デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

日本のブルーカラーは世界一!海外でこそ正当な評価を得られる/脱・学歴社会に必要なもの

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「学歴だけが人生じゃない」と言う大人は多い。そういう大人たちは、日本経済が右肩あがりだった時代に育った。中卒でもそれなりの将来を夢に描ける楽観的な時代だった。職業には貴賤があるという「現実」から目を背け、どんな仕事も大切だよと「理想」ばかりを口にする。やつらはなんにも分かっちゃいない。
大卒でなければ大手企業の総合職にはなれないし、旧帝大早慶上智の出身でなければ出世はできない。「うちは学歴で差別しません」とベンチャー企業の人事担当は言う。しかし、高卒社員の比率を公開している会社はない。「フリーランスなら実力勝負だよ」とノマドは言う。そういう人に限って、ハーバード大学のMBAを取得していたりする。世の中はいまだに強烈な学歴社会だ。
そんなの絶対におかしい。
大事なのは、逆転の方法を知ることだ。学業がたまたま苦手だった人は、いまの社会では誰かから使われる立場になるしかない。低所得でこき使われて、“偉い人”の気まぐれでクビを切られる。そんな立場から抜け出すには、どうすればいいだろう。
お気楽な時代に育った大人たちは教えてくれないし、政治家たちは“偉い人”の味方だ。私たち人間のことを、交換可能な歯車か何かだと思っている。「負け組がいやなら東大に行け!」と檄を飛ばした『ドラゴン桜』は600万部以上売れたそうだ。が、東大入学者はそんなに多くない。みんなが高学歴を目指したって、報われる人の数は限られている。
そもそも私たちは勝ち組になりたいのではなくて、豊かな生き方がしたいだけだ。モノ扱いの人生ではなく、好きなことをして楽しく生きていきたいだけだ。
学歴に頼らず、政治家にも期待せず、弱い立場から脱出する方法。
そんな方法があるのだろうか。


       ◆


つい先日、ヒデヨシさんという方と知り合った。もちろん仮名だ。貿易業を営むベンチャーに務め、第一線で事業を引っ張っている。将来は独立して自分のビジネスを興すという野望があるらしい。知的な言葉使いの、いかにもデキる男という雰囲気の方だった。
で、ヒデヨシさんは大卒者ではない。「学歴よりも実力」を体現している人なのだ。
本当はヒデヨシさんのような人材はたくさんいるのだと思う。けれどメディアが取り上げることはまずないし、ネットでもなかなか話題に上らない。だけどヒデヨシさんのような人が増えたら、世の中はもっと面白くなる。「使われる側」の立場で黙っている人が減れば、自分の好きなこと・楽しいことをして生きていく人の数はぐっと増えるはずだ。
ヒデヨシさんはもともと大手自動車メーカーの工場に勤めていた。典型的なブルーカラーとして社会人デビューし、自動車についてのイロハを学んだ。整備から修理まで、一通りのことはできる技能を身につけた。
しかし工場の先輩社員を見て、ヒデヨシさんは絶望的な気持ちになったという。“使われる立場”にすっかり慣れてしまい、将来への野望を失っている、そんな30代の先輩社員を目にして「自分はこうはなりたくない」と思ったそうだ。
そして一念発起、オーストラリアに渡った。
留学ではない、ワーキングホリデーだ。もちろん(?)英語なんてできるはずもなく、日常会話はおろか「仕事を探しています」と話すこともできなかったという。勇敢を通り越して、もはやただの無謀だ。当然すぐには仕事が見つからず、最初の一ヶ月は鬱状態だったという。
オーストラリアはクルマ社会だ。地下鉄でどこにでも行ける日本とは違い、都市近郊でも自動車が無ければ生活できない。しかし高額な新車を買い続けることのできる人は少ない。走行距離10万kmオーバーの中古車が、ごく普通に走り回っている。
すると何が起こるか:大量の自動車整備工が必要になるのだ。
ヒデヨシさんは自動車メーカー時代に身につけた技術を買われて、街の小さな整備工場に就職した。どこの馬の骨とも分からない自動車マニアではない、本家のメーカーで技術を学んだ人材だ。たいそう重宝がられたという。オーストラリアに自動車メーカーは無い。日本は世界でも数少ない「自動車を作れる国」なのだ。
最初は半年間の予定だったが、延長に延長を重ね、帰国するころには英語に不自由しなくなっていた。ヒデヨシさんがオーストラリアで得たのは英語力だけではない。「働き方」そのものを学んできた。
オーストラリアではサービス残業がないのはもちろんのこと、定時退社でなければ異常事態だ。給料は上司や社長に直接交渉して決めるのが当たり前だし、それで不服ならすぐに辞めればいい。転職がありふれているので、次の仕事がすぐに見つかるのだ。日本では終身雇用のせいで空気を読まなければならず、大声を出せない。オーストラリアとは大違いだ。
現在の会社に就職する際も、この「オーストラリア流」を貫いたという。給料について「大卒者ではない」という理由で足もとを見ようとした社長に対し、毅然とした態度で交渉した。語学に明るく、技術もある。ヒデヨシさんのような人材を、社長だって本当は手放したくなかったのだ。見事に交渉成立し、納得いく金額まで報酬を引き上げさせたという。
そして給料分はきちんと働く。これがヒデヨシさんのポリシーだそうだ。
学歴に頼らず、実力で人生を切り開く――。ヒデヨシさんのストーリーから学べることはなんだろう。




       ◆




本の学校教育には「職業訓練」の機会がなく、企業がそれを請け負ってきた。
若者たちは何一つ技能を持たない白紙の状態で入社して、先輩社員が責任を持って一人前に育て上げる。そんな牧歌的な時代が日本にはあった。企業が即戦力を求めるようになったと言われて久しいが、新卒一括採用はなくなってない。この「企業が技能を教える」という構図は(かなりガタはきているが)いまだに変わっていない。
とくにブルーカラーではその傾向が顕著だ。一歩間違えれば死亡事故に直結する工場設備を、高校を卒業したばかりの十代の青年に運転させるのだ。緊張感はホワイトカラーの仕事とは比べものにならないし、教育係の責任は重大だ。トヨタ生産方式が生まれる以前から、日本の製造現場は世界最高水準だったのだ。とくに人材育成の面で。
私たち働く側からすれば、この環境を利用しない手はない。
たとえ学歴がなくたって、日本企業で数年間働けば世界最高レベルの技術を身につけられる。日本国内ではその実感がないかもしれないが、真価を問われるのは国外に出たときだ。
アメリカ車初期不良の多さを思い浮かべればいい。イタリア車の気まぐれなエンジンを思い出してほしい。諸外国のブルーカラーたちは、なんていいかげんな仕事をしているのだろう。その反面、日本車は紛争地帯で“安価な戦車”として重宝され、屋根に取り付けた地対空ミサイルをぶっ放しても壊れない。この堅牢な品質を支えているのは、インテリたちの思いつきではない。日本の製造現場のブルーカラーだ。
日本国内にいる限り、現場技術者の能力は安く買いたたかれてしまう。言葉の壁があるのをいいことに、日本の雇用者たちはブルーカラーを飼い殺しにしているのだ。けれど、ヒデヨシさんの例で分かるとおり、言葉なんてぜんぜん話せなくたって何とかなる。ご本人いわく「酒があれば言葉はいらない」のだとか。何の準備もせずに外国に飛び出したヒデヨシさんは確かにアホかも知れないが、同じアホなら踊らにゃ損だ。
誤解のないように付け加えておくと、私は別に「ノマドになれ」と言いたいわけではない。国を選ばずに生きて行ける人は少ないし、帰国を前提とした「出稼ぎ」でいいと思うのだ。英語を喋れるだけでは何の意味もないと言われている。けれど、専門知識・専門技術が結びついていれば急激に価値が高くなる。すでに世界最高レベルの技能を仕込まれている日本のブルーカラーは、それこそ、ただ外に出るだけでいい。
世界中のあらゆる労働問題は、労働者の立場が弱すぎることが原因だ。企業に食わせてもらわなければ生きていけないからこそ――そう思い込まされているからこそ、日本の労働者は奴隷のような扱いを受けている。
本当は逆だ。
不景気になると忘れがちだが、私たちが働かせてもらっているのではない。私たちが企業のために働いてあげているのだ。
安定志向に惑わされずに、ちょっと経験を積むだけで、私たちはそういう強い立場になれる。
これはブルーカラーに限った話ではないだろう。
国内企業を利用して職能を身につけ、それを国外で高く売る――。海外に永住する必要はない。たとえ将来帰国することになっても、その経験はきっとあなたの未来を拓く。







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