今さらながらクリス・アンダーソン『ロングテール』を読んだ。正直なところ、あまり目新しさは感じなかった。内容が陳腐だからではない、本書の予言がほぼ的中したからだ。小売業界にとってAmazonの登場がいかに革新的だったか。そして、業界をどのように変えたのか。当時の興奮が伝わってくる1冊だ。
一方で、今の私たちから見ると楽観的すぎると感じられる部分も多い。
たしかにAmazonは革命を起こした。しかし同時に──どんな革命にもつきものだが──様々な弊害をもたらした。現在の私たちは、その弊害にどう対処するかに頭を悩ませている。本書が予言した未来の一歩先の世界を、私たちは生きている。
ロングテール‐「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: クリス・アンダーソン,Chris Anderson,篠森ゆりこ
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/05/23
- メディア: 文庫
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本書の内容を要約しよう。
まず、私たちの生きる世界は、しばしば「べき乗則」に従う。たとえば小売店の商品別売上ランキングを見ると、ごく一部の商品が売上の大部分を生み出しており、残りの商品はそれほど売れない。売上ランキングが下がるほど、売上高は急速に減っていく。上記のグラフは、このことを模式的に表したものだ(※実際には、より極端なカーブを描く)。べき乗則は商品の売上げだけでなく、資産の格差や所得格差、さらには物理学や計算機科学など、様々な分野に現れる。
クリス・アンダーソンは、一部の売れる商品を「ヒット」、売れない大半の商品を「テール」と呼んでいる。
Amazonが登場する以前の、旧来の小売業界は「ヒット」の世界だった。どんなに大きな店舗でも、棚の広さには物理的な制約がある。テールに含まれるようなニッチな商品を置く余裕はなかった。
(書籍は)毎年10万タイトルを超える新刊が出ていますが、大型書店でもそのすべては置けません。最大の大型書店には17万5000タイトルの本がありますが、そこまで大きい書店はたった3つぐらいしかないんです。それで考えは決まりました。アマゾン・コムを、厖大な数の中から欲しい本を簡単に見つけて買える最初の場にするぞ、と[1]。
──ジェフ・ベゾス
たとえばバーンズ・アンド・ノーブル(※米国で最大の書店チェーン)は1店舗あたり平均10万タイトルの本を扱っている。一方、Amazonは500万タイトルを超える在庫を持つ。そして、Amazonの収益のうち約30%は、リアル書店に置いていない本から生じている。
これは書籍に限らない。たとえばブロックバスター(※米国のビデオレンタルチェーン)は、1店舗当たり平均3,000本のDVDを扱っている。一方、ネットフリックスは9万本の作品を扱っており、売上の25%はリアル店舗にはない作品が生み出している。さらに米国で最大の音楽小売店はウォルマートだが、1店舗当たり5500曲ほどしか扱っていない。一方、音楽配信サイト「ラプソディ」は450万曲を扱っており、リアル店舗に置いていないニッチな商品が生み出す収益は、売上総額の45%に達する[2]。(※いずれも2008年3月時点の数字)
リアル店舗では、物理的な制約から「テール」に含まれる商品を切り捨てるしかない。これが一種の機会損失だったのではないか、というのがアンダーソンの指摘だ。スーパーマーケットにせよ、コンビニにせよ、棚面積あたりの売上が最大になるように商品を陳列する。したがって、滅多に売れないニッチな商品を置く余裕はない。売れない商品を並べるのは収益に繋がらないばかりか、店舗の家賃を考えたらむしろ損失になってしまうかもしれない。
店舗が小さくなるほど、この傾向は強くなる。小規模事業者の場合、周辺地域の顧客人口も限られている。その地域に暮らす人々だけで売上を最大化しようとすれば、当然、平均的に売れる商品の扱いを増やし、ニッチな商品を切り捨てるしかない。小規模事業者ほど、ヒット商品に依存した体質が強くなる。
ところが、Amazonのようなネット店舗には物理的な制約がない。棚の広さも、周辺地域の人口も関係ない。どんなニッチな商品も漏らさず扱うことができるようになった結果、売上を最大化できるようになった。ここまでが本書の要約だ。
本書では、Amazonやネットフリックスの業態を革新的なすばらしいものとして手放しで褒めちぎっている。本書が刊行されたのは2006年だ。しかし10年の時を経て、これら大規模プラットフォーマーの生み出す弊害にも私たちは気づきはじめている。
まず第一に、「勝者総取り」になりがちだということだ。
ロングテール理論によれば、取り扱っている商品の点数が増えるほど、ニッチな商品の恩恵にあずかりやすいことになる。しかし、それほどたくさんの在庫を扱って、決済システムやサプライチェーンを構築できるのは、一部の大規模事業者だけだ。さらに先行者利益も大きい。情報技術に立脚している事業であるため、効率化が進みやすいからだ。今ではAmazonで注文した商品は24時間以内に届くようになった。後発の企業が、今からAmazonに追いついて、同等のサービスを提供するのは難しい。結果として一部企業の寡占状態となる。
第二に、ロングテールの供給者の大半は食えないという点も見逃せない。
本書では、情報技術が生産手段を民主化したと指摘している。パソコンが1台あれば、誰でもミュージシャンになれるし、映画監督になれる。ピア・プロダクションも盛んに行われている。趣味的にモノ作りをする人々が顕在化した結果、「テール」がより長く、より太くなったという。その指摘は正しい。だが問題は、そんな趣味的なモノを作ったところで食っていけないということだ。
たしかにワナビたちは趣味でせっせとモノを作るだろう。いつか「昼の仕事」を辞める日を夢見ながら、「テール」の部分にニッチな商品を供給し続けるだろう。しかし、彼らの大半は夢を叶えることができない。儲かるのはAmazonばかりだ。幸運にもヒットに恵まれたワナビは、昼の仕事を辞められるかもしれない。しかし、それでは旧来の「ヒット」の世界と何ら違いはない。
そして第三に、これは言いがかりに近いかもしれないが、Amazonがごくわずかな在庫しか抱えないことも指摘しておきたい。
ブログで書籍を紹介すると、しばしばあっという間にAmazonで売り切れることがある。これは(残念ながら)ブログの影響力が強いからではなく、そもそもAmazonが抱えている在庫が少ないからだ。卓越した情報技術を用いて、余剰な在庫を切り詰める。その経営判断は正しい。けれど、経済学的にはどうだろう? 出版社の倉庫を、自社の倉庫の代わりとして使っているとも見なせるのではないか。さらにマーケットプレイスでは、Amazonは在庫の保管コストをまったく負っていない[3]。これが経済学のいう「外部不経済」ではないと言い切れるだろうか。
ロングテール理論に従えば、AmazonのようなECの分野は「勝者総取り」になりがちだ。「テール」の部分の供給者としてニッチな商品を送り出したところで、儲かるとは限らない。大抵は食っていけず、趣味的なモノ作りの範疇から脱出できない。しかも、Amazonは在庫リスクを負ってくれない。
たしかにAmazonは消費者の生活を豊かにした。私自身、かなり頻繁にAmazonを利用している。
しかし一方で、Amazonは供給者サイドを豊かにしただろうか? 儲かるのはAmazonのような大規模プラットフォーマーばかりで、小さなリアル店舗や、中小の出版社、個人クリエイターのような小規模生産者を、むしろ貧しくしたのではないか。小さなリアル店舗は、品揃えではAmazonに太刀打ちできない。在庫コストでもAmazonは(言葉を選ばずに言えば)チートを使っている。まともに勝負してAmazonに勝てるはずがないのだ。
しかし、Amazonに勝つ方法が1つだけあると思う。
それは「ニッチを束ねて市場を作る」ということだ。
先述の通り、リアル店舗は周辺地域の顧客人口に売上を左右されるため、ヒット商品への依存体質が強くなりがちだ。
しかし、もしも顧客人口が周辺地域に縛られなければ?
どんなにニッチな商品でも、それを欲しがる顧客を日本全国から集めることができれば、儲けを出すのに充分な大きさの市場になる。ニッチを1カ所に束ねれば、そこに市場が生まれるのだ。
たとえば、立川シネマシティが分かりやすい例だろう。東京都立川市にある映画館だ。正直言って、映画館ほど周辺地域の人口に左右される業態もないはずだ。周辺地域に子供が多ければディズニー映画を上映するし、学生が多ければラブロマンスを上映する。一昔前の映画館とは、そういう業種だったはずだ。
しかし、シネマシティはその常識を打ち破った。ケタ外れに高級な音響設備を導入して、「極上爆音上映」を行うようになった。腹の底に響くような大音響なのに、うるさく感じない。音の大きさが快感になる。そんな映像体験を提供したのだ[4]。結果、『This is it』や『MAD MAX 怒りのデスロード』、アニメ映画『ガールズ&パンツァー』などの作品が異例のロングランヒット。リピーターも多く、ファンの間では「立川遠征」という言葉が交わされることもある。
そう、「遠征」だ。
立川シネマシティには、日本全国からファンが集まってくるのだ。
この記事を書いている時点でも、直近の週末の『ガールズ&パンツァー』極上爆音上映は、ほぼ満席で予約が取れない状態だった。昨年11月に公開された映画が半年以上経った今でも満員御礼──、それだけでも映画としては異例だ。しかもアニメ映画は(ディズニーは別として)ニッチのなかのニッチである。立川シネマシティの極上爆音上映は、ニッチを束ねて市場を作ることに成功した好例だろう。
似たような例は、あらゆる業態で見つかる。
たとえば「だいすき日本」を覚えているだろうか。ネパール人店主ビカス氏の経営していたカレー屋で、Twitterをきっかけに人気を集めた[5][6]。2010年11月、客足がふるわず困っているというツイートをしたところ、それがバズった。結果として、ネットの世界では日本一有名なネパール料理店になってしまった。
たとえば牛丼やラーメンと比べれば、ネパール料理そのものが日本ではニッチだ。今夜は外食しようと考えたときに、まず真っ先に思い浮かべるのはイタリアンやフレンチ、タイ料理、ベトナム料理、そして当然、和食などだろう。ネパール料理を思い浮かべる人はそう多くない。「だいすき日本」のある中板橋の近辺に、潜在的な顧客がたくさんいたとは思えない。
だが、Twitterが地域的な制約を破壊した。ネパール料理が好きな人は当然ビカス氏の店に注目しただろうし、日本で頑張っている外国人を応援したいと考えている人の心も動かした。結果、札幌や静岡、神戸から「だいすき日本」を訪れる客まで現れた。ニッチが束ねられたのだ。
ビカスさんは2014年9月にステーキ&グリルのお店をオープン。2015年10月にはネパール料理店を閉め、ステーキ店の経営に専念することにしたらしい。食べログのレビューを見る限り、ステーキ料理も好評なようだ。私自身、ぜひ一度足を運んでみたいと思っている。
「ニッチを束ねて市場を作る」という戦略は、その発想からしてオタク・カルチャーと親和性が高い。しばしばオタク消費者たちは、どんなマイナーなジャンルであろうとお金を惜しまずに使うからだ。オタクを相手に商売をしている企業は、いずれも多かれ少なかれ「ニッチを束ねる」という戦略を採っている。
ここでは株式会社シーサイド・コミュニケーションズを取り上げよう。ラジオ関西のプロデューサーだった植木雄一郎氏が2010年8月に設立した会社で[7]、若手声優を起用したラジオ番組で人気を博している。浅学にしてラジオ業界のお金の流れはイマイチ分からないのだが、番組から派生したイベントの参加費やグッズ(※CD、DVD)などで収益を伸ばしているようだ。
声優ラジオは、オタク・カルチャーのなかでもとくにニッチな分野だ。
たとえばマンガなら、もはやオタクと一般人の垣根はなくなった。マンガは日本の文化として根付いたと言っていいだろう。ゲームも同様だ。マンガには及ばないかもしれないが、すでに充分な市民権を得ている。
ところが、これが深夜アニメになると、視聴している人の数はグッと少なくなる。さらにライトノベルを読んでいる層ともなれば、数はさらに限られる。オタクのなかのオタクと言っていいだろう。しかし、そういうコアなオタクであっても、声優ラジオを聴いているとは限らないのだ。私は『洲崎西』や『BELOVED MEMORIES』の話がしたいのに、話し相手を見つけるのはたやすいことではない。
シーサイド・コミュニケーションズの番組に出演しているのは、テレビのゴールデンタイムを飾るような芸能人ではない。あくまでも若手の声優たちだ。それでも番組が人気を博しているのは、ニッチを束ねることに成功したからだ。その背後には「超!A&G+」というチャンネルの存在がある。文化放送が運営しているインターネットラジオだ。たとえラジオの電波が届かなくても、インターネットさえあれば番組を聴くことができる。情報技術によって、ニッチを束ねやすくなったのだ。
話をまとめよう。
インターネットが普及した現在では、顧客人口は地域による制限を受けない。立川シネマシティへの「遠征」が好例だが、たとえニッチな需要であっても、日本中からその需要をかき集めれば、充分に儲かる市場を作り出せる。この記事ではシネマシティの他に、ネパール料理店やオタク・カルチャーの例を扱った。
ニッチを束ねて市場を作るうえで重要なのは、供給する商品が「本物」であることだ。たとえば極上爆音上映は、一度体験したらやみつきになるような高品質の映像体験を提供している。「だいすき日本」のネパール料理は、現地で食べた人の感想を読むかぎり、きちんと美味しかったようだ。シーサイド・コミュニケーションズのラジオ番組は、いずれも文句なしで面白い(と、ファンは感じている)。
ただ音が大きいだけのやかましい上映会だったら、立川シネマシティに遠征するような人は現れなかっただろう。提供している料理がマズかったら、ネパール人店主ビカス氏は早々に店を畳む羽目になっただろう。そもそもニッチな商品を好むような消費者は、本物と偽物とを見分ける鋭い審美眼を持っていると考えたほうがいい。刺さる人にはとことん刺さるような、本当に良い商品を提供しなければ、ニッチを束ねることはできない。
また、記事のタイトルでは「Amazonに勝つ方法」と銘打ったが、実際にはAmazonと共存共栄する方法だと分かってもらえたはずだ。
ニッチを束ねる上で重要なのは、インターネットを利用して地域の制約を破ることだ。AmazonやGoogleのようなプラットフォームは、そのための強力なツールになる。日本全国に散らばった潜在的な顧客がニッチな商品にたどり着きやすくなるばかりか、レコメンデーションや広告を通じて、プラットフォーマー自身が顧客と供給者とをつなげてくれるからだ。これをハックしない手はない。
ニッチを束ねて市場を作る──。
おそらく分かっている人からすれば、今日の記事は「何を今さら」感が満載な内容だったと思う。たとえばアイドル業界などは、おそらく古くからニッチを束ねるという戦略を取ってきた。理化学機器やマイナーなスポーツ用品のメーカー等にも、同じことが当てはまるかもしれない。
あくまでも『ロングテール』を読んだ感想と、自分自身のための備忘として、今回のブログ記事にまとめた。
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このブログが書籍になりました。
◆参考資料等◆
[1]クリス・アンダーソン『ロングテール 「売れない商品」を宝の山に変える新戦略』ハヤカワ・ノンフィクション文庫(2014年)p79
[2]クリス・アンダーソン(2014年)p41
[3]クリス・アンダーソン(2014年)p335
[4]常識破りの成功 映画館に革命を 立川シネマシティ「極上爆音上映」の野心 - 週刊アスキー
[5]弱気ツイートで起死回生したビカスさんの店「だいすき日本」閉店…その軌跡に涙
[6]ビカスさんのネパール料理店『だいすき日本』が閉店
[7]シーサイド・コミュニケーションズ会社概要