デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

要するに労働者の賃金を増やせってことだろ?

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現在の失業問題は、ただ「仕事がない」のではなく、「就きたい仕事がない」のが問題になっている。大卒者の数は増え続けているが、彼らは待遇の悪い仕事に就こうとしない。結果、低賃金の労働現場では人材不足が叫ばれながら、一方で高学歴な失業者が生まれてしまう。
これは世界的な傾向であり、北アフリカでは「高学歴な失業者」たちがアラブの春を起こしたという。
しかし、大卒になってしまった人間を高卒に戻すことはできない。「高学歴な失業者」の解決策として、「大卒を減らせ」という主張は無意味だ。いかにして人材不足の職業の待遇を向上させ、高学歴な人間が「就きたい」と思える仕事にしていくのか。私たちは、それを考えるべきだろう。



     ◆




山形浩生さんは、歯切れのいい寸評が人気だ。書評にせよ時評にせよ、明快な考察は読んでいて気持ちがいい。しかし今回は、どうもスッキリしない、歯の間にモノが挟まったような記事を上げてらっしゃった。



イタリアファッション:縫い手がいない!
あるいは機械との競争で勝つにはみんな大学に行かせろ、というのは本当なのか?
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20130626



記事の内容を要約すると、

【問題設定】
イタリアでお針子さんが足りない!

【原因分析】
お針子さんのようなブルーカラーになりたがる人がいない。
なぜなら、ブルーカラーは低賃金であり、社会的地位も低い。
そのため大学卒の人間がやりたがるような仕事ではない。

【一般的な対策】
規制緩和をする。労働力の流動性を高める。
しかし、これらの対策ではブルーカラーの偏見はなくならない。
したがって、お針子さん不足は解決できない。

【解決策】
大学卒を増やすな/減らせ。

これだけを見ると、問題設定に対して解決策が乖離しすぎていて意味不明だ。



じつは、この記事のなかで山形さんは「問題の再設定」を行っている。
最初の問題設定は「お針子さんが足りない」「ブルーカラーの給与/地位が低い」というものだったのに、いつの間にか「大学卒が多すぎる」という問題へと論点がすり替わっているのだ。



箇条書きにすると次の通り:

【問題設定】
イタリアでお針子さんが足りない!

【原因分析】
お針子さんのようなブルーカラーになりたがる人がいない。
なぜなら、ブルーカラーは低賃金であり、社会的地位も低い。
そのため大学卒の人間がやりたがるような仕事ではない。

【一般的な対策】
規制緩和をする。労働力の流動性を高める。
しかし、これらの対策ではブルーカラーの偏見はなくならない。
したがって、お針子さん不足は解決できない。

【問題の再設定(論点のすり替え)】
大学卒が多すぎる!

【原因/現状分析】
各国は労働力を高度化しようと努力したが、労働需要の高い理系大卒者はあまり増えず、労働需要の低い文系の大卒者が増えてしまった。結果として失業率が高くなり「アラブの春」が起きた。

【解決策】
大学卒を増やすな/減らせ。

問題の再設定がなされたことで演繹の鎖がつながり、論理的に破綻しなくなった。
しかし、最初の問題と解決策との距離が遠いため、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話になっている。


風が吹くと砂が舞う。
砂が舞うと、めくらが増える。
めくらが増えると三味線弾きが増える。
三味線はネコの皮で作るので、三味線弾きが増えるとネコが減る。
ネコが減るとネズミが増える。
ネズミは桶をかじるので、ネズミが増えると桶が壊れやすくなる。
桶が壊れやすくなると、桶屋が儲かる。

……だから、風が吹くと桶屋が儲かる。



論理の鎖はつながっており、演繹は破綻していない。しかし、前提と答えの距離が離れすぎているため、「風が吹けば桶屋が儲かる」という主張は説得力がない。
今回の山形さんの記事は、これによく似ている。「お針子さんが少ない」という問題設定に対して、「大卒者が多すぎる」という答えは論理的に離れている。だから説得力が弱いし、いまいち歯切れが悪いのだ。




「お針子さんが足りない」という現状がある。
「大卒者が増えている」という現状もある。
2つの現状をふまえれば、「お針子さんを、大卒者がやりたくなるような仕事にするにはどうすればいいか?」という方向で考えるのが自然だ。言い換えれば、「ブルーカラーの賃金を引き上げるにはどうすればいいか」「ブルーカラーの社会的地位を向上させるにはどうすればいいか」という論点に移るのがスマートだろう。
しかし「労働者の賃金を増やせ」という主張は、なんというか、こう……まるくすっぽいにおいがする。だから山形さんはこういう議論をあえて避けているんだろうなと感じた。その「あえて避けている感じ」が、歯切れの悪さの原因だ。
私は共産主義者ではないので社会主義革命なんか信じていないし、万国の労働者が団結するのも、まあ、難しいと思っている。山形さんが記事中で指摘しているとおり、労働需給の市場原理でブルーカラーの高給化はいずれ達成できると信じている。
私が議論したいのは、「いずれ」を明日にする方法だ。
市場原理でブルーカラーの賃金が増えるのなら、それを加速する方法だ。



また、『機械との競争』の重要な論点は「ブルーカラーの高給化よりも先に機械化が達成されてしまうだろう」というものだった。
市場原理によって賃金の上がる分野と上がらない分野がある。機械に取って変わられる分野の人を増やすのはただの悲劇だ。たしかに「大卒者を減らす」というプランでお針子さん不足を解消できるかもしれないが、将来的な機械化に対して何の答えにもなっていない。
「労働需要の高い理系大卒者はあまり増えず、労働需要の低い文系の大卒者が増えてしまった」という現状分析があるのなら、「実務的な理系人材を増やそう」というプランが妥当なところだ。少なくとも「大卒者の価値を下げろ」「大卒者を減らせ」という主張よりは穏当だろう。




     ◆




ブログをやっている実感として、「大卒者の苦悩」や「低学歴の成功」をネタにすると記事のウケがよくなる。
日本の大学進学率は5割程度なので、大卒者に対する「ひがみ」や「やっかみ」を抱いている人は意外と多いのかもしれない。(というか私の親がそうだ)だからといって、その気持ちを利用するような記事を書いてアクセス数を稼ぐのは、誠実な態度ではないだろう。
世の中に貢献できるかどうかに学歴は関係ない。マジで関係ない。
たしかに学歴は職業選択の幅を決めてしまう。
しかし「どのような仕事につくか」と、「どのように世の中と関わるか」は、まったく別の話だ。




「人間にしかできない仕事」の価値は、これからの100年で高騰しつづける。
ブルーカラーの賃金は、いずれ高給化する。
私たちが知りたいのは、「いずれ」を明日にする方法だ。









死体まわりのビジネス-実録●犯罪現場清掃会社

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