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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

大学入試はいつまでペーパーテストを続けるのか

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「ペーパーテストって、もう時代遅れじゃない?」
「そうかな? 歴史ある選考システムだと思うよ。昔の中国には科挙制度とかあったわけでしょ」
「その科挙では詩文の教養が偏重された結果、経済や土木に弱い官僚ばかりが登用されるようになったと言われている。試験制度は、つねに時代に適した形式じゃないとダメなんだよ」
「じゃあ、今はどんな時代なの?」
「20世紀は『組織』の時代だったと思う。経済も政治も、国営組織や巨大企業が牽引していた。だけど21世紀は違う。YouTubeはマンションベンチャーで生まれた。巨大な組織ではなく、個人の創造性が求められる時代だ」
「ふーん。それで、創造的な個人を生み出すためには?」
「創造的な個人を生むためには、社会の多様性が欠かせない。『組織』の時代に力を発揮できるのは、粒ぞろいの画一的な人間たちだった。だけど、そういう人材ばかりを増やしても、平均から大きく外れた才能は生まれない」
「つまり21世紀は『多様性』の時代だ、と」
「そう思うよ」



     ◆



「とはいえ、大学ではハイレベルな教育をほどこすわけでしょ?」
「うん、そうだね」
「高度な知識は、土台となる知識がなければ身につかない。基礎工事をせずに家を建てることはできないよ。大学入試のペーパーテストって、そういう『基本的な知識』が一定水準に達しているかどうかをチェックしているんじゃないの? 基本的な知識が欠けている学生が入ってきても、大学にとっては迷惑なだけじゃないかな」
「たしかに、それは言えてる」
「それに受験生にとっても、ペーパーテストは無いよりあったほうがいいはずだよ。まず点数という厳然たる結果で評価される。たとえば小論文や面接形式の試験では、どうしても試験官の主観に結果が左右される。でも、ペーパーテストなら結果が客観的かつ公正だから、合否に納得しやすいよね。しかも点数によって順位付けされるから、モチベーションも維持しやすい」
「モチベーション?」
「知っての通り、人間は競い合うのが大好きだ。ソーシャルゲームのランキングを上げるために何万円も課金してしまうのが人間だ」
「つまり点数という形式で序列がつくことで、もっと勉強しようというモチベーションにつながる……?」
「そういうこと。さらに言えば、日本経済が国際的な競争に勝つためにもペーパーテストは必須だと思う。韓国やインドでは、日本以上に苛烈な受験戦争が展開されているらしい。もしもペーパーテストを無くしたら、そういう国との競争力がなくなるんじゃない?」
「ちょっと待った。それは論理展開が飛んでる。受験戦争が激しいと──」
「受験戦争が激しいほど、子供たちはたくさん勉強するようになる。勉強をよくする人材のほうが、まったくしない人材よりも優秀である可能性が高い。だから受験戦争の激しい国では結果として優秀な人材がたくさん輩出されて、産業を振興する。そして国際競争力が高くなる」
「で、日本が負けてしまうかもしれない、と」
「そう。だからペーパーテストは必要だし、もっと難しくてもいいとさえ思うよ」



     ◆



「受験戦争は激しいほうがいい、かぁ……」
「まあ、世間一般の意見とズレているのは自覚しているよ。受験勉強がストレスやうつにつながるのも事実だし」
「たしかに受験に潰されちゃう人も珍しくないよね」
「だけど、そういうデメリットを差し引いても、大学受験でのペーパーテストは有益だと思う」
「そうか。ところで、教育の目標って何だろう」
「社会を牽引できる優れた人材を輩出することじゃないの? 上位3%の人間をいかに優秀な人材に育て上げるのか。それが教育の目的だよ」
「それは短期的かつマクロな視点での教育の目標だよね」
「短期的かつ、マクロ?」
「どんな問題であれ、モノを考えるときには2つの軸から考えるべきだよ。1つの軸は、短期的か長期的か。そしてもう1つの軸は、ミクロかマクロか」
「なるほど。その軸を使うと、教育の目的はどうなるの?」
「まず短期的かつマクロな視点からは、あなたの言う通り、優秀なリーダーを輩出することが教育の目的になると思う。第一次大戦後、復讐心に目の曇った世界のリーダーたちはドイツに報復的な賠償を課した。結果、窮乏に苦しんだドイツ国民はナチスにすがりつくことになり、第二次世界大戦が勃発した。私はリーダーだけが賢くなればいいとは思わない。だけどリーダーが愚かなのは、それだけで悲劇だ」
「政をなすには徳をもってすれば、たとえば北辰のそのところにいて、衆星のこれをめぐるがごとし」
「『論語』だね。孔子徳治主義は政治哲学的には色々と問題があるんだけど……。でも、リーダーが優秀じゃないと困るってのは事実だと思う」
「それで、ほかの視点では?」
「長期的かつマクロな視点では、社会の構成員すべての知性を高めることが教育の目的だ。民主主義は、必ず啓蒙主義とセットで語られてきた。大衆が賢くなければ民主主義は衆愚に陥り、うまく機能しなくなる。自由な社会を維持・発展させるためには、私たち全員が賢くなり続けなければならない」
「そんなことできるのかな? どんな時代、どんな社会にも、一定数のバカが存在していた。私たち全員が賢くなるなんて幻想だと思うよ」
「ほんの100年前まで、どんな権力者でも病気になったら加持祈祷に頼るのが当たり前だった。ところが現在ではソマリアの海賊でも抗生物質を使う。先進国では識字率が90%を超えるのが当たり前だ。これが教育の力だ。賢くなれるんだよ、人類は」
「まあいいや。残り2つの視点はどうなの」
「ミクロ、つまり個人の視点だね。個人にとっての教育の目的は、短期的にも長期的にも、その個人を豊かにすることだ。よりわずかな生産活動でより多様な消費活動を行うことを『豊か』という。そういう豊かさを手にする能力は、教育がなければ身につかない」
「つまり問題は、それらの目的に現在の入試制度が一致しているかどうか──」
「そういうこと。教育は、個人にとっても社会にとっても、そして短期的にも長期的にも、有益でなければいけない」
「そして、大学入試のペーパーテストは有益ではない、と。無益なばかりか害をなすんだな」
「うーん、害をなすとまでは言わないけど……。でも、目的に一致しづらくなっているとは思う」
「具体的には、どんなズレがあるかな?」
「たとえば現在では、暗記の必要性は格段に低くなった。Google先生に訊けば大抵のことは調べられる時代に、年号や偉人の名前を暗記することにどんな意味があるんだろう」
「たしかに優先順位は低くなった、かな」
「覚えていて損になる知識はない。どんなことでも、知らないよりは知っていたほうがいい。だけど大切なのは知識の優先順位だ。たとえば数学公式の暗記の重要性をことさら強調する人がいるけれど、その優先順位を──ほかの覚えるべきことに比べてどれだけ大切なのかを──考慮している人はあまりいない。受験時にがんばって覚えた自分を褒めたいだけって場合がほとんどだ」
「ずいぶん辛口だね。数学公式に恨みでもあるの?」
「お察しください」
「うん、訊いた私がバカだった」
「それから、大学の教育を理解するには一定水準の基礎学力が必要だと言ったよね」
「大学は遊ぶ場所じゃない。勉強する場所だからね」
「それは正しい。だけど、『基本的な知識』を計るのにペーパーテストを用いた瞬間、おかしなことになると思うんだ。基本的な知識ってのは、誰もが理解できるからこそ『基本的』なわけでしょ? だから単純な計り方では差がつかない。重箱の隅をつつくようなマニアックな問題を出題するしかなくなる」
「ああ、あるある。『そんな単語どこで使うんだよ!』みたいな英単語を知らないと解けない文章題とかね」
「ああいうのって、ペーパーテストの目的と手段が逆転した例だと思う。ほんとうは学力が一定水準に達していることを確かめる手段だったはずなのに、いつの間にか手段が目的化しているんだ」
「だから、たとえば東大の入試問題を解けなくても──」
「──たぶん東大の授業にはついていけるんじゃないかな。よっぽど専門的で高度な授業でない限り」
「ていうか、そもそも大学って『授業についていく』ものではないよね」
「言えてる。大学の授業は何かを知るために受けるのではなくて、自分が何を知らないのかを学ぶために受けるものだ。ほんとうに大切な知識は、授業を踏み台に、自分で勉強しないといけない」
「とか言いつつ、大学時代は遊びほうけていたくせに……」
「話を受験に戻すけど、ペーパーテストは公正だと言ったよね。だから合否にも納得しやすいはずだ、って」
「言ったね」
「だけど、それは間違っていると思う。というのも、大学受験の合否を決めるのは自分自身の学力ではなく、ほかの受験生の学力だから」
「は?」
「いまの日本には数えきれないほどの大学があって、受験日が重なっている場合も珍しくない。ということは、自分がどんな受験生と競争することになるのかは運任せだ。運良く自分よりも優秀な人が少なければ合格できるだろうし、運悪く自分よりも優秀な人が多ければ落ちるだろうね。相対評価である以上、受験は運ゲーなんだよ」
「それはまた極端な意見だな」
「受験が運ゲーであることを否定する積極的な理由を私は見つけられない。運ゲーであるにも関わらず、そこで人生が決まってしまう。合否に納得できるのはね、運ゲーだという事実から目をそらしているだけだと思うよ」
「努力を重ねてきて最後は運ゲーです……では、誰も納得できないからなあ」
「それから受験が高校生のモチベーションになってる説だけど、これってめちゃくちゃ怪しくない? 自分がバカだと気づいたら、やる気をなくす人も多いはず。模試の結果を見てモチベが上がるのは、偏差値高い人だけだよ」
「経験者が語ると説得力あるね」
「うるさい。とにかく受験が高校生のモチベーションになっているとは限らないし、仮になっているとしても、勉強は受験のためにするわけではなくて、自分のためにするものだ。受験をやる気の源泉にして勉強していた人は、それをクリアした瞬間にモチベーションを失ってしまうはずだ」
「少なくとも、受験に代わる新しい目標を見つけなくちゃいけなくなる」
「そういうこと」
「それじゃ、国際競争力についてはどう? 韓国の受験戦争は日本よりもはるかに熾烈だよ」
「注意すべきなのは、日本は先進国だってこと。少なくとも経済的には、1980年代〜90年代にかけて世界を飲み込むレベルで大発展していた。今からそういう段階に進もうとしている韓国やインドとは、そもそも前提が違うんだよ」
「ああ、なるほど。そういう国は、昭和の日本みたいなものだ、と」
「大正から昭和の初期まで、日本は欧米列強の仲間入りをしていた。世界最高の戦艦と高性能な飛行機を作り、アメリカ相手にガチの戦争を仕掛ける先進国だった。ところが無謀な戦争によって国は焦土と化し、後進国に後戻りしてしまった」
「ところが、そこから奇跡の復興を遂げるわけだ」
日本民族が優れているから──と考えたいところだけど、実際にはマクロ経済的な影響のほうが大きいと思う。第一次大戦後のナチスドイツで痛い目を見ていたから、先勝国は日本に報復的な賠償を課さず、むしろ復興を支援する策に出た。さらに戦後のベビーブームと人口ボーナスの影響にもあずかることができた。日本は高度成長を遂げ、世界第二位の経済大国になった」
「それがペーパーテストとどう関係あるの?」
「高度成長期の日本は、欧米諸国に追いつくことを目標としていたわけでしょう。ということは、欧米というお手本、つまり『答え』があったんだよ。そういう時代には、適切な答えをうまく見つけられる人こそがリーダーに適していた」
「適切な答えを見つけられる人、つまりペーパーテストが得意な人って言いたいのか」
「いまの韓国やインドは、まさにそういう状況なんじゃないの? 日本やアメリカ、イギリスをお手本に、適切な『答え』を探し出せる人を育てようとしているんじゃないかな」
「だけど、日本は状況が違う……?」
「たとえば経済だけを見ても、日本は歴史上誰も経験したことがないような高齢化社会と莫大な財政赤字に直面している。さらに情報化の波は社会のあらゆる階層に行き渡って、世の中のしくみそのものを変えようとしている。いまの日本が経験している変化には、お手本も答えもないんだ」
「お手本を見つけるには、日本は進歩しすぎてしまったわけだ」
「教育の短期的な目標は、優秀なリーダーを輩出することだった。こういう時代に求められるリーダー像は、適確な答えをすばやく見つけられる人ではない。問題そのものを定義できる人。解決策を立案して、実行できる人」
「ようするにPDCAサイクルとかを学校で教えろって言ってんの?」
「そうだと言い切ってしまうと語弊があるけれど……まあ、だいたいそんな感じ」
「それで日本が国際競争力を取り戻せる、と?」
「私はね、究極には教育って個人の豊かさのために施されるべきだと思っているんだ。『組織の時代』には、問題解決能力なんて一部のエリートが持っているだけでよかった。組織が与えてくれる問題に、組織が望むとおりの答えを出していればよかった。だけど、現在では企業も国も個人を守ってくれない。だからこそ、一人ひとりが問題解決能力を身につけるべきだし、初歩的なカネの数え方──簿記ぐらいは身につけるべきだと思ってる」
「教育の長期的な目的だね。社会の構成員すべてが賢くなる」
「それが多様性にもつながる。平均から大きく外れた人材を輩出しやすい環境になるはず」
「だいぶ脱線したけど、話を大学受験に戻そうか」
「結論から言えば、やっぱりペーパーテストを偏重する体質は改善するべきだと思う。AO入試などの枠を広げて、学びたい人が誰でも学べるようにしたほうがいい」
「よく言われることだけど、現在の『入りにくくて卒業しやすい』構造から、『入りやすいけれど卒業しにくい』構造のほうがいい──ってやつだね」
「教育の機会均等という観点からも、そのほうが望ましいと思う」
「そしてペーパーテストが時代に適さないのは──」
「お手本と答えのある問題に取り組む時代ではないから。答えの分からない、誰も経験したことのない問題に対処する時代になっているからだ。ペーパーテストは本来、基本的な知識の確認をするためのものだったはずなのに、今では手段と目的が入れ替わっている。そして、ペーパーテストが高校生のモチベーションになっているとは限らないし、国際競争力を担保するものでもない」
「最後に、今の受験生に何かひとこと」
「しっかり勉強してください」
「矛盾してない?」
「してない。ペーパーテストはバカバカしいと思うけれど、勉強の大切さそのものは否定しないよ。ヒトの脳みそは、何かを覚えて、何かを考えるのを楽しめるようにできていると思うんだ」
「勉強が嫌いって人も多いよ」
「その人は、自分の興味のあるものを、自分のペースで学んだことがないんだと思う。好きなものを好きなだけ時間をかけて学べば、勉強は絶対に楽しいはずだ。嫌いな科目を時間に追われて教わった高校までの経験は早く忘れたほうがいい」
「バカの考え休むに似たりって言葉もあるよ。バカがどんなに勉強してもムダじゃないの」
「バカだからといって、勉強がムダになるとはかぎらない。どんなに賢い人でも的外れなことを言うときはあるし、どんなバカでも真実を見抜くときがある。何より、勉強しない人生はあまりにも退屈だよ。人生は何かを成し遂げるには短いかもしれないけれど、何もしないで過ごすにはあまりにも長いから」









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