デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

インプットとアウトプットは別々に!/たとえばアニメしか見ないやつにアニメは作れない

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このところ本業が殺人的な忙しさに突入しており、心を病んでしまいそうなので脳内Blu-rayで劇場版ストライクウィッチーズを再生しながら仕事をしている。頭の中でシャーロットの登場するシーンを無限リピートしながら、ひたすら手を動かしている。すでに充分病んでいる。 頭を使わない仕事でよかった!
ストパンを初めて見たときは正直、気恥ずかしかった。あの特徴的な服装が恥ずかしくてしかたなかったのだ。説明が必要な人はWikipediaを参照していただきたい。なんだよ「ズボン」って頭おかしいだろjk
しかし慣れとは恐ろしいもので、いまでは何の違和感も覚えない。ジェダイの騎士がベージュ色のローブを着るように、あるいは時代劇のSAMURAIがおかしな髪型をしているように、「そういう世界なんだよね」と納得してしまった。「ガン‐カタなんてありえない」と思って『リベリオン』を見る人はいない。それと同じだ。企画段階では「萌え」をあざとく狙ったキャラクターデザインだったのかも知れないが、いまでは世界観を構成するための大事な一要素になっている。
ストパンの特長として「あざとい萌えキャラ+少年マンガみたいな燃える展開」という組み合わせを指摘する人は多い。が、ストパンを現在の成功に導いたのは、キャラやストーリーの背後にある「世界観」だと私は考えている。作中の道具や建造物、そして食べ物にいたるまで、「もしも本当にそこにあったらどうなるか」がきちんと考証されている。緻密に組み立てられた世界観のおかげで「パンツ丸出しの美少女が空を飛ぶ」という大嘘にも説得力が生まれるのだ。ああパンツと言ってしまった。
自動車のエンジンをかける動作。あるいは初弾を薬室に送り込み、安全装置を外し、セレクターを操作し――という銃の扱い。厨房シーンでの調理器具等々、細かな部分までていねいに描かれている。またテレビ第2期のローマや劇場版のベネチアでは背景の美しさに息をのんだファンも多いはずだ。たとえば魔力を失った宮藤(主人公)が重そうに銃を抱きかかえるシーンでは、「少女が機関銃を振り回せるのは魔法の力のおかげ」という設定を映像だけで表現していた。ストパンの世界には、現実世界にはない自然現象や社会制度が――いくつもの「嘘のルール」が存在している。しかし、それらルールが厳守されているからこそ、ストパンの世界は「もうひとつの現実」としての生々しさがあるのだ。
この生々しさを支えているのは、膨大な量の知識と取材だ。
第二次世界大戦の資料を読み込んだ人でなければ、ストライクウィッチーズの世界観を設定できないだろう。主要キャラクターはすべて実在のパイロットをモデルにしているし、戦艦や戦車なども実物に忠実であろうとしている。アニメ版のスタッフはモデルとなるヨーロッパの街に実際に足を運んだそうだ。歴史、軍事、科学技術、そしてSFやファンタジー。広汎な知識を持つスタッフに恵まれなければ、ストパンはここまで成功をおさめなかった。※あと劇場版ではいろんな戦争映画のパロディが楽しかった。



ストライクウィッチーズの世界を支えているのはアニメとは関係ない分野の知識だ。
某・有名監督のあのセリフを思い出さずにはいられない。



富野由悠季「アニメやりたいと言ってアニメしか見たことがない奴は皆ダメな人、文学を読め、美術館で絵を見ろ」 ‐やらおん
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-821.html



ダメな人かどうかは分からないけれど、「アニメしか見ていない人にアニメは作れない」という言葉には一片の真実がある。
たとえばアシモフにせよクラークにせよハインラインにせよ、膨大な知識にもとづいてSF小説を書いていた。自然科学だけでなく、歴史や社会、経済に通じていた作家も少なくない。フィリップ・K・ディック古今東西のSF的ガジェットを自由自在に組み合わせて、SFの文学的価値の向上に貢献した。ディックは自らのするどい「洞察」を、SFといういわば「道具」を使って表現している。彼らは「SF小説」というアウトプットをする以前に、それ以外のジャンルから膨大な量のインプットを行っている。幅広い知識や教養から「世界」や「世の中」を知り、それをSFというかたちでアウトプットしているのだ。



流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)



アウトプットを得るために、ジャンルの外からインプットをするべき――。
最近ではライトノベル作家白鳥士郎先生がそれを証明している。



ライトノベルで農業を描いてみたらこうなった――『のうりん』著者インタビュー Business Media 誠
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1204/13/news010.html

白鳥 学校に行って、まず施設を見て、その後に生徒や先生のお話をうかがいました。高山市で行われる牛の品評会である共進会に一緒に行ったりもしました。
また、市の図書館に業界ナンバー1の雑誌の『現代農業』のバックナンバーが3年分あったんですね。それを全部読んで、関連して興味を持った本も読んで、「面白そうなネタについて読んだんだけど、現実はどうなっているのか」と聞きに行ったりしました。


のうりん 2 (GA文庫)

のうりん 2 (GA文庫)


まさかビジネスメディア誠がラノベを扱う日が来ようとは。
この記事で『のうりん』が売れてくれたらファンとしては嬉しい限りだが、普段ラノベなんて読まない人が果たして楽しめるのだろうか、という不安はつきない。『のうりん』がどれほど尖った作品なのかは以前にも書いた(→こちら)。
いずれにせよ、ラノベだけ読んでいる人に『のうりん』のような作品は書けない。もともと専門知識のある人が片手間で書いたわけでもない。農業とライトノベル――二つのジャンルを深く研究したすえに、この作品はアウトプットされたのだ。たとえば『ハルヒ』や『とある』のような爆発的ヒットにはまだなっていないが、それこそビジネス系サイトで紹介されるなど、普通のラノベではありえないかたちで話題になっている。



様々な分野からのインプットをすることで、優れたアウトプットを得られる。
では逆に、一つのジャンルからインプットをして同じジャンルにアウトプットすると、どうなるのだろう。インプットとアウトプットの再生産が行われると、どんなことが起こるのだろう。
宇多田ヒカルがJ−POPを終わらせた」という説がある。どこかで音楽業界の人が記事にしていたような気がするんだけど、いくらググっても見つからないので妄想だったのかも。が、ともかく「J−POPが勢いを失ったのは宇多田ヒカルが登場したからだ」という与太話を聞いたことがある。
宇多田ヒカルは、当時の日本人にはあまり馴染みのなかったR&Bを一気にメジャーなものにした。宇多田ヒカル本人は10代のみずみずしい感性でインプットしたものを、自分にとって身近なR&Bというかたちでアウトプットしたにすぎない。彼女の天才的な洞察がデビュー初期の名曲の数々を支えていた。しかし問題は宇多田ヒカルのフォロワーたちだ。宇多田ヒカルのデビュー以後、ヒットチャートはR&B一色に染まった、らしい。宇多田ヒカルのフォロワーたちはR&Bを聴いて「世界」や「世の中」を知り、それをまたR&Bというかたちでアウトプットしていった。その結果、J−POPはR&Bの基礎教養がある人にしか理解できない難解なものになっていってしまった――。という。
似たような話としては「日本映画を終わらせたのは『踊る大捜査線』だ」という説を目にしたことがある。こちらは映画ブログ「破壊屋」さんあたりが書いてらっしゃったような……。
ともかく『踊る』があんなにゆるい脚本でも面白かったのは(すくなくとも大ヒットしたのは)君塚良一のたぐい稀なるコメディセンスのおかげだ。そして彼のセンスは萩本欽一のもとで修行した等のインプットに基づいている。そういうインプットを持たない脚本家が『踊る』のマネをしても、ただの破綻した物語にしかならない。『踊る2』以後の日本映画で脚本の粗が目立つようになったのは、意識的にせよ無意識的にせよ、君塚良一を模倣する作家が後を絶たないからだ。
インプットとアウトプットが同じジャンル内で完結しているクリエイターは、内輪ウケするものしか作れなくなっていく。そのジャンルについてよく知らない一般人には難解なものばかりを作るようになる。そしてジャンルそのものが衰退していってしまう。アニメしか見ないやつにアニメは作れないのだ。



これはなにも創作だけに限った話ではないだろう。
たとえば政局しか追いかけていない新聞記者には、ほんものの政治記事は書けない。会計理論にしか興味のない公認会計士なんて、商売の現場ではまるで役に立たない。自社の労使協議のことばかり考えている労組職員には、ほんとうの労働問題を解決することはできない。選挙で勝つことしか考えていない政治家に優れた政策なんて打ち出せない。そしてブログのアクセス数にしか興味のないライターには面白いブログなんて書けない。
学際的な知識ばかりを礼賛したいわけではない。なにか一つ専門性のある人のほうが魅力的だ。けれど、専門外にも目を向けられる人でなければ、すぐれたアウトプットはできないのだ。
ダ・ヴィンチの残した名画の数々は、彼の解剖学的な知識に裏打ちされていた。当時は、あらゆる分野に精通していることが、理想的な知性のあり方だとされていた。
そういうルネッサンスな人に私はなりたい。







物語工学論

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新装版 冲方丁のライトノベルの書き方講座 (このライトノベルがすごい!文庫)

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