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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

世界を変えるのに必要なもの

冗語
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 歴史をふり返るとき、私たちはイデオロギーや思想、主義・主張が世界を変えたと考えがちだ。ところが、心理学の研究が進むにつれて、私たちの考え方や行動には生まれながらの一定のパターンがあると分かってきた。

 こうなると、疑問が湧いてくる。

 思想や「○○主義」には、私たちの生まれながらの行動を変えるほどの力があるのだろうか。むしろ、矢印の向きは逆なのではないか。私たちが環境的な要因によって行動を変えたときに、もっとも相応しいイデオロギーが選ばれるだけなのではないか。

 

 

産業革命をもたらしたのは思想ではない

 たとえば「なぜ産業革命はイギリスで始まったのか?」という疑問について考えてみよう。

 20世紀初頭の社会学マックス・ヴェーバーは、イギリスがプロテスタントの国だったからだと考えた。プロテスタントは貯蓄と勤勉を重んじる。貯蓄は、豊かな資本の源泉になる。勤勉さは優秀な労働力の供給源となる。これらが産業革命を支えたというのだ。つまり、思想が私たちの行動を変え、歴史を変えたという考え方だ。

 また、科学主義が産業革命をもたらしたと考える人もいるだろう。まじないと迷信に囚われた中世のヨーロッパでは、産業革命は起きるはずがなかった。合理的で科学的な思想が広まったからこそ、産業革命が起きたのではないか。こちらも、思想が私たちの行動を変えたという考え方だ。

 ところが近年では、これらの仮説は力を失いつつある。というのも、イギリスで産業革命が起きた理由を説明する、より強力な仮説が登場したからだ。

 そもそも産業革命の最初期には、それほど大量の資本は必要とされなかった。工場主の資金の調達先は、ロンドンの大手銀行などではなく、もっぱら親戚や友人だった。たとえば後の社会主義者ロバート・オウエンがマンチェスターに工場を建てたとき、知人仲間から借りた100ポンドを元手にしていた[1]

 また、科学の発展が産業革命をもたらしたわけではないことも明らかだ。織機を効率化した「飛び杼(ひ)」にしても、革新的な発明だった「ジェニー紡績機」にしても、それほど高度な科学知識は使われていない。蒸気で動く装置は、紀元前100年ごろのアレクサンドリアですでに発明されていた[2]。ジェームズ・ワットは蒸気機関を改良する際に、当時最新の知識を使ったわけではなかった。産業革命にはアルキメデスよりも高度な知識は必要なかった。

 産業革命以降、科学技術が飛躍的に発展するのは、それが儲かるようになったからだ。有閑階級の趣味にすぎなかった科学は、産業革命によって一夜にして「金のなる木」になった。国家や企業が多額の投資をするようになったからこそ、現代のような科学技術全盛の時代が始まった。

 なぜ産業革命がイギリスで始まったのかといえば、当時の世界ではもっとも賃金が高く、かつ、格安の燃料が手に入ったからだ。だから、労働者を機械に置き換えるインセンティブが生まれた[3]。人間の手で水を汲み出すよりも、蒸気機関で動くポンプを使ったほうが利益を出せたのだ。当時はまだ技術的に未熟で、非効率な蒸気機関であったにもかかわらず。

 もちろんプロテスタンティズムや科学主義が、産業革命に影響を与えなかったとは言えない。しかし、それらは決定打ではなかった。産業革命を引き起こした最後の一撃は、賃金と地下資源という、経済的・生態学的な要因だった。思想が世界を変えたのではない。環境要因が私たちの行動を変え、世界を変えた。そして新しい世界にふさわしい思想──科学主義や資本主義のような──が選ばれたのだ。

産業革命が起きた理由に)経済以外の分野の要因をあげることの問題は、それによって、さらに一歩手前の問題が提起されるにすぎない点である。たとえば、天地創造を説明するために神に言及すれば、必然的に神の創造についての疑問が導き出される。

 イデオロギーによって社会の経済活動が変わる可能性があるとしても、イデオロギー自体もまた、経済活動に一部影響される、人間の基本的意識の表れなのである。

 ──グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』

 

 

■人間の行動には共通のパターンがある

 20世紀後半、人間の心は「空白の石版(タブラ・ラサ)」だと考えられていた。生まれながらの性質や行動パターンなどは存在せず、個性や人格はすべて成長の過程で学びとるという発想だ。真っ白な石版に彫刻がなされるように、人格は後天的に刻み込まれるのだという。現在でもこの考え方を捨てられない人は多いだろう。

 ところが1960年代、心理学者ポール・エクマンは人類の「感情」が生まれながらのものであることを明らかにした。笑っている顔や泣いている顔など、さまざまな表情の写真を、世界中の数多くの文化圏の人々に見せて、感情を読み取ることができるかどうか試したのだ。なかにはパプアニューギニアのフォレ族という孤立した狩猟採集民族も含まれていた。その結果、世界のどんな地域、どんな文化圏でも、人間の基本的な喜怒哀楽の表情は同じだと分かった。感情は、文化によって後天的に学ぶものではない。生まれながらのものだ。

 エクマン自身は、これが「人類みんな兄弟」の証拠だと思っていた。ところが学会で発表したところ、激しい非難を受けた。お前はファシストだ、人種差別主義者だと非難された[4]「空白の石版(タブラ・ラサ)」説に取り憑かれた当時の人類学者や心理学者にとって、人間には生まれながらの喜怒哀楽があるという発想は受け入れがたかったようだ。

 言うまでもないが、ヒトの心や行動には生まれつきのパターンがある。ごく簡単なものであれば、Twitterのアンケート機能を使って検証できる。

 

 

 勝てば10万円のトク、負ければ10万円の損だ。確率は50:50なのだから、期待値はゼロである。もしもヒトが機械のように合理的な推論能力を持っているならば、賭けに乗る人と乗らない人の数はほぼ同じになるはずだ。ところが、結果はご覧のとおり。賭けに乗らない人のほうが圧倒的に多い。

 これは「損失忌避」と呼ばれるもので、行動経済学者ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴァースキーによって実証された。人間には、100ドルの利益よりも、100ドルの損失を重たく見積もるという性質がある[5]。この発見により、彼はノーベル賞を受賞した。

 

  進化心理学者ダグラス・ケンリックらは、学生たちに「怒った顔を考えて」とか「嬉しい顔を考えて」と尋ねる実験を行った。その結果、嬉しい顔を考えた被験者の大半は、知っている女性の顔を思い浮かべた。また、怒った顔では被験者の75%が男性の顔を思い描き、そのほとんどは見知らぬ男性の顔だった[6]

 Twitterのアンケート機能では、それほど綺麗に実験を再現できなかった。しかし、怒った顔では男性、嬉しい顔では女性を思い浮かべるという傾向は、たしかに見られる。

 なぜこのような傾向が見られるかといえば、怒っている男性は、怒っている女性よりも危険だからだ。有史以前の世界を思い浮かべてほしい。怒っている男性は暴力をふるうかもしれないし、最悪の場合はこちらの命を奪うかもしれない。だからこそ、私たちの心は「怒っている男性の顔」に敏感に進化したのだ。

 

  これは心理学者ピーター・ウェイソンが行った「4枚カード問題」を焼き直したものだ。

 まず最初に「Dの裏は7である」という問題について考えてみよう。もしも「D」の裏に7以外の数字が書かれていたら、このルールが守られていないことになる。また、もしも「3」の裏にDが書かれていた場合にも、同様にルールが破られたことになる。したがって、この問題の正解は「Dと3をめくる」だ。ウェイソンによれば、この実験で正解のカードを選ぶ人はわずか5~10%だという。論理学を履修した人でさえ間違える。

 面白いのはここからだ。

 注意深く問題文を読んでほしい。居酒屋の問題は、論理的には4枚カード問題とまったく同じだ。Dをビールに、Fをお茶に、3を18歳に、7を20歳に置き換えただけだ。にもかかわらず、大半の人が正しい答えを選んでいる。無味乾燥な記号と数字では間違えてしまう問題でも、社会的な状況に置き換えれば、正しい論理的推論ができるのだ。

 レダ・コスミデスは、ヒトはルールが一種の社会契約で、利得のやりとりが関わっているときには、正しい答えを出すという発見をした[7]。噛み砕いて言えば、ヒトの脳は裏切り者を探すのが上手いのだ。4枚カード問題と居酒屋問題を見れば分かるとおり、数学的問題を「裏切り者探し」に置き換えれば、ヒトの脳は抜群の推論能力を発揮する。

 有史以前からヒトは群れを作り、社会集団を作って生活してきた。だからこそ、「ルールを破っているヤツ」を見つける能力に長けた脳が進化したのだ。

 

 Twitterで簡単に検証できるように、私たちの心や行動には一定のパターンがある。冷静になって考えてみれば、当たり前のことだ。喜怒哀楽の表情は、世界中どこに行っても共通だ。海外旅行をしたことがある人なら、ニコニコと笑顔を浮かべることで問題を切り抜けた経験の1つぐらいはあるだろう。ヒトの心は「空白の石版(タブラ・ラサ)」などではありえない。

 注意してほしいのだが、これは遺伝子決定論ではない。ヒトに生まれながらの性質があるからといって、生まれ持った遺伝子がその人の個性をすべて決めるとは言えない。私たちは成長の過程で、経験し、学習し、自分自身の個性を獲得していく。人間の個性には無限のバリエーションがある。

 ダグラス・ケンリックは、ヒトの心は「ぬりえ帳」のようなものだと述べている[8]。塗り絵には無限のバリエーションがある。バラの絵を赤く塗る人がいれば、青く塗る人もいる。塗る人の創造性によって、同じ線画から多種多様な完成画が生み出される。ヒトの心も同じだ。ヒトの心には「線画」のような、生まれつきのパターンがある。しかし成長の過程で着色されて、十人十色の個性が生み出されるのだ。

 

 

■イナゴと、魚群と、人間社会。

 ヒトの心や行動に一定のパターンがあるとしたら、「世界を変えるのは思想ではなく環境要因である」という発想は説得力を増す。なぜなら、動物が環境要因によって行動を変える例は、枚挙にいとまが無いからだ。

 そのもっとも劇的な例はイナゴだろう。

 イナゴやバッタの仲間は「相変異」をすることで知られている。彼らはエサが豊富で周りに他個体がいない環境では、お互いを避けあう「孤独相」に育つ。体色は緑色で、行動範囲は狭い。一方、エサが乏しく個体密度の高い環境で育つと「群生相」になる。体は褐色で、大きな羽で飛び回る。巨大な群れを作って空を覆いつくし、田畑を荒らす[9]

 人類は古くから、群生相となったイナゴの害に苦しめられてきた。

 いなごはエジプト全国にのぞみ、エジプトの全領土にとどまり、その数がはなはだ多く、このようないなごは前にもなく、また後にもないであろう。いなごは地の全面をおおったので、地は暗くなった。そして地のすべての青物と、雹の打ち残した木の実を、ことごとく食べたので、エジプト全国にわたって、木にも畑の青物にも、緑の物とては何も残らなかった。

  ──旧約聖書出エジプト記』10章

  もちろん、イナゴはあくまでも極端な例だ。成長過程における周囲の環境によって、スイッチが入る遺伝子が変わり、大人になったときの姿も変わってしまう。そして重要な点は、姿形だけでなく行動も変わるという点だ。群生相では、孤独を好み狭い範囲で生活するのではなく、群れを好み長距離を移動するようになる。

 周囲の環境に遺伝子のON/OFFが影響されるのは、ヒトも同じだ。

 分かりやすいのは身長だろう。幼少期の栄養状態はヒトの身長を大きく左右する。おそらく栄養が悪い環境では、背を低くする遺伝子のスイッチが入り、背を高くする遺伝子のスイッチが抑制される。充分に栄養が摂れる環境では、おそらくこれが逆になる。肉体的な成長が遺伝子の影響を受け、遺伝子が環境の影響を受けるのは明らかだ。であれば、なぜ脳や行動も環境の影響を受けないと言い切れるのか。

 

 


魚群(Boids)のシミュレーション

 

 人間の社会を論じるなら、イナゴよりも魚群の例のほうが適切かもしれない。

 魚や鳥の群れは、まるで1つの生命体のように統制の取れた動きをする。しかし群れ全体の動きを支配している「集合精神(Hive mind)」が存在するわけではない。個々の魚は、それぞれ単純な行動パターンにしたがって泳いでいるだけだ。群れの全員が同じ行動パターンを持つことによって、秩序立った群れの動きが生み出される。これはコンピュータープログラムで比較的簡単にシミュレーションできる。

 ヒトにも一定の行動パターンがあるとしたら、私たちの暮らす社会も、魚の群れのようなものだとは考えられないだろうか。社会全体を動かす思想やイデオロギーなど存在せず、個々の人々が一定のパターンに従って行動した結果、社会が動くのではないか。まるで魚の群れに「集合精神(Hive mind)」があるかのように見えるのと同様、思想やイデオロギーが社会全体を動かしているように見えるだけではないか。

 人間社会でいえば、飢えや経済格差は暴動と深く結びついている。たとえば日本史では、飢饉の時期には百姓一揆が頻発した。また、歴史上もっとも意義深い暴動は、1789年のパリで起きたものだろう。貴族や聖職者との経済格差が白日のもとにさらされ、当時のパリ市民は怒り狂った。バスティーユ監獄が襲撃され、フランス革命が始まった。

 フランス革命を引き起こしたのは、当時の先進的な思想だったのだろうか?

 その影響が無かったとは言わない。しかし、因果関係は逆ではないだろうか。

 飢饉や、極端な経済格差を目の当たりにしたとき、ヒトは攻撃性が増す。そういう単純な行動パターンがあるのかもしれない。1789年のフランスで生まれた農民の娘の平均余命は28年だったそうだ。当時の一般庶民が貧しく、過酷な生活を送っていたのは間違いない。そして攻撃的になった人間の数がある閾値を超えたときに、暴動となって一気に爆発した。そのとき、怒りに燃えた人々に、自分たちの行動を正当化する理屈が──人権や平等といった考え方が──選ばれたのかもしれない。

 飢饉や経済格差だけではない。ヒトの個体数、すなわち人口も、どうやら人々の行動に大きな影響を与えるらしい。

 ブレーメン大学の社会学者グナル・ハインゾーンは、現代のイスラム過激派がテロを起こす理由はイスラム圏の高出生率にあると指摘している。西側先進国が人口転換と少子高齢化を経験していた時期に、中東では人口爆発が始まった。その結果、仕事や社会的地位にあぶれた若い男が大量に現れた。

 15歳~29歳の男たちは、潜在的に戦闘能力を有する兵士候補だ。ある国や地域でこの層の人口が過大になると、しばしば暴力的な攻撃をともなって他の地域へと噴出する。地元でポストのない三男、四男の兄弟たちが、戦いを繰り広げるというのだ。たとえば大航海時代、当時のヨーロッパは世界でもっとも若い男の多い地域だった。彼らは新大陸やアジアを侵略して回った。

 20世紀のあいだに、イスラム諸国の総人口は1億5000万人から12億人へと8倍になった。一方、同時期のヨーロッパ人口は4億6000万人から6億6000万人に増えた「だけ」である。この100年間で、イスラム圏に対するヨーロッパ人口は、約3倍の「優勢」から、2分の1の「劣勢」へと転じてしまった[10]

 男子の過剰が表面化するにつれ、それまで大なり小なり不平不満がありながらも互いに折り合いをつけてきた社会が、負担感や不平等ばかりを訴えるスキャンダラスな世相を呈するようになっていく。(中略)いい大人に成長した息子たちが徒党を組んで運動を繰り広げるとき、それを知的に正当化するのに恰好のイデオロギーは、思いつくままにいくらでも挙げられる──ナショナリズムアナーキズムファシズムコミュニズム、部族意識、環境保護主義イスラム主義、ヒンドゥー教福音主義、アンチグローバリズム、ATTAC活動、市場信奉、形を変えてのアンチユダヤ主義、まだいろいろ続けられる。「正義や良心の葛藤や内観で得られた信仰上の真理、そういったものによる実用イデオロギー」が、待ってましたとばかりに現れるのだ。

 ──グナル・ハインゾーン『自爆する若者たち』

 

 私自身、「まさか」と思いながら書いている。

 自分の記事に向かって、これほどまでに「デマこいてんじゃねえ」と言いたくなったことはない。学校教育でも、テレビや新聞でも、私たちは「思想や発想が世界を変えた」と教えられる。何か新しい考え方が広まったときに世界は変わるのだと、信じ込まされる。この記事を書いている私ですら、まだ6割くらいそう信じている。

 しかし周囲を見渡せば、矢印の向きが逆だと思えてくる。

 たとえばマーケティングの界隈では、需要を作るのではなく、潜在的な需要を掘り起こせとよく言われる。当たり前のようにこのセリフを吐く人たちは、それがどれほど破壊的な発言か自覚しているだろうか? この発言にもとづけば、世界を変えたのはiPhoneではなく、iPhoneを欲しがっていた私たち自身ということになる。スティーブ・ジョブズが世界を変えたのではなく、変わりつつある世界にもっとも受け入れられる製品と思想を提供したにすぎないことになる。

 思想に世界を変える力はない。世界を変えるのは環境的な要因だ。

 変わった後の世界にもっとも相応しい思想が広まるだけだ。

 私のなかの4割ほどは、すでにそう信じ始めている。

 

 

■思想に何ができるのか

 どんなに優れた考え方でも、時代が合わなければ広まらない。逆に、傍目にはどんなに愚かに見える発想でも、それを受け入れる人が多ければ瞬く間に広まってしまう。近年の日本でいえば、「マイナスイオン」や「パワースポット」「水素水」が燎原の火のごとく猛威をふるったことが記憶に新しい。考え方や思想、○○主義といったものは、それ自体が優れているからといって、広まるとは限らない。重要なのは、その考え方がミームとしてどれほどの感染力を持っているかだ。

 たとえば地動説は、紀元前4~3世紀のギリシャアリスタルコスがすでに思いついていた。にもかかわらず、コペルニクスケプラーが活躍する16~17世紀まで、事実だと認めらず、忘れ去られてきた。当時の地動説には感染力が無かった。

 なぜアリスタルコスの太陽中心説が広まらなかったのかといえば、おそらく、当時の人々には必要のない知識だったからだ。当時の人々にとって「進みすぎ」ている発想だった。星の運行は占星術に用いられる程度で、それこそ「地球は平面だ」と考えても大多数の人々にとっては何の問題もなかった。だから球体地球説と地動説は感染力を持つことができず、忘れ去られたのではないだろうか。

 ところが15世紀末に大航海時代が始まると、まず平面地球説が窮地に立たされた。コロンブスヴァスコ・ダ・ガマの偉業により、ヨーロッパの人々は地球全体へと目を向けるようになったはずだ。16世紀、マゼランの船団が地球一周に成功してからは、それほど知識や教養を持たない庶民にまでも「地球は丸い」という発想が広まっただろう。

 つい最近まで、天測航法は船乗りの基本だった。植民地が広がり、長距離航海が一般化するにつれて、天体観測の需要も高まったはずだ。そういう時代背景があったからこそ、人々は宇宙についてより詳しく知りたいと思ったのではないか。ケプラーガリレオの発想を、喜んで受け入れたのではないだろうか。地動説というミームは、この時代になってようやく感染力を持つに至った。人々の脳にあっと言う間に感染していった。

 思想に世界は変えられない。

 世界を変えるのは環境要因だ。人口や資源などの、生態学的・経済学的な要因だ。

 思想が広まるから世界が変わるのではない。変わってしまった後の世界で、もっとも感染力の強い思想が広まるのだ。

 

 

 ただし、思想には、変わった後の世界をそのままに保つ力はあると思う。

 たとえば科学主義であれば、少なくとも今後100年ほどは忘れ去られることはないだろう。私たちは、その威力を味わってしまったからだ。子供の死亡率を劇的に低下させて、食糧難を回避できるようになった。現代日本で生活していれば、もはや破傷風結核で死ぬことはごく稀だ。

 科学主義の原点を誰に求めるかは議論が分かれるだろう。だが、やはりフランシス・ベーコンを外すわけにはいかない。彼は、人類一般に幸福をもたらすには、それまでの演繹的な知的枠組みでは不充分だと気づいた。事実を偏見なしに集めて分析する帰納的方法論にもとづいたものに変えなければならないと思いついた。雑な言い方をすれば、空理空論をこねくり回すよりも実験で確かめたほうがいいと彼は気づいたのだ。

 また、ガリレオトスカーナ大公国の王妃に宛てた有名な手紙を残している。「聖書の文言という権威から始めるのではなく、実際の知的体験および実証から始めるべきです」これは、現代の私たちがとっている科学的アプローチを宣言したものだ[11]

 科学主義とは何か?

 どんな条件を満たしていれば「科学的である」と言えるのか?

 人によって意見は多少違うだろうが、とくに重要なのは次の2点だと私は思っている。

 仮説は、観察や実証ができなければ認められない。

 仮説は、反証の試みがすべて失敗すれば認められる。

 科学主義を支えるこれら2つの考え方は、絶えざるバージョンアップが可能だという点で優れている。過去にどんな権威がいようとも、より現実に即した仮説が見つかれば、そちらが優先される。知識をつねに「もっとも有用な状態」に保っておけるのだ。2000年前に書かれた本の文言の解釈で四苦八苦している宗教とは決定的に違う。

 この強みがある以上、私たちは科学主義を簡単には手放さないだろう。ときには疑似科学に踊らされることはあっても、科学そのものを軽んじる方向へと社会が変わるところは想像しにくい。たとえば最終核戦争が起きて『北斗の拳』のような世界になってしまうとか、ゾンビハザードが起きて『ウォーキング・デッド』のような世界になってしまうとか、よほどのことがない限り、科学主義という思想にもとづく世界は崩壊しないはずだ。

 思想には変わった後の世界をそのままに保つ力があるとは、そういうことだ。

 

 

 

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◆参考文献等◆

[1]ウルリケ・ヘルマン『資本の世界史』太田出版(2015年)p36
[2]ウィリアム・バーンスタイン『「豊かさ」の誕生』日経ビジネス人文庫(2015年)上p285
[3]ロバート・C・アレン『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』NTT出版(2012年)p44
[4]スティーブン・ピンカー『心の仕組み』ちくま学芸文庫(2013年)下p132~133
[5]ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』ハヤカワ・ノンフィクション文庫(2014年)下p90以降
[6]ダグラス・ケンリック『野蛮な進化心理学白揚社(2014年)p66
[7]スティーブン・ピンカー(2013年)下p78~80
[8]ダグラス・ケンリック(2014年)p108~111
[9]
こんなにありますバッタの謎 バッタ博士の「今週のひと工夫」【第12回】:PRESIDENT Online - プレジデント
[10]グナル・ハインゾーン『自爆する若者たち』新潮選書(2008年)p75~76
[11]マイケル・モーズリー&ジョン・リンチ『科学は歴史をどう変えてきたか』東京書籍(2011年)p40