デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

大人になるのは難しい。親になるのはもっと難しい。

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「あたしの会社では、育休を取ると人事評定がリセットされるの」と友人は言った。午後のファミレスで、私たちはコーヒーを片手にケーキをつついていた。「制度上は男女ともに最長で3年間の育休を取れることになっているんだ。でも、たとえ3ヶ月でも育休を取れば人事考課がゼロになってしまう。だから出世を目指す男の人は取れないし、総合職の女は子供か仕事かの二者択一を迫られるんだよ」
彼女の勤務先は、誰もが知っている大手メーカーだ。文句なしのホワイト企業で、給与も福利厚生も充実している。現代日本の平均的な女性に比べれば、はるかに子供を産みやすい立場だ。それでも妊娠・出産にはためらうという。言うまでもなく、子育てが経済的損失につながるからだ。
産休や育休を取ることで、本来なら得られたはずの地位と待遇を得られなくなる。こういう損失のことを機会費用オポチュニティー・コスト)と呼ぶ。そもそも日本は子育てにカネがかかると言われており、低所得層の男女に出産をためらわせる。この友人のようなキャリアウーマンの場合は、そこにオポチュニティーコストが加わる。給与が良くても、子育てのコストが軽くなるわけではないのだ。結果として、貧乏人からカネ持ちにいたるまで、誰も子供を産みたがらない世の中ができあがる。
「20年経ったら変わるのかな」チョコパフェを切り崩しながら私は答えた。「そういう子供を産みづらい制度が放置されているのは、結局、今の経営陣や管理職の考え方が古いからでしょう」
女は結婚したら仕事をやめて、子育てに専念するべき。男は育児なんかせずに仕事に打ち込むべき。そういう考え方の人間がトップに居座っているから、何も変わらないのだ。
「だけど20年経ったら、そういう人たちは引退する。私たちの世代が、力のある地位を占めるようなる。そうなれば古くさい制度を一掃できる」
友人は首を振った。
「それじゃ、遅いよ。何もかも遅すぎるよ」
彼女はスマホに指を滑らせて、1枚の画像を検索した。20年後の人口構成比の予想グラフだった。膨大な数の老年層がキノコの傘のように覆い被さり、ごくわずかな若年層がそれを支えている。
「20年もしたら、日本は信じられないほどの高齢化社会に突入する。1人の現役世代で、バカバカしいほどたくさんの老人を支えなければいけなくなる。20年後の現役世代に貧しい思いをさせないためには、現役世代の数そのものを増やすしかない」
そして、子供が現役の労働者になるには20年かかる。
「だから今、子供を産まないと遅いんだよ」
私は首をかしげた。
「そこまで分かってるのに、あなたは子供を産まないの?」
友人は伏し目がちに笑った。
「あたし1人が子供を産んでも、砂漠にコップ1杯の水を撒くようなものでしょう?」
世の中全体が変わろうとしなければ意味がないのだ。



     ◆



私はコーヒーのおかわりを注文した。カップをかき混ぜながら友人は続けた。
「そもそも今の日本って、一昔前のジェンダーロールに沿って生きていくのがいちばん合理的にできているよね。企業の人事制度も、国の法律も」
「一昔前って、高度経済成長のころの?」
「そう。たぶん高度成長期のころの。ベッドタウンの集合住宅に夫婦で暮らして、子供は1人か2人で、男は仕事に専念して、女は専業主婦になる」
そういう男女の役割分担のことをジェンダーロールという。
「だけど、そんな昭和のドラマみたいな生き方をできる人なんて……」
「うん。今の時代はほとんどいないと思うよ。まあ、うちの会社の先輩夫婦には多いけどさ」
彼女は皮肉っぽく言った。
「あたしが子供を作らずに働いたカネを天引きされて、働いてもいない専業主婦のために使われる。正直、ふざけんなって思うよね。なんで働かない女のために、あたしが負担を強いられなくちゃいけないの?」
あなたがそう思うのは、あなたが強い人だからだ──、というセリフは飲み込んだ。
実際には、専業主婦すべてが優雅な暮らしを送っているわけではない。たしかに彼女の会社の先輩夫婦では、妻たちが贅沢な有閑生活を楽しんでいるのかもしれない。けれど、それは社会全体から見れば希有な例だ。大抵の専業主婦はパートタイムやアルバイトをして、少しでも家計をラクにしようとしているはずだ。すべての女が、この友人のように賢く稼ぐ方法を知っているわけではない。
しかし同時に、友人の言い分にも一理ある。本来なら生活に余裕があるはずの彼女のような人が、迷いなく出産・育児ができないのはおかしい。少なくとも社会的な育児コスト・教育コストを女同士で奪い合っている現状は健全ではない。
「しかも」と彼女は冷笑した。「今の時代、カネを稼ぐことだけが社会的な成功だと見なされがちでしょう。この社会を継続可能なものにするためには、本当はカネを稼ぐだけじゃなくて、きちんと次世代を育てないといけないのに」
氷のように冷たい口調だった。
「あたし、カネ儲けだけをしてきた人の人生訓が許せないんだ。『これが正しい生き方です』と教える人が、出産経験もなければ子供を育てたこともない。そんな人の指し示す生き方が、社会を継続可能なものにするとは思えない」
私は返事ができなかった。



     ◆



追加で注文したモンブランが運ばれてきた。今夜はジョギングするから大丈夫と自分に言い聞かせつつ、私は栗にかぶりつく。
「いまの年上世代だって、本当は高齢化社会が来ることに戦々恐々としているはずだよね。なのに、制度を変えようとしない。だから少子化が回避できないんだよ」
「制度だけの問題かなぁ……」
私が言うと、彼女は目をぱちくりとさせた。
「どういうこと?」
「どんなに制度が充実して、現実に即したものになっても、私たちは本当に子供を作れるのかな」
口の周りについたクリームをぬぐいながら私は続けた。
「もちろん先立つものはカネだから、子育てしやすい制度設計にしないとダメだと思うよ。だけど今の時代って、精神的にも子供を作るのが難しいと思うんだよ。ただでさえ大人になるのが難しいんだから、親になるのはもっと難しい」
モンブランの土台のマカロンを潰しながら、私は訊いた。
「たとえばあなたは去年、ジャカルタに1ヶ月行っていた。来年はクアラルンプールに長期出張が決まっている。将来的には海外駐在員になるかもしれない。10年後に何をして暮らしているか分からない」
将来が見えない。これはキャリアウーマンに限ったことではない。
フリーター契約社員はもちろん、中小企業では転職が当たり前。今、需要の高い職業のトップ10位は、10年前には存在すらしていなかった。これから10年後に自分がどこで何をしているのか、分からない人のほうが多いと思う」
「そうだね」と彼女は言った。「将来が分からないから、大人になれない」
この先、自分は“これ”を続けていくのだ──。胸を張ってそう言いづらい時代だ。
「もっと昔、それこそ150年くらい前なら、人生はもっとかんたんだったのかなぁ」
私がぼやくと、彼女はうなずいた。
「たぶん、そうかも。おらが村の大家族の1人として産まれて、厳しい家父長制のなかで育つ。15歳くらいまでに野良仕事や家事を一通りこなせるようになって、一生“これ”を続けていくのだと覚悟できる。それがしあわせな生き方かどうかは分からないけれど、今のあたしたちみたいに将来が見えないなんてことはなかった。だから10代のうちに子供ができても、『親』の役割を果たすことができた。親としての心構えを持つことができた」
しかし現代は違う。技術革新は指数関数的に進み、世の中はめまぐるしく変化している。Facebookの創業は2004年、Youtubeのサービス開始が2005年、Twitterが始まったのは2006年だ。今の私たちに必要不可欠なものが、10年前には無かった。Wikipediaの日本語版対応が2001年、しかし10年前のそれは信用に足る情報が少なく、使いものにならなかった。10年前の私たちは、現在を予想できなかった。だから10年後を予測するのも不可能に近い。
世の中の未来も、自分の進む道も見えないまま、私たちは大人にならなければいけない。
「子供に子供は育てられない。大人になるのが難しいんだから、子供が減るのは当然だよね」
「私たちは、いつになったら大人になれるんだろうね」



     ◆



貧乏人からカネ持ちに至るまで、現在の日本では子育てが経済的損失になりやすい。だから、誰も子供を作ろうとしない。これを解決するには、制度を現実に即したものにして、子育てのコストを下げるしかない。高度経済成長期のジェンダーロールを捨てなければ、そうした実用的な制度を作るのは難しい。
「そして何より難しいのは」と私は言った。「この時代に、大人になることだと思う。自分の将来が不透明なまま、それでも大人として自立した心を持ち、子供を育てることだと思う。どうすればいいのか見当もつかないよ」
すると友人は、小さく笑った。
「そんなのかんたんだよ。それこそ、技術を有効に使えばいいんじゃないの? この時代に子育てをしている人たちが、どういう職業について、何を考えているのか。それを広く共有すればいい。情報の共有こそITの得意分野でしょう」
ITの技術革新が嵐のように吹きあれて、今の私たちは将来が見えなくなっている。しかし、この時代に次世代を育てる方法もITによって切り開かれるはずだ。彼女は続けた。
「親としての心構えは、すでに親になった人たちと共有すればいい。子育てに便利な制度の情報も共有できる。そして、より適切な制度にしてくれと年上世代に訴えるときにも、きっと情報技術が役に立つはず」
「年上世代に訴える、か……」
たとえばネットを通じた選挙活動とか、そういうものをイメージしているのだろうか。
「女の社会進出によって、今の女は男並みに働くようになった」彼女は世界を飛び回っている。「だから今度は──」
「男が女並みになるべき?」
「そう、男が女並みにならないといけない。仕事だけじゃなくて、社会の継続可能性について考えなければいけないと思う。そういう考え方が当たり前の世の中にしなければいけないと思う」
自分1人が子供を産んでも砂漠に水を撒くようなものだと彼女は言った。世の中全体が変わらなければいけないのだと。私たちみんなが変わらなければ意味がないと。
「だけど私たちにできるのかな、世の中を変えるなんて大それたこと」
「できるか、できないかじゃないよ」
テーブルの上のスマートフォンは人口構成比のグラフを表示している。
「やるしかないんだよ」








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