒトの脳に真っ先に思い浮かぶのは、間違った答えのほうだ。

 

 似たような例をもう1つ。

次のうち、どちらの可能性が高いと思いますか?

(1) リンダは銀行員である。

(2) リンダは銀行員で、フェミニスト運動の活動家でもある。

  先ほどと同様、ダニエル・カーネマンの研究からの出題だ。確率の話をすれば、条件が増えるほど、その条件を満たすものは減っていく。あるラーメン屋で「ラーメンを食べた人の数」よりも、「ラーメンと餃子のセットを食べた人の数」のほうが少ない。ラーメンを単品で食べる人もいるからだ。同じ理屈で、リンダはただの銀行員である可能性のほうが高い。フェミニスト運動の活動家という条件が加わる可能性のほうが低い。ごく初歩的な数学の話だ。

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 ところが、複数の主要大学の学部生を対象に行った実験では、確率の理論に反して85~90%の被験者が二番目の選択肢を選んだという。しかも、彼らは自分が「間違った」という自覚すら無かった。ある学生は「自分の意見を聞かれただけだと思った」と答えた。つまり、数学の問題として出題されていたら正しい答えが分かったはずだけど、カーネマンの巧妙な実験手法では正しく答えられなかった、というわけだ。

 この実験は、Twitterのアンケート機能で簡単に追試できる。

 なので、やってみた。

 

 

 カーネマンの実験ほど綺麗な結果は出ず、正しい選択をする人のほうが多かった。とはいえ、決して少なくない人が間違った選択肢を選んでいる。

 カーネマンの実験と結果に差異が出てしまったのは、主にアンケート対象者の属性によるものだろう。 Twitter Analyticsを使えば、自分のフォロワーの統計データを調べられる。それによれば、Rootportのフォロワーの80%は男性だそうだ。実験の被験者としては、均質とは言えない集団だ。(女性フォロワーがもっと増えてもいいはずだ)さらに、このアンケートを読んだ人は「Rootportが素直な問題を出すはずがない、きっとイジワルな裏があるに決まっている」と判断するかもしれない。そういうバイアスが生じるため、カーネマンほど綺麗な結果にはならなかったのだろう。

(※ついでに言えば、カーネマンの被験者もサンプルとして均質な集団とは言いがたい。主要大学の学部生といえば、きっと親や友人に恵まれた20歳そこそこの人々だろう。世間にはズル賢い大人がたくさんいて、隙あらば騙そうとしている。そんな現実をまだあまり知らない人々だ。だからこそカーネマンのイジワルな出題に素直に答えてしまったのかもしれない)

 

 話を戻そう。

 男子高校生の一郎くんに彼女がいる確率よりも、彼がサッカー部員でなおかつ彼女もいる確率のほうが低い。にもかかわらず、40%もの人が数学的に間違った答えを選んだ。もしも私たちの脳が電子計算機のように正確なら、こんな間違いはしないはずだ。ヒトが常に論理的に正しい答えを出せるなら、100%の人が上の選択肢を選ぶだろう。

 つまり、ヒトは論理的ではない。

 何を今さらって感じだけど。

 

 ダニエル・カーネマンは、ここからさらに理論を発展させた。

 どうやらヒトには「早い思考(ファスト・シンキング)「遅い思考(スロー・シンキング)があるらしいと言うのだ。

「早い思考」とは、一言でいえば直感的な思考だ。素早く判断を下せる反面、論理的にしばしば間違った答えを出す。ガムの値段や一郎くんの高校生活について間違った判断を下してしまうのは、この「早い思考」が働くせいだ。

「遅い思考」とは、誤解を恐れずにいえば「論理的な思考」だ。数学的に正しい処理を下せるが、判断には時間がかかる。数学のテストで出題されたのなら、学生たちはリンダの問題に正しい答えを出せただろう。テスト中は「遅い思考」が働くからだ。

 しかし、「遅い思考」にはエネルギーを使う。日常生活では遅すぎて役に立たないこともしばしばだ。だから、ただ意見を求められるような軽い調子で聞かれたら、つい「早い思考」で判断を下してしまう。脳内の「遅い思考」担当の神経細胞たちは仕事をサボってしまう。

 進化の歴史でいえば、おそらく「早い思考」のほうが古い。より動物的で本能的な脳の機能と言えそうだ。なぜなら、弱肉強食のジャングルでは「遅い思考」を使っているヒマは無いからだ。

 たとえば草むらからライオンが飛び出してきたとき、「はて?このライオンは腹を空かせているかな?それとも満腹だから安全かな?」などと悠長な判断をしているやつは真っ先に食われる。「ライオンだ!逃げろ!」という早い思考に従うやつのほうが、生存できる確率は高いはずだ。ライオンが空腹かどうかは、離れた場所に逃げてからゆっくり観察すればいい。

「遅い思考」のほうが、進化の過程ではより新しいものだ。

 たとえばアシュール文化を考えてみよう。ホモ・サピエンス以前の化石人類たちの文明で、手のひらに収まるサイズの石斧を作っていた。驚くべきことに、彼らは同じデザインの石斧を100万年に渡って作り続けたという[*2]。キリストが生まれてから現代までの約500倍の時間をかけて、彼らの石器は一切進歩しなかった。なんという創意工夫の無さだろう。

 アシュール文化の人々は、おそらく「早い思考」に頼って石斧を作っていたのではないだろうか。「ウホッ!ウホウホッ!(※手ごろな石を見つけたらしい)」「ウホホ、ウホホホ~!(※とりあえず石斧を作ることにしたらしい)」現代のホモ・サピエンスのように創造的能力から道具を作るのではなく、ほとんど本能的な行動として石器を作成したはずだ。だからこそ、100万年経っても進歩が無かった。

 私たちの創造性や新しい何かを考え出す能力は、進化の中でつい最近生まれたものだ。ホモ・サピエンスのごく近縁種だけに特別な能力なのかもしれない。「遅い思考」は、そういう新しい能力を獲得する過程で生まれたものだろう。時間でいえば、たぶん最近20万年ぐらいで獲得した思考法だ。

 

「早い思考」は間違いを犯しやすい。だから「遅い思考」をできるだけ使いましょう──。

 ダニエル・カーネマンの著作『ファスト&スロー』は、おおむねそういうスタンスで書かれている。インターネット上の自己啓発系メディアでもよく見かける文言だ。論理的思考を磨こう、勝つための思考法を身につけろ、等々。「早い思考」は、まるでヒトを惑わす悪者のように扱われがちだ。

 私たちが受ける学校教育も、基本的には「遅い思考」を磨くことに注意が向けられている。受験で問われるのは、文句なしに「遅い思考」だ。論理的思考を使いこなせる人ほど、数学のテストでは高得点を採れる。優れた学生として褒められる。だから「遅い思考」が得意なだけで、何だか「頭がいい」ように見えてしまう。

 論理的な思考・遅い思考の重要性は、なるほど否定しない。

 だけど、本当に「早い思考」は悪者なんだろうか?

 たとえば、あなたが10回続けてコイン投げに負けた場合を想像してほしい。11回目にあなたが勝てる確率は何%だろう?「遅い思考」を磨いてきた人は、きっとこう答えるはずだ。「50%、コインは記憶を持たない」──数学のテストなら、それが正解だ。けれど現実の生活に当てはめれば、そんな答えを出すやつはいいカモだ。なぜなら、そのコインは細工されている可能性が高い[*3]。「遅い思考」に縛られるあまり、現実には役に立たない結論を出してしまう人のことを「頭のいいバカ」と呼ぶ[*4]

 相手の表情を読み取って感情を判断したり、誰かの行動から感情を推し量って、次の行動を予想したり──。おそらく、そういう能力に関しては「早い思考」のほうが優れている。コイン投げに10回連続で負けたら、相手が誠実かどうかを疑うべきだ。誰かを信用に足るかどうかを即断するのは、たぶん「早い思考」の役割だ。たとえば異性から話しかけられたとき、自分に気があるかどうかを即座に見抜ける人がいる。極めて「早い思考」に優れた人だと言える。

「遅い思考」は、たしかにテストの紙の上では絶大な力を発揮する。けれど、日常生活においては「早い思考」が重要な役割を果たすことも多い。

 ビジネスの現場でも同じだ。

 顧客の情報を漏れなく入手できるなら、統計処理によって正確無比な販売計画を立てられる。けれど現実には、断片的で不完全な情報しか手に入らないことのほうが多い。「遅い思考」では、こういう状況に対処できない。数学的には「正しい解は出せない」としか言えないからだ。顧客の気持ちを想像して、直感的に判断を下せる人のほうが、そういう状況では役に立つ。

 たとえば、WEBサービスのことを考えてみよう。多くのユーザーが4日間は毎日ログインしてくれるけれど、5日目以降は来てくれない。こういう場合、5日目のログインに何か特典を置いて定着率を高めようとするのが一般的だろう。

 では、5日目にユーザーに与えるべき特典って、何だ?

 ユーザーは何を喜ぶんだ?

「遅い思考」を使って、じっくりと考えていくこともできる。が、顧客の気持ちを知り尽くしたスタッフの直観に頼ったほうが、いい結果になる場合も珍しくない。そういう直観の持ち主は貴重だ。ダイヤモンド以上の価値がある人材だ。

 頭の良さというのは、料理の「おいしさ」みたいなものだ。フカヒレスープは美味しい。フォアグラも美味しい。バーガーキングのワッパーも(時と場合によっては)すごく美味しい。私たちは食べたものが美味しいかどうかの判断を下せる。しかし、それらの中でいちばん美味しいのは何か?という設問には、客観的な答えを出せない。評価基準が多岐に渡るからだ。

 同様に、「遅い思考」が得意だというのは、頭の良さを計る基準の1つにすぎない。インターネットで遊んでいると、自分の「数学的思考力の高さ」を示すことで、頭の良さを見せつけようとする人をしばしば見かける。(※理系男性に多いように思う)けれど、「遅い思考」に縛られた人ほど「頭のいいバカ」になりがちだ。「遅い思考」にステータスを全振りしている人よりも、場面に合わせて2つの思考を使い分けられる人のほうが、頭いいなあと私は感じる。

 個人的経験から言えば、「遅い思考」が得意で、なおかつ「遅い思考」の限界を知っている人がいちばん一緒に仕事をしやすかった。「数字で分かるのはここまで。ここから先は分からない」と判断したら、パッと思考方法を切り替えられる人。2つの思考には、それぞれ長所と短所がある。それらを把握したうえで使いこなせれば、わりと最強だと思う。

 


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[*1]ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』ハヤカワ・ノンフィクション文庫(2014)上巻p84

[*2]マット・リドレー『繁栄』早川書房(2010)上巻p78

[*3]ナシーム・ニコラス・タレブブラックスワンダイヤモンド社(2009)上巻p227

[*4]フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論東洋経済(2014)p321