デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

テレビ的にはブスよりも整形美人のほうがマシ

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Twitterでつぶやいたネタを再編しています。
※記事のタイトルがピーキーすぎるかもしれません。申し訳ありません。



ちきりんさんやハックルさん、あるいはシロクマ先生でも罪山さんでもいいや。有名ブロガーに呪詛を向けるのって、結局のところ嫉妬でしかないんだよね。俺もときどき口汚く「格上」の人を罵倒したくなるときはあるので、すごく反省してる。

(あいつは俺と同じ立場のはずなのに、どうして?)
(俺だって同じことを考えているし書いているのに、あいつのほうが目立っているなんて許せない!)
そういう気持ちは、もうどうしようもなく生まれてしまうものなんだよ。
だって個性の時代だもん。
誰だって注目されたい、そういう時代だもん。

ただ、目立つ人たちはやっぱり何か理由があって人気を集めているわけで、「同じことを考えて書いている」はずの自分が注目されないのは、どこかに違いがあるからでしょう。及ばない部分があるからでしょう。
呪詛をまき散らしたくなる時って、そういう違いが見えなくなってる。

そもそも月間数百万PVを叩き出す人たちと、自分を「同じ」だと考えるほうがバカげているんだよ。ネットを介してみると、なんだか対等な立場に立っていると考えてしまいがち。でも、ほんとうは超えがたい違いがある。それはアクセス数っていう厳然たる数値によって明らかだ。

ネットに限らず、みんなから注目を集めて評価される人たちは、桁違いの能力を持っているんだよね。それは才能だったり、経験や情熱だったりする。どれをとっても足下にも及ばないのに、そういう人たちと自分を「対等」と考えるほうがバカバカしいんだ。

「格上」の人に呪詛をつぶやきたくなるのは、その人を対等だと勘違いしてしまうからだ。同レベルだという錯覚を捨てれば、憎しみはなくなる。「違い」を冷静に分析できるようになる。あとは、自分に足りない部分をきちんと認識して、粛々とその部分を改めるだけだ。

とっかかりとして「ブログ」の例をあげたけど、これってどんなジャンルでも同じじゃないかな。山田悠介を叩くワナビは、たしかに山田先生よりも優れた文章力を持っているのかもしれない。でも、山田先生に比べて足りない部分があるから(しかも無自覚だから)いつまでもワナビのままなのでしょう。

「すごい人」を目にして凹むよりも、まずは「とても敵わない」という現状を認めたほうがいいよ、って話。すごさの源泉がどこにあるのか分析して、うまく盗んで、自分の糧にしたほうがいいよ。逆恨みして呪詛を吐くよりもずっと建設的だよ。

人間って、基本的に「きれいなもの」を見ていたいんだ。だから身の回りから「醜いもの」はどんどん消えているんだ。良いか悪いかは別として、醜悪なものは周到に隠されてしまっている。テレビにブスは映らない。映ったとしても「ブスキャラ」としてしか扱われない。
たとえ整形であっても、きれいな人を俺たち人間が見たがるからだ。

言葉も、同じだよ。

ネットには、どんなことを書こうと自由だ。普段は表に出せない汚い部分を吐き出す場所にするのも、決して悪いことじゃない。
だけど、そういう肥溜めや痰壷みたいな場所にいるうちは、他の人からは汚物としてしか評価されない。

たとえ整形だろうと、美人のほうがマシ。
たとえ偽善だろうと、善人のほうがずっといい。


そういうものでしょ、いまの世の中って。

(ダメだな、酔うとうっかり書きすぎちゃう)


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