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レールを失ったロスジェネ世代、レールを作るゆとり世代

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ロスジェネ世代とは、就職氷河期(1993年〜2005年)に学校を卒業し、社会人になった世代のことを言う。つまり、1970年代半ば生まれの人たちだ。一方、ゆとり世代とは2002年度学習指導要領による教育を受けた世代と言われており、生まれ年でいえば1987年以降、リーマンショック直後の不況が直撃した世代だ。
お気づきのとおり、ロスジェネ世代とゆとり世代との間には、比較的好景気な時期に社会人デビューした世代がいる。
生まれ年でいえば80年代の初頭から86年ごろまでのこの世代を、ここでは「ハチゴ世代」と名付けたい。私自身がこの世代の人間であり、1985年生まれだからだ。ハチサン世代でもハチヨン世代でもいいが、語呂のよさから「ハチゴ世代」を選んだ。異論は認める。
※人によっては「ハチゴ世代」をゆとり世代に含める場合もある。



ロスジェネ世代、ハチゴ世代、ゆとり世代――。
同時代を生きる“若年層”であっても、その生き方や価値観には大きな違いがありそうだ。各世代の考え方を垣間見られる書籍を、最近、続けざまに読んだ。ここでご紹介したい。



【COI開示】今回ご紹介する2冊は、どちらも著者よりご献本いただきました。




1.『ロスジェネ心理学』


まずはブログ「シロクマの屑籠」の“中の人”、シロクマ先生が上梓された『ロスジェネ心理学』だ。シロクマ先生より献本御礼。


ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く


本書の中で、ロスジェネ世代は「末は博士か大臣か」とおだてられて育った世代だと描写されている。
子供のころにファミコンの直撃を受け、以前の世代とは比べものにならないほどの物質的な豊かさを手に入れた世代。「いい学校を出て、いい会社に入る」という常識が世間を覆い尽くしていたころに学生時代を過ごした世代。しかし、彼らがいざ学校を卒業してみると、待っていたのは終身雇用・年功序列の崩壊であり、学歴“だけ”では生きていけない時代の到来であり、「コミュ力」の重視される世界だった――。
一言でいえば“レールを外された世代”なのかな、と感じた。
人はそんなに強くない。目の前に「しあわせになるためのマニュアル」があったら、手を伸ばしたくなって当然だ。まして世の中の大半の人がそのマニュアルを使っているならば、内容の正しさを疑ったりしない。幼少期に与えられていた「レール」と、現実とのギャップに苦しんでいるのがロスジェネ世代なのかな、と思う。
「個性を尊重しましょう」という時代がやってきたのに、競争に勝ち抜くことでしか個性を手に入れられない哀しさも、この世代の特徴だろうか。


【読書感想】ロスジェネ心理学琥珀色の戯言
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20121107






2.『シェアハウス わたしたちが他人と住む理由』


続いてご紹介するのは、ハチゴ世代のOLお二人がお書きになった『シェアハウス わたしたちが他人と住む理由』だ。著者の阿部珠恵さん、茂原奈央美さんは以前からこのブログを読んでくださっていたらしい。献本御礼。


シェアハウス わたしたちが他人と住む理由

シェアハウス わたしたちが他人と住む理由


話題としては最高におもしろい。
シェアハウスについて論じた書籍や記事は数あれど、“中の人”の口で語られることは少なかった。部外者の目線から(妙な暮らし方をしている人たちがいるぞ?)と分析されることが多く、シェアハウスの住人自身が生活をつまびらかにすることは少なかった。
ところが本書では、謎に包まれた (?)シェアハウスでの暮らしが赤裸々に綴られている。シェアハウスの普及率などは数字に基づいて議論が展開されており、足腰のしっかりした読み応えのある一冊に仕上がっている。
惜しむらくは、シェアハウスが選択肢に無い人へとアピールする内容にはなっていないことか。「一人暮らしの人がなぜシェアハウスをしないのか」という点がちょっと考察不足で、「私もシェアハウスをしてみようかな」という気にさせるような内容にはなっていない。
“外”の人にとってはシェアハウスをしないのが当たり前なので、わざわざ「しない理由」を分析したりしない。シェアハウスをするのが当たり前な彼女たちにこそ、一人暮らしをする私のような人間を客観的に分析できるのではないか、と思う。
とはいえ、本書は「シェアはハウスの暮らしぶりを明らかにする」のが主眼であり、その部分では満点のデキだ。



本書のレビューにもざっと目を通したが、中間層の崩壊・低所得層の拡大と結びつけるのはスジが悪いと感じた。というのも、この本に登場するシェアハウスの住人のほとんどが現代日本の上流階級だからだ。たっぷりと“溜め”のある若者や、土地や家屋を買えるほどのお金持ちばかりが登場する。
そもそも著者は、「シェアハウスをするのはさらなる豊かさを求めているから」だと主張している。「貧乏だからシェアをする」という発想を払拭しようと努めている。日本人の低所得化が進んでいるからこそ一緒に暮らしている……という世間一般の“シェアハウス像”からは、かけ離れた暮らしが描かれている。
私は、シェアハウスは経済的・文化的に貧しくなりつつある日本を救う魔法の一撃になりうると思っている。けれど、この本だけで救済プランを想像するのはちょっと難しい。理屈のうえでは「崩壊した中間層」の人たちこそシェアで豊かになれるはずの人々だ。では、その層でシェアハウスは普及しているのだろうか。所得階層とシェアハウスの関係について学術的な研究があれば読んでみたい。
「シェアハウス」をタコ部屋の美称にしてはいけないし、金持ちの道楽で終わらせてしまうのもつまらない。シェアハウスができない人たちや、金銭的にシェアハウスを選ばざるをえなかった人たちに目線を向けた続刊を期待したい。



シェアハウスに映る死、夢、そして孤独の今‐闇の中の社会学
http://diamond.jp/articles/-/28143



理由 (新潮文庫)

理由 (新潮文庫)






話がだいぶ脇道にそれてしまった。
『シェアハウス』を読んで感じるのは、ハチゴ世代のしたたかさだ。私たちの世代は、物心がついたころにはバブルが崩壊していた。不況へと突入していくなかで小中学生のころを過ごした。「モデルとなる生き方」を、初めから持っていなかった世代だ。もちろん「いい学校・いい会社」という発想が無かったと言えばウソになる。しかし一回り年上のロスジェネ世代に比べれば、その呪縛が弱かった世代なのだ。
またハチゴ世代は、デジタル・ネイティブの第一世代でもある。小学生のころには家にパソコンがあり、中学生になってからはインターネットが爆発的に普及した。“ネット以後”の社会・文化を血肉としている最初の世代だ。だからハチゴ世代は、マス・マーケティングに捕捉されない。テレビに言われるがまま消費活動をするのではなく、欲しいもの・必要なものを自分で調べて、選ぼうとする。さらにネットを通じて人間関係を広げることにも抵抗がない。
ハチゴ世代は「モデルとなる生き方」を最初から持っておらず、“ネット以後”の空気を身に着けている。だから「新しい生き方のモデルを創出しよう」という性向がとても強い。
『シェアハウス』に描かれた若者たちの姿は、その一例だ。






※余談


最後にゆとり世代を象徴する書籍として『カゲロウデイズ』を挙げようと思っていたけれど、ちょっと的外れなのでやめます。
というのも『カゲロウデイズ』は、ライトノベル少年マンガボーカロイドを含む日本の音楽シーンなどの文脈から分析するのが適切で、世代論に押し込めようとするのは無理がありすぎるから。しかも、現役の中高生が主な読者であり、ここでいう“ゆとり世代”よりもさらに年下の人たちから支持されている。




今回ご紹介した2冊は、どちらも単独で読み応えたっぷりの良書だ。続けざまに読んだことで、さらに世代間の“差”までも感じることができた。おすすめ。








シェアハウスで蘇る不動産新ビジネス

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大人のためのシェアハウス案内

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※なお、世代論は、各世代の“平均的な傾向”を語るものだ。各世代の平均的な人格モデルを組み上げていくため、「モデルに一致しない人もたくさんいる」という批判から逃れられない。(※じつは私も世代論はあまり好きではない)しかし、平均点を取った人がいなくても平均点は算出できるし、平均点の意味がなくなるわけでもない。世代論が無意味だとは言い切れないだろう。