デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

最近読んだ3冊のスゴ本

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本屋の「ビジネス」とか「経営」という棚には、自己啓発的な本が多い。そういう本はあまり好きじゃなくて、意図的に避けていた。けれど、食わず嫌いはよくないねという話。めちゃくちゃ有名な本を3冊、最近、集中的に読んだ。たくさんの人に読まれてる本には、やはり読まれてるだけの理由がある。


ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

※人類の普遍的な法則に気づいちゃった系のスゴ本



新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術

新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術

※いいから黙って今すぐ読め級のスゴ本



クリティカル・シンキング―「思考」と「行動」を高める基礎講座

クリティカル・シンキング―「思考」と「行動」を高める基礎講座

※人生の教科書になっちゃう級のスゴ本




◇ビジョナリー・カンパニー2

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

シリーズとして何冊も出版されているが、とくに「2」は評判がいい。ほかは読まなくても「2」だけは読んでおけ……という声をよく耳にする。
世の中のすごい企業(=ビジョナリー・カンパニー)の共通点を洗い出した「1」に対して、では、そういう企業を作るにはどうすればいいのか? という疑問に答えたのが「2」だ。
世の中の企業には、大きく3つの種類がある。平凡なままの会社と、平凡からすごい企業へ変身する会社と、その「すごさ」を維持し続ける会社だ。それらの会社を比較検討して、著者は「すごい企業の作り方」を見つけ出そうとしている。
この本に書かれているのは、ただの「すごい会社の作り方」ではない。中学生の部活から国際組織にいたるまで、たぶん「人間の集団」が成功するための普遍的な法則だ。
たとえば、「まずバスに乗る人を決めて、それから行き先を選ぶ」という方法。成功した企業では、明確な行動計画を立てるより先に、まず適切な人材を確保するところから始めていたらしい。現代のアメリカの企業について書かれているはずなのに、古代中国の歴史書を読んでいるような気持ちになった。私は中国史に暗いけれど、似たようなことが書かれてそうじゃん。



パッと思いつくだけでも、三国志には「三顧の礼」の逸話がある。

劉備は、宿敵・曹操に追われて、荊州劉表のもとに身を寄せていた。しかし劉表は、人心を集める劉備をあまり快く思わず、やがて猜疑するようになった。劉備にとって逆境の時期だ。
ある晩の宴席で、劉備が泣きながらトイレから戻ってきた。どうしたのかと劉表が尋ねると、「私は若い頃から馬に乗っていたので、髀(もも)に肉はついていませんでした。ところが馬に乗らなくなった今、髀の肉がたるんできました。すでに年老いて、何の功業もあげていないので、それが悲しくなったのです」と劉備は答えたという。ここから「髀肉の嘆(ひにくのたん)」という故事成語が生まれた。
その後、劉備は何をしたか?
カリスマ的な手腕で、華々しい戦略を押し進めたか?
革新的なアイディアで、それまでの慣行を打ち破ったか?

劉備が行ったのは「適切な人材を集める」ことだった。
三顧の礼で天才政治家・孔明を味方につけたのだ。そして孔明の進言した「天下三分の計」に基づいて勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位、蜀漢を建国した。



この逸話は、「まずバスに乗る人を決めて、それから行き先を選ぶ」という方法によく似ている。古代中国史に限らず、歴史を紐解けばもっと適切な例が見つかるかもしれない。『ビジョナリー・カンパニー2』には、歴史上のできごとにも当てはめることができるほど普遍的な法則が書かれている。






◇問題解決プロフェッショナル

新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術

新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術

世の中に「頭の使い方」を説いた本は多い。が、その大半は著者の個人的な成功経験にもとづいており、普遍的な正しさを追求していない。「俺はこのやり方でうまくいった、だからお前もこのやり方でうまくいくはずだ」と訴えるばかりだ。個人的経験から演繹しただけの理論は、たとえロジックがどんなに正しくても、正確でも、的確でも、妥当でも、重要でもない。演繹的な理論は〝弱い〟。理論を〝強く〟したいのなら、事実の羅列から帰納的に組み立てるしかない。
まさにその点において、この本は凡百の「頭の使い方」本とは違う。
具体的な事例を大量に並べながら、効率的な「頭の使い方」を説明していく。だから、説得力がハンパない。読みながら背筋がゾクゾクするほどだ。紹介されている「頭の使い方」は、どれも今すぐ使える実践的なものばかりだ。
この本で紹介されている「頭の使い方」は、私たちが日常的に行っている問題解決の手法を体系化しただけだと著者は書いている。
才能豊かなサッカー少年は、体系的な技術論を学ぶことでさらにサッカーが上手くなる。なんとなく直感でできていたことから無駄が削ぎ落とされ、より効率的な動きができるようになるからだ。たぶん、頭の使い方も同じだ。生まれつき思考力に恵まれ、問題解決力の高い人ほど、この本を読むことで能力を研ぎすませることができるだろう。
ほんとうにすごい本だった。激ヤバ。







クリティカル・シンキング―「思考」と「行動」を高める基礎講座

クリティカル・シンキング―「思考」と「行動」を高める基礎講座

クリティカル・シンキング―「思考」と「行動」を高める基礎講座

人によっては「人生の教科書」になってしまうレベルの本。十代後半までに読んでおきたい。『問題解決プロフェッショナル』が技術編だとしたら、基礎理論編がこちら。「考える」とはどういうことかを、徹底的に考えている。
とくに第2章、第3章に書かれている「理由づけ(reasoning)」の方法とその評価基準は圧巻。この部分だけでも読む価値がある。
なにかを説明するときには、かならず「理由づけ」が必要だ。では、そもそも「理由づけ」とは何だろうか。そして、「いい理由づけ」と「悪い理由づけ」があるとしたら、どんなことが評価基準になるのだろう。
思考力を高めるとは、「いい理由づけ」を行うということだ。そして「悪い理由づけ」を排除するということだ。思考力を高めれば、考えていることを他人に伝えるのも容易になる。他人の悪意ある思考にも、気づけるようになる。だから思考力を磨く必要があるのだ。
ただし、この本はちょっとだけ問題を抱えている。
自分の信条や哲学によって思考を歪めてはいけないと説きながら、この本そのものが1つの信条に凝り固まっているのだ。「理性的であること」を無批判に〝善〟だと見なし、「非理性的であること」「感情的であること」を〝悪〟として扱っている。もちろん仕事のときやプロジェクトを遂行するときは、それでもかまわない。というか、そうでなければ仕事にならない。
だが著者は、日常生活のあらゆるレベルにこの信条を浸透させるべきだと説いている。
言うまでもなく、ヒトは生得的に〝感情〟を持っている。非理性的な判断をするようにできている。論理的に飛躍した場所へと思考を投げ、あとから論理の橋でつなぐ:これが人間の創造性だ。人間のすばらしさだ。理性的でないものを〝悪〟として捨てるのは、生まれ持った手足を切り落とすようなものだ。「人間は感情の生き物である」とシェークスピアは言った。
著者によれば、本書の目的は世界平和を実現することだという。すべてのヒトが理性的な思考に目覚めれば、世界は間違いなく平和になるという。なるほど、その通りだ。もしもヒトに視力がなければ、銃は発明されなかっただろう。
個人的な見解としては、1つの信条を〝善〟と見なす姿勢こそが世界の苦痛の原因だ。寛容さと相互理解だけが、世界を平和にし、社会の治安をよくできる。著者のような不寛容な信条で、世界平和が実現できるとは思えない。
私が「十代後半までに読んでおきたい」と書いたのは、本書の抱えるこの問題のためだ。自分の信条や哲学が固まっていない十代のうちなら、本書を「人生の教科書」として内面化できる。理性が〝善〟で、非理性が〝悪〟だという価値観を、日常のあらゆるレベルに適用できる。しかし、ある程度の年齢をすぎるとダメだ。自分の世界観を組み立ててしまった人間は、本書の問題点に目をつぶれなくなる。
問題点ばかりを強調してしまったが、この本は文句なしの良書だ。私は以前、「反論のパターン」という記事を書いたが、本書を元ネタにして書き直すかも。




       ◆




たくさんの人に読まれている本には、読まれているなりの理由がある。食わず嫌いはよくないと反省させられた。最強の知的デバイスは、コンピューターでもインターネットでもなく、他者である。誰かが褒めていた本は、きっと読む価値があるのだ。
そして記事を書き終わった今は、「スゴ本」という言葉についてコピーライト・フィーを求められやしないかとヒヤヒヤしている。







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