ビールを片手に、彼女は言った。
「どうしてあたしが子供を産まなくちゃいけないの」
苦みの強い、英国産のエールだ。フィッシュ&チップスをつまみながら彼女は続ける。
「結婚や子育ては、余裕のある人がすればいい。あたしは働いて、税金を納めて、子育てしている人を支援すればいい。あたしが子供を産まなくても、他の誰かが産めばいいでしょ」
社会人になってから知り合った友人で、私よりもはるかに安定した職業に就いている。にもかかわらず、彼女は子供を産みたいと思わないらしい。
生物としてヒトを考える場合、彼女の発言は不自然に思える。
生物はつがいを作り、繁殖することを最大の目的にしているのではないか。結婚や出産を諦める個体が存在するのは、ヒトが他の動物とは違うから──高貴な精神性を持った存在だからだ──と、考えてしまいがちだ。わざわざ子孫を減らすなんて、「少子化」は進化論から反した現象のように思える。
しかし、よく考えてみると進化論と少子化は矛盾しない。むしろヒトの生まれ持った遺伝的な性質が、少子化の根本的な原因かもしれない。
まずは彼女の誤解を解くところから始めよう。
あなたの代わりに子供を産んでくれる人はいない。
【もくじ】
1.あなたの代わりに子供を産む人はいない
2.女性の社会進出は少子化の原因ではない
3.中絶の合法化と、少子化の本当の原因
4.生殖のパターン
5.理想のパートナー
6.結婚できない人の遺伝子
※画像はpixabayから転載。
1.あなたの代わりに子供を産む人はいない。
自分が子供を残さなくても、他の誰かが自分のぶんまで子供を残してくれるはず──。この考えは間違っている。なぜならヒトはどんなに時間的・金銭的な余裕があっても、必要以上にたくさんの子供は作らないからだ。所得が倍になっても、子供の数は倍にならない。
まずは世帯所得と子供の有無の関係を調べてみよう。上記のグラフは、平成24年就業構造基本調査[1]から作成した。生殖年齢を考慮して、世帯主が40歳未満の世帯を対象にした。7割近くが500万円未満で生活しており、600万円以上の世帯は2割に満たない。
世帯所得ごとの子供の有無を調べてみると、年間所得500万円未満の世帯では子供のいない世帯のほうが多く、それ以上では子供のいる世帯のほうが多い。年間所得500万円が子供を作るかどうかの分水嶺になるようだ。しかし前述のとおり、40歳未満の世帯のうち7割近くが年間所得500万円未満で生活している。つまり今の日本人は、子供を作りたくなるほどのカネを持っていない。
所得とは、収入から医療費や給与控除などを引いたあとに残る金額のことをいう。子供を作りたくなる「年収」は、500万円よりもさらに上だと思われる。うげぇって感じである。
なお、年間所得500万円未満では単身者の比率も増える。言うまでもないが、つがいを作らない動物は枚挙にいとまがないし、結婚しなくても子供は作れる。しかし一定以下の所得で生活するヒトは、結婚そのものをためらうようだ。
子供を持つには、一定以上の所得が必要だ。
問題はここからだ。「所得が少ないと子供を作らない」ことは分かった。では、「所得が多いほどたくさんの子供を作る」のだろうか?
このグラフは、世帯所得と子供の数の関係を示したものだ。
年間所得500万円未満の世帯では、所得が下がるほど一人っ子世帯が増える。カネがないと子供を作らない。この傾向は明白だ。
一方、年間所得が500万円以上の世帯では、所得が増えても一人っ子世帯はあまり減らない。3人以上の子供がいる世帯もほとんど増えない。どんなにカネがあっても、たくさんの子供を残そうとは思わないようだ。この傾向は、前掲の「子供の有無」のグラフとも一致する。
つまり、こういうことだ。
子供を作るには最低限の所得が必要だが、所得が増えたからといって子供をたくさん作るわけではない。これは以前から指摘されており[2]、子供の数と夫婦の年収はあまり相関が見られない[3]。日本では、充分な所得を持たないヒトは結婚そのものを諦めてしまう。そのため、夫婦のみを対象とした調査では所得の影響が過小評価される。
以上が、「自分が産まなくても他の誰かが産んでくれる」という発想への答えだ。
生活に余裕があるからといって、ヒトは必要以上に子供を作ろうとしない。あなたが子供を作らなければ、子供の数は減っていく一方だ。働いて、税金を納めて、子育てしている誰かを支援すればいい──。この考え方では、少子化は止められない。次世代に私たちの社会を残そうと思うなら、自分自身が子供を作るしかない。あなたの代わりに子供を作ってくれる人はいない。
じつは、ここまでが今回の記事のプロローグだ。
少子化は、自然法則に著しく反しているように思える。生物は基本的にたくさんの子孫を残そうとするはずだ。にもかかわらず、ヒトは必要以上に子供を作ろうとしないらしい。やはりヒトは、自然から逸脱した特殊な生物なのだろうか。
そうではないと、私は考えている。
少子化は自然法則に反するどころか、ヒトが進化のなかで身につけたごく自然な習性によるものだ。その習性とは、「子供に充分な投資をしたがること」だ。
ヒトの遺伝的な性質について説明する前に、少子化の原因としてあげられるほかの要因について考えてみよう。女性の社会進出が広がると、少子化が進むという。また、女性の高学歴化も少子化の犯人として名前が上がる。しかし、これらはすべて嘘だ。では、中絶の合法化はどうだろう? これらを比較検討しながら、少子化の本当の原因について考えたい。
2.女性の社会進出は少子化の原因ではない。
日本では、賃金の高い女性ほど子供を作らない[4]。なぜなら、機会損失が大きすぎるからだ。日本はいまだに結婚したら寿退社が当たり前で、育児休暇を取ると出世の見込みが無くなる。高収入の女性にとって、出産・育児は金銭的に損だ。だから女性の賃金と出生率は負の相関を持ってしまう。
このことから、女性の社会進出は少子化の原因だと考えられがちだ。
本当にそうだろうか?
まずは日本の合計特殊出生率の推移を確認しよう[5]。
合計特殊出生率とは、一人の女性が生涯に産む子供の平均人数を推計した数値だ。今回入手できたデータのうち、もっとも古いのは1925年の5.11だった。つまり1925年ごろには、女性1人が5人弱の子供を産んでいたことになる。戦前には4人以上の兄弟が普通だったのだろう。たとえば私の祖母は1920年生まれで、8人姉弟の長女だった。(※うち3人は出生直後に死亡し、1人は沖縄で戦死した。戦後まで生き延びたのは4人だけだ)
このグラフを見ると、戦前からすでに合計特殊出生率は減少傾向だったようだ。終戦直後の1947年〜1949年には第一次ベビーブームが起こり、団塊の世代が生まれる。しかし合計特殊出生率が爆発的に伸びたわけではなく、むしろ1920年代の水準よりも低くなっている。通説では、「日本人女性は戦後たくさんの子供を生むようになった」から団塊の世代が登場したと言われている。しかし、実際のデータで見ると信憑性は薄い。
少子化が急激に進むのは、1950年代だ。
合計特殊出生率は1949年の4.32から、1959年の2.04まで急落している。わずか10年間で半分以下になってしまった。日本では合計特殊出生率が2.07〜2.08でないと人口を維持できない。1959年には、早くもその水準を割っているのだ。1961年には1.96、ついに2人未満になってしまった。
その後、1964年に団塊の世代の第一陣が18歳を迎える。彼らが子供を作るようになったため、ここから10年間に渡って合計特殊出生率は回復傾向になる。1970年代は第二次ベビーブームで、団塊ジュニアと呼ばれる世代が産まれた。それでも4人兄弟が当たり前の戦前に比べれば、1人の女性が産む子供の数は半分以下だった。
日本の少子化は、1950年代の10年間に一気に進んだ。
もしも女性の社会進出が少子化の原因なら、働く女性の数がこの10年間に急増しているはずだ。
では、実際のデータを見てみよう。
これは平成9年の国民生活白書に掲載されている女性労働力率の推移だ。労働力率とは、その年齢に達している人口のうち、労働力として経済活動に参加している者の比率を言う。たしかに増え続けているものの、1950年代の10年間に特別な変化は起きていない。
たとえば10代後半(15歳〜19歳)の女性労働力率を見ると、1920年代からおおむね減少傾向にある。これは高等学校への進学者が増えて、経済活動への参加が遅くなったためだろう。
20代前半のデータを見ると、労働力率は一貫して上昇している。が、出生率の急落と一致するような急上昇は見られない。1950年代の10年間には、むしろ労働力率の増加はニブくなっている。
そして25歳〜34歳の層では、労働力率はほぼ横ばいだ。
どの年齢層でも、合計特殊出生率の半減を説明できるほど、明白な変化は見られない。
なお、1960〜70年代には女性労働力率が低下している。これは脱農村が進んだためだ。高度経済成長以前の農村では、女性も重要な労働力として農作業に従事していた。しかし1960年以降、団塊の世代は「金の卵」として都市部に送り出され、夫が大黒柱、妻が専業主婦というライフスタイルを確立した。こうして女性労働力率は一時的に低下した。
話を戻そう。
「働く女性が増えたこと」では、1950年代の合計特殊出生率の急落を説明できない。どうやら女性労働力率と合計特殊出生率には、あまり強い因果関係はなさそうだ。証拠は他にもある。
OECD加盟24カ国を比較すると、1970年には女性労働力率の高い国ほど合計特殊出生率が低いという相関が見られた。しかし1985年にはほとんど相関が無くなり、2000年にはむしろ働く女性の多い国のほうが、合計特殊出生率も高くなった[7]。
時代が変わると相関関係まで変わってしまうのなら、そこに因果関係を認めるのは難しい。
たとえばシートベルトの着用率と交通事故時の死亡率は、どんなに時代が変わっても相関があるはずだ。なぜなら、シートベルトを着用しているかどうかと、事故の際の死亡率の間には、強い因果関係があるからだ。将来、Googleの自動運転が実用化され、安全装備がどんなに充実しても、シートベルトをしない人はする人よりも事故で死ぬ可能性が高いだろう。
女性労働力率と合計特殊出生率のデータは、そのような強い因果関係がないことを示している。「働く女性の数」と「一人の女性が産む子供の数」は、それ以外の何か別の要因によって変化しているのだと思われる。
働く女性の数と少子化は、あまり関係がない。
したがって「働く女性が増えたこと」は、少子化の原因ではありえない。
ついでに女性の高学歴化についても触れておこう。
女性が高校・大学に進学するようになった結果、少子化が進んだと考える人がいるようだ。たしかに高学歴になるほど、結婚・出産は遅くなる。少子化の犯人は、女性の高学歴化なのだろうか?
学校の卒業と同時に子供を作るとは考えにくい。もしも高学歴化が少子化の原因なら、合計特殊出生率の急落よりも先行して、女性の進学率が向上しているはずだ。
しかし現実は、そうなっていない。
合計特殊出生率が急落した1950年〜1960年は、昭和25年から35年にあたる。この期間の進学率は、高校・短大・大学のいずれを見ても男女ともに低い水準のまま横ばいだ。第二次ベビーブームの起きた1971年〜74年(昭和46年〜49年)の前後では、むしろ女子の高学歴化が進んでいる。よって、「女子が高学歴になるほど少子化が進む」という説は成り立たない。
働く女性の数や、女性の高学歴化は、合計特殊出生率の急落とはあまり関係がない。したがって女性の社会進出は、少子化の原因ではありえない。「女性の社会進出を抑制すれば少子化が緩和される」と考えるのは誤りだ。むしろ必要なのは、女性が学歴をきちんと活かせる仕組みや、働く女性の出産・育児を助ける仕組みだろう。
繰り返しになるが、日本の合計特殊出生率は1950年〜60年に半減した。
しかし女性の社会進出は、この時期には進んでいない。
ならば、この10年間にいったい何が起きたのだろう?
3.中絶の合法化と、少子化の本当の要因
1つの「なぜ?」には、2つの答えが必要だ。
「Howの答え」と「Whyの答え」だ。
たとえば「なぜ鳥は空を飛ぶのか?」という疑問には、2つの答えがある。「力学的に優れた羽根を持つから」がHowの答え。「敵から逃げやすく、獲物を見つけやすくなるから」がWhyの答えだ。揚力発生のメカニズムを調べただけでは、鳥が飛ぶ理由を理解したことにはならない。空を飛ぶことの合理性まで、あわせて考える必要がある。
このことを念頭において、ここから先は読んでほしい。
人工中絶の合法化は、しばしば少子化の原因だと指摘される。中絶が増えれば、出産は減る。そして少子化が進む。じつに明快な話だ。
日本では1948年に優生保護法が施行され、1949年には経済的理由での中絶が認められた。世界に先駆けて、合法的に堕胎手術を受けられるようになった。この法律は母体保護法と名前を変えて、現在も生き続けている。
では、人工中絶の実施状況を見てみよう[9]。
ここでいう「実施率」とは、15歳〜49歳の女子人口のうち、堕胎手術が行われた件数の割合を示している。単位はパーセントではなくパーミルだ。また対出生比とは、出生数100に対する中絶数だ。いずれも1950年代半ばにピークを迎えて、その後は逓減している。
1953年〜1961年の9年間に渡り、日本では中絶件数が100万件を超えていた。対出生比のピークは1957年の71.6%で、生まれた赤ん坊1.4人に対して中絶1件の割合だ。
私自身は、中絶手術に対して寛容な価値観を持っているつもりだ。望まない妊娠であれば中絶を選ぶべきだと思うし、育てられないなら産まないほうが子供のためになると考えている。その私ですら「これはひどい」と感じた。いくらなんでも堕ろしすぎではないか。
堕胎手術の件数は1950年代に急増した。これは合計特殊出生率の急減と一致する。「人工中絶の合法化によって少子化が進んだか?」と訊かれたら、答えはイエスだ。
ただし、これは答えの半分でしかない。
女性たちは、中絶が合法化されたから堕胎したくなったわけではない。何か別の理由で子供を産みたくないから、堕胎を選んだのだ。もしそうでないとしたら、現在まで続く出生率の低下にあわせて、中絶件数も増え続けているはずだ。しかし実際には、堕胎手術は減少している。堕胎よりも避妊を選ぶようになったからだろう。堕胎手術は子供を産まない手段であり、理由ではない。
中絶手術は減り続け、2012年には20万件を切った。法施行直後の1949年の水準に戻るのも時間の問題かもしれない。したがって、中絶を禁止しても少子化対策にはならない。不幸な子供が増えるだけだ。
人工中絶の合法化は、「なぜ少子化が進んだのか?」という疑問のHowの答えでしかない。少子化の原因を知るためには、Whyの答えを──堕胎を選んだ「何か別の理由」を──見つける必要がある。
その「別の理由」とは、子供が死ななくなったことだ。
乳児死亡率は、出産1000件あたりの生後1年未満の死亡数を意味している。1950年に60.1だったものが、1960年には30.7に半減している。これは合計特殊出生率の推移と、恐ろしいほど一致する。さらに(中絶件数とは対照的に)1970年代以降の出生率低下に寄り添うように、乳児死亡率も減り続けている[10]。
団塊の世代が登場した理由も、これで説明できる。戦後の合計特殊出生率は、1920年代に比較して決して高いものではなかった。団塊の世代が登場したのは、女性がたくさんの子供を産んだからではない。乳児死亡率が低下して、彼らの多くが生き残ったからだ。
乳児の死因は大きく4つある。肺炎・気管支炎など呼吸器系の死因。胃腸炎・下痢など消化器系の死因。髄膜炎・脳炎など神経系の死因。そして先天性弱質および乳児固有の疾患だ。この4つで、乳児の死因の7割以上を占める。1930年代~1940年代にかけて、これらの死因に対して有効な治療法が確立された。戦後、そういう治療法が日本でも普及し、乳児死亡率を低下させた[11]。
少子化の根本的な原因はこれだ。
子供が死ななくなったから、親たちは子供を作らなくなったのだ。
少子化の原因には、様々な候補があげられる。ライフスタイルの変化、女性の社会進出、価値観の転換……。それらの容疑者を鼻で笑って吹き飛ばすほど、乳児死亡率と合計特殊出生率の低下は一致している。
国際的に見ても、乳児死亡率の低い国ほど出生率は低い[12]。
どの国でも、経済が未発達なときには乳児死亡率が高く、出生率も高い。いわば多産多死だ。経済の発展にともない乳児死亡率が減少し、多産少死になる。そして経済発展とともに少子化が進み、少産少死になると言われている。いわゆる「人口転換説」だ。
しかし現実には、1950年代の日本のように「少産」はわずか10年間で進むことがある。日本の高度経済成長は1955年から始まるが、この年の合計特殊出生率は2.37で、すでに「少産」になっていた。経済が発展すると少子化が進むのではない。医療の恩恵を受けやすくなり、死亡しにくくなるから少子化が進むのだ。
生物は、できるだけたくさんの子孫を残そうとする。
だとすれば、乳児死亡率の低下が少子化を引き起こすのは不自然に思える。子供が死のうが生きようが、たくさんの個体を産めばよさそうなものだ。
では、なぜ少子化は起きるのだろう?
4.生殖のパターン
動物の繁殖形態には様々なパターンがあり、子供をたくさん作ることが、必ずしも子孫繁栄につながるわけではない。場合によっては、子供をわずかしか生まず、その子にリソースを集中させたほうが、遺伝子を効率よく残せる。
このことは、生存曲線で説明できる。
グラフの横軸は時間経過を示しており、右端がその生物の寿命になる。また縦軸は生存個体数を示している。生存曲線は、出生から寿命までのうち、死ぬリスクの高い時期はいつなのかを表している。
Ⅰ型は、大型の哺乳類にみられるタイプの生存曲線だ。親の庇護を受けるため、生まれた赤ん坊の多くが大人になれる。しかし年齢とともに肉体が老衰していき、寿命が近づくと急激に死亡率が高くなる。
Ⅱ型は、小鳥などにみられるタイプだ。生まれてから死ぬまで、ほとんど死亡率が変わらない。子供も大人も、捕食等により死亡するリスクを等しく負っている。
Ⅲ型は、カエルや魚、貝などにみられるタイプの生存曲線だ。多数の子孫が卵や稚魚といった形でばらまかれるが、大半は生まれた直後に死んでしまう。一部の運のいい個体だけが成熟できる。
生存曲線のパターンによって、子育ての形態も異なる。
たとえばⅢ型の生存曲線を持つ動物では、親はほとんど子育てをしない。生まれた直後の死亡率が高いため、できるだけたくさんの子供を産まなければ子孫を残せない。子育てにリソースを──時間や栄養を──割くよりも、そのぶん卵を産んだほうが合理的なのだ。地球上でもっとも子供が多いのはマンボウだと言われており、一度に3億個の卵を産む。しかし大人になれるのはそのうちわずか数匹で、当然、親は子育てをしない。
小鳥の繁殖行動を考えれば分かるとおり、Ⅱ型の生存曲線を持つ動物はしばしば子育てを行う。生まれた直後の生存率を高めることで、より多くの子孫を残そうとするのだ。しかし大人になってからも捕食等で命を落とす可能性があるため、長期間の子育てはできない。たとえばツバメのひなは、わずか20日ほどで巣立ちを迎える。ツバメは毎年1回~2回、場合によっては3回の繁殖を行うという。子育て期間を短くして、そのぶん繁殖回数を増やす戦略だ。
Ⅰ型の生存曲線を持つ動物は、子育てに多大なリソースを投資する。哺乳類の場合、妊娠期間中は新たな繁殖ができず、胎児のぶんまで栄養を摂取しなければならない。身ごもるだけで、時間や栄養のリソースを投資しているのだ。ゾウは典型的なⅠ型の生存曲線を持つ動物だが、妊娠期間は22か月で、子供の成熟には10年以上かかるという。
そしてヒトも、Ⅰ型の生存曲線を持つ動物だ。
ヒトには鋭いかぎづめや頑丈な牙はない。森のなかで暮らしていた私たちの祖先は、貧弱な裸のサルに過ぎなかった。しかし彼らは、強力な武器を持っていた。優れた学習能力と、それにともなう非遺伝的な行動──つまり、文化だ。教育がなければ、ヒトの子供は食料と毒草の区別もできない。子育てに多大な投資を行うことが、ホモ・サピエンスの生存戦略だったはずだ。
Ⅰ型の生存曲線を持つ動物のなかでも、ヒトはとくに膨大な教育的投資を行う動物だと考えられる。
したがって、子供を必要以上にたくさん作るのではなく、子供1人あたりへの投資を増やそうとする性質をヒトは持っているはずだ。反面、子供に充分な投資を行えない環境では、繁殖をためらうと考えられる。
これは親から子への投資に限らない。
たとえば「おばあちゃん仮説」というものがある。ヒトは10代後半~30代前半で生殖を終えるが、その後も長い寿命を持つ。他の動物ではメスの閉経と寿命がほぼ一致しているが、ヒトの場合は閉経後も生き続ける。なぜなら娘・息子の育児を手伝うことで、孫の生存率が高まるからだ。これがおばあちゃん仮説だ。
個人的な経験からいえば、核家族化の進んだ現在でも、女性は産前産後に実家に戻るケースが多い。実母からの支援を受けるほうが、安心して子供を産めるのだろう。このことは、おばあちゃん仮説と矛盾しない。
社会学者や経済学者は、「老後の保障として子供を作る」というモデルを使う場合があるようだ。しかし、このモデルはおかしい。動物が子育てを行うのは、自分のためではなく、子供のためだ。ヒトだけが例外だとは考えにくい。むしろ子供をうまく育てるために、ヒトは「老後」を持つように進化したと考えるほうが妥当だ。
ヒトは親からだけでなく、祖父母からも投資を受けて育つ。
また、同性愛者が生まれる理由を、子育てと結びつけて考える研究者もいるらしい[13]。同性愛では子供を作れないはずだが、にもかかわらず、同性愛には遺伝性があるという。これは子供のいない「おじ」「おば」が子育てを手伝うことで、その家系の生存率が高まったからではないかというのだ。
いずれにせよ、ヒトの子供は多大な投資を受けて育つ。
逆にいえば、ヒトの大人たちは子供に投資をしたがる。
自分の子供でなくても、お菓子を買い与え、おもちゃを与え、読み聞かせを行い、ときには遊園地や動物園に連れていく。子供に投資したがるのは、ヒトの習性だと言っていいだろう。子供を可愛がるのは、遺伝的にプログラムされた行動だ。
「子供に充分な投資をしたがること」
これがヒトの遺伝的な行動だとすれば、少子化の理由をうまく説明できる。
たとえば世帯所得が一定以下では、ヒトは結婚をためらうし、子供を作らない。なぜなら子供に充分な投資ができないからだ。反面、どんなに所得が増えても、子供を増やそうとはしない。子供の数をいたずらに増やすよりも、子供1人あたりへの投資を最大化しようとするためだ。
子供の死亡率が高い環境では、「少産」はリスクをともなう。子供が死んだときに、それまでの投資がすべて(子孫を残せないという意味で)無駄になるからだ。リスクヘッジとして複数人の子供を持つのが合理的選択になる。
一方、子供の死亡率が低い環境では、大人たちは子供1人あたりの投資を最大化しようとする。先述のとおり、ヒトの最大の武器は「文化」であり、教育を手厚くするほど生存率が高まったはずだ。
子供が死ななくなったのは、つい最近だ。
石器時代や青銅器時代には、ヒトはどちらかといえばⅠ型に近い生存曲線を持っていた[14]。農耕や技術の発展により死亡率は低下していったが、それでも19世紀以前は、疾病や栄養失調でヒトはかんたんに命を落とした。「この子はきちんと大人になれるだろうか?」という親たちの恐怖は、現在とは比べものにならないほど大きかったはずだ。
かつての親たちは、「子供に充分な投資をしたい」という習性と、「この子は死ぬかもしれない」という恐怖(リスク)との均衡する点で、出生数を決定していたのだろう。
しかし子供の死亡率が低下したことで、この均衡が崩れた。
親たちは、子供が死ぬかもしれない恐怖をほとんど感じなくなった。すると、子供1人あたりの投資を最大化したいという欲求だけが力を発揮するようになる。リスクヘッジの必要がなくなった結果、親たちはよりわずかな子供を作るようになったのだ。
乳児死亡率の低下にともない、合計特殊出生率も低下するのはこのためだ。自然法則に反したものではなく、むしろ自然環境に適応するために進化した習性が、現代社会では少子化をもたらしている。
たとえばヒトは脂肪や糖分を美味しいと感じるようにできている。効率のいいエネルギー摂取のために、生物が進化させた性質だ。しかし現代社会では、自然界ではありえないほど大量のハイカロリーな食品を入手できる。結果、ヒトの遺伝的な性質が、肥満と生活習慣病を引き起こしてしまう。
これは少子化に似ている。
おそらく現在の乳児死亡率は、自然界ではありえないほど低い。だからこそ、自然法則から逸脱して見えるほどの少子化が起きるのだろう。
念のため言い添えておくが、「遺伝的な性質である」ことは「克服できない」という意味ではない。男は、遺伝的に、女よりも乱暴で好戦的な性質を持っているかもしれない。しかし、だからといって暴力が許されるわけではない。ヒトは甘い食品を好む性質を持っているかもしれないが、しかしダイエットができる。肥満や生活習慣病は、原因がはっきりしているからこそ対策も立てやすい。
少子化の原因は、女性の社会進出ではないし、高学歴化でもない。乳児死亡率の低下と、根本的にはヒトの生まれ持った性質が原因だ。
少子化の原因が「子供に充分な投資をしたがる」という性質なら、対策はシンプルだ。誰もが「子供に充分な投資ができる」と思えるようになれば、少子化は解消される。
5.理想のパートナー
すでに1リットル以上のビールを消費していた。
「そもそも、結婚や出産に何のメリットがあるの?」
友人の飲み物はウイスキーに変わっていた。
「結婚しなければ、収入をすべて自分のものにできる。こうやって夜遅くまで飲み歩いても文句を言われないし、面倒くさい親戚問題にも関わらずに済む。今の時代に専業主婦なんてありえないから、どうせなら仕事に打ち込んだほうがマシでしょ?」
ストラスアイラをちびちびと舐めながら、彼女は続ける。
「だいいち、子供ほど高い買い物はないもの。1人育てるだけで何千万円もかかるんだから」
私は口をもごもごさせて、「そうだね」と答えることしかできなかった。
彼女の言葉は、理性的に思える。
金銭面と精神面それぞれメリットとデメリットを比較検討して、合理的な判断を下しているかのように見える。しかし、本当にそうだろうか? たとえば「一定期間つがいを作らなかった場合には繁殖を諦める」ような遺伝的なプログラムがないと言い切れるだろうか?
男なら、中学生のころはヤリたくてヤリたくてたまらないはずだ。女だって大多数の者は恋愛に興味を示す。つがいを作って繁殖しようとするのは、ヒトのプリセットされた行動だ。「なぜ結婚するのか」は問題ではない。問うべきは「なぜ結婚から興味を失ったのか」だ。
「結婚しない」という判断は、ヒトの合理的な思考の結果だろうか。それとも、そのヒトを取り巻く環境のせいだろうか。ヒトのパートナー選択と繁殖行動から考えてみよう。
ヒトは一夫一妻制の動物だ。文化圏によって様々な婚姻形態が試されてきたが、生物としてのヒトは一組のつがいを作る動物の特徴を備えている。
動物のパートナー選択には、大きく4つのパターンがある。
A.乱婚制
B.一妻多夫制
C.一夫多妻(ハーレム)制
D.一夫一妻制
まず「A.乱婚制」「B.一妻多夫制」の動物には、巨大な精巣を持つという特徴がある。1匹のメスが複数のオスと交尾するので、精子をたくさん作れるオスでなければ子孫を残せない。したがって精巣が大きくなる方向に進化する。乱婚制をとるチンパンジーの睾丸は、体重比でヒトの3倍〜6倍、ゴリラの13倍も重い[15]。
ヒトの睾丸は、チンパンジーほど大きくない。したがってヒトは乱婚制や一妻多夫制ではないと思われる。
また「C.一夫多妻制」の動物には、雌雄の体格差が広がるという特徴がある。ハーレムを手にするために戦うので、オスの体が巨大化する方向に進化するのだ。ゾウアザラシは典型的なハーレムを作る動物で、オスの体重はメスの7倍あるという。霊長類ではゴリラが一夫多妻制をとり、オスの体重はメスの2倍だそうだ。
ヒトの場合、雌雄の体格差はそこまで大きくない。男性の体重は、女性の1.2倍〜1.3倍程度だ。ゾウアザラシのようなハーレムを作る動物だとは考えにくく、たとえ一夫多妻制だとしても、その傾向はゆるやかだ。
ヒトの「ゆるやかな一夫多妻制」の傾向は、おそらく、モテる男性が生涯に複数の女性と生殖を行うことで生じたのだと思われる。優れた体格を持つ男性はそのぶん生存能力が高く、長命だったはずだ。男性の生殖期間は女性より長いので、繁殖のチャンスが増えただろう。現代の日本でも、男性の再婚率は女性よりも高い[16]。一部の男性は、生涯に複数人の女性と結婚している。
ヒトの男性が、同時に複数の女性と婚姻することはまれだ。
重婚を禁じる国は多いし、フリーセックスを掲げたコミュニティはほぼすべてが失敗した。したがって、ヒトが一夫一妻制の習性を持つのは間違いないだろう。
考えてみれば当然だ。
もしもヒトが一夫一妻制でないとしたら、私たちの心に「嫉妬」や「独占欲」が進化した理由を説明できない。不倫や不貞を悪とみなすのはキリスト教的な価値観の影響で、かつての日本人は性に奔放だったと考える人もいるらしい。しかし能や歌舞伎、落語には男女の愛憎をテーマにしたものが珍しくない。『平家物語』には嫉妬のすえに鬼になる女が登場する。特定の誰かをパートナーにしたいと感じるのは、文化的なものではなく、ヒトの生まれ持った感情なのだ。
ヒトのパートナー選択の形態は分かった。
では、具体的にはどのようにしてパートナーを選ぶのだろう。選択権を握っているのは、男女のどちらだろう。また、選択基準は何だろう?
一般的に、若年層では処女よりも童貞のほうが多い。
日本家族計画協会の行ったアンケートでは、性交渉経験がないと答えた20代男性は40%にのぼり、同世代の女性の倍だった[17]。また日本性教育協会の調査でも、性風俗店を利用できない高校生までは男性のほうがセックス体験率が低い[18]。
処女が少ないのは、女性がはしたないからではない。男性のほうがモテる・モテないの差が激しいからだ。一部のモテる男子が複数の女子と関係を持つので、結果として処女は童貞よりも少なくなる。若いころは、選ばれた男しかセックスできないのだ。
このことから、パートナー選びの選択権を握っているのは女性側だと考えられる。
もちろん、絶対的な選択権ではない。据え膳食わぬは男の恥と言うが、実際には男性も選り好みをしており、誰彼構わず関係を結ぶわけではない。しかし性交経験の有無から推測すると、女性の選択権のほうが「強い」と考えていいだろう。
ヒトのパートナー選択では、女性の好みが強く影響する。
では、彼女たちは何を基準に男を選んでいるのだろう。
パートナーの選択基準について、心理学者たちは調査を重ねてきたらしい。男女ともに、知的で、頼りがいがあり、信頼のおける相手をパートナーに求めるという。しかし、男女差のある条件もあった。女性は相手の金銭的豊かさを男性の二倍も強く求める傾向があるというのだ。
これはアメリカなどの資本主義国に限らない。
心理学者デイビッド・バスは、6大陸と5つの島に及ぶ1万人以上の男女の「パートナーに求める条件」を調査した。結果、すべての地域で女性は金銭的な豊かさを男性に求める傾向が見られた。なお、この傾向がいちばん弱いのはオランダで、いちばん強いのは日本だったそうだ[13]。
「パートナーにカネを求める」と言うと聞こえが悪い。
しかし、「資源獲得のうまいオスを求める」と言い換えたらどうだろう。
子供に充分な投資をしたがるのは、ヒトの習性だ。そして投資には原資が必要である。狩猟採集生活をしていたころは、狩りのうまい男性がモテただろう。足が速くて、腕っ節の強い男性だ。農耕生活に移行してからは、社会性が高く、集団のトップに登りつめやすい男性がモテただろう。そういう男をパートナーに選ばなければ、食糧や仲間の支援を得られず、子供に充分な投資を行えないからだ。そして貨幣が発明されてからは、「カネを稼ぐ能力」が資源獲得のうまさを示すようになった。
(※余談だが、これはモテる男子の変遷と似ていて面白い。小学生のころは足の速い男子がモテる。中高生のころは不良のリーダー格がモテる。そして大学生・社会人では「お坊ちゃま大学」の学生や「高年収企業」の社員が合コンを席巻する)
一般的に言って、動物は繁殖に成功しそうな相手をパートナーに選ぶ。
選択権を握っているのが雌でなくても、あるいは一夫一妻制でなくても、うまく繁殖できそうな個体をパートナーに選ぼうとする。ヒトの場合は「子供に充分な投資ができること」が繁殖成功の鍵だ。だから女性は、資源獲得のうまさを男性に求めるのだ。
現代日本では、具体的にはどれぐらいの資源があれば、子供に充分な投資を行えるのだろう。端的にいえば、子育てにはいくらかかるのか。
4年制大学の卒業まで子供1人を育てるには、およそ2400万円〜3000万円が必要だという[19][20]。22歳で大学を卒業するとして、1年あたり約110万円〜140万円だ。人口維持に必須の2人の子供を育てるには、年間220円〜280万円の追加支出が必要だ。
夫婦2人で生活するには、だいたい年間300万円はかかるだろう。したがって、子供2人を大学卒業まで育てるには約500万円〜600万円程度の世帯所得が必要だと推計できる。
この数字は「世帯所得ごとの子供の有無」のデータとほぼ一致する。
結婚相談所等でアンケートを行うと、相手男性の理想年収は500万円以上〜600万円以上という回答が多い[21][22]。サラリーマンの場合、年収600万円なら、手取りの所得はおよそ430万円くらいになる。妻がパートタイム等で働いて「世帯所得500万円」を達成できるギリギリのラインだ。
もちろん、すべての子供が大学に行くわけではない。日本の大学進学率は50%前後だ。したがって実際に子育てにかかる費用はもっと低く、1300万円程度だ[23]。しかし、この金額はあまり重要ではない。
なぜなら子供を作るかどうかの判断を左右するのは、子育てに「実際にいくらかかるか」ではなく、「いくらかけたいか」だからだ。子供が実際に大学を卒業するかどうかは重要ではなく、将来、その子が大学に行きたいと言い出したときに、行かせられるだけの金銭的余裕を持っているかどうかが重要なのだ。
ヒトは一夫一妻制の習性を持つ。またパートナー選択の際には繁殖に成功しそうな相手を、言い換えれば、子供に充分な投資をできそうな相手を選んでいる。
現代では、子供への投資の過多は世帯所得に左右される。
しかし日本では女性労働力率が低く、また出産・育児の際は労働市場から退出を余儀なくされる[24]。日本の女性はカネを持っていないか、持っていても子育ての機会損失が大きいため、それを補うだけの所得を男性に求めるのだ。
男女の立場を逆にしても、同じことが言える。男性の所得が充分に多ければ、金銭以外のリソースを有する者をパートナーに選ぶだろう。たとえば「料理の上手さ」や「優しさ」「母性」「気配り」等である。逆に所得が少なければ、夫婦の所得を足した場合に一定額を超えるような相手を選ぶはずだ。
では、現在の日本人が「子供に充分な投資を行える」と感じる金額はいくらか?
繰り返しになるが、年間所得500万円~600万円である。
6.結婚できない人の遺伝子
人間は繁殖のために結婚するのではない。
子供のいない夫婦は珍しくないし、子育てが終わっても結婚生活は長く続く。いまの日本で、子作りだけを目的に結婚する者はいない。
しかし間違いなく、結婚はヒトの繁殖行動から発した制度だ。想像してほしい。もしも乱婚制やハーレム制の動物がヒトと同等の知的生命体に進化したとして、はたして人間のような結婚制度を作るだろうか? 男女一組で新しい家族を作るのは、ヒトのつがい行動に端を発しているはずだ。
だから結婚相手に「繁殖に成功しそうな異性」を求めてしまうとしても、驚くには値しない。実際に子供を作るかどうかは別として、子供ができた場合に充分な投資が行える相手と結婚しようとする。それができない異性には、結婚相手としての魅力を感じないのではないだろうか。
これは料理と味覚の関係に似ている。
現代では、料理は栄養摂取の手段ではなくなった。高度な文化であり、芸術に近い。だが、今でも私たちの舌は、栄養価の高い食品を美味しく感じる。汗をかいたときは塩辛いものが食べたくなるし、疲れているときは甘いものが欲しくなる。高血圧や虫歯に悩んでいたとしても、だ。
同様に、ヒトは「繁殖に成功しそうな異性」でないと、結婚相手としての魅力を感じにくいのだろう。とくに日本は婚外子が少ない国[25]であり、結婚と出産とが強く結びついている。恋愛の相手ならともかく、結婚相手を選ぶときには「その人となら子育てに成功できそうか」を重視してしまうはずだ。そして成功の見込みが低ければ、その相手との結婚を諦めるのだろう。
少子化の原因は、非婚化・晩婚化だという。たしかに冒頭のグラフで分かるとおり、子供のいない所得層では単身世帯も多い。
では、非婚化・晩婚化の理由は何か? 所得があまりにも低く、子供に充分な投資ができそうな魅力的な相手と出会えないからだ。内閣府の意識調査では、未婚の男女のどちらも、結婚を決心する条件として「経済的余裕ができたら」をあげている[26]。今の日本人はカネがないから結婚しないし、カネがないから子供を作らないのだ。
若者はカネが無いから結婚しない──。
この事実を飲み込めない人がいるようだ。昔はカネが無くても結婚したし、カネが無くても子供を産んだ。だからカネが結婚の足かせになるという発想が、どうしても直観に反するのだろう。かてて加えて、結婚はカネのためにするのではない、繁殖のためにするのでもないという教条が、ますます彼らの目を濁らせる。
では、カネが無くても結婚した「昔」とはいつだろう?
団塊の世代が生まれた1950年代にせよ、第二次ベビーブームが起きた1970年代にせよ、現在とはあまりにも時代が違う。たとえばドル円の為替レートは1950年代には360円の固定相場制で、対外直接投資はほとんどゼロだった。1970年代に入っても300円台~200円台後半で、現在に比べれば圧倒的な円安だった[27]。何が言いたいかといえば、日本の人件費が高いから海外に生産拠点を移すなどということが起きない時代だったのだ。むしろ日本人が、安い人件費を武器に世界の工場としてモノを作っていた。
この時代の日本人は、子育てにカネをかけなくても食いっぱぐれなかった。女子はもちろん、男子の大学進学率も現在より低かった。就職先の企業が教育を肩代わりしていたと言ってもいい。だからカネが無くても子供が作れたし、結婚できたのだ。
現在、終身雇用は幻想だ。企業は教育にコストをかけなくなり、即戦力の人材だけを求めている。国内の人件費が高騰すれば、企業はかんたんに海外に生産拠点を移す。この時代に親と同程度の暮らしをさせるには、子供の教育にカネをかけなければならない。さもなくば、その子は途上国の労働者と同程度の低賃金で働くことを余儀なくされる。
子供に貧乏になってほしいと願う親はいない。
だから現在ではカネが無いと子供を作れない。子供に充分な投資ができなければ、結婚相手としての魅力を感じにくい。若者は、カネが無いと結婚できない。
勘違いしてほしくないのだが、私はカネだけが男女関係を決めると言いたいのではない。人間性や相性のほうが重要だし、ただの恋愛においてはカネはあまり決定的な要素ではない。しかし、いざ結婚となると、とたんにカネが意味を持ち始める。少なくともデイビッド・バスの調査結果や、一定以下の所得階層で単身者が増えるというデータは、そのことを示唆している。
たしかにカネがなくても、愛さえあれば結婚できるだろう。
しかし哀しいかな、カネがないと愛が生まれないのだ。現在では。
では、いつまでも魅力的な相手と出会えないと何が起きるだろう。つがいを作って繁殖するのは、ヒトのデフォルトの選好だ。この選好が変化してしまうのはなぜだろう。「結婚しない」という判断に、進化上の合理性はあるだろうか。
驚くべきことに、社会性の高い動物ではしばしば〈心理的去勢〉が起きるという。メスと交尾する機会を失い続けたオスは、交尾そのものから興味を失ってしまうらしい。たとえば群れのなかで順位が低く交尾できない雄ヤギは、メスとの肉体的な接触があっても、性的不能になる場合があるというのだ[28][29]。
たとえばオキシトシンという脳内物質は、哺乳類のつがい行動に作用する。どうやらこの物質には、信頼や愛着の感情を抱かせる作用があるらしい。まだ未発見のものも含めて、感情を支配する脳内物質は他にもたくさんあるだろう。性欲をコントロールしている物質もあるはずだ。このような脳内物質の働きが抑制されれば、他個体への興味や性欲を失い、性的不能になる可能性はある。おそらくこれが〈心理的去勢〉のメカニズムだ。
同様のメカニズムがヒトの脳内で働くとしても、まったく不思議はない。
仮説はこうだ。
狩猟採集生活をしていた時代、人類は小規模な血縁集団で生活していた。この時代には、「パートナーを得たい」という欲求を持つ個体が、いつまでも適切な相手と出会えない場合、不適切な相手と関係を結ぼうする場合もあっただろう。不適切な相手とは、親や兄弟姉妹、すでに特定のパートナーを持っている個体だ。つまり近親相姦や不貞を働く可能性が高まるのだ。
近親交配は遺伝的リスクをともなう。また不貞による人間関係の混乱も、小規模な血縁集団にとっては深刻だ。
現代社会では、男女関係のもつれが命に関わることはまれだ。しかし男女の愛憎はサスペンスドラマでは動機の定番だ。司法制度のない時代なら、なおさら致命的だっただろう。また食糧分配の停止や、集団からの放逐、育児放棄の原因にもなりえたはずだ。いずれにせよ不貞を働く個体の存在は、血縁を途絶えさせるリスクになる。
集団が小さく閉鎖的になるほど、男女問題は人間関係に壊滅的なダメージを与える。最近話題の「オタサーの姫」や「サークルクラッシャー」が好例だろう。ヒトが一夫一妻制で嫉妬の感情を持つ以上、いきすぎた性的奔放さは集団を破滅に導く。
いつまでも適切な相手と出会えない場合には、「パートナーを得たい」という欲求を失ったほうが適応的かもしれない。不適切な相手と関係を結ぶよりも、血縁者の子育てを手伝うほうが、効率よく遺伝子を残せるかもしれない。
ヒトが「一定期間つがいを作らなかった場合には繁殖を諦める」ようにプログラムされている可能性は否定できない。いつか適切な相手とめぐり会うまで、一時的に「パートナーを得たい」という欲求が休止するのではないだろうか。
ひるがえって、現代の日本はどうだろう。
子供を作りたくなる、そして結婚したくなる所得水準は上がり続け、現在では大半の人が到達できないレベルに達している。結婚・出産の分水嶺になるのは年間所得500万円だが、40歳未満の7割の世帯がそれ以下の金額で暮らしているのだ。結婚したくなるような「適切な相手」と出会う可能性は低い。
つまり今の日本では多くの人が適切な相手と出会うことができず、〈心理的去勢〉に陥っているのではないだろうか。思春期にはほぼ例外なくつがいの形成と繁殖を求めていたにもかかわらず、パートナー獲得の意欲を失ってしまうのだ。「結婚しない」という判断は、理性や精神性のたまものではなく、ヒトの遺伝的にプログラムされた行動かもしれない。
晩婚化や非婚化の原因を、価値観の変化に求める人がいる。しかし〈心理的去勢〉が哺乳類に起こりうることを鑑みれば、原因と結果が逆だろう。結婚観や価値観が変わったから、結婚しなくなったのではない。結婚できなくなったから、価値観のほうが変わってしまったのだ。
価値観の変化は、晩婚化・非婚化の原因ではないし、少子化の原因でもない。
【まとめ】
日本の少子化は1950年代に進んだ。わずか10年間で、合計特殊出生率は4以上から2前後へと半減した。少子化の原因としてあげられるものの多くは、この変化をうまく説明できない。
たとえば働く女性が増えたことや、女性の高学歴化は、少子化の原因だとは考えにくい。1950年代に女性労働力率が急増したという事実はないし、女性の高学歴化が進むのは少子化よりも後になってからだ。
したがって女性の社会進出は少子化の原因ではなく、結果だと考えられる。
4人兄弟が当たり前だった時代の女性たちは、子育てに忙殺されて、就学・就労の機会が無かったはずだ。しかし1950年代半ばには合計特殊出生率が2近くまで下がり、多くの女性が子育てから解放された。少子化が進んだからこそ、女性たちは社会進出の機会を得たのだ。
また、少子化の原因は非婚化・晩婚化で、若者の価値観が変わったから結婚しなくなったのだという意見も見かける。しかし因果関係がハッキリしないし、原因を「価値観」に求めても何も解決しない。「結婚や子育ては素晴しい」という価値観を流布するのはコストのわりに確実性が薄く、少子化対策としては夢を見過ぎである。
少子化の原因は、子供の死亡率の低下だ。
より根本的には「子供に充分な投資をしたい」というヒトの習性である。
子供の死亡率が高い時代には、親たちは「子供1人あたりの投資を最大化したい」という欲求と「子供が死ぬリスク」との均衡する点で、出生数を決定していたはずだ。しかし現在、自然界ではありえないほど乳児死亡率が低下して、ヒトはリスクヘッジとしての出産をしなくなった。結果、合計特殊出生率が低下して、少子化が起きた。
ヒトは「子供に充分な投資をしたい」という習性を持つ──。
この仮定にもとづけば、世帯所得と子供の数が比例しない理由や、非婚化・晩婚化の理由をうまく説明できる。
リスクヘッジとしての出産をしない場合、子供1人あたりへの投資を最大化したいという欲求だけが働く。したがって、どんなに世帯所得が増えても、追加で子供を持とうとはせず、すでに産まれた子供にリソースを集中させようとする。だから世帯所得が増えても子供の数は増えない。
また子供に充分な投資ができないと判断した場合、ヒトは子供を作らない。充分なリソースを持たない相手は、パートナーとして魅力を感じるのが難しい。そのため、結婚にも踏み切らない。現代社会では、子育てのリソースとしてカネの果たす役割が大きい。だから世帯所得が一定水準以下では、ヒトは出産をためらうし、結婚もしなくなる。
子作りをしたくなる所得水準は時代によって変わり、現代の日本では年間所得500万円〜600万円あたりだと思われる。
ここで、サラリーマンの平均年収の推移を見てみよう[30]。
サラリーマンの年収の年収の統計はいくつかあるが[31]、いずれも2008年(平成20年)のリーマンショックの影響で下がり、以前の水準に戻っていないことを示している。また500万円は超えていない。日本の就労人口の8割以上がサラリーマンだ。子供が欲しくなるほどのカネを持っている人が、今の日本にはほとんどいない。
少子化の根本的な原因が「子供に充分な投資をしたがる」という性質だとしたら、誰もが「充分な投資ができる」と思えるようになれば、少子化は解消できる。子育てのコストを引き下げ、若年層の世帯所得を引き上げればいい。
たとえば日本では妊娠・出産には健康保険が効かない。なぜなら、病気ではないからだ。老人の関節痛は保険で保護するに値するが、出産は自己責任という発想なのだ。子供が産まれてから独り立ちするまで、あらゆる面で日本はハイコストだ。子供の医療費や教育費はできるかぎり引き下げるべきだろう。
また世帯所得の引き上げも重要だ。日本の労働組合は高度経済成長のころに労使協調路線を取るようになった。賃上げをほとんど要求せず、また非正規雇用の増大にも沈黙を守ってきた。これは企業側が、労働市場のプライスメイカーになったことを意味している。労働市場の自由競争をうながし、労働の価格を適正化するには、労働者が賃上げを要求しなければならない。
ただし、サラリーマンの給与増には限界があるだろう。労働分配率は世界中で低下している。資本家は利益の少ないときは賃下げを求めるが、利益が増えたからといって人件費を増やそうとしない。労働分配率の低下は世界的なメガトレンドであり、この流れに逆行するのは簡単ではない[32]。
したがって世帯所得を引き上げるもっともかんたんな方法は、女性の雇用状況を改善することだ。夫1人が収入源では、世帯所得500万円を達成するのは難しい。20代なら非現実的と言っていいだろう。しかし夫婦2人が定職についていれば、比較的かんたんにこの水準を達成できる。少子化対策のいちばんの処方箋は、女性労働力の活用と、出産・育児が機会損失にならない仕組みの構築だ。
電車の優先席は「逆差別」だ。しかし優先席があることに疑問を抱く人は少ない。政治的・倫理的に正しい措置だからだ。女性の雇用促進についても、優先席と同様に、積極的な格差是正措置を行うべきだ。
◆
結局、終電が無くなるまで飲んだ。仕事の話、趣味の話、友人の話……とりとめのない話題で、飲み明かした。
「あたし、ペットでも飼おうかなって思ってるんだ」
店を出たあと、彼女は言った。タクシー乗り場まで見送りながら私は答えた。
「ペット?」
「たとえばネコとか、うさぎとか……。金魚でもいいや。あたしがいないと生きていけない、あたしを絶対的に必要としている──。そういう存在が家で待っていてくれるのって、悪くないでしょ?」
私たちの祖先は、絶え間なく子孫を作り続けてきた。今の私たちがいるのは、その結果だ。結婚や子育てはありふれた、ごく普通のことだったはずだ。
普通のことが普通にできることを、しあわせと呼ぶのではないだろうか。
【2014/10/15 追記】
人口学者エマニュエル・トッドは、女性の識字率が向上すると出産調整を行うようになり、少子化が進むと指摘している[33]。しかし、彼は間違っている。
日本は歴史的に識字率の高い国で、終戦直後の1948年の時点で97.9%だったという話もある[34]。1950年代の10年間で識字率が急上昇したわけではないので、これでは合計特殊出生率の急落を説明できない。
また東南アジア諸国の識字率を調べると、教育熱心な国は少子化が進む以前から識字率が高かったことがうかがえる。
たとえば2000年における識字率の上位5カ国はモンゴル、モルディブ、タイ、フィリピン、ベトナムで、いずれも90%を超えていた[35]。直近の合計特殊出生率をGoogle検索でかんたんに調べたところ、モンゴル2.45、モルディブ2.29、タイ1.41、フィリピン3.08、ベトナム1.77で、いずれも「小産」になりつつあることが分かる。
ただし、これらの国々は1970年代には識字率が80%を超えていた。では1975年の合計特殊出生率はといえば、モンゴル7.14、フィリピン5.72、ベトナム6.57。タイとモルディブは1975年の数字が拾えなかったが、代わりに1980年ではタイ3.39、モルディブ7.07だ。ほとんどの国が「多産」だ。唯一、タイは小産の傾向が見られるが、その傾向はあまり強くない。
字率がわずか10%増えただけで、合計特殊出生率が半減以下になるというのは、やはり無理がある。「字が読めるようになった人は出産調整をする」としても、そういう人が10%増えただけだ。少子化の原因として、識字率は因果関係があるようには思えない。
文字が読めるようになると、育児の情報や医者からの注意が共有されやすくなる。親たちの子育てが上手くなり、(乳児にかぎらない)子供の死亡率が低下することはあるだろう。子供が死ななくなれば、少子化が進む。したがって、識字率と合計特殊出生率にはある程度の相関があっても不思議はない。しかし、日本やアジア5カ国の数字を見るかぎり、識字率が少子化の原因ではありえない。
→ この記事の続編はこちら。
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◆参考文献等◆
[1]平成24年就業構造基本調査>全国編>世帯単位で見た統計表(表212、241を使用)
[3]第14回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)-第Ⅰ報告書-わが国夫婦の結婚過程と出生力(pdf)(38.8MB)
[4]結婚・育児の経済コストと出生力 ―少子化の経済学的要因に関する一考察―
[5]厚生労働省・合計特殊出生率の推移(1925, 1930, 1937-1940, 1947-2012)─女性と男性に関する統計データベース(xls)
[6]平成9年国民生活白書
[7]内閣府男女共同参画局・OECD加盟24か国における女性労働力率と合計特殊出生率
[8]内閣府男女共同参画局・教育・研究分野における男女共同参画
[9]国立社会保障・人口問題研究所_人口統計資料集2014_人工妊娠中絶数および不妊手術数:1949~2012年
[10]厚生労働省・性別乳児死亡数及び死亡率の推移(1900-2013)─女性と男性に関する統計データベース(xls)
[11]国立保健医療科学院「わが国の乳児死亡率低下に医療技術が果たした役割について」(pdf)
[12]内閣府男女共同参画局・少子化と男女共同参画に関する専門調査会・女性労働力率と合計特殊出生率(pdf)
[13]Ridley, M.著 中村桂子、斉藤隆央訳『やわらかな遺伝子』紀伊國屋書店、2004年
[14]平成7年版 図で見る環境白書
[15]ADVANCES IN THE STUDY OF BEHAVIOR, 9th Edition. p137,p144,p
[16]人口統計資料(2014)表6-6 性,年齢(5歳階級)別再婚率:1930~2012年
[17]20代男性の40%が性交渉なし 家族計画協会のアンケート
[21]結婚相手の年収、いくらが理想的?
[23]一人の子どもにかける費用はおよそ1,300万円(平成17年度版国民生活白書)
[25]世界各国の婚外子割合
[26]【少子化】未婚・晩婚化の原因、未婚男性の5割が「経済的に余裕がない」内閣府調査で浮き彫り
[27]日本の対外直接投資推移
[28]Horowitz, B. Bowers, K. 土屋晶子訳『人間と動物の病気を一緒にみる』インターシフト、2014年
[29]SEXUAL BEHAVIOR OF LARGE DOMESTIC FARM ANIMALS: AN OVERVIEW
[30]サラリーマンの平均年収─年収ラボ
[31]サラリーマン年収─年次統計
[33]朝日新聞グローブ (GLOBE)|結婚、アジアの選択 Marriage Pressure in East Asia -- 日本、非婚化の先に起こるのは
[34]世界が驚嘆した識字率世界一の日本
[35]
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