一日が24時間であることを嘆いても意味がない。一日の長さが「所与の条件」だからだ。私たちは24時間をうまく活用することを考えなければいけない。グローバル化や少子高齢化も同じだ。ハードランディングを防ぐために手を尽くすべきなのは明らかだが、しかし、根本的な「解決」はありえない。長期的な視点に立てば、世界の所得水準はかならず平準化するし、豊かな地域では人口増加が止まる。原因はいまだに解明されたとは言いがたいが、世界中で「所得水準の平準化」「少子高齢化」という現象は観察されている。
であれば、これらはいわば自然現象のようなもので、避けられないものだと受け入れるべきだ。防ぎようのない「所与の条件」だと認めたうえで、適応する方法を考えたほうがいいだろう。
今起きていること。日本人の賃金を下げよ。リストラせよ。雇うな
http://www.bllackz.com/2012/09/blog-post_8.html
鈴木傾城さんのブログ「Darkness」は、視点や切り口が面白くていつもフムフムと拝読している。が、こちらの記事はいただけない。というのも、典型的な「企業VS国民・国家」という対立構造や、「資本家VS労働者」という闘争の構図が見受けられるからだ。なるほど、企業や資本家を叩けば私たち一般庶民はなんだかスカッとする。溜飲が下がる。けれど、それ以上の意味はないし、問題に正しく対処できるとは思えない。雨雲を指さして「雨が降るのはあいつのせいだ!」と憤怒するようなものだ。
「企業VS国民」の対決で国民の側に立ってしまうと、国民であることをやめられなくなる。「資本家VS労働者」の闘争で労働者の側に立ってしまうと、労働者であることをやめられなくなる。人から雇われる生き方から脱出できなくなり、「儲けを分けてもらう」立場から逃れられなくなる。そして、機械部品のような不自由な人生を強いられる。
20世紀まで、世界の“富”は労働者の汗によって生み出されていた。
しかし22世紀には、世界の“富”はロボットとコンピューターにより生み出されているだろう。
私たちが生きる21世紀はその過渡的な時期だ。コンピューターの性能は18ヶ月で約2倍になり、価格は半分になるという。科学の進歩の恩恵を受けて、かつてSF作家たちの空想した世界が次々に実現していく時代:それが21世紀だ。まさに「科学から空想へ」の時代なのだ。
そういう時代にあって「国民」であることにどんな意味があるだろう。電子辞書は1980年代には4万円したが、現在なら2万円代ではるかに高性能な製品を買える。ほんの数年前までGoogle翻訳はなかったし、格安航空会社(LCC)はこんなに一般化していなかった。
この傾向は止まらない。
世界各地との言葉の壁や距離は、とてつもない勢いで取り払われている。
ジャカルタでは靴磨きの少年が英語を使いこなすという。北京では水商売の若者が流暢な日本語を話す。比べて日本はどうだろう。日本の“管理職”のうち、気後れせずに外国人と会話できる人がどれだけいるだろう。あなたのケータイには、どれぐらいの外国人のアドレスが登録されているだろう。もはや「国民」であることに固執する必要はなく、ゼノフォビアの遠因になるという意味では有害ですらある。私たちは「国際社会の一員」としての自覚を持つべきだ。
また、この時代に「労働者」として闘い続けることにどんな意味があるだろう。「一生懸命に働くからそのぶんの分け前をよこせ」と訴えることに、どれほどの効果があるだろう。前掲の記事で指摘されているとおり、どんなに必死で働いても企業は日本人の単純労働者を求めない。賃金が高すぎるからだ。末端の工場労働者ですら「カイゼン」を――つまり、創意工夫を求められる。単なる“人手”としてではなく、知的な面までも搾り取られる。それが日本で「労働者」になるということだ。
ここから自由になるには、労働者であることをやめるしかない。
このブログでは何度も何度も書いてきたとおりだ。これは私一人の特殊な意見ではない。すでにたくさんの人が、「日本の労働者が不幸なのは雇用者に対してあまりにも力が弱いからだ」と気づいている。雇用者側から無茶な要求をされたときに「そんなん言うなら辞めます」とは言い返せない、血の涙を流しながら「喜んで働かせていただきます」と答えるしかない。日本の社会は「労働者が自発的に組織の歯車になる」ことを前提に組み立てられており、それが不幸の原因なのだ。
21世紀の正しい“働き方”は、まず「自分の好きなもので稼ぐ」こと:これに尽きる。「嫌儲」は(なかには耳を傾けるべき意見もあるが)おおむね、ただの負け惜しみだ。自分のやりたいことで生活する方法を、まずは全力で模索するべきだろう。どこかに雇ってもらうのは――「労働者」になるは最後の手段、いわばセーフティネットとして位置づけるべきだ。
そして幸運なことに、日本の企業では労働者保護の制度が行き届いている。たしかにブラック企業は大問題であり、かならず撲滅しなければならない。が、それでも19世紀のイギリスや発展途上国に比べれば、日本の労働環境はマシな状態を維持している。闘争に明け暮れた先人たちの置き土産だ。そういう制度にフリーライドして「好きなもので稼ぐ」方法を探し続けるのが、もっとも合理的な21世紀の労働者の姿だ。まじめに働くだけでは、もはや私たちは豊かになれない。
「楽しい!」を仕事にしよう。 -デマこいてんじゃねえ
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20111213/1323776501
目指すは究極のスモール・ビジネス -わかったブログ
http://www.wakatta-blog.com/post_83.html
「ちょこっと稼ぐ」の復活 -Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120722
なぜ今「ノマド」は“炎上祭り”と化しているのか -ダイヤモンドオンライン
http://diamond.jp/articles/print/22028
※未来はギルド型の社会に
グローバル化・IT化はただの社会変化ではない、人類史上の大事件だ。 ‐デマこいてんじゃねえ
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20111109/1320829167
イギリスの経済学者アンガス・マディソンは、紀元1年から2008年までの超長期的な経済・人口の推移を推計した。その資料に基づいて、過去2000年における各地域の「一人あたり実質GDP」を比較すると、1400年ごろまでは世界の地域格差はほとんどなかったと分かる。
ところが15世紀ごろから、ヨーロッパと他の地域で一人あたりGDPの差が開き始める。ルネサンスを見れば分かるとおり、あの頃のヨーロッパはなんというか、文明の進歩の「一線」みたいなものを超えたのだろう。この時代に欧州と他の地域で格差が生じた。けれど、それは現在の地域格差に比べれば、ずっとゆるやかな格差だった。
ところが18世紀、この構造ががらりと変わる。ヨーロッパで産業革命が起こり、一人あたりGDPが急成長を始める。人力・馬力から機械動力に移行したことで、人間一人あたりの生産性が急上昇したのだ。19世紀後半からはロシア、日本が追い上げる。一方、中国やインドは20世紀半ばまで停滞を続けた。
20世紀の半ばは、産業革命にも匹敵するような時代の転換点になった。植民地支配や戦火から解放された地域が、過去200年の産業革命の成果を吸収し、「開発」や「改革開放」を次々に成し遂げた。80年代からは情報革命が、90年代からはグローバル化が人々の生産性を押し上げた。
産業革命以降、世界の豊かさは格差拡大の傾向にあった。ところが20世紀の半ばを転換点に、それが再び収斂に向かっている。むしろ産業革命後の数百年のほうが異常だったと考えるべきだ。
ヒトの能力には大差がない。少なくとも人種や民族の違いよりも、一人ひとりの個性のほうが大きなウェイトを占めているはずだ。したがって人間1人あたりの生産力の格差が、地域間で20倍以上にも拡大するなんて、どう考えてもおかしいのだ。
現生人類には20万年の長い歴史がある。そのなかで、各地の経済力・生産力の格差が20倍以上に開いたのはほんの数百年に過ぎないとしたら……。やはり世界の経済格差が解消されるのは当然だ。グローバル化は所与の条件として受け入れなければならないし、敵視しても意味がない。
ただ、まあ、感情的に「グローバル化」を忌み嫌いたくなる気持ちは、分からなくもない。
なぜなら、それは可視的な変化だから。
地元の商店街が寂れていく一方で、ジャスコは儲かっていそうに見える。これは日本国内での経済平準化だ。地元の喫茶店は次々につぶれたのに、マクドナルドとスタバは24時間営業している。大企業の「東南アジアに工場を作る」というニュースと「地元の工場が閉鎖される」というニュースが同時に配信される。
それらを眺めてサッドな気持ちになって、「グローバル化こそが諸悪の根源!」と叫びたくなる気持ちはよく分かる。けれど、グローバル化は自然現象のようなもので、反対するのではなく適応していかなければならない。冬が寒いから「冬をなくすような政策」をしろ、と訴えても無理な相談だ。
もちろん政策的にグローバリズムを止めることはできる。現在の北朝鮮や、改革開放政策以前の中国、ドイモイ政策以前のベトナムが、グローバリズムに反する政策を続けていた。結果はご覧のとおりだ。世界的な富の蓄積から取り残され、低い経済水準のまま停滞してしまった。
私は、歴史には大きな「流れ」のようなものがあると思っている。
私たちは炭素でできた生命体であり、40億年ほど前の地球で生まれたらしい。が、たとえ炭素生命が誕生しなくても、特定の条件がそろった環境では自己複製を繰り返す「何か」が生まれたはずだ。生命現象はこの宇宙の普遍的な現象だ。同様に、もしもアフリカで人類が誕生しなかったとしても、人類と同等の知的生命体が発生していたと思うし、それらが現在の人類のような科学文明を作り上げていたと思う。この地球で不可能なら、どこか別の星で。
水が低きに流れるように、エントロピーが増大し続けるように、この宇宙には普遍的な法則がある。そして人類の歴史も、細部までは未確定なものの、おおむね大きな流れのうえに乗っかっていると思う。ただ、私たちの人生があまりにも短いから、それを体感できないだけだ。
コーヒーにミルクを落とせば、かならず混ざる。ミクロな視点では、乳脂肪のコロイド粒子が寄り集まることもあるだろう。が、長期的な視点で眺めれば、ミルクはかならず拡散し、コーヒーと混ざり合っていく。逆はありえない。
私たち一人ひとりの人間は、コーヒーに落とされた乳脂肪の粒子のようなものだ。グローバル化のようなマクロな変化に翻弄されながら、人生というミクロな時間を過ごす。しかし悲観することはない。マクロな動きが決まっているとしても、ミクロな粒子一つひとつはランダムな運動をする。いずれ拡散することが分かっていても、一瞬だけは乳脂肪の粒子が寄り集まることもあるし、水の分子が重力とは逆の方向に進むこともある。
地球の未来を変えることはできないかもしれない。
しかし、あなたの人生を変えることはできる。
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※これで終わってしまうと、何もかも「自己責任」で解決しようとする無責任な人になってしまいそうだ。◆冒頭に書いた「ハードランディングを防ぐために手を尽くすべき」という点を、もう一度強調しておきたい。グローバル化が不可避だとしても、何も手を打たなくていいわけではない。◆とくに日本は世界でも例がない速さで少子高齢化が進んでおり、このままでは脆弱な社会制度が崩壊してしまう。若いカップルや出産・育児への支援はどんなに手厚くしてもしすぎることはないだろう。◆また企業や官僚組織などの高齢化も問題で、野心的で若々しい才能がつぶされる構造が蔓延している。若年層の「野心」と年長世代の「慎重さ」とが適切なバランスを維持できなければ、日本のソフトパワーは衰退する一方だ。最近では「慎重さ」ばかりが目立つ。野心の芽を摘んでしまうような社会ならば、変えていくべきだ。