都議会選挙を前にして、街のいたるところで演説の声が響く。
「あいつらはあんなにカネをもらっている。許せない!」
「俺たちに票をくれたら、あいつらからカネを奪ってやる!」
……そんな攻撃的な言葉が飛び交っている。
東京は小国並みの予算を持ち、世界を動かすことができる街だ。その街の代表を目指す人々が、「呪い」を集めて勝とうとしている。がんばってくださいと祝福されるのではなく、あいつらをやっつけてくださいと呪詛を受けて選ばれようとしている。私は日本人として恥ずかしい。
民衆はいつでも怒りを鬱積させている。そこに火をつければ大きな力が生まれ、「呪い」と呼びたくなるような社会的なパワーになる。怒りにまかせて誰かを攻撃すれば、一時的にはスッキリするだろう。小難しい政策なんて知らなくても、政治に参加した気になれるだろう。しかし、それでは怒りの根本的な原因は解決されない。「呪い」で誰かを滅ぼしても状況は改善されず、次の犠牲者が選ばれるだけだ。
民衆の「怒り」を煽るのは、悪いことではない。世の中を変えるために、ときには怒りの力を使ってもいいだろう。問題は、怒りの対象として特定の人物や組織を攻撃することだ。誰かを焚刑に処しても、何も解決しない。民衆の不満や不安のほんとうの原因から目をそらすだけで、現代の魔女狩りにすぎない。
では、私たちの不満や不安のほんとうの原因は何か?
言葉にすると急に陳腐になってしまうが、それは「時代の変化」だ。少なくともカネに関わる分野に限っていえば、グローバル化や情報化と呼ばれる人類史上の大変化こそが私たちの鬱憤の根本的な原因だ。「将来が見えない」という感覚、私たちの怒りやいらだち。カネにまつわる苦悩はすべて、この大変化によってもたらされている。そして私たちはカネなしでは生きていけないのだ。
たとえば、なぜフリーターや派遣社員が正社員になれないのか?
人件費の安い途上国の人々と仕事を奪いあっているからだ。
たとえば、なぜ正社員の給与は増えないのか?
フリーターや派遣社員……労働者階級が充分な消費をできないからだ。海外市場に目を向けても、日本と同じような状況に陥っている先進国と、低賃金な発展途上国しかない。
そして、なぜ上位1%の人々が莫大な富を得られるか?
富の再分配を世界規模で行う仕組みがないからだ。貧困の撲滅によって社会不安を取り除こうとした前世代の人々の努力が、水泡に帰そうとしている。それでも時計の針は、もう戻せない。
グローバル化と情報化は、国民国家を解体しつつある。Appleは中国の雇用を拡大し、米国にはほとんど税金を払っていない。つい先日、ユニクロの勤労体制がブラックすぎると話題になった。企業が業績を拡大しても、それは国民国家の利益にならない。労働者の雇用環境は世界標準に――つまり日本から見れば「下」に――揃おうとしている。Appleやユニクロに問題がないとは言わないが、彼らを悪役に仕立てたところでグローバル化が止まるわけではない。私たちは、そういう時代を生きている。
旧劇場版のエヴァでATフィールドを失った人々が溶解したように、数百年続いた「国民国家」は形を保てなくなるだろう。しかし国家の終焉は、人類の破滅ではない。私たちは次の段階に進むのだ。私たちが生きるのは、グローバル化の先にある未来だ。私たちは日本人である前に、地球人だ。
グローバル化について語る人たちは、二言目には「グローバル人材になれ」という。
やれ英語ができるのは最低条件だ、経済について深い知識を身につけろ、経営学にも精通していろ……と、生きることのハードルを吊り上げる。私は「グローバル人材」という言葉が苦手だ。素材や機材、建材みたいな言葉だからだ。人材ではなく、人間でありたい。
言葉の壁は技術の進歩によって取り払われるだろう。知識や技能は、それを持っている人とうまくつながるほうが重要だろう。グローバル化の先にある世界で必要なのは、小手先の技能や知識ではない。必要なのは、そういう時代と向き合うための意識だ。見たことのない時代を渡り歩くためのマインドセットだ。
自分がこの世界の一部であるという意識。たった1人でも世界と関われるという意識。まだ具体的な言葉では説明できないけれど、そういう「地球人としての意識」を持つことが、この大変化の時代を楽しむために必要なはずだ。
そして、そういう時代に行政に求められるのは「個を支えること」に尽きるだろう。多様な生き方を模索する個々人の命を、挑戦を、支えることだろう。間違っても「トクしている誰かを引きずり落とすこと」ではないはずだ。
戦後の経済発展は中間共同体を破壊しつくし、「孤独死」が起きるような現代社会を生み出した。しかし私たちは、因習に満ちた過去の共同体に回帰すべきではない。国・地域の枠を超えた新しい共同体を創出すべきだ。
日本人である前に、地球人でありたい。
人材ではなく、人間でありたい。
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