一昔前は、夢を追うか、安定した職業に就くかの二者択一が成り立った。らしい。
「らしい」と言うのは、1985年生まれの私にそんな選択肢は無かったからだ。バブル崩壊とともに終身雇用は幻想になり、いい大学を出ていい企業に入っても将来が安泰ではなくなった。就職とほぼ同時にリーマンショックが起きた。失業者の群れが新宿中央公園に集まって、内定切りが横行した。運良く定職にしがみつくことができた人々には、いつまでも給料の上がらない平坦な賃金カーブが待ち受けていた。
今の日本に安定した職業などほぼ無いし、普通に働くだけでは望むような生活はできない。したがって夢を追いかけることが唯一の戦略になってしまう。
この時代に、何か夢を持っている人はそれだけで勝ち組だ。夢を叶えるための具体的な行動を続ければいいからだ。深刻なのは、夢のない人。自分が何をしたいのか分からない、この人生で実現したいものが決まっていない。そういう人は驚くほど多い。
夢がないのは、たとえばカネがなかったり、教育がないのと同じかそれ以上に、人生を豊かにすることを難しくする。
夢を追いかける過程で、人は「夢を叶えたい自分」と「夢から遠く離れた自分」との認知的不協和を抱えることになる。このとき合理的な判断は、夢を実現するための行動を続けることだ。夢から遠く離れているのなら、一歩でもそこに近づこうとするのが、戦略的に正しい選択だ。
ところが現実には、夢を諦めて、「夢を追うのが良いことだという価値観そのものが間違っている」と自分に言い聞かせる人が多い。
「夢を追うなんてくだらない」
「誰もが特別なんて嘘だ」
「夢を持ちなさいと教える教師や大人は世間知らずだ」
「叶うはずもない夢を追いかけさせるのは罪深い」
これらは、認知的不協和を乗り越えられなかった人々の言い訳にすぎない。イソップ物語のキツネと同じだ。「あのブドウは不味いんだ、このブドウのほうが美味しいんだ」と自分に言い聞かせながら、酸っぱいブドウを舐めているのだ。
人間にとって一番恐ろしいことは、死ぬことではない。学習性無力感に陥ることだ。哺乳類は、どんなに努力しても苦痛から逃れられない場合、苦痛から逃れる努力そのものをやめてしまう。エネルギーを節約するために身につけた習性だが、人生を豊かにするうえではこの習性が障害になる。重大な障害に。
現状に不満を覚えたり「生きづらさ」を感じるのは、あなたがヒトとして健全である証拠だ。その感情こそが人類を発展させてきた。食糧難に不満を覚えた私たちの祖先は農耕を始めた。専制政治に不満を感じたフランス人たちは市民革命を起こし、人件費高騰に不満を感じたイギリス人たちは産業革命を起こした。
「生きづらさ」を感じるのは正しい。
不満を覚えるのは正しい。
認知的不協和に敗北したり、学習性無力感にさえ陥らなければ、ヒトはいくらでも環境を変えられる。自分を変えられる。不満や生きづらさの感情は、ヒトの脳のOSが持つ基本的な機能だ。ヒトを月面に立たせ、平均寿命を倍にしたのと同じ機能が、あなたの脳にも組み込まれている。それが不満や「生きづらさ」の正体だ。
アマゾンの奥地には、絶対に雨乞いを成功させる部族がいるという。
なぜ、彼らの雨乞いは必ず成功するのだろう?
答えは単純で、雨が降るまで雨乞いを続けるからだ。
夢を叶える方法も、おそらく同じだろう。
焦る必要はない。心が折れてしまえば、そこでおしまいだ。学習性無力感に囚われて、皮肉と愚痴を漏らすだけの人間の絞りかすになってしまう。自分に続けられるペースでいい。ゆっくりと急ぎながら、夢に向かって歩き続ければいい。叶うまでやめなければ、夢はいつか絶対に叶う。夢とは、たぶん、そういうものだ。
2016年1月22日(金)、このブログ「デマこい!」が書籍化されます。
タイトルは『失敗すれば即終了!日本の若者がとるべき生存戦略』です。過去の人気記事に大幅な加筆修正を行いました。
書籍化をもって、ブログを始めたころの夢が、また1つ叶った。
最初は1日10PVが夢だった。その次は、3ブクマを付けてもらうことが夢になった。次は100ブクマ、さらに月間10万PV。TopHatenerで上位に入ることが夢だったこともある。私生活の面でも、2015年は色々な夢が叶った年だった。どれも1日10PVと同じようなささやかな夢にすぎないけれど、15歳くらいのころに胸に秘めていた夢が、30歳になった今はほぼすべて叶ってしまった。
次は、どんな夢を見よう?
夢を追うか、安定した職業に就くか、という二者択一の時代は終わった。安定した職業は幻想になり、精神的報酬のために金銭的報酬を諦める時代は終わった。永遠に終わった。その両方を追いかけなければ、もはや、そのどちらも手に入らない。今いる場所に留まり続けるためには、全力で前に走り続けなければならない。そういう時代だ。
夢を叶えるのはゴールではなく、新しい夢を探すためのスタートである。
去年は、それを実感した年だった。
だから今年も、慌てず、騒がず、少しだけ大きな夢を追いかけたいと思う。
新年、明けましておめでとうございます。