デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

灰皿テキーラを覚えてますか?/ニュースが大量消費される時代のリテラシー

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日本人は悲観的な性格をしているらしい。いつの時代のどんな人たちに訊いても、「治安が悪くなっている(ような気がする)」「凶悪犯罪が増えている(ような気がする)」と答えるのだという。不景気な民族だ。
ところが発生件数や発生率に注目してみると、殺人や強盗、強姦などの凶悪犯罪は年々減少しているのだという。だからこそテレビや新聞は、そういう華々しい事件が起こるのを心待ちにしている。目をギラギラさせて待ち構えている。めったに起こらない「凶悪事件」があれば、大喜びでお祭り騒ぎをしてみせる。不謹慎な商売だ。


犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだら事件だ

あなたが飛行機に興味を持つのは、それが墜落したときだけだ

ジャーナリズムの先人たちは、かくも見事な格言を残している。テレビや新聞はいわば拡大鏡のようなもので、世の中の“珍しい出来事”を次々にクローズアップする。なるほど、そういうニュースばかりを見ていたら「治安が悪くなっている」と感じるのも無理はない。私たちが「現実」と呼ぶものは、マスメディアに誇張されたフィクションなのだ。創作された現実をブラウン管を介して共有しているにすぎない。




であれば、ここで疑問が一つ浮かぶ。
そういう「凶悪化する社会のイメージ」が流布すると、いったい誰がトクするのだろう?




ところで麻薬のなかでも、大麻は面白い歴史を持っている。
およそ8000年前から栽培が始まり、衣服の素材として、ときには食用として重宝されてきた。薬理作用の強い品種が発見されて、儀式の道具や薬品として使われるようになった。数ある麻薬のなかでも、大麻はとくに人類の文明と深い関係を持っている。20世紀前半までは非合法化されておらず、日本で大麻取締法が施行されるのは1948年、戦後だ。
世界的な大麻禁止の流れは、アメリカの号令で進んだといわれている。大麻は20世紀に入ってから少しずつ規制されるようになり、連邦法で非合法化されるのは1937年。アメリカはヨーロッパや日本などの先進諸国に声をかけて、非合法化を進めていった。
じつはアメリカでは1919年から、悪名高い禁酒法が施行されていた。この法律は社会的な反発を受けて1933年に廃止される。すると、今までアルコールを取り締まっていた公務員たちが一斉に仕事を失ってしまった。だからこそ“ほかの何か”を取り締まる必要が生じた。
当時のアメリカでは、南部の黒人たちやメキシコ人労働者が「アメリカ人の職業を奪っている」として不興を買っていた。そして彼らの間で常用されていたのが大麻だ。大麻を取り締まることで、そういう人々をアメリカ社会から排斥することができた。
「仕事のないアメリカ人に仕事を与える」ことを理由の一つとして、大麻の規制は進んでいったのだ。



べつに大麻禁止が不当だと言いたいのではない。大麻をきっかけにほかの薬物にも手を出してしまうという「踏み石論」に私は納得しているし、アムステルダムを訪れたことも葉っぱをふかしたこともない。ただ、「仕事を作るために規制を強くする」という社会現象が、とても興味深いのだ。
いまの日本では凶悪犯罪が減っているという。
考えてみれば当然だが、世の中が豊かになるほど犯罪は減る。豊かになるとは、つまり欲望をかんたんに満たせるということだ。効用を満たすためのコストが低くなるということだ。かつてホリエモンは「パンがなければ吉野家の牛丼を食べればいいじゃない」みたいな発言をして大バッシングを受けた。が、たしかに日本では小銭一枚でとりあえず空腹を満たすことができる。これは日本の社会が、たとえばソマリアよりも豊かだからだ。ソマリアでは一日の食事のために殺人が起きるが、日本では飢えをしのぐために犯罪を犯すのあまりにもワリに合わない。
世の中が豊かになるほど――欲望を叶えるコストが下がるほど、相対的に刑罰のリスクは重くなる。だからこそ犯罪は減り、マスメディアの喜ぶ“珍しい出来事”になっていく。なんということだろう。厳罰化などしなくても、世の中が豊かになるだけで刑罰の犯罪抑止効果は高まるのだ。
ところが犯罪が減ると、困る人々がいる。
そういう人々にとって、マスメディアが珍事に大騒ぎするのは好ましい。「凶悪化する社会のイメージ」が広まれば、規制強化の声が高まる。厳罰化の空気が醸成される。そして、彼らの仕事が増えるという寸法だ。
ああ、これではまるで陰謀論だ。
もちろん私は陰謀論を支持しない。マスメディアの消費者たちは、できるだけ珍しいこと・過激なことを喜ぶ。ニュースが大量生産・大量消費されている時代だ。一年半も経てばすっかり忘れているはずなのに、その日その日のニュースに消費者は一喜一憂を繰り返す。そしてマスメディアの側も、彼らを喜ばせようと工夫を重ねる。誰も死んでおらず、血の一滴も流れていない事件を、まるでナチスのごとき人類史上最悪の犯罪として報道する。需要と供給がつりあいを取ろうとしているだけだ。自然な経済現象であり、陰謀論などありえない。しかし“犯罪で食っている人々”は、そこから漁夫の利を得られるのだ。




犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだら事件だ。北極にアザラシがいても誰も驚かないが、多摩川にいたら特集番組が放送される。ニュースとは、つまりそういうものである。以上のことはメディアリテラシーの基本だけど、何度強調してもしすぎることはないだろう。



最後に、「犬」にちなんだことわざをもう一つ紹介しておこう。

The dog bites the stone, not him who throws it.
(石を投げられた犬は、投げた人ではなく石に噛みつく)

犬より上等な脳みそを持っているのなら、かみつく相手には注意したい。





19歳女性が犬にかみつく、米イリノイ州
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2875558/8882141




犬から見た世界―その目で耳で鼻で感じていること

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禁酒法―「酒のない社会」の実験 (講談社現代新書)

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